2.美容整形
「飲みながら話そう」と返信したところ、音無拓は「心境的に飲みながらは無理」と断ってきた。クリニックの近くのカフェで会うことを提案し、待ち合わせ時間は19時に決まった。
17時半、虎ノ門の空は明るかった。まだダウンは手放せないが、あとひと月もすれば彼岸だ。だいぶ日が伸びた。僕は近くのドラッグストアでエナジードリンクとお菓子を買い、職場へ戻るところだった。会う前に溜まっていた仕事を片付けたかった。
通りを一本隔てれば再開発されて新しい高層ビルばかりが並ぶエリアだが、勤務先のクリニックはまだ建て替えられていない十階建ての雑居ビルに入居している。界隈のビルはたいてい一階に飲食店が入るが、ここの一階はチェーンのテーラー。途中の階には、弁護士事務所や税理士事務所、企業のオフィスなどが入る。テーラーの店舗の横の、エレベータホールしかないスペースにも、それなりに人の出入りがある。ビルの前で、黒いリュックを背負った男が、黒いダウンのポケットに手を突っ込んだまま、上層階の殺風景な外観とエレベータホールの人の流れを交互に見ていた。
近づいて声をかけた。「拓君」
「うわあ」
「久しぶり、きっと早めに着いて、僕の仕事場を見に来ると思ったよ」
「そうなんだ、…サイトでこれを見た」彼はスマホでクリニックのウェブサイトの医師紹介のページを見せた。角度をつけて微笑む僕の写真の下に『安井有希医師 横浜市立大学医学部卒』と記されている。
「おまえ、カッコよくなったな」彼が僕の外見を褒めた。
「整形しているように見える?」僕は笑いながら訊いた。
「そんなつもりじゃない…」よく見ると、彼はやけに暗い顔をしている。
「雑用をすませて会いに行こうと思ってたよ、ちょっと買い物に出ていた、せっかくだからクリニックにおいでよ、ミーティングルームが空いてる」
「ちょっと待てよ、美容整形の相談に来たわけじゃない」
「違うの?」
「違う、たぶん…」
「冗談だよ、でも相談事ならクリニックの中が落ち着く、遠慮せずについてきて」
狭いエレベータに乗り込み、僕はボタンを押した。ゆっくりと上昇したエレベータが8階で停止し、ドアが開けばすぐにクリニックの入り口の自動ドアが待っている。五人も乗れば身が触れる居心地の悪いエレベータを降りると、自動ドアの先は白で統一された上品な空間が広がる。―汚い現実から、美しい夢の世界へ。そんな言葉を心の中で思いながら、このドアをくぐる瞬間に僕は職業人のスイッチを入れる。彼のために何をしてあげられるのだろう? ひそかに心を躍らせながら彼をミーティングルームへと連れて行った。
「水なら冷蔵庫にあるよ、レッドブルは今買ってきた、どっちがいい?」
「ねえ、安井」彼は僕の質問には答えず、思いつめたように言った。
「ああ、そうだ、ここでは安井先生って呼んでよ、呼び捨てだと患者さんやスタッフさんをびっくりさせちゃうから」
「じゃあ、安井先生、ひとつ訊いていい?」
「どうぞ、なんでも」そう言いながら、彼の前に水のペットボトルとレッドブルの缶の両方を並べた。
「ありがとう」彼は軽く頭を下げた。
「どうぞ続けて」
「そもそも美容整形やる人って、そんなにたくさんいるもの?」
「たくさんって定義が曖昧だね、少し前のデータだけど国内の美容医療の症例数は1年間で約300万件、そのうち外科的施術をしたのは1割強、これをたくさんと判断するかどうかは拓君が決めることだよ」
「残りの9割弱は何をするの?」
「ヒアルロン酸注入が一番多いかな、あとは豊胸とか、顔面の若返りとかね」
「顔面の若返り?」
「やる人は普通にやるよ」
「安井先生、嘘をつかずに言ってほしいんだけど」
「拓君に嘘なんかつかないよ」
「オレの顔、何歳に見える?」
「何歳に見えるって、僕たち同い年だよ」
「実際の年齢じゃなくて、いくつに見えるか」
「年相応かな? 30歳に見えるよ」
「じゃあこれはいくつに見える?」彼はスマホを取り出して自分の映った写真を見せた。
「どう見ても同じ顔だよ、どうしたの、拓君?」
「笑わないで聞いてくれる?」
「僕は医者だから、他人の悩みを聞いて笑ったりはしないよ」優しい言葉をかけながら、でも内心ワクワクしていた。もしかしたら彼は興味深い体験をしたのかもしれない。
実際、彼の話はこれから何かが始まることを予感させる物語だった。




