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431 【ヒューゴ】 思い出す




「フレア!!!」



 レイモンの叫び声が……聞こえる。

 燃え盛る火の塊が落ちてきた。


 俺は朦朧としながら、咄嗟に手を伸ばした。

 このままではあれがイザベラに……………………いや、待て。





 イザベラは…………もう、この世にはいないだろう。






 火の塊が落ちるまでの瞬きの間、過去の出来事が、一気に駆け巡った。





 …………

 ……………………






『イザベラ。……どうか、幸せに』




 イグニス公爵に出会った時の彼女の顔。

 一生忘れられない。

 あんなに幸せそうな顔を見たのは初めてだった。



『彼に会えたの! 間違いないわ! ああ、これが運命なのね!! 嬉しい……私、もう二度とあの御方には会えないと思っていたのに……!!』



 だが現実は、そうすんなりと彼女の思い通りにはいかなかった。

 彼女の“運命の人”であるイグニス公爵には、前世の記憶がない。

 そして彼には、既に婚約者がいたのだ。



 ソフィア・イグニス。



 イザベラはその令嬢が邪魔だと、彼女さえいなければと、悔しがっていた。

 目をぎらつかせ、俺の父親、つまり皇帝にも頼み込んで圧力をかけ……やがて、まだ正式には何も決まっていない段階で、痺れを切らしたようにアカツキへと旅立った。


 その時点で、雲行きの怪しい旅立ちではあったのだ。

 それでも、俺の杞憂であればと、これから良い方向に転がればと、願った。



 イグニス公爵の婚約者、ソフィアが暴漢に襲われ、望まぬ妊娠。

 彼女と公爵の婚約は破談となった。

 そして、イザベラと公爵の婚約が正式に決まった。




 イザベラが、暴漢を仕向けたのではないか――――……




 アカツキ王国では、もっぱらそんな噂が流れているらしい。

 妹思いのレイモンは激昂した。



「イザベラがそんな卑劣な真似をするものか! 確かに、まあ、多少の脅しはしたかもしれないが……」

「ソフィア・イグニスの元に度々足を運んでいたらしい」

「…………。うーん……ヒューゴ、手紙の返事は来たか?」

「来てない」

「お前もか。……私も、まだ来ていない」



 ソフィアを脅していたらしいと聞いても、驚きはしなかった。

 その程度のこと、イザベラなら躊躇いなくやるだろう。

 だが、か弱い女性に暴漢を差し向け、偶然とは言え妊娠までさせるだろうか? 一切自分の手を汚さずに? 男は誰に命じられたわけでもないと主張し、裁判の末処刑されたらしい。


 どうも彼女らしくないと思った。

 イザベラ自らがソフィア・イグニスを拷問にかけたというなら納得できる。彼女は何事も自分の手でやらねばすまないところがあった。


 その一方で、イグニス公爵のことになるとイザベラは周りが見えなくなるというのも事実だった。

 このままでは結婚ができないと焦ったのだろうか?





 …………わからない。

 その時、俺はイザベラを、ほんの少しでも疑ってしまった。



 真相を確かめようと手紙を送ったが、返事は来なかった。

 随分経ってから送られた手紙には、まともな結婚式もできなかったと、シノノメ帝国から家族を出席させることもできなかったと、恨みがましく綴られていただけだった。


 その後もイザベラには定期的に手紙を送っていたが、彼女から返事が返ってくることはほとんどなかった。




 ――――――だからあの日、イザベラから珍しく返事が返ってきて、俺は心底驚いた。

 もうイザベラから手紙が届くことはないのではないかと、いっそ送らない方がいいだろうかと思っていた頃だった。



 手紙を開けた俺は、思わず一度それを伏せて辺りを窺った。

 自室なのだから人の視線なんてある訳がないのだが、それだけその手紙の内容は過激なものだったのだ。



『アカツキ王国の人間はフェルド様以外本当に頭がおかしい。シノノメ帝国の属国にして連中を矯正するべきだわ。私への礼儀が一切感じられないの。私は名家サピエンティアの人間なのに! 貴方が皇帝になったらこの国を侵略して頂戴。私が手引きしてあげるから。無事属国になったら、皆私を敬うようになるわね。私の味方はフェルド様だけだわ。あの御方は私のことをすっごく大切にしてくださっているの。だから、ま、少しくらい時間がかかっても許してあげる。シノノメの属国になれば、改めて式を挙げなくちゃ! もっと盛大に、豪華に挙げるの。フェルド様も本当はそれを望まれていたんだけど、あの女に配慮して小さなものにしたのよ。本当に邪魔な女。今もイグニス領内でのうのうと暮らしているのが信じられない――――――……』



 彼女らしい強気な言葉がずらずらと並んでいた。

 どうやら元気そうだと安心すればいいのか、周りの者とうまくいっていないのかと心配すればいいのか。普通は“心配する”もしくは“諭す”のどちらかだろうが、さすがにイザベラとて、本気で侵略を望んでいる訳ではないはずだ。ただ…………



「まさかアカツキ王国の者に読まれてはいないだろうな……」



 冷や汗が流れた。

 たとえ軽い冗談のつもりであったとしても、帝国の皇子に対して公爵夫人が出した手紙としては、まずいどころの話ではない。



「イザベラのことだ、気に入らない相手に本当に言っているという可能性も……うッ……」



 不意に、腹に痛みが走った。

 包帯に僅かに血が滲んでいる。……今朝、街へ視察に出た際に斬りつけられてできたものだ。

 父のやり方に反対する、反体制派の仕業だった。

 正式に皇太子となってから、命を狙われることが以前より格段に増えた。俺はただでさえ父に似て陰気だから民の人気もない。

 どんなに地道に公務に励んでも、どんなに必死で父の尻拭いをしても、評価されることはない。

 民が俺に何の期待もしていないことは、ずっとわかっていた。




 …………イザベラは、こんなものとは無縁でいてほしい。

 悪意とも暴力とも遠いところで、穏やかに幸せに過ごしてほしい。

 そのためには、できるだけこういう過激なことは手紙にしたためるべきじゃない。もちろん周囲に話すべきでもない。

 何がきっかけで命を狙われるか、わかったものじゃないのだから。




 俺は、あまり滅多なことを言わないように、と書き送った。






 ……………………ずっと、後悔している。



 あの時の俺は、それが最善だと思っていた。

 イザベラのために、そう諭すことが一番だと。イグニス公爵とうまくいっているなら、彼との絆を一番に大切にするべきだ。手紙の中とは言え、言葉には気をつけるべきだ、と。




 ……俺は、なぜそんなことしか言ってやれなかったのだろう。

 少し考えればわかることだった。

 イザベラは、弱みを見せたがらないのだから。


 彼女は素直に助けを求められない。

 そういう性格だ。それくらいわかっていたはずだった。

 遠い異国で、彼女がどれだけ心細い想いをしているか、俺は想像すらできていなかった。



 彼女ならば大丈夫だろうと。

 手紙でもあれだけ強い言葉を使えるなら、元気ではあるのだろう、と。



 まさかあんなことが起きていたなんて――――――思いもしなかった。



 その後、彼女から返事は来なかった。



 やがて手紙のことも忘れ、およそ1年近くが経った頃…………――――――




「ヒューゴ!!! ろろろろう、ろう、朗報だ!!!」



 呂律の怪しいレイモンが執務室に飛び込んできた。

 机の上の書類を散らしながら勢いよく手をつき、興奮して赤くなった顔を俺に向ける。




「イザベラに女の子が生まれたッ!!!!」




 それは、間違いなく喜ばしい知らせだった。

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