第21話 長靴
「ふああ……」
暗闇の中で身体を縮めて息を潜めている私に襲いかかって来たのは猛烈な睡魔。
───ここはカノンのローブの内ポケットの中だ。
最初はあの8本脚の悪魔が悍ましくてたまらなかったから、カノンに駆逐してもらうまで目を閉じて耳を塞いでいたんだけど……
あいつのローブの内ポケットは意外と居心地が良かったので、いつの間にか私は自室のように錯覚し始めていた。
誰にも見られていないのをいいことに軽く口元を抑えながら私はもう一度欠伸をした。
(考えてみたら、仕事をクビになってから1週間───ずっと、てんてこ舞いだったからなぁ……)
私はここで、これまでの1週間をザッと振り返り始めた。
仕事をクビになった直後、婚約していたジョセフに婚約破棄を言い渡されて翌日に即退居……その後は、余分な荷物の処分だったり、契約していたジムの解約やら出国手続きで毎日が忙しくて息をつく暇もなかった。
全てが嫌になって逃げるように帝国を去り、3日近く野宿をしながら街道をひたすら歩き続けて、やっと辿り着いたのがこの村。
─────ここなら私の名前を知っている者もいないだろう。
そう考えたからだ。
私のような著名な魔法使いになると、道端で突然決闘を挑まれることも少なくはない。
1週間近く誰とも口を聞いていなかった私の顎の具合は少しだけマシになってはいたものの、大きな声を出したりすると付け根のあたりが未だにズキズキする。
よって万が一手練れの魔導士に決闘を申し込まれでもしたら───負けることはありえないにせよ、苦戦を強いられる可能性はある。
路銀の節約も兼ねて、しばらくこの寂れた村に滞在しようと決めていたのだった。
『この私が、節約を気にするなんて……堕ちたものだわ……』
自嘲気味に口の端を吊り上げながら粗末な柵で囲われた村の入り口を潜りこの村へと足を踏み入れたことを思い出し、内ポケットの中で再びため息を吐いた。
ここで回想に耽っていた私は、ついに睡魔に抗えなくなってしまい───いつの間にかうたた寝を決め込んでしまったらしい。
気がついたら夢の中へと誘われて行った。
〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜
これは私が初めてこの村へやって来た日のこと。
前日は雨が降ったのだろうか。
舗装されていない村の道路はところどころが抜かるんでおり、お気に入りのブーツにときおり泥が跳ねる。
「!! ツッ!!……はあ……」
うっかり、大きな泥しぶきを上げてしまった私は思わず舌打ち。
泥くらい……“洗浄魔法”で直ぐに落とせるのに。
嫌なことが立て続けに降りかかってきたのもあって、私の苛立ちはピークに達していたのだ。
ここで道の脇に切り株を発見した私は、そこに腰を落ち着けた。
そしてミニスカートの裾を少しだけ捲し上げる。よく見ると太ももにも飛沫がかかっていたようだ。
(少し時間かかるけど、もういっそのこと下半身全てにかけちゃおう……)
そう考えた私は太腿の数センチ上で両手をかざすと同時に手先に魔力を集中させた。
その瞬間、朧げな光が私の足元全体を照らし始める。洗浄魔法の一つ───“染み抜き魔法”だ。
魔力を集中させるために意識を集中させ始めてから気がついたんだけど───「いや、そもそもルイちゃんって魔女なんだから箒に跨ってひとっ飛びしたらいいんじゃね??」という声が空の上から聞こえてきたような気がするわ。
ソファにもたれかかりながら長方形の光る板を眺めている何者かの姿まで脳裏にチラついて……まあいいわ。染み抜きするために、しばらくじっとしていないといけないから説明してあげる。
手頃な箒が手元にあったらそうしたいのは山々なんだけど、それはなし。
まず私はそもそも……自分の箒なんてもう持っていないんだもの。
私が乗っていた箒は“排魔量”が401ccを越えている大型仕様だから、飛べる場所が限られているのよ。
舗装されていない道路の上なんか飛んでいることがバレたら1発で赤切符。
仕事をクビになって婚約破棄された挙句、免停まで食らったら冗談抜きで目も当てられないわよ。
ちなみに箒には、“モニタリング魔法”が施されているからバレないようにやるのも無理。私なら解呪すること自体は余裕だけど、そんなことはしない。
なぜなら3年に1回行われる“箒体検査”───略して“ホウ検”に通らなくなっちゃうから。
そんなこんなで私は普段───箒にはあんまり跨らなかった。乗るとしても、休日に郊外に出かけた時くらい。
─────だから、帝国を出国する際に私は自分の箒を手放した。
粗方の汚れを落とし終えた私は首が疲れたので1度顔を上げる。太陽が頭の先だけを残して、身体のほとんどを山に隠していた。通りで薄暗いわけだわ。こんな田舎の村だから街灯なんてないし。
(箒に跨って、帝都の郊外をホーキングしていた頃が懐かしいわ)
当時はまだ恋人だったジョセフと並んで眼下に広がる帝都の夜景を空の上から眺めていたあの頃の自分が、全てを失った今の自分を見たら───なんて思うのかしら??
もっとも当時の想い出が詰まった愛箒は今頃───ナンバープレートが張り替えられて別の魔女に運転されているか、もしくはパーツごとに1回分解された後に発展途上国に輸入───その後でまた組み立て直されて転売……みたいな運命を辿っているだろう。
ちなみにその場合、高速道路を手続きなしで利用するために箒の持ち柄の部分に挿入されている“MTCカード”と呼ばれるカードは抜かれることが多いらしい。
よって帝国語を話せない外国人でも「MTCカードが挿入されておりません」という言葉だけは知っているという人が少なくないらしい。
いや……そんなトリビアを語ったところで誰も興味ないわよね。さっさと掃き捨てて頂戴───箒だけに。
私は長い脚の膝下半分を覆い隠すブーツに再び視線を落とした。
(よし終わったわね)
ブーツの洗浄を終えた私は再び顔を上げて周囲を見渡す。
(本当に田舎だわ……)
私の目には長靴をカポカポと鳴らしながら跳ねる泥など歯牙にも掛けずに闊歩している2、3匹のドワーフが映った。
さらにそのドワーフ達は、唯一ランプの薄明かりが掲げられている建物の中へと入って行った。
どうやらあの建物は酒場らしい。1日の仕事終わりに一杯やる予定なのだろうか??
(お酒かぁ〜)
余計なことは1度頭を過り出すとなかなか離れてくれない。こういう時は1度お酒を飲んで綺麗サッパリ忘れてしまうのが得策ね。
ぬかるんでいた道路もほとんど乾いたみたいだし丁度いい。
私はお気に入りの魔女帽子を被り直すと、スッと立ち上がり、酒場へと歩を送り出した。
───その結果……私はあいつと思わぬ再会したってわけ。




