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向日葵の約束  作者: まさ
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光を呼ぶ手紙

光が強いほど、

影は深く沈む。


幸福の絶頂は、

時に残酷なほど突然終わりを告げた。

その終わりは、

世界の色を奪い、

時間を止め、

心を凍らせる。


まゆのいない世界で、

正人は初めて“生きる理由”を見失う。

第四章 ランデヴー


2008年7月3日。『運命の日』から14日。

 まゆの通夜、告別式が終わって1週間が経った。まゆのいない現実を引き連れて、二人で2年半過ごした部屋に今日も一人で帰ってきた。この部屋がこんなに寒いとは思ってもみなかった。玄関の鍵をかける音が、寂しく家の中に響く。「ただいま」と言おうとして、声を出すのをあきらめた。

 もうこの世のどこにも、まゆはいない。あの可愛い声がこの部屋の空気を震わせることはない。でもこの部屋には、まゆの生きた証が今も息づいている。洗面所の乾いた歯ブラシ、クローゼットに残った洋服、食器棚に寂しく座るマグカップ。今も静かにその役割を待つ者たちの切ない姿に、心が付いていけない。

 僕が今抱いている感情が何なのか、とてもじゃないけど分からない。悲しいのか、辛いのか、それとも全く別のものなのか。それははっきりとした輪郭を持たずに、胸の中に転がり続けていた。

 まゆが亡くなる前にしっかりお別れをして、前を向くと約束もした。出来る気もしていた。だけど、今でもすぐそばにまゆがいる気がしてならない。いなくなったなんて信じられない。その姿を、声を、また求めて探してしまう。そして見つからない現実を突きつけられる。そんな日々を、これから僕は死ぬまで過ごさないといけないのか。

 これからどうやって、何を希望にして生きていけばいいんだ。医療人になって夢を追うと誓ったのは、まゆに叶えた姿を見てほしかったからだ。結婚だって、相手がまゆだったから決めた。ずっと一緒に笑ってなんでも乗り越えられると思ったから、一生かけて幸せにしたいと思った。僕のこれからの人生はまゆなしに設計されていない。一人で進むには、あまりにも長すぎる。考えられない。考えたくもない。

ダイニングに腰をかけ、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。食事をしても味がしない。テレビをつけても何も聞こえない。ただ何も感じない抜け殻の様な日々を、毎日一つずつ昨日に捨てていた。


 突然、携帯のバイブが鳴った。取り出して画面を見ると真衣さんからメールが来ていた。


————お疲れ様。少し正人と話がしたいから、これから家に行ってもいい?


 話って何だろう。別に断る理由もなかった。


————今日はもう外出する予定がないから、いつでもいいよ。着く時間がわかったらまた連絡して。


 そのメールから1時間ほどで真衣さんが家に来た。上がってもらい、ダイニングテーブルを挟んで向かい合った。

「喪主お疲れ様。大変だったでしょ」

「香菜子おばちゃんにもいろいろ手伝ってもらったから、私は大丈夫。心配してくれてありがとう」

「ならよかった」

「正人は、大丈夫?」

「・・・分からない」

「焦る必要はないわ」

「うん」

 真衣さんは優しい笑顔を見せてくれたが、やはり悲しそうな顔だった。

「ところで、今日はどうしたの?話って?」

「うん。これを渡したくて」

 そう言いながら、真衣さんはカバンから一封の封筒を取り出した。表には「まさとへ」と書いてある。まゆの字だ。そして僕の名前を平仮名で書くのも、まゆだけだ。僕は目の色を変えた。

「これ・・・」

「亡くなる2週間前に受け取った。亡くなってから渡してくれって」

 封筒を開けようとすると、真衣さんに止められた。

「待って」

 僕が不思議な顔で見つめると、真衣さんは続けた。

「二人の一番の思い出の場所で開けてほしいって」

「思い出の、場所?たくさんあるけど、一番のってことは1つってことだよな?」

「私も場所までは分からない。だけどヒントは聞いてる」

「ヒント?」

「去年一緒に回っていない場所だって」

「だって去年回った時は、思い出の場所を回ったんだよ?」

「真優の言う通りにするかどうかはあなた次第よ」

「・・・ありがとう。どうせ何も手に付かないし、考えてみるよ」

「無理はしないのよ」

「分かってるよ」

「今度、なぁみぃも誘って4人で飲みにでも行きましょ」

「まだ19でしょ?あの二人」

「あの二人がそんなの守るわけないじゃない」

「確かにな」

 少し和やかな空気の中真衣さんを見送ってまた一人になった。二人掛けのソファに座って大きく息をつく。誰かがいると少し紛らわせられるが、一人になると寂しい感情が滲んでくる。何とかしなければと思う反面、この想いが無くなると僕の中からまゆがいなくなってしまうような気がしてならなかった。


————本当に何も出来ることないから、とりあえず今度外に出てみるか

 真衣さんと話して少し視界が広がったのか、前向きな気持ちが少し顔を出した。



2008年7月4日。『運命の日』から15日。

 また、港南台のベンチに来てしまった。瞼の裏に焼き付いた、まゆがこれに座る光景が、瞬きをする度に幻覚を連れてくる。大きな息を吐いて腰かけた。座っているといろんなことを思い出す。まゆのことはもちろん、瑛史郎のこと、榊原のこと。ここから見える景色が変わっていないことに違和感を覚えるほど、遠い昔のように思えた。

「あれ、もしかして唐嶋か?」

 急に誰かに声をかけられた。声の主に視線を送ると、同い年くらいのスーツを着た男性が目に入った。

「・・・誰、ですか?」

「やっぱりそうだ。俺だよ、榊原だ」

「榊原!?」

「久しぶりだな!ちょっと、隣いいか?」

 そう言うと榊原は僕の隣に腰かけた。会うのは中学卒業以来で、実に8年ぶりだった。

「見違えたよ、榊原。ずいぶんと雰囲気変わったな」

「お前もな。こんなところで何してたんだ?誰か待ってたのか?」

「まあ、そんなところだ」

「なんか、こうやって並んで話すのは初めてだな」

「そうだな。中学の時はずっと喧嘩ばかりで、向かい合っていたことの方が多かったからな」

「ああ、懐かしいな」

「お前は今、何してるんだ?」

「今は銀行に勤めて2年目だ。来年からしばらく、IBMを取るためにアメリカに行くんだ」

「そっか、社会人か。ずいぶん変わったな」

「・・・お前のおかげだよ」

「なんだよそれ、らしくないな」

「いや、本当にそう思ってる。俺が荒んで誰からも諦められていた時でも、お前はずっと俺と向き合ってくれていた。お前がいなかったら、俺は今もあのままだったと思う」

「榊原・・・」

「中学卒業してからずっと、どこかでお前にお礼を言いたいと思っていたから、今日は偶然でも会えてよかったよ。ありがとう。お前は、俺の人生の恩人だ」

 榊原が右手を差し出した。僕はそれを見て握手を交わす。

「大げさだな」

「大げさなもんか。お前からしたら小さいことだったかもしれないけど、俺からしたら人生を変える大きなことだった。感謝してもしきれない。何か困ったことがあったら何でも言ってくれ。いくらでも力になってやる」

「わかった、ありがとう。榊原も大変だと思うけど、頑張れよ」

「・・・陣だ」

「・・・そうだったな」

 そのまま榊原とは別れた。かつて自分が関わった人が前を向いているのは、純粋にうれしかった。このベンチで言われた、『あなたが変えたのよ』というまゆの言葉を、遠くの記憶に見つけた。



2008年7月9日。『運命の日』から20日。

 この日は江の島にやってきた。ここにも数えきれないほど来たが、そういえば一人で来たのははじめてだった。瑛史郎が引き上げられたヨットハーバーで手を合わせ、稚児が淵まで来た。江の島のどこを歩いてもまゆとの思い出が詰まっていて、とてもじゃないけど景色を見ていられない。歩きながら涙を流し続けていた。

 稚児が淵で海を眺めていると、色んな事が頭を巡った。ここでまゆと話した将来の夢は、まゆがいるからこそ描いたものだった。今となっては何の意味もなさない。あんなに輝いて見えていた僕の未来が、今は靄がかかったように曖昧になっている。


「あれ、唐嶋さん?」

 聞き覚えのある声に振り返ると、霜山が朱里と一緒に歩いていた。朱里は今、予備校で受験勉強を頑張っている。

「霜山か。久しぶりだな。元気か」

「はい。元気です。朱里がいつもお世話になっています」

「はい、お世話になってます!」

 朱里が後ろから元気に合わせる。

「今日はお一人ですか?真優お姉さんは・・・?」

 朱里から無邪気に飛び出た名前に、僕は目線をそらした。

「あ、もしかして、喧嘩でもしたんですか?」

「・・・ああ、そんなところだ」

 思わず、朱里に話を合わせた。

「真優お姉さんは唐嶋さんのことを誰よりも考えているので、お姉さんが唐嶋さんに何をして欲しいかを伝えてくれているなら、その通りにするのがいいですよ」

 まゆが、僕にしてほしいこと・・・

「こら朱里、失礼だろ」

「いや、霜山。その通りだ。気を付けるよ」

「真優お姉さんにも、よろしく伝えてください」

「わかった、そうする。ところで、今日は二人で来たのか?」

「はい。最近よく二人で出かけるんです。朱里の勉強の気晴らしにもなるし」

「霜山も、だいぶ明るくなったよな」

「唐嶋さんのおかげです。唐嶋さんが僕らを支えてくれたから、二人であの頃を乗り越えて明るくなれたんです。本当に、感謝しています」

 霜山はすっきりとした晴れやかな笑顔をしている。よく知る若い二人が未来を夢見て前を向く姿は、なんだか誇らしかった。



2008年7月15日。『運命の日』から26日。

 この日はみなとみらいに行った。ここも、まゆと最後に二人で来てから来るのは初めてだ。目に映る景色ひとつひとつにまゆの香りが残り、一歩前に進むたびに胸が苦しくなる。あんなに大きく安心感のあったコスモクロックも、どこか寂し気に映った。ベンチに座ってうつむいていると、ここでも声をかけられた。

「あれ、唐嶋君じゃない?」

 声の方に顔を向けると、たくさんの買い物袋を提げた早川先輩が立っていた。

「早川先輩・・・?」

「やっぱり唐嶋君だ!久しぶり!元気にしてた?」

 相変わらず端正な顔立ちでおしゃれをしていて、モデルみたいだった。とても明るく、素敵な女性になっていた。

「お久しぶりです。偶然ですね」

「うん、高校を卒業してから会ってないから、5年半ぶりくらいかな?」

「そうですね。今日はお買い物ですか?」

「そう!実は私、来年結婚することになったのよ。それでいろいろと揃えていたの」

「もしかして、佳寿馬先輩とですか?」

「そうよ」

「それは良かった。本当に良かった」

「唐嶋君のおかげよ」

「いえ、俺は何もしていないですよ。先輩がしっかり向き合ったからこそです」

「何言ってるのよ。あなたの言葉がなければ私はきっとあのままだったわ。佳寿馬の想いにすら気づけない、馬鹿な女のまま。誰かを常に妬み続ける愚かな卑しい人間だったわ。本当にありがとう。あなたのおかげで、私は今とても幸せよ」

 あの頃の早川先輩からは想像もつかないくらい、まぶしい笑顔をしていた。少し会話を交わし、先輩とは別れた。皆、僕のおかげで前を向けていると言ってくれた。とてもうれしかった。このまま幸せになってほしいと心から思った。でも、まゆはもういない。僕が前を向くには、幸せになるには、まゆがいないとダメなんだ。



2008年7月20日。『運命の日』から1か月と、1日。

 結局、やはりまゆの言う思い出の場所は分からなかった。ダイニングテーブルにまゆからの手紙を置き、にらめっこをする日々が続く。


————まゆ、俺はどうしたらいい。どうやって、これから生きていけばいい?

————この手紙に、その答えは書いてあるのか?

————でも場所も分からない俺に、これを読む資格なんかない

————もう、考えるのも辛くなってきた。もういっそ、このまま楽に・・・


 死を意識したらふと、瑛史郎のことを思い出した。・・・瑛史郎なら、こんな時どうするかな。もうあいつの声を聴くことはできないけど、最後に墓参り、行ってみようかな。


 鬱蒼とした森の中、黒澤家の墓前で手を合わせて瑛史郎に想いを馳せる。瑛史郎も、ずっと僕のことを信じてくれて、ずっとそばにいてくれた。どうして、そんな人たちからいなくなってしまうのだろう。瑛史郎の思い出には、まゆの姿もたくさん出てくる。二人がいて楽しかった思い出が鮮明によみがえり、胸が苦しくなった。涙がこぼれ、思わず瑛史郎に話しかける。

「瑛史郎、俺、どうしたらいいかな。お前も、まゆもいなくなってしまった。二人のおかげで世界が広がって、生きる希望があった。二人がいたからここまで来れた。これから先二人がいない世界で、誰に出会うために、誰を幸せにするために、生きていけばいい?瑛史郎、教えてくれ。頼むから、教えてくれよ・・・」

気が付けば、僕は大きな声を上げて泣いていた。まゆが亡くなってからこんなに感情を爆発させたのは、この時が初めてだった。

 

 ひとしきり泣いて寺を降りた後、川沿いを歩いた。ふとその脇にあるベンチに目を向けると瑠璃子が一人で座っていた。そのベンチは、かつて瑠璃子が僕に涙を見せた場所だった。

「てっしー、か?」

「あ、正人」

「隣、いいか?」

「うん、座って」

 少しずれて座りなおした瑠璃子の隣に腰かけた。あの日のように、川の流れる音と小学生の笑い声が聞こえてくる。

「夏になると、やっぱり思い出しちゃうよね」

「てっしーも、瑛史郎の墓参りに来たのか」

「そうだったんだけど、なんかお墓の前で泣いている人がいたから戻ってきた」

「・・・見ていたのか」

「うん・・・何かあったの?7月に正人が来るのも珍しいし」

 どうしようか迷ったが、話すことにした。

「・・・まゆが、先月亡くなった」

 そう言うと、瑠璃子は驚いた表情を隠せず絶句した。

「え、うそ・・・どうして・・・?」

「病気で・・・分かってから半年、まゆも頑張ったんだけど、だめだった」

 左手でこぶしを握り膝の上で震えていると、瑠璃子が優しく手を重ねた。その上から、瑠璃子の涙が零れ落ちてきた。

「てっしー・・・」

「ごめんね、何も言ってあげられなくて、私が泣いても仕方ないのにね」

「そんなことない。ありがとう」

 僕は目を逸らして川を見た。瑠璃子がそれを見つめる。

「・・・もしかして正人・・・」

 その声は届いていたが、あえて反応しなかった。

「死ぬつもりじゃないでしょうね」

「・・・まさか、そんな度胸もないよ」

「絶対だめよ」

「決めつけるな」

「ごめん。でも、心配」

「いや、俺こそごめん、心配になるよな。正直に言うと、自分自身どうしたいのかよくわからない。いつも味方でいてくれる皆や家族、生徒たちのことを思うと気丈でいないといけないとは思うけど、自分の気持ちじゃないというか、本当の自分じゃないみたいで、心がぐちゃぐちゃになる」

 瑠璃子は首を振りながら静かに聞いていた。

「焦らなくていい。大きな存在を失くしたら先が見えなくなるのは当然のこと。周りのことも今は気にしないで。普段の正人をよく知っている人なら、何か事情があるんだなって、分かってくれるわ」

「ああ、ありがとう」

「私たちは、いつまでも仲間よ。何かあったらいつでも言ってね」



2008年7月31日。『運命の日』から1か月と、12日。

 それから結局、まゆの言う思い出の場所も分からず、これからどうしていいかも分からなかった。何も前に進まないまま、空白の日々を数えていた。誰といても何を話しても、僕の代わりに誰かが代弁してくれているのではないかと思うほど感情がなく、愛想笑いだけが上手くなっていく。心はまさに空っぽで、まゆがいなくなった今、それを埋める手段が他にないことを日々思い知らされていく。


 この日の夜、携帯にメールが届いた。治義叔父さんからだった。治義叔父さんには、母さんからまゆの訃報は伝わっているはず。恐る恐るメールを開いた。


————夏休み、暇だろ?新潟来いよ。また一緒に日本酒を飲もう。


 ぶっきらぼうで不器用な叔父さんから声をかけてくれたのがうれしかったのと、気を遣わせてしまっている申し訳なさで胸がいっぱいだった。でも、僕もよりどころが欲しくて、すがるようにその申し出を受け入れた。


————ありがとう。明日準備して、明後日行くよ。朝こっち出るから、着くのはお昼になる。

 

 もう、こんな感情を抱えて長い人生を生きていける自信はなかった。新潟に行って何も変わらなければ、全部終わらせよう。そう思っていた。



2008年8月2日。『運命の日』から1か月と、12日。

 昼過ぎに、新潟の叔父さんの家に着いた。ついこの前はまゆと二人で来たのに、今日は一人でその敷居をまたぐ。出迎えてくれたのはまた治義叔父さんで、何も言わずに僕を抱きしめた。それでもまゆのことには触れず「遠くまでよく来た」とだけ言ってくれた。その気遣いとやさしさに涙が出そうだった。

 その日は従兄妹たちと一緒にゲームをしたり、皆で花火をしたりして過ごした。お風呂から上がった後は居間で叔父さんとお酒を飲み、いろんな話をした。僕が産まれる前の母さんの話、僕が小さかった頃の話。でも、どんなに酔っていても叔父さんの口からまゆの話が出ることは無かった。

 どれほど飲んでいたのかは分からないが、すっかり酔いが回ってしまい僕はそのまま居間で眠ってしまった。



2008年8月3日。『運命の日』から1か月と、13日。

 目覚めると、僕は畳の上で横になっていた。身体にはブランケットがかかっており、テーブルとお酒は下げられていた。時計を見上げると13時を指している。僕は起き上がり、右手で頭痛を抑えながらキッチンに向かった。冷蔵庫を開け麦茶を取り出してコップに注いでいると、1枚のポスターが目に飛び込んできた。


『長岡の大花火08 8月2日㈯3日㈰』


 今日は・・・3日。心がざわついた。まゆが僕と初めて会った場所・・・間違いない。まゆが言っていたのは、この長岡花火のことだ。僕はいてもたってもいられなくなり、すぐに着替えて家を飛び出して車に乗り込んだ。まゆの手紙を握り、アクセルを強く踏み込んだ。


 ハンドルを握りしめ、逸る気持ちを抑えながら高速を走った。窓から吹き込む長岡の風は、なんだか懐かしかった。

 3時間半ほどで花火会場に着いた。まだ花火が始まるまで時間はあったが、人が溢れるほどにぎわっていた。その人込みを掻き分けながら、まゆと花火を観た場所を求めて彷徨う。

しばらく歩き回っているとのどが渇いたので売店で水を買おうとしたら、店員のおばちゃんに声をかけられた。

「あれお兄ちゃん、昔も来てくれたね。この辺りの人だったんか」

「え、人違いじゃないですか?」

「うんにゃ、大きくなっとるけど、その顔立ちはよく覚えとーよ。ずーっとここで商売しとる老人の記憶力をなめちゃあいけねぇよ。あん時は慌ててた感じだったけど、大人になって落ち着いたんかねぇ」

「はぁ・・・」

 お釣りを受け取りながらまゆの話を思い出した。あの日僕が水や氷を買った売店って、まさかここなのか・・・?売店を出て前を見ると、目の前に土手があり、そこを上がると斜面になっていて、川が流れている。花火は、その先で上がる予定だ。

 その景色を見た瞬間、鳥肌が立った。僕は、この景色を知っている。確かにここに来たことがある。足元を見ると、斜面を少し下ったところに人が一人座れるスペースがあったので座った。間違いない、ここだ。僕はここで、誰かと花火を観たことがある・・・。

恐る恐る、封筒からまゆの手紙を取り出した。懐かしい香りが立ち、指先にチリつく感覚が走る。長岡の風にあおられながら、ゆっくりと手紙は開かれた。そこには、病に苦しみながら震える手で丁寧に書かれた、可愛い丸文字が並べられている。どことなく、まゆの温もりが残っていた。



———————————

 まさとへ

 

 きっと、あなたならここまで辿り着いてくれると思っていました。私たちのランデヴーポイントに。8月の長岡は暑いから、ちゃんと水分摂ってね。


 まさと。今日は何だか眠れないから、私がいなくなった後に伝えられるよう手紙を書きます。あなたは電化製品の説明書でさえも読まない人だけど、これだけは最後までちゃんと読んでね。


 かつての私は、ずっと世界を恨んでいました。お父さんとお母さんがいなくなったあの日から、 何もできなかった自分を憎んで、笑っている人たちを妬んでいた。心の中が真っ暗で、未来なんてどこにも見えなかった。でも、長岡であなたと出会って、世界が一変したの。ほんの少し話しただけなのに「もう一度会いたい」って思った。その気持ちが、私の未来を明るく照らしてくれました。

 

 中学生になって塾であなたを見つけた時、ちっとも変わっていなくてすぐに分かったよ。座席表の名前を見た時の胸の高鳴りを、今でも鮮明に覚えています。

 それからずっと一緒にいてくれたね。楽しい時も辛い時も、笑っても喧嘩しても、どんな時でも傍にいてくれた。私はあなたと出会えた人生を、心から誇りに思っています。本当にありがとう。


 断言します。あなたはきっと私の後を追おうとするでしょう。なぜ分かるかというと、私があなたの立場だったら、私もそう思うからです。でも、それだけは絶対に許しません。あなたはこの世界でたくさんの人に必要とされる人。あなたの優しさで、たくさんの人を救ってあげて。私がそうしてもらったように。そしてまた、いつも話してくれた夢に向かって、いつか叶えてください。お願い。


 私は、今年の長岡の花火大会が終わったら、すぐに生まれ変わります。一から人生をやり直して、たくさん勉強して、大人になってまたまさとを探します。あなたの夢を応援するという私の夢を、次の私に引き継いで今度こそ叶えてもらいます。今度は、あなたの部下として。

 記憶は全部なくなっちゃうと思う。あなたとの思い出も忘れてしまうでしょう。でもね、本当に大切なことは絶対に忘れない。あなたが未来を見つめる横顔と眼差しを道標にして、また必ず見つけます。

だからまさと。生きて。ずっと私が傍で見てきた大切な横顔を、私が大好きな優しい眼差しを、どうか失くさないで。また私たちが出会うために、いつものまさとに、早く戻ってね。


 私は幸せでした。もっと生きたかった。もっと隣で一緒に笑っていたかった。心からそう思えるほど、まさとと出会えた私の人生は最高の宝物です。

 でも、あなたの人生はまだ続きます。まだまだ、幸せだと思える瞬間がたくさんあるはず。私は生まれ変わって、その幸せに触れられるように精一杯頑張るね。


 またね、まさと。また、あの時みたいに必ず声をかけるから、それまで身体に気を付けて、元気でね。


 さようなら。

 そして、ありがとう。


    まゆより

———————————


 読み終わる頃には、まゆの手紙は僕の涙で濡れていて、僕は声を上げて泣いていた。その刹那、一発の花火が打ちあがり、13年前と同じように大きな音がお腹に響き心が震えた。どこからか、まゆの笑い声が聞こえた気がする。ふと前に目を向けると、小学生くらいの男の子と女の子が並んで座って笑顔で話をしていた。女の子は、どこかまゆに似ている。二人の後ろ姿は花火の光と音が弾けるたびに、少しずつ輪郭がぼやけていき、光の珠となって浮かんでいった。目で追うと、花火の光で真っ白に染まった空に溶けて、消えていった。




最終章 エピローグ


2009年6月19日 『運命の日』から1年。

 まゆの墓石の前で、ゆっくりと瞳を開けた。まゆがいなくなった事実は、この先も消えることはない。それでも僕はこの思い出とともに生きていく。ずっと、まゆのことは忘れない。またいつか出会い、一緒に夢を叶えるために。

「あ、さと兄だ」

 振り返ると、真奈と真美、そして真衣さんが立っていた。

「真奈、真実。久しぶりだな」

「うん、久しぶり。元気だった?」

「ああ、なんとか。二人は?」

「うん。元気だよ。昔さと兄に助けてもらったからね、大事に生きていくよ」

 真実が笑顔で返す。

「そうだったな」

「これから、あんたはどうするの?」

 真衣さんが優しく声をかけてくれた。真衣さんも笑顔だ。

「大学院の教授の伝手で留学することにしたよ。日本の制度は、ずっと日本にいても変わらないと思うから」

「・・・ちゃんと、前を向いているのね」

「ああ、生まれ変わって会いに行くなんて言われたら、それまで生きていないと。死んでも死ねない」

「まったく、あの子はトンでもないこと言ってきたわね」

「そうだな。でも、まゆらしいなって思ったよ」

「それもそうね」

 それから少し4人で立ち話をした。皆笑顔だった。

「じゃあ、俺そろそろ行くよ。関空から直接アメリカに行く」

「羽田の方が近いのに、わざわざ和歌山に寄ってくれてありがとう」

「いや、みんなの生まれ育った町だから、一度来てみたかったんだ。いい機会だったよ」

「相変わらずね・・・じゃあ、元気で」

「ああ、みんなも」

 

 墓地を後にしようとした時、やわらかい風が吹いた。その音の中に、まゆの声が聞こえた気がした。空を見上げると陽の光が眩しく輝いている。僕は明日も、この空の下で生きていく。そしていつか、きっとまた会える。



   20〇〇年 某日


「先生、いよいよ明日ですね」

「ああ、ようやく実現する」

「長かったですね」

「みんなのサポートのお陰だ。ありがとう」

「ところで、面接希望の方からアポイント依頼が来ています」

「面接?」

「はい、先生のプロジェクトに参加させてほしい、とのことで」

「どんな方だ?」

「履歴書はこれです。2008年生まれの若い女性の方ですね。アメリカに留学して医学と薬学を専攻されています。とても優秀な方とお見受けしますが・・・」

 僕はその写真を見て目を疑った。

「どうされますか。もうスタッフは十分いて追加の募集もしておりませんので、お断りしましょうか」

「いや、スケジュールを空ける。通してくれ」

「かしこまりました」


 後日、応募者との面接を実施した。僕の部屋にノックの音が響く。

「入ってください」

「失礼します」

 彼女は深くお辞儀をして、僕に促されてから椅子に座って僕に向かい合った。実際にその顔を間近で見て、息が止まりそうになった。

「初めまして。面接の機会をいただき、ありがとうございます。ずっと、お会いできるのを楽しみにしておりました。本日はどうぞ、よろしくお願いいたします」

真優の愛は、

時を越えて正人の未来に残り続ける。

それは記憶ではなく、

喪失でもなく、

“生き続ける理由”として正人の中に息づいている。


向日葵の咲く未来へ、

正人はもう一度歩き出す。

真優との約束を果たすために。

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