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第11話 奇声

 数分後───



「はあ……はあ……」


「……少しはマシになった……??」



 私はというと、カノンが息を切らして肩を上下させている様子を氷のように冷たい目で見ていた。



 ……?? 「お前意外と体力あるな……」なんて声が聞こえて来た気がするわね。



 当然よ……!! このナイスバディを維持するために、毎朝3キロランニングを10年続けているんだから!! 週4回自宅にはパーソナルトレーナーを呼んでトレーニングも受けていたわ!! この自慢のお尻とくびれは努力の賜物よっ……!!



 まあ……それは仕事を首になる前の話だけどね……



 …………



「はあ~あ……」



 汗はとっくにひいたものの、まだ体が火照っている私は、広場の中央に掘られている井戸の淵に腰を預けて空を見上げる。



(今頃《いまごろ》皆んなどうしているのかしら……)



───私が“魔導士部隊”の解雇を宣言されたのは一週間くらい前のこと。



 たぶん私の下僕たち(私が勝手にそう呼んでいた)は、私の退職を帝王様かあるいは隊長からとっくに聞いているはず。


 どんな反応をしたのかは知らないけど───まあいい。


 人間という生き物は、実はかなり冷たい。



 以前、10年以上部隊の補佐をしてくれた“大臣補佐”のおじさんが退職した際もそうだった。


 彼はいつも定時より一時間も早く職場に来ていた。馬小屋へ赴いて馬子達と共に馬小屋の掃除に励むためだ。

 

 右肩の腱板断裂の後遺症が酷くて、重いものなんてロクに持ち上げられないにも関わらず───彼は自分から下働きを買って出ていた。



『僕は人がいいだけが取り柄でここまで出世したんだよ。根っこは庶民だからさ。偉そうにふんぞり返っているとバチが当たりそうで怖いんだよ……はっはっはっ!!』



 馬子《まご》達が着ているのと同じシャツに身を包み馬の世話をしていた彼は、でっぷりと出た腹を叩きながら、そんなことをよく口にしていた。麻布で織られた粗末なシャツがやけに様になっていたのをよく覚えている。


 そんな彼はある日……



~♪♫~♫♪♫~~♪♫~♫♪♫~



「ルイちゃん……ちょっといいかい??」


「?? はい……なんですか??」



 その日───枕にできるほど分厚い魔法書や薬学の本が所狭しと並んでいる私のデスクに、彼は手を振りながらやってきた。他の隊員とは異なり、パーテーションで仕切られた専用スペースとデスクを与えられているのは隊長とエースであるこの私だけ。ちなみに3日前ノックもなしに入ってきた新人のイキリ隊員には鉄拳制裁を加えてやったわ。


 おでこに皺を作りながら浮かべる笑顔には彼の人柄の好さがこれでもかというくらい滲んでいる。ちなみに前髪はすっかり後退して綺麗なM字ができているので、どこまでがおでこなのかは分からない。



「ふう……今年の夏は暑いねえ……なあ……氷魔法でこの首に巻いたタオル冷やしてくんねえか??」


「……もお……オフィスで魔法を使うのは禁止されているのに、大臣補佐が破ってどうするんですか……??」



 私は自身が腰掛けている専用の椅子をズズ……と引きながら、彼が立っている方向へと体を向けると、渋々文句を言いながらも、



「……はい……スッ……」


「おお!! きくうう~!!!」



 左手の人差し指を彼の首筋に巻かれているタオルに指し───汗だくの身体をクールダウンさせるのに丁度いい強度の氷結魔法を発動した。



 大臣補佐は、恍惚とした表情で身体を震わせる。



「……お加減はいかがですか??」


「うん!! 流石ルイちゃん!! いやああ!! やっぱルイちゃんにし(・)て(・)も(・)ら(・)う(・)のが一番気持ちがいいよ!! 気(・)持(・)よ(・)く(・)な(・)る(・)ポ(・)イ(・)ン(・)ト(・)をちゃんと分かっているんだよねええ~」


「……それ、セクハラですよ……」 


「!? えっ……そうだったの!? ごめんね……!?」



 大臣補佐《おっさん》は冷えたタオルで汗を拭いた直後だというのに、再び額から汗を垂らし始めた。彼はこんなふうに無自覚セクハラをよくやらかす。


 そもそもこのご時世で、部下とはいえ───同じ職場の女性をファーストネームで『ちゃん』付けするのは本来ご法度だ。


 私は、大臣補佐《おっさん》とは長い付き合いなので、黙認しているけど。



「はあ……次から気を付けてくださいよ……」


「はは……次があればだけどねえ……」


「??……それってどういうことですか……??」



 この時、しょうもないことに魔法を使い時間と魔力を無駄にした私の顔は、既に大臣補佐《おっさん》ではなく、デスクに置かれている稟議書に向いていた。


 だけど、私が小言を口にした瞬間──おっさんが含みのある困ったような笑みを浮かべたことに気がついた。右手に持った羽ペン(私は左利きだけど、書くときは右手を使う)を一瞬止める。

 


「……実はね……今日で退職するんだ」


「……あらそう……私でよければ弁護人になってあげるわよ。『見た目はアレだけど、そんなことするような度胸がない人だから誤解だと思います』って」


「いや!? 違うよ!? セクハラでクビとかじゃないから!?」



 一瞬手が止まったものの、この書類は次の魔王軍討伐作戦の詳細なプランが記載されている大事な書類───どんな魔法を使っても改竄《かいざん》が不可能な呪力まで込められている。


 書き損じがあってはいけない。私は再び羽ペンを走らせた。インクが滲まないように、さっさと自分の名前を筆記体でサインする。



「ふーん……あっそ……」



 私は特に興味なさげに目も合わせずに生返事を返す。他の職員より少し親睦が深いだけの、おっさんが退職するからといって、いちいち感傷に浸ってなんかいられないわ。


 すると、おっさんは───



「……それ言いに来ただけだから……邪魔してごめんね」


「邪魔だったわ」


「……そう……」



 少し寂しそうな様子で、私に背をむけて立ち去ろうとした。だけど、私の専用スペースから出る瞬間に急にピタリと立ち止まる。そして背を向けたまま……



「そういえばさ……結婚するんだっけ?? よかったな……16歳の時から、君にはずっと世話になっているからさ……娘の縁談が決まった時と同じくらい嬉しいよ」



 彼は急に早口になり、そんなことをポツポツと口にし出した。



「……そりゃ、どうも……」



(書類はこれでよかったかしら?? カーボンの写しになっているからインクの染みがないか確認しないと……)



「……オレは知ってるよ。君はさ、帝国で一番の魔女で歴史に名前が残るくらい凄い魔女だって」


「それくらい今時、五歳児でも知ってますよ」



(インクの染みはないみたいね。よかったわ。他に忘れていることないかしら……チェック事項もちゃんと指で辿ってミスがないか確認しましょ)



「でもさ……本当は子供や動物が大好きな普通の女の子だ」


「もう女の子って歳でもありませんよ。立派なレディです」


「ああ……ごめん……」



(チェック事項もミスはない。隅っこの余白とかにインクの零しは……)



「……」


「……ぐすんっ……あから……」



(あら、まだいたの?? 用が終わったならさっさと出て行ってくれない??)



「……」


「だあからさ……ぐすん……ほんとに……じあわせに……なっで……ううっ……ぐれよな。ルイぢゃん!!!! あああああああああああ!!!! うううううう!!!!!」



 感極まったように声を上ずらせながら、おっさ……いえ大臣補佐は急に奇声を上げながら私の目の前から消え、そのまま魔導士部隊のオフィスを横断して飛び出ていった。



「……」



 何となく、さっきまでおっさんが立ち尽くしていたパーテーションの出入口に視線を向けるのが気まずくて───私はとっくにサインを終えたにも関わらず書類と睨めっこを続けていた。



(あら……ここミスあったわ)



 すると私はミスを発見した。【Name】と左上に小さく書かれた記載箇所には───



『|Louis Loureiroro《ルイ・ルーレイロロ》』



 と誤植されていたのだ。何よ……『ルーレイロロ(・)』って……



「はあ……書き直そうっと……」



 『どんな魔法を使っても改竄が不可能な呪力』が付されていたけど、実際のところ大したことはなかった。用紙の裏に描かれている魔法陣の隅っこに“呪術計算”のミスを発見した私は、自分の誤植を直すついでに魔法陣もしれっと修正して提出することにした。


 そして5分程経ち、両方の作業を終えた丁度いいタイミングで、



───コンコンコン



「いいわよ……」



 パーテーションの外側の壁がリズミカルに叩かれた音がした。他の隊員の入室だろうと察した私は、かったるそうに許可を下す。



「失礼します!!」



 入ってきたのは3日程前ノックもなしに入室してきた新人隊員の青年。私の拳骨を食らった彼の頭頂部は心なしか少し膨らんでいる気がする。彼の髪の毛が白いのもあって、それはお正月に網の上で膨らんでいる『お餅』という食べ物みたいだった。



「はい……これでしょ……」


「はい!! ありがとうございます!!」



 彼は私が半分に折って右手の人差し指と中指に挟んで突き出した用紙を両手で恭しく受け取った。最初は敬語もロクに使えなかったくせに───少しは反省したみたいだわ。



「ちゃんと敬語使えるようになったじゃない。少なくとも私と隊長の前では、お行儀よくしておきなさい」


「はい!! あのお……ところでなのですが……」


「……あら?? 何か悩みでもあるの?? 少し時間あるから聞いてやってもいいわよ」



 私は、デスクの上にブーツで覆われた長い脚を投げ出して組むと頬杖をつき、彼にそう言い放った。



(サイン用紙には垂れなかったけど、太腿にはすこし垂れちゃったみたいね───インク)



 彼の返答を待ちながら、私はムダ毛の一本も生えていない太腿にできたコインサイズの黒染みを左手の指の腹でこする。薬指の中で輝く指輪が心なしか少し寂しそうだわ。



「あっ……いえ……さきほど、大臣補佐が奇声をあげて鼻水とよだれを垂らしながらオフィスを横断して出て行ったものですから何事かと思いまして……」


「ああ……そのこと……別に何でもないわよ」



「はあ……ん?? そういえば、ここ変な水溜りができてるな?? なんかヌメヌメしていて気持ち悪い……」


「……はあ……あのおっさん、どんだけ泣いたのよ……」


「えっ?? 泣いた……??」


「……なんでもないわよ。用が済んだのなら早く自分の仕事にとりかかりなさい」



~♪♫~♫♪♫~~♪♫~♫♪♫~




 あれ以来───大臣補佐には会っていない。


 てっきり、大臣補佐の慰労会のような催しがあるんじゃないかなって思っていたんだけど……そんな話は私の耳には聞こえてこなかった。


 私は飲み会が好きだから、「頼まれたら幹事くらいやってあげてもいい」って考えていたけど───まあそれから、しばらくして私まで退職することになったから結果は言わなくても分かるだろう。



(……あれが最後になるんだったら、少しは優しくしてやればよかったかな……)



 空を漂っている雲の一つがしもぶくれで、目の位置に丁度二つの穴がポッカリと空いているのもあって、私はあの大臣補佐の顔を思い出していた。



(……皆に優しかった彼でさえ、退職する時は誰も関心を寄せていなかったし……私みたいなマウント女なんて───いなくなって清々したって思われているに違いないわ)



 ふと視線を落として今度は地面をぼーっと眺める。


 さっきまで体全体を覆っていた影は、回想に浸っている間に太腿辺りが日向に晒されるくらいまで動いていた。



(やばっ!! 染みになっちゃう!!)



  ここで私は井戸の淵に置いていた両手に軽く力を入れて反動をつけながら立ち上がる。そしてミニスカートのお尻の部分に付着した土埃を払おうと後ろに首をひねった瞬間───



「?? なにあれ……??」



 私達がここに来る時に辿ってきた路の反対側には森が広がっている。


 その奥は様々な木々が生い茂っており、入り組んでいてよく分からない。


 ただ……



「?? 悪魔……??」



 たまたま視界に入った木の枝には、洗濯物のように二つに折りたたまれた少年?? 少女?? が全裸に剥かれた状態で括りつけられていた。ダークブラウンの髪の毛に覆われた小さな頭の上には二本の小さな角が生えていて、背中には蝙蝠を彷彿とさせる羽根まで。


 

 私は隣で先ほどからくたばっているカノンを一旦ほったらかしにして、その正体を確かめに行くことにした。 

 

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