第8話 独り言
───時は昨晩へ遡る……
カノンは、ルイの狂気的な美しさに息を呑んでいた。
『君のことは綺麗だと思っていた』
衝動的に口にしてしまったその言葉は本心から出たものであった。妻を失った寂しさを埋める相手を口説き落とすための───陳腐な口説き文句などではない。
ルイの髪の毛は、“人間界”の頭上に広がる蒼空すら嫉妬してしまうほどに───鮮やかなブルーで彩られていた。そよ風になびく度に、この世のどこにも存在しない“神の世界”を覆いつくしている運河のうねりを彷彿とさせる。
その瞳もまた───“工芸の神”が全神経を注いで研磨したサファイアの結晶に匹敵するほど優美であり、中へと吸い込まれるあらゆる景色を乱反射して───無限の色彩をも凌駕する。
───ありえないくらい美しい。
まさしく───青い薔薇だ。
先程思わず口にしてしまったその台詞は───彼女の唇の向こう側に美しく配列された歯を浮かせるようなその台詞は───彼女の頬を紅潮させていた……満更でもないと言わんばかりに。
気づけば、真正面からお互いに───顔を見合わせていた。
いつの間にか───店内は2人を除きもぬけの殻。まるで「ここからは『お二人さん』の世界だ……オレたちは邪魔しちゃいけねえ」と目配せし合いながら、舞台袖に消えていったのだろうか。
───そう……ここからは二人だけの世界。
お互いの顔が引(惹)かれ合い───ルビーとサファイアの瞳が少しずつ閉じられていく。まだ閉じ切っていない瞼の隙間から屈折した───赤と青の光が交じり合う……
───そして…………
「!! ……うっ……うっえええ……うおっああああ……!!!」
「!? ……ぶわっ……ちょっ!! ……うええ……??」
瞬きほどの刹那……とろけかけた生チョコレートのようであったルイの表情が一変──「うっ……」と一瞬眉をひそめたかと思いきや……
彼女のブルーを最大限に引き立てるために、控えめの紅色で塗られた唇からは───キラキラと輝く吐瀉物が滝のように流れ落ちた。
目の前のカノンが身に纏っているローブへ直接……まさに“バーストストリーム”
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「はあ……道具はこれだけか。まあいいだろう」
カウンターの内側をまさぐると幸いなことにモップとバケツを発見することができた。勝手に店の備品を扱うのは気が引けたが、店主を起こすのも申し訳ない。
カノンは客室に設置してある浴室の蛇口を捻り、バケツに水を汲んでホールへと戻って来る。そして、ローブの袖を腕まくりすると───バケツの中に軽く小指の先を突っ込んだ。ほんの少し、眉間に皺を寄せると、
「……せいっ!!」
小さな掛け声をあげた瞬間───薄~い湯気が立ち上る。肩まで浸かるとしたら丁度いいくらいの温度だ。そして汚れも落ちやすい適温。
《火》属性の魔法は『彼の十八番』である。大陸を焦土へと変貌させる規模から、マッチの先で小さく揺らめく炎のサイズまで───自由自在に『火力』や『熱量』を調整できる。
「……これくらいかな。さっさと始めちゃおう……」
バケツの中のお湯にモップを浸し、彼は拭き掃除を始めた。
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「よし……とりあえず目に見える汚れは全部片付けたな」
彼は非常に慣れた手つきでモップを扱いながら……『ルイの吐瀉物』を床の1箇所にかき集めた。
───しかし……
「ところどころ染みができているな……まだ少し酸っぱいニオイがするし……衛生的とは言えないなぁ……」
人様の大切な店を汚したまま帰るなど──彼の『良心』が許さなかった。ついこの間まで“魔王軍”に在籍していたけど……そこで、
「よし……!! “あれ”を使うか」
彼は再び右腕のローブの袖をまくると、小指の先を天井にかざし……
「《光》属性の魔法の応用──“オゾンスプリンクラー”。これ……どんなニオイも消臭できるし、染み汚れとかも凄く綺麗に落ちるんだよなぁ……覚えておいて良かった」
その指先から霧状の光輝く粒子が散布される。10秒ほど経過し、ひとしきり振りまいたことを確認すると……
「最後は……“乾燥魔法”で濡れている場所を乾かそう。5分くらいで乾くかな〜」
今度は先ほどまでまくっていた右腕のローブの大きな袖をバサリッ───とわざと音を立てて振る。その瞬間──ドライヤーの熱風のような熱波が部屋中を対流した。
結果的に……
「……もとより綺麗になってしまったかな……逆に不自然だろうか……まあ仕方ない。汚いよりはマシか。おっと!! まだルイの吐瀉物片付けていなかった!!」
彼は肝心のルイの吐瀉物を片付けることをうっかり失念しかけていた。いくら部屋を綺麗にしても……ルイの吐瀉物を残したままなのはヤバい。
彼はローブの中にしまっていた杖を取り出すと、杖の先を───ルイの吐瀉物に向けて、
「……うう……“念力”でも触りたくないなぁ……でも仕方ない……」
ゲル状に固まりかけていた物体───ルイの吐瀉物は彼が杖の先を向けた瞬間……「ぴく……ぴく……」と2,3度ほど震えた直後……
ビシャ───という生々しい音を立てて、つい先程まで男女に蜜なひと時を提供していた空間に浮かび上がった。それはすっかりと下火になった暖炉の中へと一直線に吸い込まれていき……
「低温だと『有害物質』がでちゃうから一気に高温で焼き払おう……“太陽フレア※”と同じくらいの温度なら充分かなぁ……」
※太陽フレアは、太陽の表面で発生する大規模な『爆発現象』であり、非常に高温の『プラズマ』が放出されます。具体的には、フレアループの温度は《約1000万度》に達することが知られています。
「……暖炉自体をだめにしないように上手く調整しないと…………ぬううんっ……!!」
顎に負荷をかけぬよう……ほんの少しだけ、魔力を高めて一気に燃焼。一瞬……小さな花火のような光が暖炉の中から漏れ出たが──二、三度瞬くと暖炉の中の炎は、先ほどと変わらない優しい明かりを灯していた。
「……最後は僕のローブと彼女の服かあ……嫁入り前の女性の服を脱がせるのは忍びないが仕方ない……」
彼はなるべく彼女の身体を見ないように目をそらしながら───四苦八苦して、ようやく彼女の服を脱がせ、自身の服も脱ぐと同様の手順で洗浄を終えた。最後に衣類を丁寧に畳んで終了!! ……なのだが洗浄されたルイをお姫様抱っこで抱え、客室のダブルベッドへ彼女を横たえると、
「……はあ……疲れた……畳むのは……流石に勘弁かな……早く寝たい……」
几帳面な彼も……これ以上は流石にお手上げのようだ。久々に深酒したのもあって、酔いがかなり回ってきている。先ほどから独り言が絶えないのが証拠。寡黙───とまではいかないものの、普段の彼は口数が少ない方だ。
しかし酔っぱらうと饒舌になる。親戚のおじさんでこういう人……いるよねww普段は仏頂面で不機嫌そうにしているのに、正月に親戚が集まって飲み会が始まると急にダルがらみしてきてww……めっちゃうざかった。
さて……話を戻そう。彼は客室のベッドの脇に備え付けてある灰色の椅子にドカリッ───と腰掛ける。アンティークなデザインが何ともお洒落だが鑑賞に耽っている余裕などない。ここで彼はあることに気がついた。
「なんだぁ……?? ベッドがひとつしかないのか………仕方ない。僕が少し早めに起きて、彼女が起きる前に起きてベッドから出よう」
そして彼はそのままベッドに潜り込み、全裸の彼女が風邪をひかぬように───広いシーツをかけ、余った部分は自分の身体に被せた。その後10秒も経たないうちに──彼は小さく寝息を立て始めた。
そんな彼が深い眠りから目覚めるのは……ニワトリの朝鳴きから、さらに一刻ほど経過してからであった。
とまあ……2人が一夜を共にした経緯はこんな感じだったのだが──お互いに昨夜のことは覚えておらず。さらにカノンは、なまじ家事が得意だったため───彼女の粗相の痕跡を残していなかったのが災いし、話はどんどん拗れていく。




