479 夢が終わる
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ほむらの最期は、変わらない。
燃え盛る火の中で孤独に死んだ。
けれど、新しい記憶の中のほむらは、笑っていた。
最期に先生に会って、泣いて、褒めてもらって、笑っていたのだ。子供のように。
あれはただの夢でしかない。
現実は違う。それはわかっている。
私は一時的に記憶を失い、15の頃の自分に戻って、それからまた思い出した。ほむらの人生を、再び終わりまで歩んだ。そして最後に、「もう死ぬのか、地獄に落ちるのか」と、あの時の絶望と後悔と、安堵を思い出しながら、先生という幻覚を見た。
私の願望が見せた、都合の良い夢だ。
だが、その都合の良い夢は、私に都合の良い記憶と希望を与え、そして、胸の中に蟠っていた黒い何かを、するすると溶かしていった。
たとえ、現実ではなかったとしても。
たとえ、ただの夢であったとしても。
私はあの幻想に、救われたのだろう。
そしてあの夢を見せてくれたのは…………義勝。
あいつから貰った青い髪紐。
そしてこの国での優しい思い出が、私を…………ほむらを、救ってくれた。
長い、長い夢が終わって。
私は、ゆっくりと目を開けた。
「…………ほむら」
視界に、最初に映ったのは義勝だった。
あいつは眠そうな顔で、私の頬をそっと撫でた。
……ん? あれ? どうして私は義勝を見上げているんだ?
寝起きでまだ頭がぼんやりするせいか、今一体どういう体勢なのか理解できない。
私はゆっくりと起き上がって、そして……どうやら義勝の膝枕で眠っていたらしいと理解した。
「………………。俺は、肩を貸してもらったと記憶しているが」
「途中でずるずる滑って俺の腿に着地した」
「…………すまん。一晩中、それは、キツかっただろ」
人の頭は意外に重いしな。
義勝は「大したことはない」と首を横に振った。
「お前の寝顔を見てるのは楽しかった」
「そうか、俺の寝顔を…………ん、お前、まさか」
「何だ?」
「ま、まさかとは思うが……一晩中、見ていた訳じゃあるまいな?」
「………………」
「………………」
こいつまじか。
義勝は私から顔を逸らし、「その……眠れなかったんだ。動けないし、仕方ないだろ」としどろもどろになった。耳が赤い。私まで気恥ずかしくなって顔を覆った。
一晩中、見ていたのか? 私の、寝顔を?
あり得ないだろういろいろと。あとやっぱり恥ずかしい。とんでもなく恥ずかしい。どんな変な顔をしていたかわからないが恥ずかしい。涎とか垂らしてたらどうするんだ。ああなんて間抜けな……。
「ば、ばか……お前、ほんと、ばか」
「し、仕方ないだろう。これが最後だと思えば……」
「最後?」
義勝は赤い顔のまま、私へ視線を戻した。
真っ黒な瞳が寂しそうに揺れているのを見て、私は少なからず動揺した。
義勝の口が、ゆっくり動く。
「お前の名は、ほむらか?」
きっと、答えはもうわかっているのだろう。
義勝の言いたいことが、ようやくわかった。
「俺は…………ルークだ」
15の頃の、無知で無邪気な私はもういない。
私は、ルークだ。
ほむらとしての生を終え、この世界の千年も前に転生した。
そして、自ら生を絶った、愚かな男だ。
「……なぜわかった? 最後の夜だったなんて……」
「予感だ。ほむらは、もう長くないと言っていたし……いつか記憶が戻るのはわかっていた。たとえそれが昨晩でなかったとしても……それでも俺は名残惜しさに眠れなかっただろうな。一分でも、一秒でも長く、お前の姿を記憶に刻みたかった。お前を独り占めしたかった」
「ッ、ななななななななななななn…………」
今や義勝は、顔を赤くもせず大真面目な顔でそんなことを言っている。
ほむら15歳が義勝にどんな恥ずかしいことを言われたかは、私も記憶している。しかし……しかし、だ。こう直接言われるのは……人の記憶を覗いてぎゃあぎゃあ言うのとは、訳が違う、わけでありまして…………
「好きだほむら」
「ややややめろ恥ずかしい!! 俺は、お、男だ! 男だぞ!!」
「俺は別にお前が男でも構わないが」
「待て待て待て!! 冷静になれ!! お、お前が、好いてくれたのは…………ほむらだ。確かに俺は生まれた時から記憶があって……まあ俺はほむらでもある訳だが……その……そりゃあ、お前の気持ちは嬉しい。嬉しいし、すごく感謝しているし……けれども、その…………無知だった頃の俺は、いない。何も知らなかった頃にはもう戻れない。いろいろとあっただろう。あやめ殿のことも、知っているし、俺は俺で、新しい人生で…………他に、愛する人を見つけた」
義勝は目を細め「そうか」と柔らかく微笑んだ。
いっそ罵倒するなり何なりしてくれと思ってしまう程、寂しそうな笑みだった。
「お前が心から愛せる人に出会えたのなら、これほど喜ばしいことはないな」
気にするな、と言うように、義勝は私の頭をぽんぽん、と撫でた。
「ほむら、お前は俺の初恋だった。……お前に、気持ちを伝えられてよかった」
その目元には、一晩寝られなかったせいか、黒い隈ができていた。それに、ほんの少し赤くなって……ああ、泣いたんだな。涙なんて絶対に零さないような奴が、ほむらとの別れを想って泣いてくれたんだ。
……心が、きゅうっと苦しくなった。
そんな顔をされたら、泣きたくなる。
どうしてそんなに優しいのか。どうしてそんなに大切にしてくれるのか。
心が掻き乱される。
私はルークだけど、ほむらでもあるから。
彼女がどれだけ義勝のことを好きだったかは、私が一番よくわかっている。
「やめ、ろよ。俺だって……俺だって、ずっと、お前の、こと…………」
気持ちを伝えられて嬉しかったのは、私も同じだった。
長年の蟠りが消えて、たった一日ではあるけれど、想いが通じた。義勝と結ばれて嬉しかった。夢のような時間だった。本当だ。本当に……この時間が永遠に続けばいいと、願っていたんだ。
「…………他の者に伝えよう。記憶が戻ったとわかれば、皆喜ぶだろう」
「ッ……待って」
立ち上がろうとする義勝の手を、私は思わず掴んだ。
「少し、だけ……ま、待ってくれたって、いいだろ……?」
「だが……」
「少しだけ、だから……」
ああもう……私は何がしたいんだ?
ここで義勝を引き止めたって、どうしようもないだろう?
私と義勝は、以前の関係に戻った。想いの通じたあの一日は終わった。たったそれだけのことだ。全てを思い出した以上、こうなることは仕方のないことだ。なのに……どうして私は、縋ってしまうんだ?
「ほむら」
義勝が、困惑した声で私を呼ぶ。
私は泣きそうになりながら、義勝を見上げた。
「そんな顔を……するな」
そう言ってる義勝の方が、ずっと泣きそうな顔をしていた。
彼の手が私の頬を包む。
……温かい。優しい温もりに、とうとう涙が零れた。
義勝の顔が近づく。私は拒絶しなかった。躊躇いがちに、ゆっくりと唇が重なりそうになった、その直後――――――……
勢いよく、扉が開いた。
「なッ……ほほほほむら!! 朝から何してるんだ!! 離れなさい!!! 破廉恥だぞ!!」
親愛なる我が友人の、聞き慣れた怒鳴り声が、部屋に響いた。




