第31話 贔屓
私───ルーシーは今、村のとある小さな家を訪ねていた。
「ほお……エルフの青年が腹痛を訴えておるとな……」
「はい……この村のお医者さんはこの家に住まわれていると役場でうかがったものですから……」
私の目の前にいるのは、ドワーフの老人。
もっとも、顔に刻まれた皺はそれなりに深いものの、背筋はしっかりと伸びている。
その目の奥に灯っている光は生命力に溢れている。玄関口のドアの内側に灯されているランプの薄明かりよりも、輝かしい。
老人は片眼鏡をズイっと持ち上げて渋面を作る。
「むう……エルフはやっかいじゃなあ……ほんの少しでも不純物が混じっておると他の種族にとってはクスリであっても、彼ら彼女らにとっては毒になり得るのじゃ。天然物の薬草でしか治療することはできん……」
「やはりそうなんですね……」
カノンの故郷であるエルフの村はかつてはやり病で全滅したと聞いたことがある。
人間や他の魔族にとっては、脅威とならない病であってもエルフにとっては別───成人した健康体のエルフであっても、風邪をこじらせ死亡してしまうことだって少なくないと聞いたことがある。
私はミニワンピースの裾を「ギュッ!!」っと強く掴んだ。
(カノン様……お願い死なないで……)
幼い頃より家族と暮らすことができなかった私にとって、カノンは父や兄同然の存在───否それ以上である。
私はついこの間、魔王軍を除隊処分となった。だが、そもそも彼が居なければ、自分のような社会不適合者は魔王軍に数年間従軍することさえできなかったであろう。
彼がいてくれたから、今の私があるのだ。
自分の命と同じくらい大切。
なんとしてでも彼を助けたい。
私はここで恥も外聞も捨てて、深々と首を垂れた。さらに、
「お願いします!! 私なんd……」
そう言いかけたその時であった。
「おおおおい!! ルーシー遅れちまったなあ!! 道に迷っちまってよ!!」
(ネロ……!?)
振り返ると、街灯が存在しない闇に閉ざされた空間を切り裂くようにこちらへヅカヅカと歩いた来たのは────ネロ。
能天気を絵に描いたような男である彼が、暗黒の世界をバックに練り歩く姿が妙に様になっているのはなぜだろうかと一瞬疑問に思ったが、それは彼が仮にも夜の支配者の一角を成すデュラハーンだからだと少し遅れて納得した。
もっとも本人はそんなことなど、微塵も自覚していないだろう。
それにしても、「道に迷った」と言っていたが、私の後ろをただ付いてくるだけだったではないか?? 道に迷う余地などないはず。
そう突っ込もうとしたのだが、その瞬間───
「ああああ!!!!!!!!! お前さんはわしの盆栽を割ったデュラハーンじゃな!!!!!!」
振り返ると、先程のドワーフの老人は片眼鏡の奥の目を血走らせ大激昂し始めた。
急に大きな声で叫ばれた私は喫驚のあまり後ろに飛び退く。
それに伴い、入れ違いになるようにネロが老人に近づいていき……
「ああん!? おお!? あん時の爺さんかあ!? さっきは悪かったな!!」
あっけらかんとした様子で膝を打った。どうやらこの2人は既に面識があったらしい。ただ、あまり良い出会い方ではなかったようだ、
私の不安はさらに募り出した。
「全く……わしが丹精こめて育てた盆栽をあの時はよくも……『とっとと帰れ』と言いたいところじゃが、そこのサキュバスの娘に免じて一旦水に流してやるわい」
「とっとと帰れ」という言葉が老人の口から出た瞬間───足の感覚が一瞬なくなり後ろに倒れそうになったが、どうやら許してくれたらしい。この老人……口は悪いが為人は善良なようだ。私はほっと胸を撫で下ろした。
老人はわざとらしく一度咳払いを挟む。
「それで……そのエルフの間抜けな青年はそこの水をそのまま飲んだんじゃったな??」
「むっ……ええ……そうらしいです」
とはいえ、自分のかつての上司を間抜け呼ばわりされたのは流石にむっとしたが──しかし、ここはグッと堪える。
侮蔑をこめた言い方でないことはなんとなく分かったからだ。私はこの老人の口の悪さもある種の個性なのだと受け止めることにした。
「じゃったら、本人の免疫力を上げるしかない。そこに漢方が入っておるからそいつを飲ませて安静にさせておけ」
そう言いながら、老人は玄関ドアのすぐ隣にある台所から小袋を一つ掴み取ると口が閉まっていることを確認し、私に差し出した。
私は肩をすくめながら身体を縮めてネロの脇下から両手を精一杯伸ばす。
すると老人はぶっきらぼうな口調とは裏腹に私が両手で受け取るのを確認してから皺だらけの手を少しずつ離していった。
「少し時間はかかるが勝手に元気になるわい。安心せい」
「あああ!! 本当ですかああ!!!!!! よかったあ……」
「ああん!? やったな!! ルーシー!! これで大将も元気になるな!!」
(良かった。カノン様は元通りになれるんだ!!)
私は小袋を持ったまま、ネロと手を取り合い喜びに震えた。普段は冷たい甲冑に覆われたネロの手が不思議と温もりに満ちているような気がした。
そして、
「あの!! なにか御礼をさせていただけませんか!?」
私は、少し腰を折り、ネロの脇から顔を出す。さらに老人の顔を覗き込みながら、そう告げた。
命の恩人に対して、これで「ハイさようなら」は流石に無礼千万。『受けた恩は3倍で返すべし』───これは魔王軍で常日頃から教育されてきたことだ。
「礼じゃと……?? はあん……最近の若者にしてはなかなか殊勝じゃなあ」
老人は少し驚いたように目を丸くした。さらに少し黙り込んで思案に耽り出す。何か頼みたいことがあったかどうか思い出しているのだろう。
「そうだぜ!! 爺さんよお!! オイラもバンザイだっけか?? オメエさんの大事なもんぶっ壊しちまったみてえだしよおお!! 礼させてくれよお!!」
ネロもまた声をより一層弾ませて躯体を折りながら老人の顔を覗き込んだ。狭い玄関口は甲冑に覆われたその巨体でかなり窮屈だったため、私はドアと彼の身体の間で押しつぶされそうになった。
すると、老人は急に「おお!!」と声を上げた。「それならちょうどいい!!」と言わんばかりに。
「よし!! そしたら薬草の採取をお願いできるかの??」
「薬草ですか??」
「ああ。そうじゃ」
老人は一度踵を返すと小さな部屋の中をセカセカと忙しなく動き始めた。そして机の上に羊皮紙と羽ペンを取り出す。
「えっと……さらさらさら……」
老人は走り書きで瞬く間に何かを記した。それが終わると羊皮紙の端を摘んで叩きながらこちらに再び歩み寄って来る。
「ほれ!!」
「?? はい……ふむふむ……これはメモですか?? 全部薬草ですね」
老人はインクが乾いたのを確認すると、私にそれを手渡してきた。
私はそれを受け取ると、玄関口にかけられたもう一つのランプの薄明かりを頼りに目を通して内容を確認────数秒の内に概要を把握できた。
(もしやお使いか何かだろうか??)
ここで老人は感心したような口ぶりで、声を弾ませた。
「そうじゃ!! 一つ二つくらいなら既に知っておっても不思議ではないが、全て知っているとは驚きじゃ!! 分からんところがあったら追加で説明するぞ。どうじゃ??」
「……えっと……ああ!! 大丈夫です!! これなら私全部知っている薬草なので任せてください!! 採取方法もバッチリです。たぶんこれ全部取ってくればいいんですよね!?」
すると老人は冒頭の不機嫌そうな態度はどこへやら、まるで贔屓にしている教子を褒め称えるような口ぶりで、
「ほおお……なかなか勉強熱心な娘じゃなあ。気に入ったわい!! そしたら、お前さん達その薬草を取りに行っている間は、わしがそのエルフの面倒を診てやるわい」
なんと大サービスまで買って出てくれた。これは僥倖!!
「ええ!? いいんですか!? ありがとうございます!!!」
私は半羊紙を握りしめてはしゃぐ。
「気にするでない……まあ放っておけば、そこのデュラハーンが何かしでかすかもしれんし、ここまで色々口出しした手前責任は最後までとるべきじゃろうて……」
「ああん!? んだとジジイ?? まあ……そうかもしんねえけどよ!! はっはっはは!!」
老人は少しだけイタズラっぽい笑顔を浮かべなからネロに目をやり揶揄った。もっとも、ネロもまるで他人事のように愉快そうに笑う。とここでネロが……
「にしても良かったなルーシー!! 『あのルイとかっていう青い髪の姉ちゃんの胸や尻触らせろ』とかじゃなくてよ!! はっはっははは!!」
余計なひと言を口にした。もちろん皮肉などではない。
ここで先ほどまで浮かべていた安堵に満ちた笑顔が引き攣ったのが自分でも分かった。私は恐る恐る老人の顔色を窺う。
その顔は数分前にネロと再会した直後のように憤怒の色に染まっていた。
老人は乾き切った唇を震わせながら怒号を上げる。
「!? ぶあっかもおおおおん!!!!! わしは死んだ婆さん一筋のピュアボーイだったんじゃぞ!? んな破廉恥なこと頼むわけないじゃろうがああ!!!!! このクソデカブツがああ!!!!!」
「うわああ!!!! ごめんなさあああい!!!!」
私は手短に「昨日まで空き家だった屋敷に後で来てくれ」とだけ言い残し、ネロの襟元を引き摺りながら、老人の家を飛び去った。




