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RMT/リアルマネートレード  作者: jh


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6/10

6. 鎌倉原理主義者とさめがいのひきこもり

音無拓は短いメッセージを連日送ってきた。そのたびに僕も短いメッセージを返した。

味気ないやり取りが始まった翌週の半ばを過ぎた夕暮れ時に、ワクワクする文面がついに届いた。

「電話で話したいことがある、今夜時間もらえる?」

「もちろん、楽しみにしてるよ」


約束通り20時過ぎに彼から電話があった。

「先に訊いておきたいことがある」

「何でも訊いてよ」

「パン屋の奥さんのことだけど…」

「ああ」僕は語尾を伸ばして、少しふざけて言った。「もし外からかけているなら、誰にも聞かれない場所に移動して」

「家の中だから大丈夫だ」

「だったらいいよ、どうぞ」

「その前に前提となる話を聞いてほしい」

「もちろん」

「安井も知ってるように、アサヒナ・ベーカリーはメチャクチャ狭い、おかげで外にお客さんが並んじゃう、時には隣りの家の前まで行列が伸びる、だから混んできたと感じたら店の外へ出て行列の整理をする、先週のことだけど、その行列が見たこともないくらい伸びていて、数えたら50人を超えていた」

「すごいね、あの狭い店に50人は」

「で、その行列の前の方にとんでもない人がいた、身長は180はある、スラーっとしててモデルか俳優かみたいな感じで服装もメチャクチャお洒落、しかも顔は、…今まであんな綺麗な顔をした男は見たことがない、そのくらいかっこよくて、恥ずかしいけどドキドキしてしまった…」

「へえ、いくつくらいの人?」

「いくつなんだろう? よくわからない」

しまった! と後悔した。写真に映った自分の顔が老人に見える音無拓にとって、年齢の質問はタブーだ。「ごめん、続けて」

「その日は行列の人数だけではなく雰囲気もいつもとは違った、女性客ばかりで、全員が彼を目当てに並んでいるとしか思えない」

「だろうね」

「で、彼の何人か後ろのお客のところでパンが全部売れちゃって、その後の人たちは焼き菓子を買いだして、結局、店の棚から商品が消えた」

「驚きだね、それは」

「オレもびっくりして、そのお客さんのことを奥さんに訊いたんだ、そうしたら言うことがおかしいんだよ」

「おかしい?」

「訊いてみたんだよ、『あのカッコいい人誰ですか? モデルですか』って、そうしたらこう言うんだ、『ああ、あれが来てくれると、あっという間に売り切れるから本当に助かる、さめがいの引きこもり、毎日来てくれないかなあ』」

「さめがいの引きこもり? なにそれ?」

「オレも同じことを訊いたよ、近くに『さめがい』っていう家があってそこの引きこもりの息子らしい、漢字を訊いたら、海に住む『鮫』に『貝』だろうと、すごく適当に答えた、奥さんは彼が妾の子だっていうんだ、大物の国会議員がその『さめがい』って女を囲って鎌倉に住ませた、彼はその息子だって」

「へえ、興味深いね」

「彼の顔が綺麗なのは、母親が綺麗だかららしい」

「そこは遺伝でしょう」

「『顔だけは綺麗だ』と奥さんは言ってたけどね、でもさすがにあの年まで男からお金引っぱれないから息子が『だんしょう』でもして生活してるんじゃないかって…」

「だんしょう?」

「そこも同じこと訊いたよ、女だったら娼婦、男だったら男娼」

「その男娼? 酷いこと言うね」

「だろう? 『男娼っていうのは男が男を相手にするものだけど、あの母親にはいろいろなノウハウやコネクションがあるのよ、あんなのがお隣りだったら逃げ出したくもなるわよ、実際にお隣りさん何年か前に引っ越したわよ、鎌倉から引っ越すなんて前代未聞よ、鎌倉よりいい場所なんて世の中にはないのに』、こんなこと言うんだよ、おかしくないか、あの人?」

「なかなか想像を絶するね」

「だよな? そうそう、その『さめがい』って漢字でどう書くか本人が教えてくれたよ」

「本人って、そのカッコよすぎて拓君がドキドキしちゃった人?」

「そう」

「話したの?」

「うん、…それで、漢字だけど、『左』に『女』に動物の『牛』で、『さめがい』だって」

「珍しいね」そう言いながら僕は「さめがい」を検索した。

「すごく珍しい、その時彼が言ったよ、『英語にするとleft、woman、Taurus』…」

「ごめん、最後の単語が聞き取れなかった」

「オレも同じことを言った、Taurus、星占いの牡牛座、『left、woman、Taurus、略すとLWT』だって!」

「LWT…、なんかそこもカッコいいね」

「そうなんだよ、何から何までカッコいいんだよ、それなのに奥さんはなんであんな言い方するんだろう? 今回バイト以来初めて肉体労働らしきものをやってみた、いや、報酬を得ていないから労働とは言えないか、…会社での仕事は外に出ることも多かったけど基本はデスクワークだった、扱っているのはバーチャルなゲームという娯楽の世界、なくなっても世の中は困らない、…ここに来て数日体を動かしただけなのに、世の中はまじめに仕事をしている人が支えていると実感した、あのご夫婦は毎朝4時に店に入って一生懸命にパンを焼いている、それを何十年も続けてきた、休みは日曜と祝日だけ、週休2日なんて夢の世界だ。尊敬に値するよ、いや、尊敬しなければいけない、きっと世の中が回っているのはこういう人たちのおかげだ、しかも、パンの味は最高、だから愛想が悪くてもSNSに頼らなくても客足が絶えない、あり得ないレベルだよ、…それでもだよ、愛想が悪いのと口が悪いのは違う、あの口の悪さは人間としていかがなものか?」

「そこまで気づいたなら、もう少しなのに」

「何が?」

「ねえ、拓君、僕の叔母さんのこと聞かれた?」

「ああ、そこはちゃんと答えたよ、娘さんに会いに行ってるらしいって」

「よくできました、拓君、じゃあ答えを教えてあげるよ」

「答え?」

「あの夫婦は鎌倉原理主義者だよ」

「なんだよ、鎌倉原理主義者って?」

「鎌倉が世界の中心に位置すると信じている人たちのことだよ、そう考えると辻褄が合うと思うよ、たとえば、鎌倉を訪れる観光客は鎌倉を詣でて金を落とす信者だよ、だから観光客には親切だ、表面上はね、でも教団内部には厳格なヒエラルキーとルールが存在して、信者は簡単には近づけない、鎌倉は地価が高いし物件も限られているから簡単には引っ越せない、鎌倉は選ばれた人間しか住めないと原理主義者は考えているのさ、だから大物の政治家か財界人に囲われていた女とその息子なんて汚れた存在は異端なんだ、しかもあの夫婦の名前知ってる?」

「ご主人は朝比奈俊郎さんだよな? 店内の許可証に名前があった」

「そう、奥さんの名前は桐子って言うんだよ、…わかった?」

「何が?」

「桐子と俊郎だよ、『きり』と『とし』を合わせたら『切通し』、鎌倉は山を切り開いた切通しが7か所あるけど、その一つが『朝比奈の切通し』、あの夫婦は自分たちこそが鎌倉を体現していると思っている、だいたい『さめがい』さんだって、漢字では海の『鮫』と『貝』だと思ってたんでしょう? あの人たちは鎌倉以外のことには興味がないんだよ、『左女牛(さめがい)』というのは京都の地名だよ、調べればすぐにわかる」

「へえ、知らなかった」

「拓君、調べてないの? それくらいしないと」

「いつからそんな性格になったんだよ? だいたい、安井はあの夫婦には世話になったと言ったよな?」

「本来だったら僕のようなルールのわからない居候は嫌われるべきだったと思うけど、医学部の学生や医者という肩書きは新しい土地では便利でね、たいがい歓迎されるよ」

「じゃあ、オレは腹の中では嫌われてるってこと?」

「拓君は大丈夫だよ、タダ働きしてるんだよ、嫌われる理由がない、奴隷くらいに思われてるんじゃない?」

「マジか…」

「僕はあの夫婦の世話になったわけじゃない、あの夫婦の焼くパンに世話になったんだよ、だって美味しいでしょう? あの夫婦のおかげで一つ勉強になったことがあって、料理は心だとかいうけど、必ずしもそうじゃない、ろくでもない人間が素晴らしい料理を作る好例が朝比奈夫妻だよ、とにかくあの店が存続してくれないと困る、残念ながらあの味はあの二人にしか出せないと思うよ」

「実も蓋もない話だ」

「そうかな? 人間の内面なんてどうせわからない、外から見えるところが良ければ十分でしょう?」

「実はさあ、今日、その『左女牛』の家に言ったよ」

「今日? それで連絡してくれたの?」

「ああ、本当はそっちを話もしたいけど、長くなるから今度にする?」

「待ってよ、拓君、ぜひ話してよ! 何時になっても構わないから!」


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