第32話 洗面器
私────ルイは、カノンのおでこの上に濡らしたタオルを乗せる。
(熱が少しあるわね……エルフの体温って人間より低いはずだから、これでもエルフにとってはかなりの高熱────相当苦しいはずだわ)
私はエルフの生態についてそこまで詳しい訳ではない。そもそも彼ら彼女らは絶滅危惧種に分類されているから、母数がかなり少ない。
だから、医療関係者であったとしても、エルフの治療に関しては胸を張って引き受けることは少ないと聞いたことがある。
そして、私は医療関係者ではない。
そんな私がなぜ『エルフの体温が人間より低いはず』だと言い切れるのか。
(一昨日からもう何度も貴方に触れているもの……今どんな状態かなんて手に取るように分かるわよ……)
肘がぶつかりそうな距離で酒を飲み交わしたり、裸で同じベッドで眠ったり、内ポケットの中に入り込んだり……もお……書き並べて思ったけど、ほんとに何やってんのかしら私。
「ふふふ……」
私は、こんな時だというのに少し笑えてきてしまって口元の端を吊り上げた。
彼は高熱にうなされているためか未だに苦しそうではあるものの、腹痛自体は少しずつ弱まってきたらしい。
時折、私に話しかけてくるようになった。
「……ルイ……何が可笑しいんだい……??」
彼もまた体調が悪くて苦しいはずなのに、なぜか口元の端を吊り上げながら私にそう尋ねた。
私は平謝りしながら、その問いかけに答える。
「……ごめんなさいね。なんか……よく考えてみたら、この二日間で私達の関係性かなり変わってしまったわね……」
───かつては命のやりとりをした間柄。
しかもその期間は、私がかつて婚約していた男性と出会う以前から長きに渡って続いた関係。
それがたった二日でこうも変わるなんて……ほんと不思議よ。
そんなことをツラツラと語りながら、彼の額に乗せたタオルを取り替えていると、
「そうだね……ただ僕は君以上に驚いているよ」
「?? どういうこと??」
彼は、少し切なそうに目を細めながら私を見つめて言う。真紅のその瞳は、こんな時でも、息を呑むほどに美しい輝きを放っている。薄暗いこの部屋の窓辺から差し込む月明かり以上に、幻想的。
「……僕達エルフは……人間の十倍……あるいはそれより長い時を生きるから……二日間なんて、君たちにとっては二,三時間くらいのものだ……それなのに……僕にとって、君の存在が急激に大きくなり始めている」
(……!?)
私は洗面器にタオルを浸したまま一瞬固まった。洗面器の水面に突っ込んでいる私の両腕の間に、三日月がもう一つ現れた。
ただ、その後すぐに再びタオルを掬い上げて余分な水分を搾り始めると、その三日月は儚く溶けて行った。
────ジャバジャバ……ジャバジャバ……
(そうね……でも、それが何だって言うのよ)
生きているものは皆んな死ぬんだ。
それが遅いか早いかだけの問題。
そんなことは私の知ったことではない。
それよりもまずは、
「はいはい……哲学に耽るのは具合が治ってからにしなさい……ほいっと!!」
「ぶべ!?」
私はこれ以上、与太話をして彼の容体を悪化させないように今度は口元に濡れたタオルを広げて敷いた。
彼は急に間抜けな声をあげた。すると、
「ルイ……タオルを換えてくれるのは嬉しいんだが、位置が違うよ……」
少し、申し訳なさそうな様子を滲ませながら苦言を呈した。
「ふふふ……ごめんね……!!」
私は悪戯っぽく微笑む。
さらに彼は自分でタオルをおでこに当てがうと、
「やれやれ……君って本当に悪戯好きだね」
「そうかな??」
お喋りはこのくらいにしようと区切りをつけたのに、彼はもう一度話を広げ始めた。寂しいのかしら?? どちらかと言うと彼───無口な方なのに珍しいわね。
「ルーシーを苛めるのは程々にしてあげてくれよ」
ついさっきまで、「命が〜」と深い話をしていたくせに、急に自分の元部下に対する態度ついて言及し始めた。
「……ふふふ……ごめんね……かわいいからつい沢山いじめたくなっちゃうの……ふふふ」
私は、先程から吊り上げている口元の端を緩め楽しげな笑いを溢してしまった。
ほんの少し小っ恥ずかしくなった私はローブの袖で口元を隠そうとする────けど、今は彼が掛け布団代わりにしているので、不可能。代わりに両手で口元を覆った。
「……まあ、それは分からなくもないけどね」
もっとも、彼も本心では同感のよう。するとここで、
────コンコンコン!!
窓を軽くノックする音が聞こえてきた。
そこに目をやると……
「お二人とも!! お医者様を連れてきました!! 正面玄関から通しますね〜」
丁度話題に上がっていた件の男の子&私のペットであるルーくんその人だった。
「分かったわ!!」
「あっ!! ルイさん!! その前にこれ薬です!!」
「ふえ?? ああ……ありがとう」
窓辺に足をかけたまま、月明かりを背にしているルーくんはミニワンピースのポケットから小袋のようなものを取り出して窓辺に設置されているデスクに置いた。どうやらこの中に薬がはいっているようだ。
「その薬の飲ませ方分かりますか!?」
立ち上がった私は、デスクの上に置かれた小袋を手に取る。薄暗くてよく見えなかったので、《光》属性魔法でランプの灯り程度の照明をたいた。これなら手元の文字も読める。
「……ええ!! 知ってるわ!! 確か二錠飲ませるんだったかしら??」
魔法使いである私にとって、薬の調合など朝飯前。張り合うつもりはないけど、面子が潰れるのを危惧した私は豊かなバストを突き出して声高に応えた。
ルーくんは、尊敬の眼差しでそんな私を見つめながら、会話を締め括ろうとした。
「はい!! 流石ですね!! ちなみに飲み込むのがしんどそうだったら砕いて水に溶かしてからでも大丈夫らしいので!! では私は一旦失礼します!!」
彼はそのまま私に背を向けると再度翼を広げて窓辺から飛び去った。
(あっ……それは知らなかった……)
ここ数時間でひと回り大きくなったように錯覚したその背中を見送りながら私は内心でそう呟いた。
〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜
こうして、ドワーフの医者を屋敷に招き入れた私達は薬を飲ませたカノンの容態を診てもらうことに。
医者曰く────原因はやはり井戸の生水で間違いないとのこと。
私は、さっきまでカノンのおでこに当てるために使っていたタオルを今度は痛みがぶり返してきた自分の顎の付け根に当てながら医者の話に耳を貸す。
「あの井戸は実は数カ月までは飲み水として使われていたんじゃよ。ただある日を境に腹を下す者が次々と現れての。だからワシが使用を禁じたんじゃ」
丁度一週間後に帝都から業者を呼んで埋め立て作業を行う予定だったらしい。『使用禁止』などの立看板を設置しなかったのは、この村に外部の人間がやってくることは滅多にないから。よって村人だけに回覧板等を回して周知すれば充分だと判断したらしい。
ただ、ここでこの場の誰もが抱いたであろう疑問を意外な人物が口に出した。
「ああん!? だったらよお〜蓋とかしておいた方が良かったんじゃねえか??」
おバカデュラハーンのネロ───空気を読めない性分が意外な形で役にたつこともあるものね。
そんな彼は今、ベッドの足元の床にドカリと胡座をかいていた。普段は背負っている大剣を側に横たえて。
すると医者は、禿げ上がって白髪だらけの頭を掻きながらネロの方へ顔を捻り回答。
「お前さんの言うことも一理あるが、火事などの緊急災害時にワンチャン使うかもしれんじゃろ??」
(ジジイ言葉ばっかり使っているくせに『ワンチャン』なんて口にしないでよ。しかも真剣な顔でカノンの容態について説明している時に)
隣のルーくんも同じようなことを思ったのかしら。横顔をチラリと見てみたところ、口元がニマニマと震えていた。
ただそれが無性にかわいかったので私はつい、
「こら。大事な話してる時に笑っちゃダメよ……ピンッ!!」
「痛い!! ふえーん……」
彼のオデコにデコピンをかましてやった。




