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敗北の味

遅くなって申し訳ありません&予想以上に文章が長くなってしまいました。ここから二章です。

「立って! 早く! このままじゃ全員死ぬ、そうなったら今度こそ終わりよ」


 絶望に打ちのめされて生きる理由さえ失いただ地を這う屍同然の匠に、その音は――


「何が……だ……」


「何って……匠と私が! 今は一秒でも早くあのゲートをくぐる、それだけに集中しなさい!」


 ――心を貫くように、生を取り戻させるために、それも匠を死なせぬ為一心不乱に声を荒げる。


「……もういいだろ……」


 匠の眼光はイザベラからの生を自ら閉じ、死海に沈むエレナだけを見ていた。

 手に力は入らず脚さえ切断されているのか、未だ付いているのか、その感覚すらも何処か他人事のようで――イザベラの主張も他の事のように、自らの命でさえも一線引いた第三者のようで。

 

「……このバカ! うじうじ言ってないでしっかり走りなさい!」


 気が付けば匠の腕はイザベラの肩に、匠の両足と視線は真っ直ぐ目指すべき場所である「黒いゲート」へ向け走っていた。

 

「エレ……ナ……」


 遠ざかる己の意識とエレナの屍、崩れゆく異世界。

 その景色は色を失くしたモノクロのように見え、救済すら叶わない泡の如く儚い夢だ。身体は前へけれども意識は後方へ。


「……やだ……やめて……くれ、なぜ俺を連れていく……」


「良いから……いい? これ以上の泣き言を晒せば……あんたをゲートのその先でコテンパンに叩きのめすわよ……」


 右手は必死にエレナを掴もうと躍動し、涙はその都度風を切り指先を掠め大地に降り注ぐ。あまりに匠が惨めだったのか、あまりにうるさかったのか、将又自らが泣き出しそうだったのか、後方へグッと投げ手を伸ばすソレを、左隣に立つイザベラの右手が防いだ。


「頼むから……」


「あ~もう、しつこい! 奴が動かない今がチャンスなんだよ分かってる!? 私まで失ったら今度こそ匠の命も、精神も終わってしまうんだよ!」


「俺を、生かさないでくれ……」


「そんな戯言など聞く耳もたない。私はただ、命令に従っているだけだから――最後の命令に」


 目の前でイザベラの唇は歪み腕にはありったけの力が入る。それは正しく後悔という言葉が当てはまる表情であり怒りと哀しみに満ちたモノでもあった。

 決してその行動は己の命が第一という感情から来るものではなく、親友から託され「主従関係上の制約から行動している」と嫌でも分かってしまう。主の、それも今は亡き親友の、最後の命令を遂行する為に――


「……」


 ――無我夢中で、全身全霊で、イザベラは目の前に佇む鳥肌が立つほどの闇を潜り抜けて。


「なんで……ウソ……でしょ?」


 闇に吞み込まれる中で匠が最後に見た光景は、己の罪を一生消すことのできないモノへと昇華させる刹那の瞬間だった。

 女は大地に横たわる氷の如く凍えた胴体と笑みさえも、強ささえも、血に沈んだヒロインの首は、彼女との――親友との幸福な記憶でさえ、手で触れたこの時から女にとっては絶望と哀しみを連想させる思い出にしかならない。自分はいったい何をしていたのか、何故王国騎士である彼女が死ななければならないのか、ただただ真っ直ぐ生きて他の為に己を犠牲にしてきた親友が、何も悪い事をしていないエレナが……


「死なないといけなかったの?」

 

 膝から崩れ落ちて三つ編みの金髪と心は更に揺れ動く。身体は震え、涙腺は緩み大地に雨を降らせる。周囲の音を掻き消すほど激しい雨はまるで彼女の心を表しているようで、大粒の雨とレイナの頬を伝う涙は哀しみしかない。

 竜人族は少数民族のため仲間意識が強く一度でも仲間だと認めれば深い縁を結び、家族同然のように接するという。


「ねぇ……」


 レイナの瞳と右手は優しく撫でるようにしてエレナを懐かしみ、

 

「教えてよ、匠」


 同時にレイナの首が右へ九十度曲がり、真後ろでゲートを潜り抜けようと奔走する匠に向け目を見開いたまま、ただただ凝視して回答を待っていた。


「あ……」


 崩れゆく世界、哀しみの世界、自らが創造した異世界、視界は何もない暗黒が包みプツリと意識が遠のいて絶望を抜ければ――


「担架を! 早く!」


「ねぇお母さん、お母さん! お願い、目を覚まして!」


「クソッ、戻ってこい! 戻って来るんだ!」


「一般市民は速やかに逃げて下さい! 押さないで、押さないで地下へ避難してください!」


 ――そこには、現実世界には更なる地獄が匠を待ち受けていた。



 


       ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦




「何がどうなって……」


 唖然という言葉が正しいのか、はたまた絶望という表現が当てはまるのか、どちらにせよ今は異世界から現実世界へ逃げて来た事は確かだ。

 

「ここが……匠の世界……」


 街には高層ビルがドミノの如くズラッと立ち並び、人の行き交いは呼吸ができなくなる程に激しい。それに加え線路を走る電車、流れるように道路を通る大量の車、ビルに吊らされた何気ない広告、何気ない人々の声、何気ない火災、地に落ちた何気ない屍、何気ないビルの倒壊――


「なんで、無くなってんだ……よ……」


 アスファルトに手を付いたまま自身が通り抜けたゲートを涙ながらに見つめる匠。

 だが黒ゲートは存在自体幻であったかのように痕跡さえ残らず消滅。目の前は悪臭を放つ生ゴミとプラスチックゴミが散乱し、左右を囲むレンガ造りの壁は落書き跡が色濃く残る薄暗い裏路地だけが匠の寂しさを表していた。


「本当にこの世界はどうなっているんだ……正常なのだろうか」


 ――それら全てがイザベラにとっての違和感を大きくしていた。


 周囲の「非日常」を目の当たりにやがてイザベラは日常を、正気を取り戻すべく、はぁ~とその場で深呼吸したのち匠が居るであろう後方へ身体ごと向ける。


「あ……」


 途端、喉に出かけた言葉を噤んで伸ばした右手をイザベラは下ろす。ゲートは既に跡形もなく消滅し匠の心は地に落ちていた。

 イザベラ自身なんと声を掛ければ良いのか、どう進めていいのか、どうこの異世界を歩めばいいのか、路頭に迷ったのだろう。

 人々の絶叫と騒音が耳奥へ響くなか、


「ほ、本当に居た……神崎匠君……だよね!?」


 騒音を貫く鈴の音が後方から聞こえた。


「……かえ……で」


「一か月間どこをほっつき歩いてたの!? それより今は……匠、急いでこの場から逃げるよ! 話は逃げた後で聞くから、とにかく私に付いて来て!」


紺色のスカートとポニーテールが目の前で舞い、匠の手は大地から引き剥がされ優等生の右手に引っ張られる。学級委員長こと「葉山楓」は匠のみならず誰もが認める優等生であり、正義感に溢れ「平等」という価値観を重んじるクラスメイトだ。

 その容姿は端麗で、瞳と髪は黒に統一され言葉遣いも現代の若者に比べれば上品且つ優雅さすら伝わってくる云わば、純正のザ・大和撫子という訳だ。

 

「お待ち下さい美しいお嬢さん、私の名はイザベラ・フローレスと申します。そこの方、ならぬ神崎匠様の世話を一か月間行っていた者です」


「い、一か月!?」


 一歩二歩と近づくイザベラの姿は可憐そのもので。

 目的地に着いたのかイザベラの歩みは停止し、スカートの端をつまんで正面の楓に向かいペコリと礼儀正しく腰は九十度に曲がり、白のフリルと白黒のメイド服はふわりと宙に浮きつつ純白のポニーテールは絹の如く、


「心配なさらないで下さい、お嬢さんが想像するやましい事は何も起こっていませんので。ところで随分匠様と親しげに会話しておられますが、もしやお知り合いの方でしょうか?」


 楓の心を予測した上で相手を立てながら匠の無実を証明する様は、正しく王国専用メイドたる由縁と彼女の完璧さを証明しているようだった。


「知り合いと言いますか、友人と言いますか……匠が通う高校のクラスメイトです。ところでイザベラ・フローレスさん。あなたは匠さんがここ一か月の間、失踪している事を知っていましたか?」


「……いいえ。ですが、その片鱗は少なからず感じていました」


 静かに首を左右へ振って回答、ソレに対して楓は驚きもせずあくまで表情は真剣そのもの。


「そう……ですか。次の質問です、その一か月間匠君は何処へ、何をしていましたか?」


「その事ですが、機密事項に当たりますので二つとも回答は難しいです。しかし、匠様は『我々人類の平和の為』尽力してくれたと言えます」


「分かり……ました。最後に、イザベラ・フローレスさんは三次元世界の人間ですか?」


「さんじげん……というモノは残念ながら私の学が乏しく理解できませんが、分類上は人間です」


「お手数をお掛けして申し訳ありません。ありがとうございました」


「私からも質問、宜しいでしょうか楓様」


「え、ええ。私が知る範囲でよろしければ……ですが……」


「では。一つはこの世界の現状と私達の置かれた立場です。最後に、なぜ私達が此処に居ると分かったのか。その二点が知りたいです」


「わ、分かりました。まず一つ目についてですがこの世界は今戦争状態にあります、いや詳しく説明すれば『今日の昼、全世界から日本に向けて宣戦布告された』が正しいです。そして同時に東京と大阪を中心に東は長野の一部、新潟、山梨、静岡、西は長野の一部に加えて富山、静岡、長野県を挟んで南北を境目に『壁』が出現し日本は東西に分かれてしまいました。それは丁度、東の50ヘルツから西が60ヘルツへ電力が変わる境目でもあります」


「……」


 頷くわけでも、声を発する訳でもなく、イザベラはただその説明に耳を立てていた。対する楓もイザベラに現状を説明するよりかは匠にその趣きを置いているような口調でもある。


 ――だから何だよ。

 

 だが当の匠は日本の現状など知る由も、否頭に入れる余裕など無い。それでいくら日本が壊れようとも人が何人死のうと関係がない。


「そして二つ目に関してですが、親切な中国人の女性が居場所を教えて下さいまして……アレ? さっきまで一緒に居たのに……」


「ハジメマシテデース。オナマエハ、チョウリンシンというでぇーす。蝶に、林に、あんず――杏と書いて『蝶林杏』と言うデェース。ヨロシクデース!」


 と、カタコトな日本語を披露しながら楓の隣を陣取り、女はそう名乗った。


「お、驚かさないで下さい林杏さん。消えたと思ったら隣に居て……いったいどこへ行っていたのですか?」


「ずっと、ココにいたデース。カエデサンが気付かないだけデース」


 そう笑顔で、ニヤニヤとした表情を見せて林杏の右手は楓の左肩へそっと回される。悪い人では無いと思いたいところだが目線と会話のキャッチボール先は明らかに楓を無視する形で、絶望に浸る匠へと集中する。

 まるでその雰囲気は、自分が仲間外れにされている事に気付かないまま会話が続く状態と酷似していた。


「怪しい……集団の中へ溶け込む上手さといい、『無意識下』へ直接訴えかけるスキンシップをやってのける上手さ、あなた……随分と手慣れているようですね」


「イザベラ・フローレスさん!? いきなりどうしちゃったんですか?」


「ワタシにもサッパリデース」


「取り繕ってもムダですよ、私には飽きるほど貧民街で浴びて経験した――人を騙そうとする匂いがあなたの前でプンプンしてきます」


 要は胡散臭いと言いたいのだろう、ソレは匠も薄々本能で感じていたモノだった。

 人差し指を女に向け敵対心を露にするイザベラと、手のひらを太陽へ広げ「ワカリマセーン」ポーズを繰り出す林杏は、しらを切るようにふざけた態度でイザベラへ応ずる。


「イザベラ・フローレスさん、貴女の意見はあくまで憶測に過ぎません。それに第一、証拠が無ければソレは事実になりませんよ?」


「それでは手遅れになってしまう……かもしれません」


 あくまで「憶測」だと楓に言われては顔を背けてしまう他ない。だがイザベラ自身も黙り続けていては何も変わらないと思ったのだろう、


「ですが、なぜ彼女は私達の居場所をさも知っているかのように言っていたのでしょうか?」


 確信を突くような、真実へ近づくような疑問を楓に投げる。


「それは……」


「さらに加えて……楓様、真実をお伝えするのが遅くなってしまい申し訳ありません。信じられないかもしれませんが、私達はこの世界の適切な表現で示せば『異世界』から『黒いゲート』を通してこの世界へやって来ました。ですから林杏様が私達の居場所を知る術は無いかと。仮にできたとすれば、それは……」


「私はエレナ・アイ・リブートが死ななければならなかった理由を知っている。一週間後日曜深夜一時、あの倉庫で待つ。神崎匠を連れて共に来るがいい。ただし楓、貴様はこの件には関わるな」


 静かな、冷酷な目でイザベラを目視する林杏の顔からは笑みが消えていた。

 後ろを向き、人差し指で示す場所はこの地域では有名な「廃倉庫」で、当時は主に加工された豚肉の一時保管場所として利用されていたが、ソレも科学の進歩によって使用されなくなり今では子供の遊び場と化し今に至る訳だが。


「分かった……その提案に乗ろう」


 ……分かっている、分かっているんだ。コイツは信用しちゃいけない、あそこに行ってはいけない、騙されている。


 しかし、もはや匠にはソレを言う労力と気力、余裕さえも自らの罪の大きさによって潰されている。

 もう無理だと、他人事だと、好きにすればいいと、そして自らのせいだと――


「嗚呼、この様をご両親が見ていたらさぞかし滑稽な事になっていたのだろうね……神崎匠、貴様もそう思うだろう?」


「……」


 ――匠が言い返せない程に、林杏の主張は的を射ている。


「まぁいい……それじゃーオネガイネー」 


 靴音は高らかに、まるで地べたを凝視する、否顔さえ上げられない匠を嘲笑うかの如く響いている。


 『人殺し』だと後ろ指を指されるように、匠の心にまでソレは響き続けていた。



 


         ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦




「明日の天気は午後にかけて雨が日本全体を覆い、ここ仙台も日曜日は午後から一日中雨の予報です明日の最高気温は――」


 ボタンを無感情で押しテレビのチャンネルを変える。


「なんでやねん~!」


 テレビのリモコンを義務的にチャンネルを変え、


「ロシアが中国と手を組んだそうですね、我々東日本勢力にとってどういった影響が――」


 無感情に、


「今日の死者は約十万人となっており――」


「歴史的に観点からして、この世界は――」


「まぁ、この道三十年だからねぇ――」


 何もかも、


 嫌で、


 自分が無力で、


「もう……」


 死にたくて消えたくて、でも痛いのは嫌で、そんな自分がもっと嫌いで。


「カップ麺……切れたか」


 無造作に淡い青色を放つテレビモニターの電源をリモコンで切ると、用済みのリモコンを床へ投げつつ無音の世界へ意識ごと向けた。

 暗い部屋は明かりを失ったまま視界は徐々に闇を受け入れていた、あれからずっと匠は楓が一人暮らしで使うマンションの一室に引きこもっている。最寄駅からは歩ける距離に建っており、周辺にはコンビニや薬局、本屋などが揃って立地としては良い場所だと言えよう。そんな場所だからこそ匠の生理的現象には寛容だが、


 ――死にたい。


 心は肉体と真逆を行く。

 咄嗟に、安楽死さえ出来ていればどれほど幸せか、今ごろ異世界で命を落とせていれば良かったか、あの時調子に乗って魔王討伐に出向かなければ、


「……なんで俺、生きてんだろ」


 思考する度にマイナスと己の無力さしか残らない。分かっていた、人生そんなに上手く事が進むなんて。勘違いしていたのだ、自分が主人公だと勝手に決めつけて、根拠さえありはしない自信を持ち続けて、多くの人を巻き込んで――


 ――沢山迷惑を掛けて、調子に乗って、振り回して。結果残ったモノは仲間の屍、ただそれだけだった。


「そんな社会のゴミは生きてる価値すら……微塵も、無い」


 早くこの場から、存在ごと……


 ……消えたい。


 息をひそめ、匠は玄関ドアを六日ぶりに開く。




       ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦




 匠の頭上を照らし影を作る光は、太陽では無く闇の中にポツポツと輝く無数の星々だった。


「こんなにも世界は輝いて……」


 ……だが、自分は何だ? こんなにも痩せて生気すら無くて、過去に縋って未来すら拒んで。


「俺は生きてはいけなかったんだよ……」


 重たい足を少しずつ動かして、匠は輝きから逃げるよう――事実から顔を背けてフードを深くかぶると目線はアスファルトをなぞり、


「近道でもしようかな」


 この時間、普段は決して足を踏み入れることの無い裏路地へと足を踏み込む。

 

 腕時計は早くも深夜を回ろうと秒針を刻み、今だけはこの音が匠の心を焦らせていた。精神が安定していれば今頃通路の前で躊躇していただろうに、現在進行形で精神に異常をきたす匠にとってソレはただの都合のいい自殺スポットと化す。


「俺を殺してくれ……」


 そう願う匠を誘うかの如く、人や街灯さえ何もない人ひとりが通れる闇路は周囲の風を飲み込み、匠を招き入れていた。


 ……俺はあの世界を崩壊させ、仲間を殺して、エレナの未来を血まみれにしたんだ。そんな俺に生きる資格なんて、居場所なんて何処にも無いんだよ。


 唾を呑む音さえ薄暗い路地に伝わるよな錯覚と血の気が脚から引くような感覚、視界は闇に覆われ左右は建設物に囲まれて、頼れるのは自らが直進する度コンクリートに響く足音のみ。


「幽霊でも何でもいいから、さっさと俺を……殺してくれ……」


「姉で、妹で、彼女で――私の元へ帰ってきなさい、神崎匠。私はお前を愛している……」


 ふと、絶望に満ちた匠の心へ幼いながらもしっかりとした声音が耳元を刺激して正面を向くと、


「さぁ……こちらへきなさい……」


 闇に溶け切っているのか、将又匠の視力が悪いのか、詳しい全容は見えないものの声質的に女は確定だろう、その上人影は匠より一回りも小さい。


「……俺……は……」


 死ねるなら、殺してくれるのなら、存在を消しくれるなら――その瞬間に匠は喉を震わせながら生気を失った目で、力すら入らない右手で、正面の影を掴もうと手を伸ばす。その心情は懇願と願い、絶望と後悔とが入り混じった一種の自殺願望と言わざるを得ない。

 あくまで罪滅ぼしではなく、無力な己に対しての諦めからくる願望だ。


「たくみ! 行ってはダメだ!!」


 そんな自暴自棄に陥る匠の右腕を止めたのはイザベラだ。

 ずっしりと重たい何かが全身を覆いつくすような感覚に襲われて匠はその場でへたり込む。だがしかし無様さだけは健在なようで、目先の小さな人影に向かい声にならない叫びと共に大粒の涙をポタポタと流し始め、


「離して……くれ……お……がいだ……お願い……だ……」


「ダメだ、これはエレナの願いだから。絶対に、死なせは……しない!」


「やっと俺は死ねるんだ、離せ! 離してくれッ!! じゃないと俺は、俺は……」


 やがて、微弱な声音は己の願望を叶える為に叫びとなりイザベラを攻撃する「邪魔をするな」と。

 イザベラの制止を振り切ろうと重たい身体を必死に動かす匠にとって、目の前の人影は言わば救世主のような死神のような存在で、正しく匠の理想を叶えてくれる希望となる筈だった――


「お前じゃない……」


 その発言は予想外と言わざるを得ない程の衝撃と戸惑い、絶望を与える。

 つまり彼女から存在ごと否定された事を意味した。興が冷め、全てが無かった事にされ、敵対視されて匠の自殺は今ココで失敗に終わった。


「な、なぁ……待ってはくれない……か?」


 それでも徐に顔を上げ、必死に匠の口から吐き出された言葉は清々しいほど女々しい時間稼ぎだ。

 無理を言っているのは理解しているし諦めが悪いと重々承知の上だ、だとしてもイザベラや匠に関わる全ての人間が匠の「消滅」で幸せな人生を歩んでくれるのなら、


「お、俺を……殺してくれ……ない、か?」


 第一に自らが苦しまず生を終える事ができるのであれば、匠は何度でも『土下座』という無様な行為と恥を肯定しよう。


「それにお前、誰だ?」


 皮肉めいた言葉、その全容が見えなくとも伝わる一線を引く距離感、まるで匠の中に別人が居座っているような感覚と今現在存在している自身が本当に己なのか疑う感情とが混ざり合って、匠は一種の疑心暗鬼に囚われる。


 ……敵も味方でさえ信じられない。そもそもだ、何故俺が無様な姿を晒さないといけないんだ? そして俺は一体何なんだ? ここで何をしてる? そもそも生きるってなんだ?


 闇夜に溶かされているのか目の前の人間――声質と匠の一回りも小さい様相からして女が妥当だろう。狭い裏路地の正面、女は迷うことなく揺らぐことなくキッパリとそう告げたのち、


「あなた、全てが中途半端でつまらない」


 捨てセリフと思しき言葉を放つと、華奢な人影は闇夜へ還るように正面から溶けていった。


「ハハッ、中途半端……か」


 思わず笑みがこぼれるのは決して楽しかった訳でもドМだからという理由では無く、ただ単に彼女の発言が正しすぎたからである。死にたいと願う割には痛いのが嫌いで、彼女に拒否されてもただ事実を呑むだけしか出来ずに、自責の念があるのにも関わらず自分には関係ないと逃げるわで――


 ――本末転倒とはまさにこの事だと、己がどれだけ救いようのないクズである事を、今この場で認識したのだ。




      ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦




「なぜ、あんな真似を?」


 問いただす言葉は楓の狭い一人部屋に反響し、エメラルドグリーンの視線は立ったまま匠を真っ直ぐ見ている。いっぽう匠は渋々、自らの双眸を白黒メイド姿のイザベラへ弱々しく向けていた。


「……」


「納得のいく説明は……出来ますか?」


 月明りに照らされる白髪は一つに結ばれ、イザベラという人間の美しさをより一層際立たせている。全てが白かった、柔らかそうな肌もきめ細かい髪も清潔感に溢れた服装も、そして――


 ――未だ誰にも犯されていない彼女の純白な心も。


 匠にとってはイザベラの全てが眩しく、また羨ましかった。

 視線を左下へ落としあくまで匠は押し黙る事を選択する、きっと正面を向けば欲に目がくらみイザベラの息すら止めかねない。それは己の拳と殺意が固くなる感覚を現に、リアルタイムで味わうからだろう。

 まだ匠の理性は保ったまま人間としての一線を引いている。


 ……納得のいく


「……説明だと?」


「そうです、説明です。自殺を『懇願するほどの理由』です」


「懇願するほどの……リユウ……だと?」


 何かが壊れる音がした、何かが吹っ切れる感触があった、血管が脳へ集中し全身が熱く燃え上がる自覚が。正しく憎しみと怒りが理性という名のリミッターを超えた瞬間だった。


 ――なんで俺の気持ちを理解してくれない。


「――お前は、なんで……こんな時に平気な顔をしていられる! 理由が分からないってのか!?」


「えぇ、いま貴方が声を荒げる理由すら私には分からないもの」


「エレナが俺の視界から、俺の愛した女が、お前の親友が目の前で血しぶきをあげて死んだんだぞ!? お前だって見ていた筈だ、それなのに――どうしてお前みたいに平然な顔をして、この世界を生きられるんだ!!」


 たとえ親友が死んだとしても冷静に物事を対処できるイザベラのような騎士としての、王国専用メイドしての精神訓練を受けていない一般人は匠のように気が狂うのだろう。血と死体さえ未だ見慣れない匠の反応は妥当と呼べるものだ。

 唾をそこら中に飛ばし、匠の口は己の行いに対して正当性を主張すべく黙る事を知らないまま身振り手振りを加えて、


「無様ですね……神崎匠」


 より一層イザベラを断罪して汚す。

 その様は負け犬の遠吠えと言わざる負えない、とても見るに堪えないモノだ。


「第一お前が……お前が強ければエレナは死なずに済んだはずだ!」


「それはいくら何でも……」


「無能のお前は俺に一度でも勝負に勝った事はあるのか? 一度でも魔王幹部をお前ひとりで倒した事はあるのか? お前が――一度でも戦果を挙げた事があるってのか!?」

 

 胸中に溜まるドロドロした感情、不満を、怒りを、嘆きを、救いを、


「待って、匠!」


「お前は一度も……無いだろーがッ!!」


 イザベラの言葉を遮り、力ずくでバサリと刃を振り下ろす。


「……」


「お前も結局俺と同じく、いや俺よりも無能だ。お前なんて所詮は女でしか無いんだ、こき使われ捨てられて朽ちていく、そういう運命でしか無いんだよ! お前は無力でお前は無価値で、お前は、お前は……」


「あなたが、エレナを殺した……その運命を選択したのはお前自身だ。お前が私の忠告も無視して、自らの力を過信してロクに作戦さえ立てず、仲間の気持ちや感情すら汲み取る事もせずに、結局敗北すれば他人のせいにして――全てはお前が招いた事なんだよ!! その罪を、責任を他人に押し付けてんじゃねーよ!!」


 匠が食って掛かるようにイザベラもまた、匠と同じく距離を詰めて刃を向ける。

 イザベラは自身の人差し指で匠の胸元を押し付けると、


「もう我慢の限界……この自己中心の塊がッ! 匠は自分の事しか考えられないのか? お前はその程度の人間だったのか? いや、エレナが想像していた人間は――神崎匠は、断じて今のお前ではない!」


 キッパリと、そして匠の目を見て真剣に匠の弱さをバッサリ切る。

 なぜイザベラはこんなにも強いのだろうか、何故こんなにもエレナの死を軽く受け止められるのだろうか、当の匠にはイザベラの強さが分からなかった。


「誰も俺の気持ちなんて理解さえしない、しようともしない。俺は死にたいんだよ、こんな世界なんて……エレナが存在しない世界なんて俺には無意味でしか無いんだ、俺と同じ境遇のお前は分かってくれると、イザベラだけは理解してくれると俺は信じてたんだ……! それなのにお前は……人間の弱さを認めようともしないで、神崎匠という人間を死なせてくれない……お前はなんでそこまで俺に、拘るんだよ」


「現実逃避するな、自分を下げて助けを請うな、悲劇の主人公ぶるな、神崎匠!」


「答えになって、ねーんだよ……答えにッ!」


 匠が求める回答は何一つ無かった。

 仲間を失い、大切な人を失い、それら全ての死を目にしても「恐怖」に勝る事ができず夢物語が現実に切り替わり自身の無力さを痛いほど実感し、全てを失った匠にとって同じ境遇に置かれるイザベラの態度は不愉快で――甘えさせてくれると、非難してくれると、


「……匠。レナがどうして貴方を生かしたか、分かりますか?」


 そう思っていたのに、現実は主人公もどきの匠を死をもって償う事さえしようとしない。


「うるさい……お前はまたそうやって、俺を……苦しませるんだ!! 不満があるんだろ? だったら言えよ!! イザベラの前に立つのは仲間と親友――世界を殺した犯罪者だぞ!?」


 全てが中途半端な心の霧を取り払い断罪し、自身の居場所を決定して欲しかった。その方が楽だとさえ思う。

 荒げた呼吸を整える匠へ憎悪の瞳を向けるイザベラは『何も分かっていない』『あなたには失望した』と言い放つとそれを皮切りに、

 

「匠が、お前がエレナを……レナを殺したんだ! 死ねよ、償えよ、お前が私より強いってんならレナを蘇らせてよ……今すぐに!! あなたが生きていたからレナが死んだ、お前が全ての元凶だ」


 己の罪を一生涯忘れぬよう胸へ刻み込むように、


「なぜ彼女は死なないといけないんだ? 何故お前が生きている? だって可笑しいだろう。彼女は正しい行いをしていたのに目の前は『人間の屑』が当然の如く生を貪り、被害者面するんだもんな――嗤えてくるよ、流石にね……創造主さまぁ~」


 容赦なく匠の存在と価値をイザベラは踏みにじり、殺す。


「死ぬ勇気も傷付く勇気もない癖に、理想を追い求めることはいっちょ前で、お前はあの世界で何ができた? なに一つ成せず、お前を愛した女さえ守れなかっただろうが! それが現実なんだよ、現界なんだよ、お前のッ!!」


「……」


 あくまで匠を精神的に殺すイザベラは匠の胸を人差し指で、あるいは拳で、大罪を刻み込む。

 全てが正論だった、正論過ぎて言葉一つ一つが鋭利な刃物となり匠の精神を何度も幾度も切り裂く中、確かな敗北感と消失感がそこにはあった。

 だからこそ――


「だからこそ自分が生かされた意味を、彼女の願いを考えろ……この――バカが!」


 ――匠は現実に打ちひしがれた敗者のままその場で膝から崩れ落ちるしかない。


 そもそも物事一つにしたって彼女と匠の捉え方には大きな溝が、相違が見られる。

 彼女のように貧民街で育ったわけでも、今日を生きるのに必死な環境で近くを歩くだけで屍が転がり鮮血が流れる地獄を経験さえしてこなかった。故に真逆の人生を進んできた匠は『人間の死』の乗り越え方も、自らの心を安定させる方法すらも分からずにいるのだ。


「お前は何故エレナの死に対して、涙を流さずにいられる?」


「その涙は、決意は、もうとっくに私は――済ませてある」


「随分な言い癖だな……まるで『エレナが死ぬことを最初から承知している』みたいじゃないか……」


「えぇ……」


「おい……それ、冗談だ――」


「――全て真実、です」


 言葉を遮り事実が上書きされた瞬間、匠の心と身体は燃え滾る激情へ呑み込まれた。




     ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦




「お前ッ――!!」


 眼の前が、心が、一瞬にして赤く染まる。

 思考など後回しに匠はイザベラを押し倒し、馬乗り状態でイザベラの首を絞め始めた。

 息を荒げて顔を歪ませ両手を必死に動かす、必死に、まるで水に溺れ本能が酸素を求めて陸へ上ろうと手を動かすのと同じく両手をイザベラへ伸ばしたまま――オマエヲ


 ――コロシテヤルと。


 両腕の肉が裂け肘と腕が物に当たって打撲しようとも、この手に掴んだ命の脈を手放す訳には、否決して手放してはいけない。この命に代えようとも目の前の犯罪者を許してなるものか。


「や……めて……」


「死ねよ、死ねってェェェェ!!」


 憎悪を抱いたまま衝動的に動く匠など当然のように聞く耳もたず。

 多少口が悪くても仲間だと、エレナがいない世界で唯一信頼した相手が、死を乗り越えたそんな彼女の強さに羨ましくも憧れて、それが現実では――


「た……くみッ……」


 ――エレナの死を予期していたのにも関わらずそれを許容して匠を騙して、それでもなお匠の隣へ居座り続けては偉そうに説教し、のうのうと生を消費している裏切者へ成り下がっているではないか。

 そんな不条理が、


「理不尽があっては、ダメだろ!?」


 肉が締まる音と直に伝わる首骨の堅い感触が匠を優越感に浸らせる。バタバタもがくイザベラの足を押さえつけ自分が特別なのだと、匠自身の手で相手の生死が決定づけられる今の状況が、すべて失った匠にとってこの光景こそ自身が求める愉悦だと理解した。


「フフッ……アハハハハ……俺は強い! お前よりも強い、強いんだ! 犯してやる、お前の心まで犯しに犯し尽くして――殺してやる!!」


「やめ……」


 匠の両手は馬乗りのまま首元を離れ、イザベラの胸部に触れようとして両手が停止。行いを咎めるその声音は籠りつつも匠の行為に、ハッキリと反論を示すモノで間違いない。

 反論する者は問答無用で粛清しなくては。ましてや匠よりも弱者に、今から全て奪われる人間に、裏切り続けていた犯罪者に、何故――


「黙れよ裏切り者! お前の全ては俺の物だ、非力なテメーは黙って俺に犯されていれば良いんだよッ」


 ――従わなければならないだろうか?


「助け……て、レナ……」


 月明かりが窓から差し込み、匠はやっと己が犯そうとした罪を理解する。

 

「俺は、何を……しようと……」


 ゲホゲホと呼気のみが反響して青白い輝きを放つ部屋はやけに神秘的で闇と光とが共存し、匠とイザベラもまた目の前の出来事に対する決断を迫られていた。

 己が過去に犯した罪、現在進行形で犯す罪、未来で犯す罪、それら全てに向き合うか否か。匠にとって今現在置かれている自分の状況や目の前で犯そうとした罪でさえ逃げたいと、楽になりたい感情でいっぱいだ。

 もう神崎匠という男は二度と消えない罪を、それすら償いたくないと思ってしまう。


「俺は、もう……」


 そんな自分を直視できなくて、無力で情けない自分に嫌気がさして、自己中心で他人に迷惑を掛ける自分に吐き気がして。

 

「中途半端って……言われていたようだけど、私も大概ね。だって――」

 

 頬へ伝う大粒の涙をイザベラは優しく右手で触れると、


「――神崎匠。あなた、こんなにも苦しくて哀しい涙を流してるもの」


 慈愛に満ちた表情で匠を包む。

 

「イザベラ……俺」


「私はエレナの理想と性格が大好きでした、彼女が実現しようとした誰も傷つかない世界も、敵すら殺さず自分より他人を優先してしまう憎めない性格も。だからこそ私は貴方の弱さが嫌いですし、貴方の全てが嫌いでした」


 エメラルドグリーンの輝きを閉じ、数秒経つとイザベラの双眸は再び輝く。その様は大きな覚悟を内包するような表情で、本音が吐き出される。


「出会った時からあなたが……神崎匠の全てが憎かった!! でも……レナの気持ちを理解すればするほど匠を憎めなくなって、辛そうな顔で現実に打ちひしがれる光景を見ると余計――あなたには生きてて欲しいって……思ってしまう」


 『生きて欲しい』と彼女はイザベラは確かにそう言った、幻聴じゃなく紛れもない事実として脳に刻まれる。

 どうしてそう思えたのか。匠という人間は最低で取るに足らないモノで、人間と世界を殺した犯罪者で、自らが背負う罪の苦しみさえ他人に共感してもらいたくて、甘えを求める生きた屍が匠の正体なのだ、


「私の親友と仲間、家族同然だった生まれた頃から一緒だったエレナを、世界を殺して私の人生を奪った怨讐が死ぬほど憎いのに、匠をどうしても殺せない……ねぇ、私はどうすれば良かったの?」


 それなのにイザベラという人間は、憎むべき相手だと知っていながら匠を殺そうともせず己の感情に向き合っている。


「……」


 声が出なかった、言葉に詰まり、時が止まったような感覚と喪失感が匠を襲う。

 心は今すぐその場から立ち去りたいと急かすが脚は重心が定まらずフラフラと、身体は鉛が血液に混ぜ込まれたように全身へ重くのしかかり匠の歩みを拒む。イザベラを手放しだらりとその場でへたり込む匠の瞳に生気は見えず、代わりに見えたモノは何処までも続く弱さだけ。


「俺に聞いてどうすんだ? この俺に……犯罪者に聞いてどうなるんだ!? お前は分かっているのに、分かってる癖に、まだ俺を求めて期待して。憎い相手を何故殺そうとしない? なぜだ、何故なんだ……」


「エレナが……レナがあなたに全てを託したから……あなたなら。いいえ、神崎匠じゃないと出来ない事があるから今この場に匠は居る――今からでも遅くない、立ち上がりさえすれば戻れる」


 世迷言だ、その判断は間違っている。

 人間を殺し仲間を殺しエレナを殺し、世界の終焉へ導いた犯罪者を、愚か者をまだ生かすつもりなのか。


「俺はもう戻れない、立ち直れない。戻れる道なんてありはしない、戻りたくもない……俺は、エレナを、世界を殺したんだ」


「どうして貴方がエレナに選ばれたのか分かる?」


「もう――やめてくれ。重いんだよ、辛いんだよ、死にたいんだよ。俺は生きる資格なんて無いんだ、俺はダメな人間で……」


 ……過去も未来も現在さえも。匠は己の弱さを誰かに認知されなければ、助けてもらわなければ、生きられない人間であり続ける。否、あり続けてしまうのだ。


「エレナを救ったのは神崎匠、あなただったから。あなたしかいないんだよ」


 今にも泣きだしそうな双眸を匠へ見せ、ゆっくりと救いの手を差し伸べるが、


「俺はもう、お前の知っている神崎匠じゃ……主人公じゃない。これ以上理想を押し付けるようなら、俺の前から……目の前から消えて、くれ」


 その手は目的地へ到達される前に拒絶される。


「私はレナと同じで、匠を信じて――」


「俺に固執するのもいい加減にしろよッ! 俺を立ち直らせたところでエレナは戻ってこない、今の現状も絶対に変わりやしない! 俺はお前が嫌いだ……もう顔も見たくない、何も見たくない、ひとりにしてくれ……お願いだから……」


「……今から私はエレナの死を知る女の元へ、倉庫へ向かいます。もしかすると今日でお別れになるかもしれません――ありがとう匠、私は貴方を、エレナを救えなかった。その罪を償いに行ってきますので」


 匠をその場で抱きしめ微笑むイザベラ。顔全体に伝う体温が、耳元へ滴り落ちる涙が、彼女の熱い情動を示していた。

 きっとイザベラ自身、エレナを救えなかった後悔と衝動的に匠を傷つけた罪を認めているが為、戻れない事を予感していたのだろう。

 それに比べ匠は――


 ――未だに自らの選択と行動が自ら過ちだと認めたくない節があった。


 時計の秒針が音を立て時を刻むが如く、人肌の温もりもまた、いつかは何処かへ行ってしまう。その理は匠においても例外ではない。


「楓様には、短い間でしたがお世話になりました。と、伝えておいてください……レナを貴方が本当に愛するのならこの世界でやるべき事は、もう決まっている筈です」


 するりと立ち上がり匠へ向かい深々と礼を重ねた後、出口へ向かう足音は重苦しげで寂しく孤独で。イザベラは静かにゆっくりドアノブを引いた、匠へ遺言を残して最後の責務を果たすべく女の元へ。

 月明かりがそう解釈をさせるのか、はたまた真実なのか、どちらにせよ仕草一つ一つでさえ嘆きと哀しみが混じった地獄を彼女が歩むのは理解できた。

 だが匠は顔を合わせようと引き止めようともしない、いや引き止める必要性すら感じないのだ、


 息遣いも、懐かしい小さな背中も、暖かい空気も、その何もかも――


「……これが俺自身が見たかった光景なのか……?」


 ――消し去り、初めて匠は自身の選択と孤独を疑問視した。



 

       ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦


 


「孤独って案外、寂しくないもんだな」


 月明かり以外部屋を照らすモノは無く孤独を味わい続ける匠を止める者など一人としていない。孤独を堪能する分にはこの部屋が最適だ、しかしソレは同時に自己否定と虚しさ、激しい自己矛盾へ繋がる事を意味する。


 ……自分の人生って何だったのだろうか。


 曲げようもない過去の選択に対し、匠はその場で嗤いながら目を閉じ視覚をシャットアウト。

 脳への情報量を最小限に労力は全て思考へ裂く、他の刺激など不要だ。ただ匠という人間の価値とその後の人生が、五感など必要ないと判断しただけの事。


 ……楽をして、苦労を他人に押し付けて、ひとつも努力を積まなかった。


 現実でも異世界でも自分自身の才能に甘え、溺れ、自らの能力を過大評価し続けて努力を怠った結果、行いに相当する結果が――現実になって現れ、


 ……その事実を受け入れようともせず他人のせいにしては、結局は逃げて。


「全てが……遅かった、失ってから初めて気づいて、今更リセットできるモノでも無くて……!」


「俺は……おれは……! 自分が創った世界を、大切な仲間を、そしてエレナを……見殺しにッ!」


 涙が溜まった瞳を力なく開けると、


「したんだ……」


 自らの無力さを噛み締めるように、拳を己の膝へ落とした。


 足元を照らす月明りは匠が闇へ逃げ込む行為を、自殺という選択を、断罪するには事足りた。まるで自然さえ匠の敵であるかのようで――


 今まで日陰を歩んできた者が、突然その日を境に、陽を浴びて来た者達と強制的に暮らし始めてきたみたいな、息暮らしさ。


 ――悪意を感じない善意ほど、人を苦しめるモノは他にない。


 今の匠にとって輝きこそ最大の幸福であり最大の害と言えよう。


「醜い俺を平然と、照らすんじゃ――ねぇ」


 カーテンを引こうと立ち上がる匠の膝をテーブルの脚が邪魔した。

 「イテッ」と小声ながら、静けさ極まる空間へ向かい意思表示。独り言となり果てた悪態をテーブルへ付こうと振り向く。

 と、細長い何かがテーブルの中央を滑ったのを匠は見逃さない。


「なんだ?」


 闇夜にぼやけているせいかソレの全容は見えないが、右手から伝わる感触はザラザラと、包装されているようだが厚みはあまりない。イザベラ疑うようで悪いが、もしかすると匠が手に持つソレは危険物、幻覚作用を引き起こす薬物か肌に触れるだけで相手を死に至らしめる毒物の類。だとするなら今の匠は極めて危険なシーンに出くわしているのではなかろうか、出来れば即死を希望したいものだ。


 だが、阿呆な考えもすぐさま消え去る事となる。

 淡い月光を反射する窓へ右手に持つ対象物を恐る恐るかざすと、


「手紙……だよな?」


 両手に収まるくらいの細長い便箋が匠の視界を埋めた。丁寧かつ真っ直ぐな字で差出人の名が左上に書かれている為、中身は手紙で間違いないだろう。

 科学技術が発展したこの世界で、今時やり取りが手紙というのはだいぶレトロな趣味をお持ちと見える。他人とのコミュニケーションツールは老若男女問わずほぼ「デジタル化」が実現し、手紙は基本的に機械音痴かレトロ好きが趣味でよく使う代物だが、交友関係や親族にこういった趣味を持つ人間は存在しないし、匠自身レトロな趣味を持った事も手紙すら手に取るのが初めてだというのに――


「アイツだ……レナだ」


 ――差出人がエレナだと直ぐに分かってしまう。


 未開封の便箋を無我夢中で裂き中身を露に。夜闇に投じていた目線を握りしめる活字に向け、驚きと喜びがひしめき合う心も同様に手紙へ関心が寄せられる。

 一体この手紙にどのような内容が書かれ、エレナが手紙を書いた目的は何なのか、そして誰宛に書かれた手紙なのか、その疑問が頭を過る。


「なんで、手紙が楓の部屋にある……?」


 エレナが匠へ手紙を書いた事実を、今頃知ったとなれば己が持ち出した可能性は極めて低く、匠にバレぬよう運ぶのであれば荷物に紛れさせる等やり方は沢山ある。だが異世界における大規模な戦争の直前は、いつも荷物のチェックや荷物整理が習慣化していた。だからこそ匠は、クールダウンする思考でその疑問へ辿り着く。


「そもそも……誰宛の手紙なんだ……これ」


 手紙の冒頭、書き出しの部分にソレはあった「親愛なる神崎匠へ」と。




     ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦



 

 手紙を読む間はエレナとの様々な想い出が溢れ、まるで彼女が傍で話し掛けているような感覚、そして何より――


「俺は……なんで今まで自分の事しか考えていなかったんだ」


 ――後悔の念と己の小ささ、エレナが匠やイザベラへ注ぐ愛情が垣間見えた瞬間でもあった。


「エレナ……俺、おれは……ッ!」


 ただの文字なのに、自分が諦めた世界なのに、それでもエレナという人間は手紙の中でさえ匠を愛し必死に生きようとしていた。

 たとえ自分が死ぬ事になろうが構わず信念を貫くその姿勢を神崎匠は、


「俺は何も知らなかったんだ、アイツが死んだのは全て俺を庇う為に……」


 一つも、否一ミリも理解していなかった。


 己のバカさ加減に手は震え、エレナの優しさで視界はぼやけ、読む行為でさえ感極まってロクに進まない。

 エレナはあの時、自分が死ぬ際――


「あの無口な大鎌男とエレナが死ぬ代わりに匠の命を保証する契約を事前に交わしていた……」


 ――自分の命すら天秤にかけて匠を守っていた。


(契約後、エレナが死ぬまで匠に口外してはならないと制約を設けていた為、匠には言えなかった。匠が何処から来たのか、正体も分かっていました。ごめんなさい……)


 ふざけるな、誰が彼女の謝罪を望んでいるのか。

 

(匠は自分を責めないで)


 有り得ない、全てを死なせて自分自身を殺したも同然の犯罪者匠に対し、なぜ彼女はリスタートという慈悲を与えるのか。


(この手紙を隠し持っていたイザベラも怒らないであげて)


 考えられない、自分の死後でさえ、死が近づく境遇の中でも人の為にここまで尽くせるのか。


「エレナ……俺は、どうすれば……良いんだよ」


 エレナの心情が分からない、だからこそ匠自身の大きすぎる罪滅ぼしに現実が重なる。イザベラや匠にとってエレナの存在がどれほど心の支えになっていたか――


「もうどこにも彼女は」


 ――エレナはいない。


『レナを貴方が本当に愛するのならこの世界でやるべき事はもう決まっている』ふと、イザベラの言葉が思い返される。この世界の現状とエレナを深く知り愛する者として、己の罪に向き合う時、


「俺を信じているか……こんな俺でも、無能でクズで最低でエレナを殺した俺でも……」


 神崎匠という男が『エレナの意思を受け継ぐ』と、罪を償うと今も信じて待っているのだ。


「ごめん、ごめんエレナ、みんな、本当にッ……ごめん……なさいッ」


 その場で膝から崩れ落ち、両手で手紙を強く抱きしめ懐へ。

 匠は初めて心から謝罪し泣いた、絶叫し声が擦り切れるまで激しく。エレナの暖かい愛情に触れ己の愚かさに嫌気が差し、様々な後悔と幸福な思い出が走馬灯の如く鮮やかに脳内へ広がる。

 本当は死んで現実から逃げたかった、しかしそれは死んでいった仲間や匠を信じたエレナの贖罪に決してなり得はしないと、現実で生きるイザベラや楓の気持ちを汲まない自己中心的な判断だと。


「俺は主人公になる事を……諦める」


 ソレが今できる最大限の贖罪で、これから歩む匠の全てを決定づける覚悟でもある。過去を否定し、


「俺、何やってんだろう……こんな事、エレナを愛しているんだから簡単な話だろ……」


 己の全てを否定して、一から創り上げる。例え自身が死ぬ事になろうとも。


「イザベラ――お前はエレナの死後も彼女を守り続けてたんだな……」


 彼女の死を事前に知ったイザベラは匠という悪からエレナを守るべく、あれ程強い口調で匠を責め立てヘイトを自分へ向けていたのだ。故にエレナの死を認知しておきながら止められなかった彼女が一番苦しくて辛いはずで――異世界に居た際、匠を批判した理由も彼女の死を回避する為だろう。

 しかし最後にはその死を受け入れ、家族同然のエレナを殺した匠でさえも許してしまった。


「俺は……エレナのような『誰かの味方』になるよ……」


 今まで多くの人間に支えられた分、今度は自分自身が『エレナ』になろうと決めた。その矛盾こそが匠最大の罪滅ぼしで、エレナの願いでもある。


 失ったモノは数えきれない、悲しみに暮れ泣いた日も、誰かを妬み恨んで傷付けた日も数えきれない――


「でも、だとしても……」


 ――借り物の正義を振りかざす事になろうとも、誰も殺さないエレナの信念を彼女に代わって貫こうと固く決意した。





「ベラ……必ず助けるから」



 

 ふと、名も無き誰かがこの物語にあらすじを付けた。

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