第12話 チワワ
井戸の周りには砂利が敷いてあったが、ほんの数歩歩き出すだけで、膝くらいの高さまで雑草がボーボーに生え揃う草むらに出る。
そいつらはブーツを履いている足元に絡みついてくるので鬱陶しくて仕方がない。ただそれ以上に私は何故かその小さな悪魔の正体が気になって仕方がなかった
──どういうわけか、私はその悪魔とは強い関係で結ばれる予感がしたのだ。
(不思議ね……なんでこんなに気になるのかしら??)
ガサ……ガサ……
膝くらいの高さまで生い茂っていた草むらは、ついに太ももに届くくらいまでの高さになった。
(……虫に刺されないといいけど、こんなことなら“虫除け魔法”でもかけてもらうんだったわ)
“虫除け魔法”は、私が得意とする《氷》属性や《水》属性とは系統の異なる《土》属性の魔法だ。
私のように《水》《氷》……あと《光》属性を得意とする魔法使いは“冷蔵庫タイプ”──と呼ばれている。
魔法使いは誰もが皆──“冷蔵庫タイプ”や“エアコンタイプ”といった感じで区分分けがされている。
自身が区分されたタイプが包括している属性以外の魔法は使えない。
だから私は“冷蔵庫タイプ”が包括している三つの属性以外の魔法は使えない。
これはこの世界の魔法理論の基盤の中でも、特に重要な根底概念の一つであるため──私ですら覆すことはできない。
そう……私は“冷蔵庫”なのだ。“冷蔵庫”。
……何よ?? 何かおかしいの?? クスクス笑っている声が聞こえた気がするんだけど??
ちなみに“冷蔵庫”や“エアコン”が何を示しているのかは分からない。今日も著名な魔法学者が血眼になって研究に励んでいるわ。
───説明はこの辺で一区切りよ。
ちょうど今──私の好奇心を駆り立てたその悪魔の目の前まで辿り着いたから。
「……おーい」
「……」
私は顔を少し上げて、右手を口元に添えて悪魔に声をかける──しかし返事はない。
彼は先ほどと同様にピクリとも動かない。
ちなみに近くで見て初めて、その悪魔は男の子だと分かった。
華奢で色白ではあるけど、骨格がしっかりしている。
髪型は男の子にしては少し長い。毛質はかなり柔らかそうだ。頭頂部が地面を向いてダラリと項垂れているのもあって、髪の毛の束が重力に抗うことなくハラリと垂れ下がっている。
細くてほとんど筋肉の付いていない両腕も力無くダラリ──ちなみに脇には毛が一本も生えていない。羨ましいわね……私も脱毛済みだけど、ここまで綺麗には……ってそうじゃなかった。
関係ないことを考え始めた私は首を小さく振って、目の前の男の子を再び観察する。
その男の子は木の枝にお腹を付け、そこを支点にして長座体前屈のような姿勢でぶら下がっている。正面側は見えないけど背中と後頭部はバッチリ見える。
(背中から蝙蝠のような翼が生えている……ということは──)
私がその悪魔の正体を突き止めようとしたその時!!
──ガサガサ!!
「!?……なに!?」
自分の足元の草むらから何かが這い出す音が聞こえた私は、即座にバックステップ!! 反射的にローブの懐に左手を突っ込んで杖を握る……!!
何が出てきても、瞬殺できる自負があったけど、一瞬の油断が命取りよ。一応警戒の態勢をとる。百獣の王はウサギを狩るときも何とやらってやつね。
まあ、それでも──私の手にかかれば大したことはない。
(どんな奴が来るのかしら⁇ ケルベロス⁇ ダークキメラ⁇ それとも両方⁇ まあいいわ‼︎ まとめてかかって来なさい‼︎)
そして這い出てきたのは──
「えっ……ちょ……そんな……嘘でしょ……??」
この瞬間──私の左手に握った杖の先がガクガクと震え出した。
そして私は──自分の顔から血の気がサーっと引いていくのが分かった。今の私の顔色は──自慢の髪の毛よりも青いかもしれない。なぜならば……
私の目の前には、成熟した牛と同じくらいのサイズの、“ヘルスパイダー”がいたからだ。
人間でいう後頭部に相当する部分には五つの赤い目が配列されている。
どの部分に瞳が存在するのかは分からないけど──確実なのは私を見据えているということ。
『へっへっへっ……次の獲物はお前だぁ……程よく引き締まって柔らかそうな肉だぜぇ。特に太ももと尻のあたりが美味そうだぁぁ』
とでも言いたげに、口元のノコギリバサミのような牙をワキワキとさせている。
「……」
「……」
「うわああああ!!!!!!!!」
「ギシャアアア!!!!!!」
こんな時だというのに、私は──「虫には発声器官が存在しないはずなのに、なぜコイツは獣のように吠えるのかしら??」と物凄くどうでもいいことを考えながら一目散にその場を駆け出して元来た道を戻った。
〜♫♩〜♩♫〜♪♪〜〜♫♩〜♩♫〜♪♪〜
「はあ……はあ……」
「ふう……まさか君にそんな弱点があったなんて……」
「しょうがないでしょ!? 私は虫が嫌いなのよ!! 蜘蛛が大っ嫌いなのよ!!」
あの後、私は井戸があった広場まで駆け戻って来たのだけど、後期高齢者レベルの持久力しかないカノンも流石に息を吹き返していた。
井戸の水を飲んだことで少しはマシになったらしい。先ほどまでなかった桶が彼の近くに転がっていた。
井戸の淵を背もたれにして地面の上に直接座り込んでいた彼のローブの袖を引っ張り上げて、私は再び森の入り口へと足を向けたのだ。
私は彼の肩に両手をかけて大きな背中に隠れながら恐る恐る前へと足を送り出す。彼の肩は骨張っていて僧帽筋なんてカケラも存在しないにも関わらず──こんな時は妙に安心してしまうのが少し悔しい。
「まあ気持ちは分からなくもないけど、蜘蛛って『益虫』と言って、物凄くいい虫なんだよ。家にいる害虫を食べてくれるから、魔界でもペットとして人気らしくて……」
「いやあああ!!!!! そんなウンチクはどうでもいいから早くやっつけて……!!」
「!? いたた⁉︎……叩かないでよ!! 君って本当に魔法使いだよね!? 体重がしっかり乗った無駄にいいパンチだよ!?」
あんなデッカい化け物が首(がどこなのか分からないけど)に付けられたリードを引っ張られて魔界の大通りを闊歩している光景を想像してしまった私は反射的に彼の背中を殴りつけたようだ。あんな化け物がチワワみたいに飼い主が手編みしたセーターを着せられて8本の足をスキップさせながら擦り寄って来ても──可愛くも何ともない。
「うう……だって蜘蛛怖いもん……ぐすん……」
「勘弁してくれよ……そもそも君は《氷》属性が得意な魔法使いなんだから氷漬けにしたりとか方法は他にもあるだろ?? なんで僕が片付けなくちゃ……」
「いやよ!? 氷漬けにしたら死体を片付けなきゃいけないでしょ!? そのまま放ったらかしにしたら仲間が寄って来たりして、もっと大変なことに……」
「“ヘルスパイダー”ってゴキブリと同じなのかい!?」
──ちなみに私はゴキブリも嫌いよ。
そんなこんなで私とカノンは、いつの間にかあの悪魔の男の子がいたところまで戻って来ていたらしい。視界の大部分を占めてきたカノンの背中が、私の程よく高い鼻先にコツンと当たる。昨晩のように何の花か分からないけど、とてもいい香りが私の鼻先を掠めて、ほんの少しだけ落ち着いた。
「?? なあ……ルイ」
「……お願い!! 早くやっつけて!! あの火がたくさん出るヤツで!! 早くぅ〜!!!!!」
「いや……何もいないんだけど……??」
「ふえ……??」
恐る恐る……彼の背中から頭だけをヒョコ──っと出して前方を確認する。顔の周りにまとわりついた髪の毛を払いながら……
(……あれ?? ほんとだ……)
先ほど“ヘルスパイダー”と鉢合わせした場所には──何もいなかった。
「……」
「他の動物と間違えたんじゃないか??……“ヘルスパイダー”って、そもそも“魔の森”の最奥部に群れで生活している“魔虫類”の一種だし……こんな平和な田舎にいるとは思えないなぁ」
確かに彼の言うことは一理ある。そんな危険な生物がこの辺りに生息していたら、戦闘力が最底辺のFランモンスターのドワーフなんて格好の餌にされて、とっくに全滅しているはずだ。
(本当に見間違えだったのかしら……まだ酔いが覚めていないのかしら??)
もう25歳なんだし──深酒も程々にしようと私は思った。
しかし、一方で……
「?? あれ??……なんか、あの木の枝に誰がぶら下がっていないか??」
(あっ!! そうだった!!)
私は本来の目的を思い出し、彼の背中から出ることにやっと成功。
「あの子……サキュバスよね??」
私は木の枝にぶら下がった悪魔の男の子──サキュバスを指差しながらカノンの横顔を見上げて尋ねた。
彼は髭の剃り跡すら存在しない顎を細い指でさすりながら眉間に皺を寄せて答える。
「みたいだね……全裸だけど」
「そうよ……なせが全裸だけど」
どうでもいいことだと分かってはいたけど、男の子が全裸であることを無駄に強調し、私達は男の子の正体がサキュバスであることに同意した。
蜘蛛さえいなければ、こっちのもの。私はさっきまでビビり散らかしていたのが嘘のようにあっけらかんとした様子で……
「弱すぎて他の悪魔にいじめられて、身ぐるみ剥がされた挙句に捨てられたのかしら……エグいことするわね」
「そうだねえ……同じ魔族として恥ずかしいよ。『弱きを助け、強きを挫く』の精神が育っていない!! 僕の部下だったら鉄拳制裁待ったなしだね」
「でもあなた喧嘩めっちゃ弱そうじゃない」
「弱そうじゃない……弱いよ」
「……ごめんなさい」
「……いや……いいんだ……」
柄にもなく少し粋がってしまった自身を恥じているのか彼はほんのりと顔を赤らめた。
とここで……
「うっ……う〜ん……」
「「!?」」
なんと……男の子がノソノソと動き出した!!
さらにここで、
「!? あれ……!? その声……もしかして!?」
午後の日差しが照りつける中でも目立つ程に──カノンの真紅の瞳が光った。
「!? えっ……何よ!? もしかして知り合い??」
「ああ……サキュバスの男の子で一人だけ僕が面倒を見ていた部下がいたんだよ」
すると、ノソノソと動き出した男の子は気がついたのだろうか?? 重そうに首を持ち上げると、焦点が定まりきっていない琥珀色の瞳をこちらへ向けた。
「あれ……?? カノン様?? ですか……??」
男の子は、寝起きの人間特有のくぐもった声でそう呟く。
「ああ……そうだよ……君は──」
とその瞬間、男の子の顔はみるみるうちに綻び始め、琥珀色の瞳が明るく輝き出す。
「よかったああ!!!!! また会えて嬉しいですう!!! 私ですよ!! 『ルーシー』ですよ!! お久しぶりです!! お元気でしたか!?」
男の子は、しばらく離れ離れで暮らしていたご主人様と再会できて、尻尾を振り回しているチワワのように喜びを爆発させていた──全裸で木の枝にぶら下がった状態で。




