45話 魔界からのお出迎え
そこはまさに地獄としか言いようがない場所だった。
グチャりとぬかるんだ地面、鬱蒼と暗くうねる木々、どこかから聞こえてくる奇っ怪な魔物の声、肌を刺すような禍々しく充満する厭な空気。
どこに目をやっても歪な世界が広がっている。
「ここが魔界領か……」
ただここにいるだけで何かに呑み込まれそうな感覚が襲い続ける。
「やっぱりここはいつ来ても気分がいいもんじゃないね」
リュミールが精霊石の中から心底不愉快そうに言う。
「前にも来たことがあるのか?」
「……ああ、かなり昔のことだけどね」
自分のことなのに興味なさげに言って、それ以上は何も話さなくなる。
……まずはこれからどうするか整理しよう。
魔王にアニスを治してもらうためにここまで来たのはいいが果たして魔王がアニスを治してくれるだろうか?ベヒーモスの件を考えると魔王がまた動き出してるみたいだし、そんなところに俺みたいな人間が会いに行って相手にされるだろうか。……いや、生きて帰れるのか?
「……はあ、考えてもしょうがないか」
赤く燃え上がる不気味な空を見上げて、森の中での思考に決着をつける。
歩きだそうかと足を動かそうとすると後ろから声をかけられる。
「おいそこのお前!こんな所で何をしている!!」
耳が痛くなるほどの甲高い声が俺の足を止める。
「誰だ………!?」
後ろをむくとゴブリンよりも少し背と体つきの良いゴブリンに似た魔物がこちらに剣を向けていた。
「腰にある剣を地面に捨てて、両腕を上げろ」
「……」
魔物に言われるがまま剣を地面に落とし手を上げる。
この魔物はゴブリンの上位種にあたるホブゴブリンだ。ゴブリンよりも身体能力と知性が高く、人の言葉を理解して話すことができる魔物だ。ゴブリンと同じように群れで行動するはずなのだが、今目の前にいるこのホブゴブリンは一匹のようだ。
"リュミール、魔力を廻してくれ"
"了解"
口には出さず、頭の中で会話をすませる。
「おい!こんな所に人間が何の用だ!!おい聞いてるのか!おい!おい!おい!」
目の前で五月蝿く喚く魔物を無視して、魔力が廻りきるのを待つ。
「おい……聞いてるのかよ人間……。なんで何も言わないんだよ、俺が魔物だからか……?」
無視しを続けていると目の前のホブゴブリンは俺に向けていた剣を下げて、地面に膝をつき盛大にいじけ始めた。
「…………」
予想打にしないことが起こり思わず口がポカンと開いてしまう。
"なんなんだいこのホブゴブリンは?"
一語一句思っていたことを精霊が呟く。
……ご最もです。
何はともあれ、急いで廻してもらっていた魔力を止めてもらい、地面に落ちた剣を拾い上げる。
それからこのままほっといてまた剣を向けられても面倒なので何も出来ないようにホブゴブリンに剣を突きつけて、行動を制限させる。
「お前いつのまに剣を拾った!?」
ホブゴブリンは指で地面を詰るのを止めて上を見上げてそんなことを言う。
……阿呆かこいつは。
「クソ、卑怯者め!私が油断している隙に剣を拾ったな!!?」
こちらに勢い良いよく唾を飛ばして口を開く。汚い。
「おのれ卑劣な人間め、私をどうする気だ!?殺すのか!?」
本当に阿呆かこいつは?状況的にそれしかないだろうに……。
「さあ、どうだろうな?」
ホブゴブリンに剣先をさらに近づけて脅しをかけてみる。
「ひいぃぃぃぃぃい!!そ、それだけは勘弁してください!!私にはまだ産まれたばかりの子供が二人と妻がいるんですぅぅぅ!」
俺の言葉にホブゴブリンは手のひら返しで慌てふためき、仕舞いには綺麗な土下座まで見せてくれる。
こいつを見てると頭痛が痛く……じゃなくて頭が痛くなってくる。
なんで俺はゴブリンの命乞いを見なきゃいけないんだ、しかもその理由がとてつもなく阿呆すぎる。
はあ、もういいだろう。
よく喋る緑の魔物に向けていた剣を振り上げ、一直線に首元まで振り下ろす。
「いやぁぁぁぁ!!お情けぇぇぇぇ!!!」
『止マレ』
ホブゴブリンの断末魔とともに聞こえた謎の声によって動きを拘束される。
振り下ろされた剣はゴブリンの薄皮一枚でギリギリ止まり、そこからうっすらと血が流れる。
「助かった……」
魔物の安堵する声が聞こえる。
依然として俺の体は謎の言葉を聞いてから金縛りにあったように指一本動こうとしない。
な、なんだよこれ……。
"おい、大丈夫か!?"
リュミールは何とかしようと俺に光魔力を廻し始める。
『無駄だよ、光魔法でもこの呪縛は解けない』
平坦な声が俺の頭の中を刺激する。
すると森の奥から一人の少女が現れる。
短く切りそろえられた白髪に異様に赤い瞳。それだけを見れば絶世の美女と誰もが答えるのだろうがその少女は人間とは全く異なったものを孕んでいた。
「おっと、いつまでも威嚇するのは失礼だよね」
ニコッと魅惑するような可愛らしい笑顔を見せる。先程の発した言葉の感じとは違い、優しい声色だ。
「ありがとうございますネメア様!子供たちと妻を悲しませずにすみました!!」
地面に膝をついていたホブゴブリンは勢いよく立ち上がり少女の方に向かっていく。
「ねえ、トシミツ?あなたは人間ひとりもまともに捕まえることができないの?」
笑顔を崩さず、近ずいてきたホブゴブリンに尋ねる。その声色は憤怒の感情で満たされていた。
「ひぃぃ!!ね、ネメア様、そんなお怖いお顔をするとせっかくの可愛らしいお顔が台無しに……」
「うっさい!アンタには関係ないでしょ!!」
少女は右手をグーにして思いっきりホブゴブリンの頭をぶん殴る。
「うがっ!!?」
そのままホブゴブリンは夢の世界へと強制的に誘われ、地面に突っ伏す。
「ほんっとにこの馬鹿を相手にすると疲れるわ」
「……」
状況が全く理解出来ず、一連の流れをただ唖然と見ていた。
「あ、ごめんなさい。馬鹿の相手をしていたら時間がかかっちゃって待たせちゃったね」
くるりとこれまた可愛らしく向き直る。
「え?ああ、別に……」
ただただその姿に見とれてしまいまともに言葉が返せない。
「おい、何を鼻の下を伸ばしてるんだ!相手は悪魔だぞ、気を抜くな!!」
リュミールは俺の脳内に話すのではなく実際の音として喝を入れてくる。
「今の声がもしかして精霊!?凄ーい、精霊と契約を結んでいる人間なんて初めて見た。それに加護持ちなんてこれまた驚きだよ、まるで勇者みたいだね?もしかして本当の勇者だったり……」
捲し立てるように少女は饒舌になりこちらに詰め寄ってくる。
「あ!!そんなわけないか!!……だってあなた勇者の天職どころか普通の天職さえも持ってないんだから……」
ニヤリと獲物を甚振るような笑みをうかべる。
「ッ!!」
突然発せられた強烈な殺気を目の前の少女から感じ取り、すぐさま距離を離す。
「酷いなー、そんなに邪険にしなくてもいいじゃん。もっとお話しようよ、なんで勇者でもなくて天職も持っていないような君が光の精霊と契約を結んで神獣の加護を持っているのか……」
少女は大量の禍々しい魔力を体に纏い、何も無い空から大きな鎌を取り出す。
なぜ俺の天職がないとわかったんだ?それにリュミールのことやベヒーモスの加護のことも……。
仮にあの少女が神父やシスターだけが使うことのできる天職を視る鑑定スキルを持っていたとしてもここまでの情報を見ることはできないはずだ、なにか特別なスキルで俺の能力を見たことになる。
クソっ、一体あの少女は何を考えているんだ。
「さて、天職を持ってない時点で力量なんて見るまでもないけど精霊と神獣の加護がどれほどの物か気になるしお手並みを拝見させてもらうね!!」
少女は純白と見間違うほどに輝く鎌を構えてこちらに突進してくる。
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