第9話 二人目
さてさて、ここは小さな村のとある酒場。そう……昨日肘が触れ合う距離で私達が込み入った話を繰り広げていたあの酒場よ。もっとも、本日は打って変わって私とカノンはテーブルに向かい合う形で腰掛けている。
「今後の僕たちの関係について話し合おう」
カノンはそんなことを口にした。
私───ルイは酒焼けした声に呆れを滲ませながら反論。
「ねえ……その、そこまで大事にする必要はないんじゃないかしら?? 酔った勢いで……みたいなことって、誰しも一度や二度あるじゃない??」
こんなことを口にしてしまうと尻軽女だとか言われるかもしれないけど、現実なんてそういうものだと思う。
だからこそ、私は時折──元婚約者のジョセフが知らない女性と馬車で、どこかへ出かけているという噂を耳にした時も彼を問い詰めるようなことはしなかった。
実を言うと……私も婚約前は結構男を取っ替え引っ替え……いや、この話はまた今度にしよう。
しかし、彼は首を横に振る。
「……いや。そうはいかない。エルフには、『一生を添い遂げると決めた女性とだけ、一夜を共にする』という大事なしきたりがあるんだ」
「!? えっ……?? そうなの??」
彼が衝撃的なことを口にした瞬間──二日酔いでムカムカしている胃袋がキュッと縮こまった。
私は魔導士として魔法の研鑽に励むだけでなく、あらゆる種族の生態についても日々学びを深めている。
よって、エルフの生態についても、ある程度のことは知っているのだけど───そんな大切なしきたりがあるという話は聞いたことがなかった。
まあ性に関する話は、取り扱いがかなりデリケートなものだし、専門書でも取り上げられる機会がなかなかないのだろう。
ただ、知らなかったこととはいえ、それこそ彼ら彼女らにとってはそんなことは知ったことではないだろう。伝統を重んじて慎ましく生きる彼ら彼女らにとっては只事ではないのだから。
「酔っていたから覚えていない」「どうせ、そっちが先に言い寄ってきたんでしょ」──なんて無責任なことを口にすることは気が引けるわ。『THE・MAGIC!!』であるこの私であればなおさら。
私はかつて好敵手だった彼の目をしっかりと見据えてできる限りの誠意を込めつつ、
「そうだったのね……ごめんなさい……そうだと知っていれば……」
素直に謝罪した。すると彼は──
「いやいや謝るのは僕の方だよ。よく覚えていないけど、君もかなり酔っていたみたいだったし……早めに帰ることを勧めるべきだった」
切れ長の目元を見開きながら、少し半立ちになったカノン。彼は謝罪を口にし始めた私を制した。
「う……うん。でも私……帰る場所なんてないし……」
「!? あっ!? そっか……そうだったね。お互い……」
彼は、「しまった」という表情を見せると、半立ちになったまま顔を伏せた。そして、再び沈黙が流れる。
「……」
「……」
──彼は無言のまま再び席に腰掛けた。
そう。私たちには───『帰る場所』がないのだ。
向かい合っている私達は、互いに視線を落として長く重いため息を吐く。そのため息の深さと言ったら──恐らく帝国の最果てに存在し、外界との境界の役割を果たしている“ストラングル海溝”の奥底よりも深いだろう。
────しかし、その時だった。
「あら?? あんたたち家を探しているのかい??」
「「あっ……」」
私と彼が同時に視線を向けた先には───ドワーフのマスターの奥さんがモップを片手に立ち尽くしていた。先ほどはハート模様のパジャマにドラゴンのぬいぐるみを抱えていたけど、今は麻布の粗末なワンピースにエプロンという格好。昨晩小競り合いをしていた私達を怒鳴り付けた時と同じであることから、これは彼女の仕事着なのだろう。
「ああ……ご夫人。昨日はどうも」
カノンは、席を立ちあがると、奥さんに向き直り小さく頭を下げた。紅色の長い髪の毛がハラリと肩口から垂れ下がる。
昨日から思っていたのだけど、彼はすごく礼儀正しい。魔族とはいえ、出世するにはそれなりの品性というものが必要なのだろう。いや、そんなことよりも……
「ああ、いいんだよ。別にお安い御用さ。ところでもう一度聞くけど家をさがしているのかい?? だったら、ちょうど空き家があるんだよ」
奥さんがそう言い終えるや否や────彼は顔を上げて、エルフ特有の大きな耳に、肩口から垂れ下がったその紅髪をかける。
「本当ですか??」
彼は、髪の毛と同じくらい紅い瞳を輝かせながら、食い気味に奥さんに尋ねた。
「ああ。元々は別の夫婦が住んでいたんだけど、丁度数か月前に出ていったのさ。それで今は空き家になってんだ。たしか家具とかもそのまま置いてってたね……かなり急だったから驚いたよ」
奥さんは、焼き立ての食パンのようにフワフワで小麦色のほっぺに、手をあてがいながら回想する。いつの間にか私を蚊帳の外に放り出して、話がドンドン進んでいっている気がするのだけど……まさか……
「ルイ……聞いたかい!? 僕たちの住処が見つかったね!?」
「!? はい……!?」
私は自分の耳を疑った。彼は、ローブの裾を翻して、私の方へと向き直る。そして、細く長い指で、私の手を絡みとるなり、
「こういう言い方は不謹慎かもしれないけど、僕たちは奇しくも全く同じタイミングで、配偶者を失った。元は好敵手同士だったけど、今は職も失っていることだし、昔のことは一旦忘れよう」
彼は早口で、そんなことを捲し立て始めた。無理矢理……という訳ではないが、私の右手を包み込んだ彼の両手は不思議な引力を伴っていた。
だから私は抗うことができないまま、つられて立ち上がり彼の元へと引き寄せられて行った。吐息がかかるくらいの距離まで私の顔が、彼の顔に近づく。
そして、彼は真紅の瞳をより紅く紅く輝かせて真剣な表情を作り──
「今後は『将来のパートナー』として新しい関係を築いていくのもありなんじゃないか??」
(うえええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!)
──まさかの人生二度目のプロポーズ。一度目とは異なり、名もなき小さな村の片隅にポツンと建っている小汚い酒場のボックス席で。
オーディエンスは、床を掃除中のドワーフのおばちゃん……ミスキャスティングにも程があるわ。
だけど……どうやら彼は冗談ではなく本気らしい。「何を急にそんなことを」と面食らいながらも────ここで私はあることを思い出していた。二日酔いの脳味噌は、回転が鈍いのだ。
私は彼が先ほど口にした言葉の意味を、やっと理解することができた。
『エルフには、一生を添い遂げると決めた女性とだけ、一夜を共にするという大事なしきたりがあるんだ』
「あっ……」
人生二度目のプロポーズを受けた私の返事は「イエス」でも「ノー」でなく────何とも間抜けな返事だった。
(私のばかああああ!!!!!!!! なんで酔った勢いで、恋人でもない男と×××しちゃうのよおおおおおお!!!!!!!!)
私は、三日月模様が施されたお気に入りの魔女帽子を被っているのに、自慢の青髪をぐしゃぐしゃにしてやりたい衝動に駆られた。
二の句を継げずに茫然としている私。さらに追い打ちをかけるかのように奥さんは、
「あら?? いいじゃない。あたしらもね……『嘘から出た真』って言っちゃあれだけど、勢いでねんごろしちまったのが馴れ初めだったね。まあでも今と違って、あの頃は割と……」
とここで再び、奥さんは語りモードに突入しそうになった。しかし、カノンはそんな奥さんをよそに……
「ありがとうございます!! じゃあ、お代はここに置いていきます!! 一旦失礼します!!」
「!? えっ!? ちょ……!?」
何が何だか───と狼狽えている私の手を引いて正面出入口のスイングドアを勢いよくあけ放ち、外へ飛び出た。
(はあ……これって愛の逃避行というやつなのかしら……?? )
私は人生で二人目の婚約者(になってしまいそうなかつての好敵手)の横顔をチラリと見た。
その表情に冗談の色は全くない───いたって真剣そのもの。そして、昨夜からドタバタの展開の目白押しでパニック状態だというのに……
(……でも、こいつが夫────ワンチャンありなのかしら……??)
彼の横顔の美しさに見惚れてしまった私は──たった一瞬とはいえ、そんなことを考えてしまった。




