第17話 フォアハンド
さて……ルーくんが屋敷のお掃除に取り組んでいる間───私達を何をしているかというと……
「確かこの辺りって言っていたよね??」
「……ええ……そうよ……」
「……ルイ……??」
「……何よ??」
「あんまりモゾモゾ動かれるとくすぐったいなあ……」
私はカノンのローブの内ポケットからヒョコっと顔を出してカノンと会話を交わしていた。
カノンはローブの襟元を裏返し、内ポケットの中から顔を出している私を覗き込んでいる。
───《水》魔法と《氷》魔法の応用の1つよ。
体内の水分をいい感じに圧縮した後に、それをいい感じに調節して、さらにそれをいい感じに固めると、あら不思議!!
自分の身体を掌サイズまで圧縮することができるのよ!!
もっとも『質量保存の法則』には逆らえないから、カノンのローブの内ポケットには私の体重がそのまま加わっているけど!!
まあでも、カノンのローブは“レジェンダリーダークドラゴン”の鱗と、“ライトニングスターライトベアー”の抜け毛が原料らしいから、私の体重くらいじゃ千切れたりしないわ!! ただ……
『あっ!! ルイ!!』
『?? 何よ……??』
『僕の内ポケットに入るのは構わないけど、土足厳禁だから申し訳ないけどブーツは脱いでくれ!!』
『はあ……??』
『あと、ブーツを脱いだ後の足って蒸れて臭いだろ?? 一回洗浄魔法で自分の足を洗って……』
『めんどくさああああああ!!!!!!!!!!!』
─────なんて一悶着はあったけど。
?? なんでわざわざそんなことまでして、カノンの内ポケットに入ってんの?? そういうプレイなの??……ですって!?
ちっがうわよ!? 私にそんな性癖なんてないわよ!? どこの世界に身体を小さくして男のローブの内ポケットに自分の身体を滑り込ませて興奮する女がいるのよ!?
理由は説明しなくても分かるでしょ?? 私は……
「あいつがいたらすぐに知らせて頂戴……私はあなたのローブに隠れているから。退治したら教えなさいよ!?」
蜘蛛が大嫌いだからよ。
ただ、「退治」と私が口にした瞬間に、カノンは困ったような声を出す。
「……ルイ……ヘル蔵はルーシーのペットなんだぞ……退治したらルーシーが泣いちゃうぞ……」
「うっ……」
私の脳裏にルーくんが女の子座りをして両目をこすり、噴水のような弧を描きながら涙を放水する映像が投影された。
(うう……蜘蛛は嫌いだけど、流石にそれはかわいそうね……)
せめて、「虫かごのようなケースに入れて飼えないかしら??」と考えていると、
──────ガサガサ……!!
「!?」
私が、初めてあいつに遭遇した時と同様に、草むらが音をたてた。この感じ……間違いないわ!!
「!? ルイ!! たぶんあいつだ……!!」
カノンが言い終わる前に、私はカノンの内ポケットの中に身体全部をしまいこんだ。長い髪の毛が内ポケットから顔をだしていないかを確認し終えると帽子を深くかぶり耳を塞ぐ。
~♪♫~♫♪♫~~♪♫~♫♪♫~
───ガサリ……ガサリ……
目の前の茂みから悠然とした足取りでこちらへ向かってくるその生き物は……
「こいつか……確かにヘルスパイダーで間違いないね」
カノンはルイを収納している内ポケットとは反対側のポケットに右手を入れると自身の愛杖に長い指を絡めようとした……しかし!!
「……ギュアアアア!!」
目の前でうごめいている漆黒の大蜘蛛は一瞬……その身を震わせると咆哮を上げながら彼目掛けて突進してきた!!
「!?」
カノンは、突然の不意打ちに面食らった……様子はなく。
「……」
「ふう……口は聞けないけど、それなりに知性があるんだったな……こいつ」
彼は何も持っていない左手を前に突き出す。そして人差し指でヘルスパイダーの頭を指した。ヘルスパイダーは送り出そうとした左側の一番前の脚を宙に浮かせたまま微動だにしない!!
そして彼は左手で目元にかかる紅い髪の毛を払いながら不敵に微笑む。
彼の左手人差し指の先から伸びているであろう何かしらの神通力は、すでにヘルスパイダーの体を刺していない!! しかし、
「……ギッ……」
ヘルスパイダーの体は未だにともピクリとも動かない。
カノンの瞳が───真紅に煌めいた。
サンサンと太陽が降り注ぐ青空に一瞬─────不吉の予兆と伝承されている真紅の満月が魔王城の天守閣にかかった光景を……ヘルスパイダーは想起した。
「……ギイイ!!! ……ブッ!!……」
しかし、流石は魔界の最奥に広がる大森林に生息している化け物。ヘルスパイダーは口元に生えそろった牙に相当する部位を微かに震わせた瞬間───薄汚い黄緑色に濁った粘液をカノンに目掛けて飛ばす!!
「おお!!」
カノンは少しだけ驚いた声をあげた。まるでついこの間───自販機でおしるこを買った際に『こしあん』ではなく『つぶあん』が出て来た時に、筆者が漏らしたように素っ頓狂な叫び声であった。
※購入したおしるこは筆者が責任を持って完飲しました。なおそれ以来、おしるこだけは『粒あん派』に寝返りました。
─────さあカノンこれはどうする?? その液体……喰らったら絶対ヤバいヤツだぞ!!
「……よっと!!」
彼は今度こそ杖を懐から取り出すと、フォアハンドで杖を一振り!!
その瞬間……
─────ブオオオン!!
彼の身体を透明な膜が覆った!! 粘性を伴った液体はその膜に阻まれ、カノンの身体に到達することなく、飛沫となって周囲の草むらに飛び散る!!
彼の周囲の地面から伸び放題だった雑草は、一本残らず溶解……そしてあろうことか、根を張り巡らせていた地面までも溶解し始め、半径数メートルのクレーターが掘られた。
その中心に立ち尽くすのは───『ワンちゃん魔王より強い!!』『もうお前が魔王でいいよw』の二つ名を持つ……カノン!!
「おかしいなあ……《無》属性魔法はあんまり得意じゃないけど、ヘルスパイダー程度だったら無詠唱で麻痺させることができたはず───やっぱり顎が本調子じゃないみたいだね」
彼は、眉間に皺をよせながら左手で顎を頬を擦る。
ここで、ヘルスパイダーは実力の差を思い知ったのだろうか……
─────ダッ!!
その場で飛び跳ねるとカノンに背を向けて脱兎のごとく駆け出した!!
8本の脚を器用に操り、非常に俊敏な動きで、あっという間にカノンとの距離を引き離す……はずだった!!
「……ギイイイ」
「今度は確実に動きを止めた……もう逃がさないよ」
その瞬間───カノンは杖を突きつけ、ヘルスパイダーの巨体を宙に浮かせる。まるで果物が入った紙袋でも持ち上げるかのようにいとも容易く!!
ヘルスパイダーの体長は約2メートル。体重はおよそ200キロ。
しかし、その巨体からは想像もつかない程、俊敏な動きを見せ……人間が跨っている馬を追い抜いたという報告が帝国の魔虫類研究所に寄せられたこともあるそうだ。
そして、その粘液は───
動物の皮膚や体毛以外のあらゆるものを溶かす未知の成分で構成されている。
つまり……つまり……
例えば、先程の溶解粘液をルイが被っていたとしたら───
『きゃああ!! 何よこの液体!? あっ……大変!? ローブが溶けちゃう!? うわああ!? 下着まで!? ちょっとおお!! いやあああ!! こんなムードもない状況で脱ぎたくなんかないわよおお!!!!』
羞恥に歪んだ表情を浮かべたまま、その艶やかな肢体が……(以下自主規制)
さて、そんな恐ろしい生態を持つヘルスパイダー(しかし、闇マーケットでは一部の貴族に高値で買われている)だが、カノンにとっては読んで字の如く虫けら同然。
彼は、左手の手の平を上にした状態で人差し指を「クンッ!!」と返す。
ヘルスパイダーは少し西に傾き始めた陽光に照らされ黒光りしながら、宙を漂い続け───彼の足元へと転がった。
さらに、
「……ふふ」
「グギイ!?」
カノンの真紅の瞳が一瞬───紫色に眩く輝いた瞬間……赤黒かったヘルスパイダーの5つの目から───色が失われた。
カノンは、ルーシーが洋服を取り出す際に顕現させた渦のようなものを目の前に出現させた。
その渦は、ルーシーが作り出した渦とは比べ物にならない程、巨大であり……禍々しい魔力に満ちていた。海洋の主であるポセイドンすら飲み込んでしまうほどに……
「よし……ご主人様のところまで連れて行ってあげるから安心してね」
カノンはその中に───ヘルスパイダーをホイっと投げ入れた。
ヘルスパイダーの巨体は、音を一切立てることなく渦に飲み込まれていき───深く深く……深淵の彼方まで堕ちていった。
その体は豆粒のように小さくなり、やがて塵に等しくなった。
「そこで大人しくお寝んねしてな」
カノンは汗一つかいていない。手櫛で髪の毛を整えるとローブの内ポケットに自身の杖を優しくしまった。




