第30話 阿吽
ネロは甲冑に覆われた胸を期待に膨らませながら、ルーシーと共に屋敷の中へと足を踏み入れた。
ネロは───誰よりも明るい。
何か嫌なことがあっても一度寝てしまえば次の日に引きずることはまずない。
しかし、そんな底抜けに明るいネロにも怖いものは存在する。
それは孤独だ。
孤独は何よりも恐ろしい。
腕っ節が強いことを除けば自分には何一つ取り柄が存在しない。一人では何もできない男だ。
自身を卑下している訳ではないが、謙虚さ故だろうか。常日頃から彼は自身にそう言い聞かせている。
誰かと一緒に過ごせる時間そのものがとても幸せなのだ。
先ほどのルイとの口喧嘩も、口調こそ粗暴であったものの───不思議と嫌悪感など微塵も湧いてこなかった。
特にここしばらくは誰とも口を聴いていなかった。そんな彼にとっては、内容はともかくとしてコミュニケーションを図れる相手が存在してくれるだけでありがたかった。
ましてや立て続けに、自身の家族同然の存在であるルーシーやカノンと再会を果たすことができたのだから。
ネロはとても人懐っこい性分なのだ。
ネロは何気なく、ルーシーの横顔に視線を送った。
(へへへ!! ルーシーのヤツ……いい面してらあ!!)
心の友であるルーシーの表情はとても晴れやかであった。
学のないネロだからこそ、本能で感知することができた。
ここは間違いなく───楽しい場所だ。
ルーシーが開放してくれた正面玄関からエントランスホールへと足を踏み入れる。
「ああん!? すっげえ綺麗になってんじゃんかよ!? 靴棚なんてプリンの皿にできるくれえ綺麗じゃねえか!! がはっははは!!」
「もおお……そんな本当にそんなことしないでよ……」
「あたぼうよ!! 流石のオイラもそんなことしねえって!! があっははっははは!!」
エントランスホールはルーシーの使役したゴーレム達の手により丹念に清掃され、本来の格式高さを取り戻している。この屋敷の本来の姿を初めて目の当たりにしたネロは感嘆の声を上げた。
初めてこの屋敷に忍び込んだ時に見たホールの景色と全く違う。まるで別の世界だ。
もっとも彼がそのように感じた理由は……単にルーシーとゴーレム達が一生懸命お掃除をしてくれたからという訳ではなかったのだろう。
〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜
ネロは走る!! 走る!!
右の肩に担ぐのはかつての上司───カノンである。
(待ってろよ!! 大将!! 必ず元気にしてやっからよ!!)
ネロには難しいことは分からぬ。
だが、この世界で最も賢い少年の一人であるルーシーが言うことであれば必ず間違っていない。
彼が頼んだことであれば、迷っている暇などない。
幸い体力だけは誰よりもある。
忠実に忠実にこなすだけだ。
そこにあるのは主従関係ではない。
種族の壁を超えた絶対的な信頼。
彼は自分のために考え、自分は彼のために動く。
『困った時はお互い様。お互いの短所を長所で補い合いながら、助け合って生きる。それが僕たち魔族のあるべき姿だ』
「……だったっけ……?? 大将!!」
ネロは右肩に担ぐカノンに、囁いた。口調は相変わらず粗野ではあるが───不思議とその声は優しさに満ちていた。
「うーん……うーん……」
「そうかよ!! ついたぜ……!!」
流石のネロもここしばらく自分が寝床に用いていた部屋の場所くらい迷わず辿り着くことができる。彼はそのままドアの真鍮を捻ると勢いよく開放。
そして先ほどルイが横たわっていたベッドに走り寄る。
ルイは余程、慌てていたのかシーツは半分以上剥がれマットレスがむき出しになっている。しかし、ベッドメイキングなどしている場合ではない。
大股のネロは、2,3歩足を送り出しただけで、ベッドの脇に辿り着くことができた。枕元に設置されている開放されたままの窓からは、秋夜の涼しい風が入りこむ。レースのカーテンは静かに揺らされノクターンを奏でる。
「……よっこらせ……」
ネロはドアを開けた時とは打って変わって、仔猫をそっと降ろすように繊細な手つきでカノンの首元を支えながら、まずは腰からベッドに着地させ、徐々に徐々にその躯体を横たえていく。
その動きに合わせて先程まで、ガシャガシャと騒がしく屋敷内に鳴り響いていた金属部分の擦れる音もピタリと止んだ。カーテンが奏で始めたノクターンのみが静謐な室内の空気を揺らす。
そして無事にカノンをベッドに横たえることに成功。しかし、
「うっ!!」
カノンは急にうめき声を上げ、身体をくの字に曲げる。
「うお!? 悪りぃ!? どっか痛かったか!?」
彼が額の汗を拭うように、右肘を持ち上げて右手の甲を地面と平行にしたまま動かした直後であった。カノンは苦しそうな声を漏らす。少し乱暴すぎたのだろうか??
「うう……ネロか……すまない……だい……じょうぶだ……はあ……はあ……」
「そっか……ならよかった!!」
どうやら、朧げだった意識が少し戻っただけのようだ。ネロはほっと胸を撫で下ろした。それに合わせて甲冑もガシャリ───と安堵のため息のような音を立てた。
カノンは息も絶え絶えになりながら言葉を紡ぐ。
「すまない……かつて上司だったこの僕が……こんな不甲斐ない姿に……うぐうう!!!」
「おいおい!? 喋んなって!!」
美醜の感覚に乏しいネロですら理解できるほどに整っているカノンの顔が苦痛に歪む。ネロはカノンの言葉を遮る。
「気にすんなよ!! 『困った時はお互い様』だろ!! アンタいつも言ってたじゃねえか!!」
先程、思い出していたカノンの言葉を彼は本人にそのままかけた。
カノンの土気色の顔にほんの少しだけ血の気が戻った。
「ネロ……覚えていてくれたのか……??」
「あったりめえよ!! オイラばかだからルーシーみてえには無理だけどよ〜アンタの言ったことだけはちゃんと覚えてんだい!!」
カノンはくの字に曲げていた身体を微かに捩りながら、震える右手で目元を抑えた。
「……はっは……嬉しいもんだ……」
「ああん!? なんで腹痛てぇのに嬉しいんだ??」
「いや……何でもない……今のは気にするな……」
「?? おっ……おお……そうか。まあいいや……」
ネロにはカノンの一連の行動は理解できなかったが、何にせよ自分のやるべきことをひと通りこなせたことだけは確か。
「次はどうすっかなあ……ええっと……」
ここで、ルーシーの指示の内容を再度思い返す。彼から指示を受けた直後から何度も何度も反芻していたが、改めてじっくり思い出そうとしているのである。
すると……
「!! ねえ!! アンタ!!」
「おお!! 姉ちゃん!!」
開けっぱなしになっていたドア───その向こう側の廊下から投擲されネロの背中へと突き刺さったのはルイの声であった。
今の彼女はローブを羽織っていない。ミニビスチェドレス姿の彼女はデコルテとバストの谷間を大胆に露出しており、かなり艶やかである。しかし、今は状況が状況。
ネロは彼女の格好のことなどつゆほども気にかけずに、一心不乱に問う。
「ちょうどいいとこに来てくれた!! 次なんだけどよぉ〜オイラh……」
「ルーk……ルーシーのところへ戻って頂戴!!」
「!! おお!! 分かった!! 大将のことは後は姉ちゃんに任せるぜ!! ありがとな!!」
ネロは、再び「ガシャガシャ!!」───とやかましい音を立てながら部屋を飛び出るとルイの横をすり抜けて廊下を駆け抜けて行った。
それにしても先程まで全く会話が噛み合わずに舌戦を繰り広げていた2人は、一転して阿吽の呼吸。
もしや、ルーシーはあえて時間差を設けた上で、二人に指示を出し────そうなるように仕向けたのだろうか??
美少年サキュバスの予知能力───恐るべしである。




