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わたしへの恋を、わたしに相談しないでください ~深夜の精霊ラジオ、常連リスナーの正体は石像と呼ばれる騎士団長でした~  作者: みだん


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エピローグ おはよう、を言える朝

 月送りの翌朝、川には、流れ着いた紙の舟がいくつか、土手の草に引っかかっていた。


 どの舟も、蝋燭は燃えつきて、底に敷いたルナリアの莢だけが残っている。朝の光を受けて、銀色の小さな月が、水際でかすかに揺れていた。言えなかった言葉は、もう、どこかへ届いたのだろう。


 わたしは如雨露を提げて、店先に出た。


 月見草は、もう花を閉じていた。夜のあいだだけ開いて、朝にはくたりと萎む花。それでも、葉の先には朝露が光っていた。


「おはよう。昨夜は、お疲れさま」


 声に出して言った。


 如雨露を傾けていると、蝋燭小路の角に、濃紺の外套が見えた。背筋を伸ばして、まっすぐ前を向いて、二本ぶん遠回りになる道を歩いてくる。


 いつもより、少しだけ歩幅が小さかった。


「おはよう、エルナ」


 月見草の鉢の三歩手前で、その人は立ち止まった。


「おはようございます、クラウス」


 言ってから、わたしは如雨露を取り落としそうになった。昨夜は、月の下だったから言えたのだ。朝の光の中で口にすると、名前というのは、こんなにも照れくさいものだった。


 クラウスは、何も言わなかった。眉間の縦じわは、いつもどおり。けれど、耳の先が、朝日よりも赤かった。


 向かいのパン屋の窯の前で、何かが派手に落ちる音がした。


 振り向くと、おかみさんが、パンを載せた板を足元に落としたまま、口を開けてこちらを見ていた。ご亭主が、黙って板を拾っている。


「エルナちゃん! 今、なんて」


「……何でもありません」


「何でもない子が、石像団長を名前で呼ぶもんかね!」


 小路じゅうの窓が、いっせいに開いた気がした。


 クラウスは、ひとつ咳払いをした。それから、わたしにだけ聞こえる声で言った。


「……巡回に戻る」


「はい。いってらっしゃい」


 クラウスは、一瞬だけ足を止めた。それから、ほんのわずかに口の端を上げて、土手のほうへ歩いていった。


 昼前、朝市へ薬草を仕入れに行くと、人混みの向こうに、栗色の束ね髪が見えた。


 ロイさんだった。片手に、籐の籠をふたつ提げている。ひとつは自分のもので、もうひとつには、薔薇色の飾り紐が結んであった。


 その横を、ジルケさんが歩いていた。


 ロイさんのほうを、ちゃんと見ていた。何か言われて、口元に手を当てて笑っている。舞台の上の笑みではなかった。


 ロイさんがわたしに気づいて、籠を持ったまま、軽く会釈した。ジルケさんも振り向いて、わたしを見ると、少しだけ頬を染めて、小さく手を振った。


 困っているときに、さりげなく手を貸す。


 この人は、最初から、それがいちばん上手な人だった。


 店に戻ると、師匠が出かける支度をしていた。


 腕に、厚い羊毛の外套を畳んで抱えている。昨夜、肩にかけて帰ってきた外套だった。その上に、小さな壺がひとつ載っていた。実家から届いた、うちの蜂蜜の壺だ。


「どこへ行くんですか」


「水門さ。借りたものは、返さないとね」


「……蜂蜜も、ですか」


「お礼だよ。五十年ぶんのね」


 師匠は、丸眼鏡を押し上げて、杖をついて出ていった。いつもより、ずいぶん足取りが軽かった。


 その夜、八つの鐘で、窓の外の灯りが水色に満ちた。


「……水鏡だ。明日の市は、晴れる。川の水は、穏やか」


 低い、いつもの声。


「蜂蜜は」


 水鏡さんは、そこで少しだけ黙った。


「……蜂蜜は、もう、値をつけん。わしの分は、売り物では、なくなったでな。……以上だ」


 階下の師匠の部屋から、何かを取り落としたような音がした。


 わたしは、窓辺で、声を殺して笑った。


 十一の鐘が鳴った。


 月は、昨夜よりほんの少しだけ欠けて、東の空にあった。それでも、光の粒は遠くまで流れ、下町の窓という窓が、淡い黄に満ちていく。


「こんばんは。夜更けの薬草相談室、宵待です。眠れない方も、眠りたくない方も、少しだけお付き合いください」


 便りは、三通だった。


 月送りの灯りの舟が、うまく流れなかったという子どもの便り。祭りの夜に食べすぎたという相談。


 そして三通目に、青い月石が、ひと粒。


 わたしは、それを手のひらに載せた。冬の朝の空の色。いちばん青いのを。いちばん、いいのを。


「……最後のお便りは、夜の名『見習い』さんから」


 夜の名は、変わっていなかった。


 封を開く。角の立った、几帳面な字。便箋は一枚だけだった。


「『宵待殿。これは相談ではありません。ご報告です』」


 ささめが、便箋の上で、もうとろけていた。


「『今朝、彼女に、おはようと言えました。名前で、呼んでもらえました』」


 窓の外の、どこかの家から、小さな拍手が聞こえた気がした。


「『それから、もうひとつ。この石は、これからも毎週、添えるつもりです』」


 その先の一行を、わたしは声に出さずに読んだ。


 『夜の勝手口の、薬代になるのだと聞きました。私にできることは、まだ少ないので』


 ――聞きました。


 誰から、とは書いていなかった。昨夜、勝手口の戸口で、わたしが話したのだ。月の下で、少しだけ。


「『見習いは、まだ見習いのままです。これからも、聴き手のひとりとして、宵待殿の声を聴いています』」


 わたしは、便箋を膝の上に置いた。


「見習いさん。ご報告、ありがとうございます」


 宵待の声で、わたしは言った。


「おはようは、どんな薬よりもよく効くと、宵待は思います。明日の朝も、どうか、言ってあげてください。……その方も、きっと、言い返しますから」


 嘘は、ひとつもなかった。


「今夜のお薬は、カモミールのお茶です。――おやすみなさい」


 灯りが、ゆっくりと欠けていく。


 わたしは、青い石を小瓶に落とした。ころん、と高い音がした。この石が、明日の晩の、誰かの薬代になる。


 見習いさんの石は、いつも、音までいい。


◇


――幕間


 宿舎の机の上に、封書がひとつ置いてあった。


 昼のうちに、丘の上から届いたものだ。厚い上質の紙に、王家の紋章の封蝋。宛名は、クラウス・フィヒテンタール。叙爵のときに一度だけ登録して、それきり誰も呼ばない名前だった。


 私は、宵待殿の声が欠けていくのを聴き終えてから、その封を、もう一度開いた。


 ――第二騎士団長クラウス殿。貴殿の近衛騎士団への転属を、打診する。


 蝋燭の火が、紙の上で揺れた。


 近衛騎士団。王城と王族を護る、丘の上の騎士団だ。平民出身の騎士が呼ばれることは、まずない。名誉なことなのだと、ロイなら言うだろう。


 私は、窓を開けた。


 夜の下町が、眼下に広がっている。宵待殿の番が終わって、窓の灯りはもう三日月に戻っていた。その向こうに、灯り橋がある。橋を渡った先の丘の上は、今夜も、黒い影のままだった。


 丘の上には、精霊がいない。


 嘘と建前の多い場所に、精霊は寄りつかない。だから、あそこでは、聴き灯は満ちない。どれほど耳を寄せても、宵待殿の声は、届かない。


 私は、枕元のひびの入った聴き灯を、手に取った。


 昼の声と、夜の声。昨夜、この灯りの中で、二つの声が重なった。


 あの声が届かない場所へ、行くのか。


 答えは、まだ出なかった。


 出ないまま、私は封書を机の引き出しにしまった。宵待殿にも、まだ書かない。今度こそ、相談は本人にすると、約束したのだから。


 窓の外で、欠けはじめた月が、白く光っていた。



〜 あとがき 〜


 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。作者のみだんです( ・∀・)


 この作品で書きたかったのは、短い時間で、ふっと甘い気持ちになれるお話でした。作中で、精霊のささめは恋心を「蜂蜜の味」として食べますが、読み終えたあなたの胸のどこかに、ひと匙ぶんの蜂蜜が残っていたら、こんなに嬉しいことはありません。


 今回は、小説家になろうとカクヨムの同時連載という形をとりました。小説家になろうなら慣れているのでまだしも、カクヨムでいきなり長期連載に飛びこむのもなぁ……と考えて、三十話とエピローグという、このボリュームに落ち着きました。一気に読んでも、寝る前に一話ずつ読んでも、ちょうどいい長さになっていればいいなと思っています。宵待の時間みたいな感じですね。


 あと、この物語のきっかけは、僕自身の生活の中にありました。


 最近、僕は配信アプリにずいぶんお世話になっています。早朝、作業をしながら誰かの声を聴いていると、不思議と気持ちが落ち着くんですよね。そうやって配信の世界に触れているうちに、配信者(ライバー)とリスナーのあいだが少しずつ親密になっていくことも、今の時代ではそれほど珍しくないのだと知りました。


 それが、ファンタジーの世界で、すごくキレイな形で起きたらどうなるだろう。そう考えたところから、夜語りと、宵待と、見習いさんが生まれました。


 もちろん、ライバーとリスナーの恋は、決して楽な道のりではないと思います。画面の向こうの相手が、本当はどんな人なのか。声だけで、どこまで分かり合えるのか。


 しかも今回は、ラジオ配信という形で、昼の声と夜の声が違って聞こえる世界です。作中では精霊のしわざですが、マイクや機材の具合で声の印象が変わることは、現実でも起こりうることかもしれませんね。


 その中で、自分が恋の相談をしている相手が、まさかの本人だった――。


 この展開、僕は本当に好きな展開でした。書きながら、僕自身がいちばんキュンキュンしていたかもしれません。


 花の代わりに薬草を箱で抱えてくる団長も、自分への恋に自分の声で答えるしかないエルナも、書いていてずっと楽しかったです。


 言えなかった言葉は、灯りに乗せて送るのもいいけれど、できれば明日の朝、顔を見て。


 宵待が最後に言ったこの言葉。これがもし誰かの気持ちを後押ししたのなら、作者としてこれ以上の幸せはありません。


 改めて、エルナとクラウス、そして蝋燭小路の人たちに付き合ってくださって、本当にありがとうございました。


 ……一応、続編が作れるようにしました(笑)

続編を望む声があれば、そのときの余力との兼ね合いで考えていきますね✨


 それではまた次回作でお会いしましょうっ!!

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