432 【ヒューゴ】 喪う
「出産……!? ちょっと待て、そもそも妊娠していたことすら知らなかったんだが……!?」
「私もだ!! 全く、イザベラはどうしてこんな大切なことを! 本当に困った妹だ!」
そう言いながら、レイモンの顔は喜びでほくほくしていた。
「便りを全然よこさないから、心配になって人をやってな。それで出産したことがわかったんだ。はあ~やれやれ。イグニス公爵とうまくいっているのだろう。我々のことなど眼中にないと言う訳だ。こんな大切なことを言わないとは、全く何を考えているんだか。いまいちあの妹らしくない気もするが、まあ恋は盲目というしな」
レイモンは「さあ!」と俺に手を差し出した。
俺はその手を見て首を傾げた。
「……さあ?」
「早く旅の支度をしろ!!! 今すぐ可愛い赤ちゃん様の顔を拝みに行くぞ!!!」
「いや、だが仕事がある。すぐには……」
「お前、帝国民とイザベラとどっちが大切なんだ?」
それを俺に聞くのか。
レイモンはドン、と胸を張った。
「私は断然イザベラが大切だ!!!」
「……お前」
「当然民の事は考えている! だがそれとこれはまた別問題! イザベラは私の大切な妹だ。私たちは長い間二人きりの家族だった。それに、私は正直侯爵の仕事というのが大嫌いでな。常日頃からどうすれば自分がラクできるか、そればかり考えている。はっはっは〜」
レイモンの、こういう軽いところは羨ましくもあった。
それに民からの人気はずば抜けて高い。俺には一生縁のないものだ。レイモン曰く、「お前はアピールが足りない」らしい。もっと笑顔が必要だ、とか……。笑顔なら十分しているつもり、なのだが。
「それにお前、ここのところずっと休んでいないだろう。仕事が大好きなのはいいことだが、たまには息抜きも必要だ」
「だが……」
「そんなに仕事に繋げたいなら、アカツキ王国への視察とでも言ってもぎ取ってこい。イザベラの可愛い娘だぞ? 見たくないのか? そんな訳ないよな? 見たいだろ絶対見たいだろこの目に焼き付けて絵師を100人呼んで100枚愛らしい姿を描かせたいそうだろ?」
この男、ローガンが生まれた時やったことをまたやるつもりか。
「金髪に青い目の女の子だそうだ。きっとイザベラによく似た、可愛い子だよ」
「…………そう、か」
「それとも……本当に見たくないか?」
ずっと興奮していたレイモンが、少し落ち着いた様子で俺の顔を窺った。
こいつなりに、元婚約者である俺の気持ちも気遣ってはいるのだろう。
俺は静かに首を横に振った。
「いや、見てみたい。イザベラは大切な幼馴染みでもあるし、彼女が待望の我が子を産んだんだ。自分のことのように嬉しいよ」
本心だった。
レイモンは泣きそうな顔で頷いた。
「そうと決まればッ――――――」
「侯爵閣下!! どうか最後まで聞いてください……!」
その時、慌てた様子のレイモンの従者が執務室に飛び込んできた。
ぜいぜいと息を切らして、今にも倒れそうだ。俺は黙って水差しをコップに注ぎ、差し出した。
「あ、ありがとうございます皇太子殿下……」
「すまんすまん。何だ? 他にも報告が?」
「あ、ええと、その…………」
従者は、気まずそうに俺たちから視線を逸らした。
「その……イザベラ様から、他にも伝言が……」
「うん、何だ? センスの悪いベビー服を買ったら殺すとか?」
「い、いえ、違います。その…………来ないでほしい、と…………」
「………………は?」
レイモンは笑顔のまま固まった。
従者は「ヒッ」と顔を引き攣らせながらますます青ざめた。
「来ないでほしい……? それは、どういう……?」
「わ、わかりません! 理由はわかりませんが、そう伝えろとばかり……。とにかく来ないでほしいと……侯爵閣下も、皇太子殿下におかれましても……アカツキには来ないでほしい、と……」
俺とレイモンは顔を見合わせた。
来ないでほしい? 自分の子供ができればパレードをして見せびらかすくらいしそうなイザベラが?
彼女らしくないどころの話ではなかった。
その後、真意をつかむため、レイモンは何通も手紙を送りつけた。
だがなかなか返事はなく、我慢できなくなったレイモンはある日突然旅立った。
俺は行かなかった。
イザベラが拒絶しているのに、それを無視して会いに行くような勇気は、俺にはなかった。
随分経って帰ってきたレイモンは、赤ん坊の画を何枚も抱えて幸せそうにしていた。
「天使のような子だったぞ! いや~本当に可愛い子だった!! 本当に本当に可愛くて…………。いっそ、イザベラとこの国に戻ればいいのにな」
「……どういうことだ」
ぼそっと零した最後の言葉に、違和感を感じた。
レイモンの顔を見ると、目が僅かに潤んでいる。
「ははっ……いや、そう思ってしまう程可愛かったんだ。アカツキはあまりにも遠い。さすがの私でも気軽に会いに行ける距離じゃない。……それが悲しかった」
レイモンは目元の涙を拭い、いつものからっとした笑顔を見せた。
……本当は、何か知ってしまったんじゃないのか。見てしまったんじゃないか。
そんな考えがチラリと頭を過ったが、俺は気づかないフリをした。
それがイザベラにとって知られたくない事実であるなら……俺が詮索する権利はないと、思った。
それから2年だったか、3年だったか……
正確なところは覚えていない。
イザベラが亡くなったと、連絡があった。
レイモンは、ずっと泣いていた。
泣きながら怒っていた。
どうしてこんなみすぼらしい葬儀なのか、どうしてもう少しくらい大切にすることができなかったのか、と。
イグニス公爵に食ってかかるのを止めながら、俺はその時、公爵がイザベラを嫌っていたことを知った。
「お前らの圧力さえなければ、誰があんな女と結婚するか! 邪悪な女め! あいつさえいなければソフィアは……!!」
イグニス公爵は、イザベラを憎んでいた。
うまくいっていたのでは……なかったのか?
大切にしてもらえているのでは、なかったのか?
イザベラが心から愛した“運命の人”は、彼女の死を悼むどころか喜ぶ程、彼女を憎んでいた。
……………………そうか。
これだったのか。
レイモンが赤ん坊を見に行った時、知ってしまったのは、このことだったのか。
それを知られたくなくて、イザベラは俺を遠ざけていたのか?
「煩い!! イザベラはお前を心から愛していたんだぞ!? お前のような乱暴でいいところゼロの情けない男でも……! なのに……――――!」
「あの女がソフィアに何をしたと思っている!? ソフィアがどれだけ辛い想いをしたと――――――!!」
「フェルド!! その辺にしておけ!!!」
一向にやまない怒鳴り合いに、誰かが終止符を打った。
精悍な顔立ちの、イグニス公爵より更に真っ赤な髪の……恐らく、イグニスの騎士だった。
彼は視線を壁際に向けた。
「……子供がいるんだ。もうやめろ」
怯えた顔の、幼い男の子が、今にも泣きそうな様子で俺たちの方を見ていた。
イグニス公爵は慌てて、男の子の元へ走って行った。
…………イザベラの子供じゃない。
そう言えば、あの子はどこにいる?
イザベラの、娘は。
俺より先に、レイモンが声を張り上げた。
「おい、フレアは!? フレアはどこだ!? イザベラの大切な一人娘が、どうして葬儀にいない!?」
「あの女にそっくりの我が儘ではしたない娘だ。泣いて暴れるから葬儀に参列させられる状態じゃない」
「なっ……」
レイモンの顔がまた怒りで赤くなる。
またひと悶着起きて、レイモンは結局騎士に取り押さえられ、「頭を冷やせ」とばかりに屋敷の一室に放り込まれた。
しばらくの間イグニス公爵を口汚く罵っていたレイモンは、やがて何も喋らなくなり、ただ静かに涙を流していた。
俺は、その涙に耐えられなくなった。
「何か貰ってくる」と部屋を出た。
イザベラはもうこの世にいない。
その事実が、どうしても信じられない。
もう随分長い間顔を見ていない。声も聞いていない。
イグニス家のやり方に則って、イザベラは荼毘に付された。
俺たちが到着した時には、彼女は小さな骨壺になっていた。
あんな小さな壺にイザベラが収められていると言われて、一体誰が納得できる?
「…………ッ」
名前を呼ぼうとして、唇を噛んだ。
呼んだら最後、涙が止まらない。
レイモンがあんな状態なのに、俺が冷静さを失ってどうする。
胸を押さえて、静かに息を吐いた。
――――――その時、どかどかと乱暴な足音が近づいてきて、俺は背後を振り返った。
……イグニス公爵だった。
よりにもよって一人でこの男に相対するのか。
赤い髪が、邪悪な炎のようだ。公爵は俺の目の前に立つと、何かを突き出した。
それは、細長い小さな入れ物だった。
「…………これは?」
「あの女の遺品だ」
あの女、とはイザベラのことか。
怒りが腹の底でぐつぐつ煮えたぎるのを感じながら、それを顔に出すまいと必死で抑えた。
「……遺品、ですか。これが。……これだけが?」
公爵は頷いた。
そんなまさか。彼女には大切にしてあるドレスも靴も宝石も、たっぷりあったはずだ。
こんな入れ物一つしかない訳がない。
「あの女は自分の持ち物を遺体と一緒に全て燃やせと。なかなかの量だったから苦労した。ごく少量だが、燃やせなかったものは、遺言通り彼女の墓に入れてある」
「どうして、そんな――――――」
「知らん。まあこちらとしては都合がいいがな。あんな女の使っていたものを残すつもりはない。ただ……」
イグニス公爵はウンザリした顔で入れ物を見下ろした。
「……それはどうやら手紙のようだ。さすがに全てを燃やすのは気が引けた。形見にするといい。……中身は読んでいない」
公爵はそれだけ言って、踵を返した。
それからふと立ち止まって、俺を振り返った。
「お望みならばあの女の遺骨は持って帰るといい。あの女が遺した娘もな。イグニス家には不要のものだ」
そう吐き捨てて、来た道を戻っていった。
……怒りというのは、許容量を超えるともう何も考えられなくなるらしい。
俺は、渡された入れ物を持ったまま、しばらく動けなかった。
――――――しばらくして、ぱたぱたと、小さな足音が聞こえた。




