受け継がれる意思
鉄で造られた厳重な扉を開くと、砂塵混じりの乾いた風が吹く薄暗い倉庫が姿を見せた。
右側の月明かりは眼の前の緊張を照らし、幻想的な雰囲気すら醸し出している。
月光に反射し足下のアスファルトに映る影はふたつ。だが声も音すら一斉無く、その空気は異様に重たいもので、匠にとって嫌な想像を掻き立てるには容易い様相を呈していた。
「イザベラ……居るか?」
「彼女なら、ココね」
と想定した最悪が、望まぬ返答が正面から聞こえた。
緊張が全身の血の気を引き、心拍数は早く、首元から噴き出る汗はやけに冷たいモノで。
「匠……! なんでココへ来たの!?」
「イザベ……ッ!」
生死を左右する瞬間は声音だけでなく時間さえ止めてしまう。闇夜からゆっくり突き付けられる現実、月明りに照らされた己の現状、
「オマエ、変なこと言ったら、コイツ、コロス、ネ」
発言権すら彼女――イザベラの命を揺らがせる要因となり得る。
カタコト女に首元へナイフを突きつけられるイザベラ、それを正面で凝視する匠との距離は約六メートルといったところだ。
この廃倉庫は元々海外へ送る商品を一時的に保管しておく休憩場所で、そのせいか左右はコンテナらしき立方体が散乱するのが見える。この世界の現状が明確でない為、相手がどんな手札を持つのか不明だ、
「オマエと話がしたい。どうすれば彼女を解放してもらえるのかを……」
故に交渉しつつ相手の手の内を暴こう努めた方が今は最善と言えよう。
……それにエレナの理想を受け継ぐのであれば、なるべく相手が傷付かない方法で平和的な解決を目指したい。そうしなければ、エレナに顔向けできない。
「ソレは興味深いネ」
胸元のリボンと短めのスカートが彼女の言葉で揺れ動く。身長と服装を見た限り、学生だと容易に想像はできるもののコスプレの可能性も十分あり得る。その為あくまでコレは予想の範疇に留まる。どちらにせよ素性が知れぬうちは学生など関係ないが。
「どうだ、乗るか?」
「ワカッタネ、ソレはオマエ『神崎匠』自身がワタシの元へ来るのが条件ネ」
「交換条件って訳か……?」
「ソウダヨ。ソレにオマエは殺さずに連れてくネ」
「ど、何処へ……だ?」
いったい彼女の目的は、そのバックに存在するモノは何なのだろう。彼女の発言は何処か含みすら感じられる。先ずは彼女の背後に潜める組織、匠にはソレを暴かなければならない理由がある。
「ソレは着いてからのお楽しみネ」
「何が目的だ……無力な俺を捕らえたところで、お前らに得など無いだろ?」
「ハハッ……本当に何も分かってないネ。この期に及んでもオマエが姿を現した時点で、この物語が序盤の時点で、コチラの勝利ネ」
口角を上げて女は不気味に嗤う。
何がそんなに面白いのか、何をそんなに怒っているのか、残念ながら匠には理解できないものの彼女の瞳だけは世界の理、真実を見据えているような気がしてならない。
「な、なにがそんな可笑しい……」
重たい唇を開き喉を鳴らし、汗にまみれた拳を強く握って喝を入れる。匠には分かる、次に彼女が発する言葉は覚悟を持たない者を殺すと、匠を殺すためにあるのだと。
「だって……あなた、自分の立場も分からず弱いくせに、のこのこと顔を出しているもの。これじゃ『私は犯罪者です、殺してください』と言っているようなモノだもの」
「俺は、ただ……」
「シヌノハ、ヤメタネ?」
『死ぬのは止めた?』と、問われれば半分は正しく半分不正解といったところだ。その辺はまだ匠の中で整理しきれていない部分で――
「ただ、ココへ立つべきだった彼女の代わりに居るだけ。それだけなんだよ……」
――匠という人間がエレナの代わりになるとは到底思えないし、イザベラから批判を受ける可能性はどうあがいても無視できるモノじゃない。
しかし、今や匠は世界を壊した犯罪者。
償うべきものが大きすぎたとしても全生涯を通じて償わなければならない、そう自分自身腹を括りココへ立っている。
生半可な気持ちでこの道を歩めば、それこそエレナに対して、死んだ仲間に対して失礼だ。
「彼女……ソレは――リブート王国次期女王、エレナ・アイ・リブートの事か?」
「幻覚だと決めつけたいところだが、あんたも知ってんだな……彼女を」
「あぁ知っているさ、君が異世界でどう過ごし行動して、どう心が揺れ動いたのか。その全てを……ずっと私達は見ていた」
「……」
「身構えなくて大丈夫ネ、ただ――世界の役に立ってもらう為、キミには協力してもらうだけネ……」
背筋が凍る、ただの発汗が冷や汗に変わる。その小さな異変でさえ、今はただあの女の前で全て見透かされているような感覚に囚われてしまう。『ずっと見ていた』その発言が真実味を帯びてきた今だからこそ彼女の発言が脅しだと、冗談の類だと、一斉思えなくなっていys。
相手の手札がどうであろうと、匠にとってこの世界の現状と置かれた立場を聞き出さなければ話にならない。
この世界の為自らを犠牲にするのなら尚更情報が必要だ。
「待て。その前に、今の俺の立ち位置が分からないんだ、教えてくれ……一体この世界で何が起ころうとしてるんだ?」
「オマエには関係ナイネ――イイタカッタけど、トクベツ教えてあげるネ。第三次世界大戦が始まったネ……」
「嘘……だろ……アレは百年以上も前に終わった出来事だろ? そんな、あり得ない」
こくりと残酷な真実が彼女の頷きにより匠へ告げられる。
第二次世界大戦が起こったのは百年以上も前の出来事、その当時日本を含め猛威を振るった国々は消滅、あるいは植民地化され、その後世界は平和へ向け共に手を取り合っていた筈だ、それなのに――また人類は悲惨なる歴史を繰り返そうと言うのか。
何故なのか、その疑問は晴れないまま匠はただ自らの無力さに拳を固くするしかない。
だが、絶望と同時に歯軋りを繰り返すイザベラの牙は女へ向け、匠を関わらせないよう女の手の中でもがく。
「だ、ダメ匠! コイツに耳を貸しては!」
希望が、
「彼女は、林杏は貴方を騙そうとしているの!」
優しさが、
「日本も……参戦しているのか?」
「手を取っては、こちらへ来ては、戻れなくなってしまう!!」
正義が、
「だから、私なんてさっさと置いて、ココから逃げて!」
「挨拶がまだでしたね、ワタシは……蝶林杏、中国勢力代表として貴方を奪いに来た――あなたと同じ『犯罪者』です。よろしく……」
彼女の言動が匠の心を正気に、前進する勇気を与えてくれた。
「ふざけるな! お前一人救えず、どうやって世界を救えるんだッ!? 俺はもう、眼の前の事から、真実から逃げたくないんだよ……イザベラ」
「た……くみ……」
「天国でアイツも見守ってる訳だし、少しは罪滅ぼしをさせてはもらえないか?」
そう微笑みかけ匠は右手をイザベラへ伸ばす。もちろん得体も知れない相手との対立は表しきれない恐怖や不安を煽ってくる。
しかし、自身の気持ちを否定しイザベラの意見すら拒否する事になろうと、一度は『エレナの代わりにこの世界へ立つ』と決めた以上、己の信念を貫かなければならない。それが罪を償う事なのだろう。
「でも……わたし」
「大丈夫だよ。俺は一人じゃないから、ベラ安心して……」
涙ぐむ少女へ匠は微笑みかけ応えた、心配するなと。
イザベラから見ると匠はどう映るか、匠の愚行を観察し続けた林杏はその覚悟をどう捉えるか、そして彼女は――
「結局ドッチネ……罪キエナイ、ソレ、ミトメテモ苦しむだけネ。でもワタシのトコロ、世界救えるネ」
「俺はお前のイザベラを巻き込むようなやり方には賛同できない。だから、あんたとは協力しない」
――私はどんな形であれ貴方を救ってみせるから、ずっと匠くんの傍で見守っているから。
「ベラ……」
「嗚呼……彼女ネ……想い人の前で平然と偽善を振るうエレナを選んだと。死ぬほど反吐が出る」
まるで獲物を目にした獣の如く、林杏は艶っぽくも舌舐めずりを静寂纏う空間へ響かせ、一歩を踏み込む。
より高圧的に、恐怖心を植え付けるように、匠の前へ重心を置く。
絶対的な力を保有する怪物が襲い掛かってくる、戦車が真っ直ぐこちらへ照準を定めて進む圧倒的なまでの不平等、支配力。
不思議と奥底へ忍ばせている林杏の力と実力が分かってしまう。
予想や憶測といったレベルでは無く本能的に感じてしまうもので――林杏の支配力と同じく内側から漏れ出た血にまみれた熱エネルギーは、まるで核融合と同等の重みと輝きを帯びた地雷そのもの。
……一度起爆すれば俺のみならず、日本列島全体が簡単に沈むぞ。
故に匠の足りない頭でも理解に及ぶ、決して刺激してはならない代物だと――
「私が外壁を壊し、貴方が内装を壊す。良い組み合わせだと思わない? 『拒絶王』様ァ~」
「……」
「匠様とエレナ様に対しての侮辱、聞き捨てなりません! 今すぐ取り消しなさい!」
――分かっていながら。林杏の実力をいち早く見抜いた彼女が、匠より力が劣る身でありながら己が守るべき対象と定めたイザベラが。今、恐怖に臆せず信念を貫き通している。
「オマエ、死にたいネ?」
林杏の一言で緊張が心臓を握り潰す感覚と共に矛先がイザベラへ交代したのは明確だ、エレナが死んだようにまた匠の前で大惨事が起こり始めようとしている。
震えが止まないどころか余計に悪化する両手、脚はすくみ意識しない内に後退する始末。それでも、だとしても匠の信念は――心はまだ死んでいない。
……例えここで死ぬ事になろうとも俺はエレナの代わりイザベラを守りきると、誰かの正義になろうと決めたはず。イザベラを死なせはしない!
覚悟を改め意識を現実へ引き戻すと状況は一変。
既に目線のみならず身体まで右隣のイザベラへ一歩踏み込む林杏と、対して睨みを利かせ強気に出るのは白と黒のメイド服を身に纏うイザベラだ。
「無知な貴女へ特別に教えてあげる……生意気なガキってのは、強い奴に踏みにじられ餌にされやすいのよ? だから、口の利き方には気を付けないと……ね?」
「ご忠告感謝します。ですが、この言葉そっくりそのままお返し致します『貴女こそ口の利き方がなっていませんが、それは貴女の祖国が下品だからでしょうか?」
スカートの両端を手でつまみイザベラは礼をする。身体は最大限の敬意を払いつつ言葉は皮肉をこれでもかと利かせたモノで、
「あらあら、これはこれは……黙れよメスガキ、苦しみながら死にてぇーのか?」
眼の前の不快を粛清しようと林杏の一歩は力強く、高圧的な態度で展開される。
「ふふっ、怒りで我を忘れるとは……躾がなっていませんこと……」
「我々の国家は何が何でも一番だ、思想・領土・技術、あらゆる分野で我々の国家を凌ぐ国は他にない。否、二度と現れないし出現してはならぬのだ。我々中国こそが世界の中心なのだ……分かったか?」
憤怒を剝き出しのままエメラルドグリーンの双眸を凝視すると、そのままイザベラの上顎を右手で雑に持ち上げた。
漏らすことなく対象者へ注がれる敵意は眼圧だけで人ひとり殺せそうな勢いを見せ、いつ均衡が破れても可笑しくない状況と呼べよう。
……本来の目的はイザベラの救出だが、今は林杏のヘイト先を俺の方へ向ける事を最優先にしなければ、いずれイザベラは死ぬ事になる。
林杏との対話を今一度整理し、匠は脳内で巡る考えを高速でまとめ始めた。
匠の最終的な目的はイザベラの救出、それに加え出来れば相手側の情報収集と匠がいない「空白の一か月間」に起きた世界の変化を知る必要があるものの、リスクは高いのでこれ以上の深入れは厳禁と見て取れる。
一方の林杏――中国勢力側は理由は定かではないが、匠を欲している事は会話で既に理解できた。
となれば、イザベラに対し怒り心頭の林杏からイザベラを救出する為に必要な条件は、
「イザベラに手を出すな! お前に従う、俺を好きにしていいから彼女を許し、解放してくれ……お願いだ……お願い、します」
匠自ら犠牲になるしか方法はない。
深々と林杏へと頭を下げ、匠はイザベラを守ろうと努めた。イザベラを守る為なら、命を生かす為ならば、己の恥など飾りでしかない。
いや、そもそも匠という存在自体生かされているのが不思議でならない、それ程まで匠の罪は重く苦しいもので。罪の楔が心に絡まり決して離そうとしない『忘れるな』と、訴えている。
だからこそ匠自身我慢できなかったのだろう――
「匠、やめて……これは私が解決すべき問題だから! レナを見殺しにした私の……」
「エレナとか言う女の思想何ぞ、ゴミに等しい。我々の思想こそ、平等こそが、最大の幸福であり絶対的だ。あの女こそ人間の害悪であり人類の汚物、見せしめとして殺されたのだけは特別に褒めてやろう、こうして手に入れるべきモノは確保した。それに……今は亡き恋人の思想すら受け継ぐとは……気色が悪い」
「俺への侮辱は好きなだけして構わない。だがな林杏、エレナを馬鹿にするのだけはどうにも許せない、許せるものじゃない。エレナに……謝罪しろ……ッ!」
――彼女が、エレナが死んでもなお侮辱され批判される事に。
「お前がそれを言うか? お前が、罪人が、咎人である貴様が、ご都合主義にも程があるだろ。貴様は所詮、人間の真似をする猿でしかない。罪人はいくら善行を人一倍行おうとも元は罪人よ、貴様のせいであの女が死んだのだ、貴様にあの女の批判を制限する権利など一ミリも無いわ!」
「……」
……そうだ、自分にはその権利や彼女の名を口にする権利すら無いのだ。
自身の影法師を見下ろすように匠は顔を目の前の林杏から落とす。とても女の言葉を否定できる状況に無かったからだ。
女の言い分は身に染みて心の底から納得するモノで、且つ当然とも言うべき主張だった。匠自身もこれから行うとする偽善と今までの所業を許そうと思わないし、偽善者として生きていく度「神崎匠」という人間を責め続けるのだろう。
匠が傷付き嫌われ、いつかは孤独になって人々の記憶から消える事になろうとも、そんな未来が待ち構えようと前に進むしかない。
「あぁ俺は所詮罪人だ、彼女が死ぬのを見ていた傍観者だ。だからこそ、もう二度とエレナが侮辱される様を『黙って見過ごす』なんて事、できないんだよ……」
「あの女の思想などたかが知れているというのに。よくも、いや考え方が『低次元的』だと表せば、バカなお前にも伝わるだろ?」
「うるさい。エレナはな、お前とは……人間を脅す道具としか考えてないお前とは……次元が、次元が違うんだよッ!!」
「では貴様に問おう。無力なオマエがどうやって私を殺す事なく、囚われたままのイザベラを救えるのだ? 到底無理な――」
「俺の命を掛ければ済む話だ……」
「貴様……正気か?」
不敵な笑みを浮かべ第一歩を踏み込む匠に対し、顔をしかめつつ伸ばしきった右腕を胸元辺りで止めた見せた林杏の態度は、油断とかけ離れたモノであり同時に不安を煽るような様相を呈していた。
彼女が口元を歪ませたのは匠の選択に対してか、将又戦闘前だからか、どちらにせよ彼女の背後から感じる只ならぬ気配からは血の匂いも混じっている。
ここまで大口を叩いたのだ圧倒されたままではこれこそ本末転倒、勝機を逃しかねない。
だが一方で作戦という作戦は特に無く、いやこの世界が今どのような状況にあるのかさえ実のところ理解していないのだが。やるべき事は既に道が示され、その手段も運用法さえ身体に刻み込まれて――本能レベルで理解できるのが不思議でならない。
「あぁ、至って正気だとも……」
口を開け大きく深呼吸し酸素を身体中に巡らせる。
前提条件として林杏を殺すのは無しだ。殺せば以前の匠に逆戻りしエレナの意思に反する事にも繋がる。考慮したうえでイザベラに傷一つ付けず林杏の手から逃す手段。
それが可能で、尚且つ匠の固有能力を介さずこの世に顕現可能な武器――
……もう、とっくに用意されてたじゃないか。ありがとうエレナ、俺はキミに助けられてばっかりだよ。
同時に深く理解した、彼女がどれだけ匠を気遣いどれだけ愛していたのかを。
「じゃないと、クラウ・ソラスを俺になんて寄こさないよな……」
「貴様、矛盾しているぞ? それを重々承知のうえで私に挑むつもりか?」
「やめ……」
散々エレナの信念を、彼女の象徴であった武器を譲渡されても尚バカにし、挙句の果てには一度否定した武器を手に取る腐れ具合――虫が良いにも程がある。
匠が他の第三者の目線で己と対峙しても同じことを言うに違いない。
だが、
「分かっている。でもな、もう引けないんだよ」
だとしても、いくら否定されようと匠は誓ったのだ彼女の意思を継ぐと。
「だからこそ、今度こそ俺は選択を間違えないッ! 次元再現開始――」
より高い次元を匠の中で構築しクラウ・ソラスを再現して保つ、で無ければアイツが保有する到達点――次元には追い付けない。
その為に匠は死を繰り返さなけばならない。いや数万回以上繰り返される死の痛みをたった数秒の間、体験せねば林杏を圧倒する力は、扉は匠を迎え入れないだろう。理由は自身でも理解できないものの、匠に力を与えた者が扉を定めたのは事実。
一歩前進する右足は力強く、両眼を見開き歯を食いしばる姿はさながら限界へ挑む果敢なる騎士。
「がッ、アァァァァ!! 物理法則、概念……付与……ッ!!」
瞬間、匠の全身が悲鳴を上げた。火で炙られる燃えるような痛みとガラスの破片を深く突き刺すようなジリジリした感覚が巡るなかで、しっかりとした痛覚は内側から響く。
次元再現、言わば別次元である3.5次元をこの世界へ呼び出し自らの身体へリンクさせるという事だ。本来なら3次元から0.1次元ずつ順を負うのだが、時間がないため過程を全て省略し一気に3.5へと次元を上げている。
だが、その行為をノーリスクで行える程この世界は上手いこと出来ていないのだ。
……痛いなんて生易しい。呼吸する事、生きること自体が、まるで拷問だと思わせような気絶しそうな深い痛み。
全身のありとあらゆる血管目掛けガラス製のナイフが突き刺される激痛に加え、意識がしっかりとしたなか内臓を雑巾のように、生きたまま身体をプレス機で圧縮され、全身の関節を外され骨を砕かれて。
「たくみ!」
「質量……速、度……重力……固……定完了」
「もうやめて、お願いだから……これじゃ、たくみが死んじゃう!!」
全てが赤かった。
どんなに前へ進もうと、後退し左右へ逃げようと、視界は一ミリも変わらない赤の景色に匠は一人囚われるだけ。
人影や声など聴こえない。それどころか自身の身体すら赤の景色にどんどん呑み込まれ、身に覚えのない言い掛かりや罵倒が至る所で吐き捨てられ、痛みは身体的なモノに留まらず精神まで及ぶ――まるで死ねない拷問を受けているようだった。
一体己は先程まで何をして何がしたくて、ここへ立つのか。それすらも赤黒く染まる視界のなかで徐々に忘れ、失い始めている。
渦を巻く青白い炎が匠の口内へ津波のように押し寄せ存在ごと掻き消そうと蹂躙し、プライドすら忘れうずくまり、外へ吐血する匠の背後へ死の弾丸は容赦なく撃ち込まれた。
「――っがぁぁぁぁぁぁ!!」
休むなと。お前に休憩する資格など、時間など無いと言われているようだった。
再び大地へ叩きつけられる衝撃、背骨を鈍器で殴られたような重さと肉を抉られ鉄の塊が食い込む感触は自らの許容範囲を優に超えている。無数の黒い手が赤の世界に倒れ伏した匠を引きずり込もうと手を伸ばす。
嘆きと絶叫が誰かの哀しみが脳内に響けばそのたび匠が殴られ、撃たれ、刺され、燃やされ、恨まれ殺される。生き地獄と化した世界、誰かの罪を匠だけが背負い続ける死ねない世界の中で、
……意思を継がなきゃならない、これは大切な事なんだ。でも誰の意思を? 俺は何を言っている? そもそも俺の名前は――
『匠くんは、何がしたいの?』
己の記憶が薄れゆく中で、あり得ない幻聴を聞いた。
赤黒い死の世界に純白の光が差し込むと、静けさを纏った正面の白鳥は透き通るような美声で光を失くした匠へ問いかける。
桜色の双眸は信じるように、そして口元は優しく微笑んでそうであって欲しいと願うように、正面のエレナは右手を差し伸べ匠の到達を待っている。自らを殺しその理想さえ否定した男に、だ。
「俺は……」
脚に腕に、そして全身に力が入る。何故戦うのか自分が何故ここへ立ったのか、一体どこへ至ろうとしているのか全て、思い出せた。辿り着いてはいけない結末、自らの死地を探し血にまみれた匠は彷徨い歩き、エレナの死をやっと認められた。
例えこれが最初で最後の戦闘になろうと後戻りはできない、なんせ引き返せた道は既に自らが閉ざしたのだから。
「エレナの遺志を……その理想を、俺が全て背負いたい!!」
瞬間、匠は走り出していた。
匠の血塗られた過去を肯定し、這い寄る無数の手を全身で拒絶し、ただひたすら純白のその先へ行きたい、彼女の手を取りたいだけ。
自分がどうなろうと、今見えるエレナが幻覚だとしても一向に構わない、否全てを壊した男が己の生死やエレナの真偽を判断する資格など持っていない。
せめて守りたかった温もりを、彼女の体温を、もう一度この手で――
「エレナぁぁぁぁ!!」
『ありがとう』
風が吹く、眼も開けられない程の強風が手を伸ばす匠を襲う。己に課された鎖が剥がれ落ちる感覚と人間の体温、懐かしい温もりが白の空間を満たしている。
音と景色を置き去りにする死の世界であっても桜色の双眸は変わらず綺麗で、サラサラと風になびいた紅髪は絹のように美しく輝き――
――エレナの笑顔は幼く、そして大人びて眩しかった。
白の空間はジリジリと音を立て青白い景色へ徐々に染まる。追い風が色を運ぶせいか、視界や匠自身、あろうことかエレナの存在さえ青白く透明になっていく。否これは以前の自分だ、何もかも巻き添えに犠牲にしてきた自分の人生そのもの。
過去の過ちを超えて行けと、今の匠なら超えられると、エレナはそう訴えている。
「お別れだ、少し長いと思うけど見守っててくれ……エレナ」
刹那、青白い逆風を熱風が彼方へ押し戻せば景色は赤く燃え滾り、匠は躊躇すること無く目の前に顕現した大岩、真上から突き刺さる血まみれの剣を右手で引き抜いた――
「3.5次元切除、固定、適応完了。 クラウ・ソラス顕現固定――起動」
時間が停止する、右手が熱を帯び赤く燃え上がる。
エレナの姿はもうそこには無く、前方にあるのは林杏に囚われたままのイザベラ、現実のみ。クラウ・ソラスの顕現固定化は手の堅い感触で成功したと捉えていいだろう、第一関門は無事成功した。だが、問題は第二関門『誰も傷付けずイザベラを救出』これが一番の難所と言わざるを得ない。
……脈拍心拍数共に良好、だが問題は3.5次元状態を何処まで維持できるか。
匠自身これが初の試みで、どこまで身体がその負荷に耐えられるのかすらも不明。故に決着は早急に求められる。
身体中の血管が引き締まり、脳内が活性化される。両手は震え、脚は重力が掛かるせいか動きはいつもより鈍い。
周辺情報と次元の流れをリンクされる。
人間一人を隠せる遮蔽物は見当たらず、林杏との距離も十メートルにして遮蔽物は一つもない。人間が決してたどり着けない音速の息を超えんとする匠としては、闘いやすいフィールドだがソレは林杏とて同じこと。
相手のクロン粒子の動き、速度と方向が断片的に掴めるため選択肢は自然と絞られる。
……正面でやり合えば確実に力でねじ伏せられ、相手がイザベラを盾にしている限りは広範囲の攻撃やイザベラを巻き込んだ強力な攻撃方法は採用することはできない。
勝利する可能性があるとすれば素早く林杏との距離を詰めつつ周囲の被害を最小限に抑えた単体攻撃――林杏の両手両足四か所を、一撃をもってして同時に奴の関節を外す。
……落ち着け匠。
右手に握られるクラウ・ソラスが発熱する、何も心配するなと。
……創造しろ、創り出せ、導き出せ、最適解を。
月明りは街灯のように明るく周囲を照らす、そのまま突き進めと。
「覚悟しろ――林杏」
「今更あの女の理想を受け継いでどうすると言うのだ? 所詮は空っぽな瓶に他人の所有物を入れた見栄えだけのモノに過ぎない。そんな貴様に一体何ができると言うんだ?」
「だとしても、俺はエレナの遺志を貫き通す――!!」
敗北するビジョンは目に見えていたし、過去の匠であれば確実に切り捨てていた選択。勝機が靄にかかる状態でも匠は進むと決めた、それがここまで導いてくれた彼女の恩を返し罪を償う事に繋がると確信しているからだ。
右膝を曲げアスファルトを踏み付けた前脚は重く、これ以上ない加速を予期する。心配など無用、このクラウ・ソラスはどんなに力を入れ速めても肉を切断できない制約を課され、未だに呪縛から解放されていないのだ。
全身を巡る巡るクロン粒子の流れを内から感じ、外部の風圧とクラウ・ソラスの熱量を肌でもろに受け前へ加速した。
だが林杏は匠の距離が三メートルになろうとその場を動かない――不自然なくらいに。
その刹那、横へ広げた右手に断裂するような痛みが走り、匠は歯を食いしばる。まるで匠からクラウ・ソラスが離れていくような、まさに拒絶反応と言わざるを得ないもので、
「――ッ!!」
その後を追う形で右腕、右手の全血管が内部からブツリと音を立て破裂した。
「まだだ……まだッ!」
振り下ろそうと掲げられた右手から力が抜け落ち、激痛から意識が飛びそうになる。弱々しく空を切ったクラウ・ソラスは炎を纏ったまま逆方向へ引っ張られるようにして、空中へ一時停止。
「貴様の負けだ、神崎匠」
距離にして一メートルを切っていた、音速を越えなければ勝機すら見いだせない勝負で――届かない、全く歯が立たなかった。
クロン粒子によって自身の次元が近いほど相手側の次元と共鳴しやすく、その際相手との距離、速度、効果範囲及び攻撃位置すら明確になるため能力の予想が容易だ。その為、より自身との実力差と危機察知能力が本来より強化される。
――だからこそ分かる。この勝負に俺は、負ける。
確実だ、次元が絡んだ勝敗で一ミリの修正さえ絶対にあり得ない。
否定したいのは山々だが『次元』自体人間が触れる事も、至る事さえクロン粒子無しで、否人類が3・0次元の思考を持つ時点でそれより上の次元を制御できるはずが無いのだ。
その途端、右腕が鈍器で殴られたように打たれ、大量の汗が全身を通い思わず顔をしかめる。
これは内出血におけるモノでなく神経の痛みだ。感電したような、神経を逆撫でるような痛みに加え、持続的に続く痙攣。
――動かせば確実に右腕の機能を失う。
これはただの傷ではない、3.5次元の負荷と限界が同時に重なり異世界において『制約』を破ったが故、エレナの前でこの右手で命を殺めたが故の断罪。
「自身の身体すら思うように動かせず、守りたいモノも満足に守れない……これの何処が正義だと?」
奴は嗤っていた、見る限り完全に油断していた。これが囮だと知らずに。
「目に見える結果だけが全てじゃない! 俺はな、自分を犠牲にしたとしても絶対にイザベラを取り戻すんだよ――お前の手からッ!」
右手が使い物にならなければ次は左手だ。
匠の狙いは林杏の首元。左手で奴の首元を気絶するまで締め付けイザベラを解放する。クロン粒子の流れが途切れ途切れだが一歩でも前へ出れば、円柱型の岩が下のコンクリートを破って匠の右腕を、イザベラへ手を出そうモノなら上から石の壁が降ってくる。
作戦を実行する際は匠の意図を相手へ悟らせぬよう身体はイザベラを、しかし心は林杏を。左手に全神経とクロン粒子の流れを集中させ、次元を空気と共に取り込む音速を超えた一撃。
「喰らえ……」
振りかざす死を許容した一撃と目の前でなびいたスカートは無慈悲に現実との差を如実に表す。
「単純すぎて、つまらない――」
停止した世界で匠は己の敗北を確信する、相手が一枚どころか一次元上だとしか言いようがなかった。全力に全力を乗せた音速を超える左手は確実に林杏の首元を触れていたはず。だが負けた、心のみならず身体まで完全に地へ叩き落とされた。
「あ――――――ぁ」
相手の首元に触れたはずの左手は冷たいアスファルトをなぞり、先程まで二本脚で立っていた四肢は支える能力を失い崩れ落ちて赤い命を流す。
死角で何が起こったのかどうして敗北したのか、理解が至るまでに数秒も掛からなかった。ごく単純な話だ、今の匠レベルでは到達できない地点に奴が居て、3・5次元の共鳴がほぼ無効化されあろうことか音速をも軽く凌駕する一撃を逆に喰らい、足がアキレス腱断裂を起こしたからだ。
「――――っがあぁぁぁぁ!!」
地上との接点が無くなり匠は叫びながらうつ伏せの状態で林杏を見上げる。両脚を貫通した突き棒の重さは既に無く、あるのは気絶する程の痛みと血溜まりだけ。
歩けない、内部の血管が少しずつ破壊され視界が赤く染まっていく。力が抜け意識が朦朧とし、
……俺はまだ、やらなければならないことがあるんだ、待ってくれ――エレナ。
次元やクラウ・ソラス、匠の存在を形作るモノ全てが逃げていく。
それが現実だ。いくら命の灯火を激しく滾らせ正しさを振りかざせと真実には勝てない、ゴールからあまりにも遠すぎる望まない完全な敗北。
「――勘違いしてもらっては困るぞ神崎匠。私はな、お前を守ろうとしているだけだ。こーゆー輩からなぁッ!!」
途端、力の矛先は匠から後方へと集約され約五メートルあろうとかという大岩が匠の耳元を掠めた。
嵐が通過したような風圧が過ぎ去るや否や砂塵に埋め尽くされた世界から、
「コイツは排除すべきだ、そこをどけ……中国」
煮えたぎった男の声と憎悪を乗せた刃が空中で火花を散らす。
だが、刃は匠に当たることなく林杏が放った大岩にぶつかり、押し負けアスファルトへ刺さった。
「いったい何のつもりだ、ロシア。我々の勢力とお前の勢力とは協力関係の筈だ、それに国連の方でも『殺さず手に入れろ』と取り決められているが……まさかそれを破るつもりか? だとすれば、それは我々中国勢力、いや全世界を敵に回すという事だぞ」
「中国は首を突っ込むな。コレは俺の問題であって、ロシアには関係のない事だ。それにな、コイツは危険すぎるんだよ……だから抹殺する、この世から亡き者にして……俺は復讐を遂げる」
「兄弟をやられた事がそんなに気に食わなかったか『フェド・ベルナー』。これは我々の獲物だ、勝手に横取りしてもらっては困る」
「林杏、貴様……持っているな……!」
「あぁ、持っているとも……むしろ今の貴様であれば、手を出さないとさえ思っていたが……どうも、私の読みは外れたらしいな」
「それを知っていて、コイツの行き着く結末を知っていても尚、貴様は神崎匠を庇うと言うのかッ!!」
「だからなんだ? 私には関係の無い話のようだが。ただ私は自国の為、中国が常に中心でありトップであり続ける手助けをしているだけ……正義など当の昔に捨てているわ」
「殺すッ!! 林杏、お前もろとも消し炭に……してやるッ!」
「掛かって来るがいいヒーロー、軽傷では済ませないッ」
凍り付いた空気と音を失った世界は一触即発。
まるで自分が炎の中に投げ込まれたまま出口すら無い部屋を彷徨い歩く感覚と大切な何かを失う息苦しさ――イザベラを巻き込み、また壊してしまう恐怖とが同時に押し寄せ、
「イザベラ……俺を置いて逃げ、ろ」
麻痺した脚を片手で支えつつ立ち上がりイザベラの肩を左手で押した。
「ダメ、ダメだよ。これじゃ私は約束を……レナを裏切ることになってしまう……」
「ごめん、時間ないみたい……」
何が起きているのか、どちらが優勢なのか、3.5次元を身体に内包した匠でさえ理解できないより高次元の戦闘が数メートル先では行われている。
歪んだ視界が捉える現実は、技と技がぶつかり合う事で生じる火花とけたたましい爆発音、砂埃を乗せ周囲を突き抜ける衝撃波は立つ事さえ許されない絶対的な領域を示していた。
……ヘイト先は変わったものの、イザベラが逃げる際に俺がお荷物なのに変化なし。それどころか、時間経てば経つほど容態は悪い方へどんどん傾く一方だ。
現に匠の右手は3.5次元を固定化した影響で腕の血管全てが内出血を起こし腕の感覚すら無い。当然だ、本来やるべきはずの過程を無視した結果が、今までのツケが一気に重なり匠の身体を徐々に犯しているのだから。
「今なら……イザベラ、お前一人なら逃げ切れる……時間は、俺が稼ぐ……」
地に落ちたクラウ・ソラスを左手で取り、その場で構えたまま匠はイザベラを見ることなく敵を見据える。
高速で繰り出された複数の岩石を残像は粉砕、一刀両断、叩き落とし時には形状すらも変化させ一方の人影に迫る。だが一方の人影も地形を味方につけ高速で、左右のみならず上下と重力の概念を無視し距離を一定に保ちつつ移動、年季の入ったアスファルトの床を粘土の如く器用に操っていた。
……全く目で追えない。これが高次元同士の戦いなのか。
見えるのは各々の残像と戦闘で生じる様々な結果のみ、問題なのは匠が3.5次元にも関わらずその『過程』が一斉映らないこと。普通、3.5次元に至れば己の意識や視覚等の感覚をある程度制御可能だ、しかし今行われている戦闘にソレが適応されることは無く、匠より次元が上だと言わざるを得ない。
全身の筋肉は引き締まり額に溜まった汗を変に意識しながらも、歪んだ視界は今後己の生命を死へ追いやる死神からイザベラを守るべく熱が宿る。
歪む視界は匠の視力に問題が生じた為でなく、高次元同士のぶつかり合いによってこの世界が歪曲しているからだ。
「ふざけないでよ。また私を置いて何処か……どこか遠くへ行っちゃうの?」
「……ぐッ……あああぁぁ……ちがっ」
肺に空気を取り込むたびその部分が痺れ、筋肉を動かせば動かすほど全身が絞られるような激痛が襲う。視界は端から徐々に赤黒い血で塞がれ口内から外へ鮮血が吐き出される。
匠の身体は既に3・5次元における反動、限界が訪れていた。
「また私を一人にするの? 祈る事しか出来なくて、自分の無力だけを噛み締めて――結局匠も一人なんだね……レナと同じで」
「お、れは……ただ……」
大切な人を守りたい、ただそれだけの事。
もう二度と大切な人を失わないと、たとえ自分が犠牲になったとしてもエレナの遺志を受け継ぐと彼女の前で誓い、決意したからこそ裏切る訳にはいかない。破ってしまえば今の匠が匠で無くなり、生きること自体を放棄するも同然だ。
「――っがああぁぁ!!」
クロン粒子が毒牙を剥き、反射的に匠は絶叫する。
鉈でめった打ちにされたような少しずつ命を削る感覚が身体中を駆け巡り、所々で内出血を起こす。範囲は右腕から徐々に広がり続け全身へ死は近づく。
脳内は既に倦怠感で正常な判断を放棄し肉体は電気が走ったように痛み痙攣、吐血は収まる事を知らずひたすら命を吐き出す。
もはや立ち続ける事さえ奇跡と言わざるを得ない状態。
「貴方を死なせやしない、死んだら絶対に許さないッ……まだ私の説教は終わってない。それに、死にかけの匠に守られても全然時間稼ぎにならないし……今度は私が匠を守る番だから」
ふらつく匠の肩を持ち戦線離脱するのは紛れもないイザベラだ。その手は小刻みに震え、明らかに恐怖を押し殺していた。自分が怯えているにも関わらず他人の為に行動へ移せるイザベラの強さも幼少期から独りぼっちだった事も。イザベラを創造した作者である匠が真っ先に理解し、考えや思考すら既に分かっている。
だがそれでも人間、譲れないモノがある――朦朧とする意識のなかで、高次元同士の戦闘からイザベラを遠ざけるため障害を振り払おうと手を伸し前線へ。
「……待、て……」
「私は、大丈夫だから。匠は安心して欲しい……私の前で死なれちゃレナに申し訳ないもの」
「……イザ……ベラ……」
戻ろうとしたその刹那、血に染まっていたはずの赤黒い視界は音も無く一瞬にして対称的な白へ変わっていた。
明確な程にその白は不気味だった。透明や黒でもないただの白――真っ白だ、白以外何も無くモノの輪郭すら匠の視界から姿を消して、
――俺、は?
匠という存在が、記憶が断片化する。
――神崎……たっ。
言葉を詰まらせた衝撃は既に匠の四肢五体を崩壊させるべくして、右腕から虚空へ真っ直ぐ鎖は伸ばされた。
誰が何の目的で匠をターゲットにするのか、そんな杞憂に近い戯言など腹部の流血を見れば嫌でも悟ってしまう。
「コレは俺の人生に対する断罪。今まで積み重ねてきた罪、そのツケだ」
それだけの行いをしてきた、これが異世界で悪びれること無く好き勝手し続けた男の末路。束縛し相手の全てを絞り上げ、面白可笑しく刺し殺してきた男の償いきれない全てが、自分へ跳ね返る様を匠は受け入れるしかない。
「コレが、死ぬまで背負っていく己の罪だ……神崎匠」
空中へと伸びる鎖はそれぞれの四肢を引っ張り、その度に電気が走るような衝撃と関節が外れる確かな感覚が匠の脳内を埋め尽くす。
じわじわと身体を絞られ腹部はこれでもかと大量の剣で貫かれ血の海を形成し、口から押し出されるように血液が外へ勢い良く飛び散った。
筆舌に尽くしがたい心と身体の痛み。
意識は飛んでても可笑しくない程に疲弊しきりこれ以上地獄が続けばきっと匠は壊れてしまう。だが止まることはない、
「シネ……シネシネシネシネシネシネシネ」
「お前が……レナを殺した……お前がッ!!」
「あんたを許さないッ、信じていたのに……あれ程、信じていたのにッ!!」
「俺達トモダチ……だろ? だったら――死んでくれよ。なァ!?」
なんせ、匠は屍を背負い続けると決心したのだから。
――俺は、どうすれば。
考える間もなく、今度は最愛の少女が体温を失った両手で匠の頬に触れ、
「……さようなら、匠くん……」
そう言い残すと、匠の景色は赤に代わり意識は深い深い水中へ沈む。
「が……ッ……」
「匠……? 匠ッ! 返事して、お願い起きて! たくみーッ!!」
吐血する身体と薄れゆく意識の中イザベラの問いかけが何度も脳内に木霊し、遂に匠はイザベラへ身を委ねる形となり意識を閉じた。
誰かがこの物語に筆を走らせる。これは決して主人公でも何でもないただの少年の物語。
ならば物語の出だし、感謝の手紙はこう書きだすとしよう――
――リブートしてくれてありがとうエレナ、と。
物語はまだまだ続きます!(終わったと勘違いする人が居ると思うので)
これから忙しく(今も忙しいが)なるので投稿頻度は月一回くらいになりそうです。大変申し訳ない。




