第20話 生霊
さて、場面は夕方の村役場からカノン、ルイそしてルーシーの愉快な3人組が1つ屋根の下で暮らす(ことになった)屋敷へと変わる。
「ただいま~」
ベルベットが、夜風になびくように低くて心地のよいカノンの声がエントランスホール内に反響した。
「おお!! すごい綺麗だ……!!」
カノンは、普段は低いその声をワントーンほど高くして思わず感嘆してしまった。
所々に張られていた蜘蛛の巣は完全に払われ、床に散乱していた窓ガラスや陶器の破片も綺麗に掃除されていた。
カノンは初めて屋敷へ足を踏み入れた時のことを思い出した。
蜘蛛が大嫌いなルイは、掃除が終わるまで屋敷内に立ち入ることを断固として拒否したため、屋敷内の荒れ模様を知らない。
仮に元々の惨状を目の当たりにしていたら、「自分たちが帰って来るまで、独りで屋敷内の清掃を完了させること」などといった無茶難題を押し付けることはなかっただろう。
実のところカノンはヘルスパイダーの捕獲に向かっていた際にそのことを思い出し、「荒れ放題の屋敷内をルイに事前に見せておくべきだった」と後悔の念に駆られていた。
屋敷の掃除を1人でこなすことをルイがルーシーに命じた際───今回ばかりは自業自得だと心を鬼にして無視を決め込んでいただけに、その事実を思い出した瞬間、自責の念に駆られ頭を抱えた。
(……ルーシーは寂しがり屋だからなあ……メンタルもあんまり強くないし……)
よって、カノンとしては─────床に散乱しているガラス片や陶器などを片付け、最低限の生活区域の清掃が8割方完了していたら充分。万が一ルイの腹の虫がおさまらなかったとしても自分が仲裁に入ることでなだめようと考えていたのだ。
しかし、ルーシーは彼の期待を大きく超える働きぶりを披露してくれた。
ここでカノンは補修された靴だなに手を置き「スー」っと表面を撫でた。
アンティークなデザインが施された靴棚の縁まで辿り着くと、手の平を返してまじまじと観察し始めた。
「……うん!! 素晴らしい!!」
男性の掌とは思えない程、綺麗なカノンの掌には───埃など全くついていない。
(この棚の上に直でプリンを盛ることだってできるな!! いや流石にそれはやめておこう。僕はお腹が緩いし……ふふふ)
カノンは内心でそう呟きながら、独りで満足そうに微笑んだ。
ここで……
「あっ!! カノン様~!!」
エントランスホールの後方に聳える階段を昇った先には2階の各部屋へとつながる廊下が伸びている。紅いカーペットが敷かれているその廊下の奥から駆けて来たのは……
「おお!! ルーシー!!」
先ほどまで、大掃除に、ゴーレム召喚……そして入村手続と多忙を極めていたサキュバスの美少年─────ルーシーである。
ルーシーは音を全く立てずに廊下からエントランスホールまで到着。右手側に90度ターンの後に目の前の階段をそのまま駆け降りる───かと思いきや……
「よっ……!!」
彼は階段など目もくれず……目の前の柵に右足を乗せると同時に飛翔───ピョコピョコと翼を動かしながら軽やかに舞う。翼を広げた彼がシャンデリアの真横を横切ると同時に、蝋燭にともされたオレンジ色の炎が少しだけ揺らいだ。
「よいしょ!!」
そしてカノンの目の間に軽やかに着地。前髪の分け目を手櫛で整えながら、上目遣いでカノンの顔を見つめる。その両目には小さな星が無数にちりばめられている。
「頑張ったなルーシー!!」
カノンが労いの念を込めてルーシーを褒めたたえた。
「はい!! ありがとうございます!!」
ルーシーは琥珀色の瞳を潤ませながら、幸せいっぱいの笑顔を綻ばせる。よほど嬉しいのか矢印の形をしている尻尾がフリフリと振り回されている───その様子といったら、ご主人様をお出迎えするチワワそのものである。
「まあでも、階段があるんだから、部屋の中で飛び回るのは行儀が悪いぞ~」
一方でカノンは飼い犬の躾けも大切だと思い出したのか───悪戯っぽく微笑みながら、デコピンでルーシーのおでこを軽くはじく。
するとルーシーは少し申し訳なさそうに眉間に皺を寄せて、
「あっ……ごめんなさい……つい嬉しくて……」
そう呟いた。そしてシュンと俯いて尻すぼみになりながら陳謝。先ほどまで振り回されていた尻尾も悲しそうにへたり、先端に付いている矢印は糸くずの1つも落ちていないカーペットを指す。
「大丈夫だ!! 気にするな!!」
もちろん咎めるつもりなど毛頭ない。カノンは少し膝を折りながら長身を屈めてルーシーと目線を合わせ、満面の笑みを浮かべた。そのまま大きな掌をルーシーの頭の上に置き茶色い髪の毛を撫で回す。
ほっとしたような表情を取り戻したルーシーは気持ちよさそうに瞼を落として、カノンの手の温もりに浸る。
ルーシーの柔らかな毛並みをひと通り楽しんだカノンは「さてと……」と呟くと、膝を伸ばしグッと背伸びをしながら口を開いた。
「それより食事にしよう!!」
「はい!!」
ルーシーは天使のようにかわいらしい笑顔でコクンと頷いた。悪魔だけど───
「 久々にルーシーが作った料理が食べたいな!!」
「 簡単な下ごしらえは済ませてあるのですぐにできますよ~」
ルーシーは胸を張りながら自信満々に答える。女の子によく間違えられるが、生物学的にはオスなので、もちろんその胸はペッタンコ。
カノンは彼がエントランスホールに現れた時、ハートマークが大きく描かれたエプロンを着用していたことにすぐに気が付いていた。
料理のことはよく分からないため、何の匂いかは不明。しかし、玄関のドアを開放したその時───厨房が備え付けられているであろう2階の廊下の奥から、食欲をそそる香が漂ってきていることを彼の高くて形の整った鼻は嗅ぎつけていた。エルフは耳だけでなく嗅覚も優れているのだ。
食堂に彼を案内しようと一度踵を返したルーシー。しかし、ここで彼は急に何かを思い出したかのようにピタリと立ち止まった。そしてそのまま振り返ると、
「そういえばルイさんはどちらへ??」
右手の人差し指を口元に当てながら、カノンにそう尋ねた。
「ああ!! そうだった……!! ルイなら僕の内ポケッt……」
長時間内ポケットにしまっていたことですっかり忘れていたのだろう。カノンは掌サイズまでその躯体を縮めたかつてのライバルの姿を思い出した。しかし、彼が皆まで言い終わる前にルーシーは既に二の句を継ぎ始めていた。
「ルイさん綺麗好きだろうからお掃除凄く頑張ったんです!! あっ!! もちろんカノン様に喜んでいただきたかったのもありますよ!! でもやっぱり私も一応男性なんで、女性相手だと身が引き締まるっていうか……!!」
ルーシーはテンションが上がったのか、息継ぎのタイミングが心配になるほどの早口で言葉を並べ始めた。照れくさいのか少し頬が赤くなっている。
「えっと……」
カノンは、口を開きかけながら右手を少し持ち上げる。「これから説明するから一旦聞いてくれ」というシグナルなのだろう。しかし、『先程のドワーフのおばちゃん』が生霊として乗り移っているのか……ルーシーの口は止まらない。
「特にルイさんってとてもお綺麗ですし!! 本人が今いないから言えるんですけど『最初は怖いな』って思ったんですよ!! でもちゃんと話すと意外と面倒見も良さそうで私安心しました!! めちゃくちゃかわいいですし!! いやあ!! あんなにかわいい女の人とこれから一つ屋根の下で暮らすのかあ!! 楽しみだなあ!!」
「……ええと……ルーシー……」
「ああ!! ごめんなさい!! ルイさんにはカノン様という素晴らしい男性がいるんでした!! まあ正直かなり悔しいですが、実を言うと私……先ほど役場の方で運命の出逢いみたいな経験をしまして……」
「いやいいんだ……そのルイのことなんだけど……実は……」
───とその時だった。
───ボフウウン!!
風船の空気が抜け一気にしぼんでいくような音がホール内に轟くと同時にカノンの身体を水色の煙が包み込んだ。
「!!ひゃあ!!」
大きな音が苦手なルーシーは思わず飛びずさって尻もちを着く……腰が抜けたままルーシーは両目を軽くこすった。「コンタクトを着用したまま瞼を強くこすると角膜を傷つけることがあるので気を付けてください」と健康診断の際に“悪魔医”から忠告されていたので、本当に軽く。そして目を開くとそこ立っていたのは───
「……はあ……髪の毛ボサボサ……」
「!! あっ……ルイさん……」
腰まで伸びている美しい青い髪の毛を手櫛で整えるルイであった。




