第33話 プチシュー
ここで、
「……」
カノンの足元の床に腰掛けていたネロが大きな欠伸をしだした。なんで顔がないのに欠伸をしていると分かったのか。それは、
「ふあああ……」
大きく口を開けて空気を吸い込む音が聞こえたからだ。えっ?? 待って……だとしたらどうやってその音出しているのよ??
もっとも、今は魔女帽子を脱いでいる私の頭に浮かんだ疑問符に構うことなく、彼はガシャガシャとやかましい音を立てて胡座をかいたまま「グッ!!」と背伸びをする。
「流石にそろそろ眠くなってきたなぁ〜」
「ううん……確かにそうだね……私も眠いかも……」
彼がそう呟くと、デコピンをされたばかりでオデコを摩っているルーくんもそれに同意。そして、小さく口を開けながら、「ホワワワ……」と右手を口元に当ててかわいく欠伸。豪快に変な声まで出していたネロとは対照的だわ。
「あなたたちは夜行性だものね」
私は少し呆れながら腕を浅く組みそんな二人を交互に見つめる。
早いものでもう明け方。朝日とともに寝床に入るなんていかにも悪魔らしい。そう思ったのだけど、
「いえ!! 私は夜更かししないように23時には布団に入るようにしています。お肌によくないので!!」
「オイラなんていっつも八時に寝るんだぜ!! そんで朝四時に起きてんだ〜」
まさかの早寝早起き宣言。夢魔と夜の支配者が人間より健康的な生活を送っているなんて聞いたことないわよ。
「魔界にいた時は毎朝ラジオ体操だってやっていたんだぜ〜!! へへへ!!」
おまけにラジオ体操まで!? さっきの水道の話もそうだったけど、魔界って意外と公共サービス手厚いのね。
しまいには、カノンの診療を終えたドワーフの医者まで……
「おお!! お前さんたちいい心がけじゃな!! 最近の研究だと夜行性の魔物達もなるべく日光浴びた方が良いって言われておるんじゃ!!」
とんでもない豆知識を披露した。そして、気難しそうな顔付きに似合わず、ドワーフの医師は意外とお喋りなのだろうか。
「わしのところにいつも来ている吸血鬼の女の子も最近うつ病っぽくてのお〜朝十分でもいいから太陽の光を浴びて散歩するように勧めたんじゃ!! そしたらこの間うちに来た時に『日に日にメンタルの調子が良くなってきた』と嬉しそうに話してくれたぞい」
(えっ?? 吸血鬼って太陽の光浴びると灰になるんじゃなかったの?? )
聴診器を懐にしまいながらそんなことまで口にし始めた。
帝国最強を自負していた私にも───この世界には知らないことがまだまだたくさんあるらしい。
すると────
「すー……すー……」
「あっ……」
ここで、ずっとだんまりを決めていたカノンの顔を覗き込んで見たところ、彼は静かに寝息を立てていた。
「……かなり治ったみたいね」
顔色こそまだ悪いが苦しそうな表情はかなり柔らかくなり、元の穏やかな表情を取り戻していた。
「本当に良かったです……ぐすんっ……」
いつの間にか私の隣にやって来ていたルーくんはカノンの寝顔を確認すると、愛くるしい顔をくしゃくしゃにし始めた。目尻には涙が滲んでいる。
(冷静に振る舞っているように見えたけど、本当は不安でしょうがなかったのね……偉かったよ。ルーくん……)
私は、何も言わず────彼の頭に左手をそっと置き、柔らかい髪の毛を撫ぜた。
さらに私はベッドの足元に視線を向けた。
「……」
(あいつ……座ったまま寝てる)
ネロは壁を背にしたまま身体の正面をカノンへ向けて眠りについていた。
手元には背負われていた大剣が置かれている。主人の寝込みを襲う者に不覚を取らないためだろう。
(……あんたもよく頑張ったわ。面と向かった状態だと口が裂けても言えないけど、感謝するわ)
私はネロに向かって片目を瞑り、精一杯の労いの念を送った。
するとここで、
「お二人さんもそろそろ寝なさい。この青年はもう大丈夫じゃ。わしも一旦家に帰る。ほんで明日また様子を見に来る」
ドワーフの医者は壁の隅っこで、自分の鞄を広げて帰り支度に取り掛かりだした。
それに気がついたルーくんはミニワンピースの襟元を正すと、彼の元へ歩み寄り小さく頭を下げた。
「あっ……はい!! ありがとうございます。ただお使いの方は……」
「ああ……それじゃったら明日でも大丈夫じゃよ。一旦休んで体調を整えてから向かいなさい」
「はい……!! 分かりました!!」
「お前さん達が薬草を取りに行っている間は、わしがこの青年の面倒を看ておくから心配なさんな」
私がカノンの看病をしていた間に彼らは既に何かしらの交換条件を交わしていたのかしら。
ただ、何となく想像はつく。恐らく、カノンの診察をする代わりに、『私達はドワーフの医者が仕事で使う薬草を採取しに行く』といったところね。
別にそれくらいお安い御用だけど、彼の口振りから察するに、私達が屋敷を留守にしている間は彼がカノンの面倒を看てくれるらしい。出血大サービスだわ。
流石にルーくんだけに御礼を言わせて私はだんまりを決め込むなんて訳にはいかない。そんなの飼い主失格よ。
私もルーくんの隣に立ちドワーフの医師に頭を下げた。
「今日はありがとうございました。すみません……夜遅くにわざわざ来ていただいて……」
「ああ……ええんじゃよ。それよりそこのサキュバスのお嬢さん、なかなか見どころがあるのお〜」
ローブを身にまとっていない私は胸元を抑えながらお辞儀をすると、彼はプチシュークリームのように小さな手を振りながら謙遜。そして、ルーくんの方へと顔を向けて満足そうな笑みを浮かべた。
「……ちらり……」
「えへへ……いえいえ……恐縮です……」
一度頭を上げて、横目でルーくんの横顔を見てみると先程までの泣きっ面が一変───今度は照れくさそうに表情筋をだらしなく緩めながら小さく頭をかいていた。
ドワーフの医者は短い腕を組んで感心そうに目を閉じて続ける。
「びっくりじゃったわい……わしが走り書きした薬草のことを全部ちゃんと知っておったんじゃ。医学生でもなかなかできんことじゃ。本当に感心したわい」
対価としてお使いを頼んでいるとはいえ、私達が留守にしている間のカノンの看病まで引き受けてくれたのも納得。ルーくんのことを相当気に入ったみたい。
人生経験が豊富だからこそ、若者のひたむきで純粋な姿勢に強い感銘を受けたのだろう。
「えへへ〜もお……褒めすぎですよぉ〜もおお……!!!」
ルーくんは、嬉しさがピークに達し、身体をくねらせながら、尻尾をブルンブルンと振り回し始めた。なんなら少しだけ空中に浮き始めている。
そしてドワーフの医者は少し名残惜しそうに目を細めると、小さな身体でそのカバンを抱き抱え、
「興味があったら、いつでも遊びに来なさい。わしが知っていることなら色々教えてやるわい」
ルーくんにそう告げる。
そして背を向けながら、最後にこう言い残した。
「それでは失礼するぞい……サキュバスのお嬢さん……それと……」
ドワーフの医者は少しタメを置いて、
「大魔導士……ルイ・ルーレイロ様……」
「!?……えっ……!?」
ハッキリと私のフルネームを口にした。
正直言うと私は、ルーくんとドワーフの医者のやりとりを眺めている間、重くなった瞼を持ち上げ続けるので精一杯な瞬間が何度かあった。
だけど、彼が「大魔導士……」と口にした瞬間───眠気は一気に吹き飛んだ。
思わぬ発言に私が息を呑んだことを彼は察したのだろう。そのままこう付け足した。
「……心配なさんな……誰にも告げ口などせん。お前さん程の魔導士様がこんな村に来なさるとは深い事情があるんじゃろて……」
「……」
私は何と返したらいいか分からずに、ただ立ち尽くす。
「……ではまた……」
彼は背を向けたまま、片手を上げて寝室をのそのそと出て行った。
〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜
私とルーくんは窓辺に立ち尽くして、外を眺めていた。いつの間にか空はかなり白んでいた。
今夜はやけに長い夜だったわ。
天文学はそこまで得意ではないけど、お陰様でこの季節の夜空に輝く天体の名前だけは鮮明に記憶できた。
「ルイさん……」
「……」
ルーくんは何も言わずに立ち尽くしている私の顔を見上げて声をかける。ここは西側の窓なので、朝日が差し込むことはないのだけど、ルーくんのその顔は朝日がかかっているように優しく輝いている。
私は何も答えない。
代わりにこの部屋の空気を揺り動かすのはカノンとネロの小さな寝息のみ。
「……」
話しかけて欲しくなかったからじゃない。
むしろ、私のことを彼なりに気にかけてくれているのが分かって嬉しかった。
私は彼の問いかけに返答する代わりに、もう一度───彼の頭にそっと手を置いた。
「……」
今度は彼も黙り込む。飼い主にそっと寄り添うチワワのように。
(……まあ……今回は立派な忠犬だったわ)
私は、小さく口を開いて彼の名を呼ぶ。
「ルーくん……」
「……なんですか?? ルイさん??」
彼がくぐもった声で私の呼びかけに応えた。本当はもう眠くて仕方ないのだろう。無理して私に付き合う必要なんてないのに。
私は、少し膝を折り彼の前髪に手を触れる。
そして……
「……チュッ!!」
「!? ……ふえっ⁇」
彼の額に、そっと口付けをした。
「……」
彼は黙ったまま、ほんのりと頬を赤く染めて私の目を見つめる。
「……もう寝よっか!!」
私は何事もなかったかのように笑顔で彼にそう告げ、そのまま部屋を退出。代わりに向かいの寝室へと入室。
(窓は───ちゃんと鍵がかかっているわね)
施錠を確認し終えた私は、そのままベッドに身体を横たえると、十秒もせずに寝息を立て始めた。
〜帝国最強の大魔導士、顎関節症になり宮廷を追い出されました〜 第一章 終わり♪




