悪役令嬢が初恋中な件について
相談会2回目。
エマは今日も一人で座っていた。
なお、つい先ほどまではもう一人いたのだが、「ぽんぽん痛い」と言って教室を出ていってしまった。
あれから10分と少し経った今も戻って来ないということは、おそらく物凄い腹痛なのだろう。そうに決まっている。まさか、会計の仕事が終わっていないからといって抜け出したわけではないはずだ。
たとえ、出ていく20分前から「会計の仕事が終わらない会長に怒られるまじやばい」と永遠に繰り返していたとしても、だ。
今回は私は黙っておくぞ絶対だ、と心に決めていたエマは、会計が戻ってくるまで誰も来るなと願っていたが――どうやら、願いは叶わなかったらしい。
「ここが相談会の会場かしら?」
真っ赤な髪をぐりんぐりんに巻いた女子生徒。
レースやフリルで飾り付けた制服は、もはやエマと同じ制服かも怪しいくらいに改造されており、同じ教室にいれば、さぞや目がいってしまって授業が頭に入ってこないことだろう存在。1年中持っている大きな扇子もポイントだ。
「はい、そうです」
「そう。わたくしはカトリーヌ。あなたとは初めまして、かしら」
挨拶を返しながら、エマは内心「知っています」と頷く。
一つ上の学年の、侯爵家のお嬢様だ。学園内平等を謳っていたとしても、それはそれ。これはこれ。自家よりも家格が上の生徒のことは、頭に叩き込んでいるものである。
もっとも、彼女ほど目立つ人物のことは、自ずと覚えていただろうが。
「わたくし、相談したいことがあるの。よろしいかしら?」
もしここで駄目ですと正直に言えたのなら、エマはここにいなかっただろう。
内心嫌だなあと思いつつ。「もちろんです」とそんなことはおくびにも出さずに微笑んだ。
そう、と呟き、一度口を閉ざした後、彼女はゆっくりと口を開ける。
さて、何が飛び出してくるのか。
エマは机の下で両手を握った。
「――……わたくし、悪役令嬢らしいの」
次はこれか。
エマは心の中で天を仰いだ。
「他人の恋人を奪うことを至上の喜びとするそうなの」
「そうなんですか」
「そうなの、だから、恋人もちの男子生徒に近づいて仲を深める必要があるのだけれど……」
そこでカトリーヌは口ごもった。数拍分の躊躇を置いて、「実は、」と切り出す。
「わたくし、とんでもない人見知りなの」
沈黙が落ちる。
エマはパチパチと目を瞬かせてから、小首を傾げた。
「え、そうですか?」
別にそんな気はしないけれど。
だが、カトリーヌは大きくかぶりを振ると、おもむろに手袋を外した。
急にどうしたのだろうと戸惑っていると、
「見て」
「え、」
「見て。とんでもなく汗をかいているでしょう」
「…………そうですね」
手を洗った15秒後くらいの濡れ具合だ。
「こちらも見て」
次は前髪を上げて額を見せられる。
「あ、はい。……汗ですね」
「そうなの。凄いでしょう。……人と話していると、緊張してしまって。そのせいでわたくし、手袋と扇子が手放せないのよ」
なんと。トレードマークの扇子にそんな意味があったとは。
まさかの真実にエマが驚いていると、「だからね、」とカトリーヌが言う。
「どうしたらいいのかしら」
「どうもしなくてよいのでは?」
他人の恋人を取るだなんて嫌われそうなこと、わざわざしなくてもよいだろう。
エマの返しは、世間一般の常識に基づく至極当然のものであった。
けれど、カトリーヌは「駄目よ」と首を横に振る。
「それだと世界を救えないわ」
この前より規模が大きくなったな。
エマは素直にそう思った。
それにしても、世界を救う、ねえ……。略奪愛で?どちらかといえばむしろ世界を滅ぼそうとしていません?それにそもそも、略奪愛で救われる世界なんてろくなものじゃなさそうだけれど。
「ところで、どのように世界を救うのですか?」
「わたくしに恋人を奪われた令嬢と、彼女をひそかに慕っていた令息が、世界を救うべく立ち上がるのよ」
「ちょっと待ってください。世界を救うということは、原因がありますよね。何が世界を滅ぼそうとしているのですか?」
「わたくしが略奪愛で略奪した方よ。婚約者の存在を失い、多くの男性と浮名を流すわたくしの姿を見て彼は我に返るのだけれど、彼女はすでに別の男性の横に立っている。彼女を失って初めて、彼女の大切さを理解した彼は、他の者のものとなったことに耐え切れず、世界を滅ぼすの」
世紀末になるまでが急展開すぎないか。
「ですが、それならば、略奪しなければよいのでは?」
「それだと、今度はひそかに彼女を慕っていた彼が、彼女を手にできない苦しみから世界を滅ぼすの。正直、こちらの方が断然力を持っているから、より被害が甚大なのよ」
「……なるほど。ところで、差支えなければ当事者のお名前を伺ってもよろしいですか?」
絶対に近づかないでおこう、と決めて尋ねて、返ってきた回答にエマはうん?と思う。
「え、いまなんとおっしゃいました?
「令嬢は伯爵家の、」
「いえ、その後です」
「フェゼル様のことかしら」
「はい。彼のことをなんと?」
「え。クールキャラとして人気を誇ったと……」
エマは頭に会計職に就く彼を浮かべる。
クールぅ?あのぽんぽん痛いがあ?
締め切りまで時間があると知ればゲームに講じ、機嫌が近づくと「終わんないよぅどうしよう会長怖い」と涙目になりながら仕事をするあの人が?
なんだかんだ間に合わせるところに有能さが表れているとはいえ、「エマちゃんお願い助けてよう」と情けなく縋りついてくるあの姿のどこがクールだと?
エマが知っているのは生徒会室での姿のみだが、外では違うというのか。それにしても、クールキャラとは詐欺にもほどがあるだろう。
隠していたつもりだったが、あまりもの驚愕のせいで表情に滲んでしまっていたらしい。
カトリーヌが「わたくし、何かおかしいことを言ったかしら」と困惑した表情を浮かべる。
おかしいといえば、全てがおかしかった。が、そう言っても伝わらないに違いない。
エマは自身の感情を一旦脇に置くことにした。
「カトリーヌ先輩は、略奪したいのですか?」
「え?いえ、わたくしがどうかではなく、」
「その前提は、とりあえず捨てましょう」
「え?ですが、」
「結局どちらにしろ誰かが滅ぼそうとするのですから、結果的に似たようなものです」
カトリーヌはしばらく目を白黒させていたが、やがて意を決したようにエマを見た。
「わたくしは、できることなら……略奪は遠慮したいわ。けれどそれでは、フェゼル様が……」
闇落ちしてしまう、と。
カトリーヌの深刻そうな顔を見て、エマはうーむと考える。
仮に会計が闇落ちしたとしても、世界を滅ぼす前ためにはあの会長を倒さないといけないわけで。……無理でしょ。会計には荷が重すぎる。無理だ。
そう結論づけて、エマは世界を滅ぼす云々についても脇に置いておくことにした。
だが、エマは目の前の悩める先輩令嬢を何とか丸め込む……ではなく、納得できる結論に導く手伝いをしなければならない。
何かよい案はないだろうか、と思考を回して、とある案を思いつく。
「それなら、カトリーヌ先輩がフェゼル先輩と結ばれればよいのでは?」
「ぴえ⁉︎」
……なんか今、妙な音が聞こえなかったか?
疑問に思いながらもエマは言葉を続ける。
「そちらの方がよほど真っ当ですし。まあ、カトリーヌ先輩とフェゼル先輩の気持ち次第ですけど」
「……そ、そんな。……わたくし、でも、その……ええと、……あの」
せわしなくカトリーヌが視線と手を動かす。急に落ち着きがなくなった様子を見て、あれ?とエマは疑問を抱く。心なしか頬も赤く染まっていて、んんん?と思った。
「あの、カトリーヌ先輩。つかぬことを伺いますが、」
「え!はい、……え、なんでそう」
エマは、彼女が盛大に噛んだことを聞かなかったことにした。
「フェゼル先輩のこと、どう思っているんですか」
「えっと、それは、その……ね、」
「あ、はい。だいたい分かりましたので大丈夫です」
「分かったって何を⁉︎」
怒ったように言われるが、理由が理由なので怖くない。それよりさっさと話を先に進めよう。
「それでは、どうすればフェゼル先輩を落とせるのか考えましょう」
「いえですからわたくしは彼を落とす気なんてにゃい」
にゃいて。
エマは吹き出しそうになるのを我慢した。
代わりに真面目な表情を作ると、
「カトリーヌ先輩は、世界を救いたいんですよね?」
「ええ、まあ、それはそうだけれど、」
「カトリーヌ先輩がフェゼル先輩と恋に落ちることも、ある意味で略奪愛と言えるのでは?先輩の話によれば、フェゼル先輩は幼馴染の令嬢と結ばれるんですよね?その未来を略奪した、と考えれば立派な略奪愛ではありませんか」
「……それは、」
言い淀んだカトリーヌに、エマはここが追い込みどきだと判断した。多少理屈が通っておらずとも、勢いで何とかできるはずだ。何しろ、恋は理屈じゃないらしいし。
ぎゅ、とカトリーヌの手を両手で包み込むように握り、顔を寄せる。
「世界を救うためには、カトリーヌ先輩の英断が必要です。この世界を平和的に救うために、どうかお願いします」
内心では立派な略奪愛てなんだ、とか思っていたけれど、傍目から見ればそれを露ほども感じられない真剣さでエマは言った。
照れや恥じらいで否定しているが、カトリーヌはただの恋する乙女だ。それに、略奪愛をしなければ、と語った彼女の目は本気だった。
だから、世界を救うためだという方面から攻めれば、いけるはずだ。
エマは両手を握ったまま、じっと待った。
カトリーヌはその間、少し下を向いて考えていたけれど、やがて顔を上げると、
「わたくし、フェゼル様を落としてみせます」
エマは脳内で両手を上げて喜んだ。
「ではさっそく、どうすれば落とせるか考えましょう」と話し合いを始めた2人は、最終的に、好感度を上げるために何か差し入れをしようという結論に至った。迂遠な方法でもよいが、フェゼルは直接的に好意を伝えなければ気づかない、と判断した結果だった。
何がよいか、と先ほどまでの態度はどこにいったのか、ノリノリで相談してくるカトリーヌに、エマはうーんと悩む。
……フェゼルが欲しいもの。加えて、どうせならカトリーヌの渡すものに特別感を出したい。彼女にしか用意できないもので彼が喜ぶものといえば――
「胃腸薬では?」
「え、胃腸薬?」
怪訝そうに聞き返されるのを、堂々と頷き返す。
「はい。おそらく喜ばれるかと」
「胃腸薬……。分かったわ。家の者に作らせましょう」
カトリーヌの家は、王族の侍医を幾人も輩出してきた名門だ。王族御用達ともいえる胃腸薬を貰えるなど、きっとフェゼル先輩は嬉しさのあまり飛び跳ねるに違いない。
……なお、意中の相手に渡すものとして一般的でないことについては、なぜか2人とも気づかなかった。
結論が出るとともに颯爽と去っていくカトリーヌを扉まで行き見送った後、エマは席に着いた。
それから約20分後。
ようやく戻ってきたフェゼルに、エマは問いかけた。
ちなみに、散々待たせてくれましたねまあ仕方ありませんよね随分な腹痛だったんでしょうからねえと微笑むエマに、すみませんでした申し訳ありませんこの埋め合わせは必ずしますお詫びの品は何がよろしいでしょうかとフェゼルが両手を合わせた後の話である。
「先輩って、好きな人いるんですか?」
唐突な問いに、フェゼルは驚きつつも答える。
「いや。特にいないけど」
「ひそかに想っている幼馴染とか」
「幼馴染……?アンナのこと?」
どうやら該当する人物はいるらしい。だが、恋愛感情はこれっぽっちもなさそうだ。
もしもこれが隠しているのであれば、たいした役者である。
「急にどうしたの?――っは、まさかエマちゃん、俺のこと――」
何を勘違いしたのか、急ににやにやとしまりのない顔でエマを見ていたフェゼルだったが、言葉の途中で「あ」と何かを思い出した顔をすると、みるみるうちに顔色を蒼くしていった。
「俺のこと、好きとか言わないよね?」
もちろん言わないが、なぜそんなに恐る恐る尋ねてくるのか。
まるで、万が一にでも想いを寄せられたくないと言わんばかりの態度に、エマは釈然としない思いを抱える。
「なんですか。仮にそうだとして、何か問題でもあるんですか」
「いや、エマちゃんがというか、あのう……。俺にはちょっと無理みたいな」
「どういう意味ですか。はっきりしてください」
「うーん、荷が重い……ってか、想像するだけで胃がきりきりしてきた」
「失礼すぎでしょ」
全くほんの少しも好きだなどと思ってはいないけれど、この態度は許しがたい。
これは一度徹底的に話し合わねばと距離を詰めたところで、
「なあ」
「ひい!」
肩に手をかけられて、フェゼルがビクリと肩を大きく上下させる。
「……会長」
「ずいぶんと興味深い話をしているようだな。ぜひ俺も交ぜてくれ」
にこりと会長が笑う。どこから見ても美しい笑みなはずなのに、背筋がぞわぞわとするのはなぜだろうか。
「いやいやいや、滅相もない!会長に話すことではありません。ねえ、エマちゃん」
「いえ、私は構いませんけど」
「なんで裏切るのぉ⁉︎」
裏切るも何も、元々協力関係でもなかったはずだ。
エマとしては、会長の含みのある笑みよりもフェゼルとの話し合いの方が重要である。
残念ながら2対1となったフェゼルは、冷や汗をかきながら視線を右往左往させて――
「俺、仕事あるので帰りますっ」
「あ、ちょっと!」
急いで手を伸ばすが、その手が届くよりもフェゼルが身を翻す方が早かった。
初動で捕まえられなければ、逃げ足の速い彼にエマが追い付くのは無理だ。魔法を使ってよいのであれば勝負は分からないけれど、誰が通るかも分からない廊下で魔法を使うのは躊躇う。
「もう。なんで会長は止めてくれなかったんですか」
「ん?まあいいかなと」
「私は全然よくありません」
むぅ、と膨れるエマに、会長は首を傾げる。
「……それで?何の話をしていたんだ?」
「別に。会長にお伝えするような話ではありませんでしたよ」
そう言って話を打ち切ろうとするが、会長は笑みを浮かべたまま引こうとしない。
しばらく沈黙に耐えていたエマだったが、いつまで経っても諦めそうにないし、強いて隠す理由もないし、としぶしぶ口を開く。
「フェゼル先輩の恋愛事情を伺っていただけですよ」
「ふうん。興味深い話題だな?」
かけらも思っていなさそうな言い方だった。じゃあなぜ聞こうとした、と言いたいのをグッと我慢していると、会長がエマを見てにこりと笑った。
「ちなみに、エマのタイプは?」
「考えたことないので分かりません」
「へえ。家が決めた相手はいないのか?」
「我が家は兄が跡取りとして決まっていますから、私は比較的自由ですよ。近隣領地の家に嫁入りするか、同程度の家から婿を取るか、ですね」
我がファーレン家の家人は代々上昇志向があまりなく、現状維持を重視しているところがある。
貴族としてはもっと頑張れと言われることもあるが、過去に国内の経済が悪化したときも領内への影響はほとんどなかったという実績を持っているため、堅実な家だと領民や近隣領地からの信頼は結構厚い。
今のところ、エマにはこの人がいい!という人も残念ながらいないし、たぶん、そのうち両親が良い感じの人を何人か見繕って提案してくれるはずだ。
「そういう会長はどうなんですか?」
「俺か?俺は……どうだろうな」
うまくいけば、王太子妃を狙っている令嬢たちに恩を売れる情報をもらえるかも、と期待しての問いだったが、あっさりと肩をすくめられてしまった。
なんて面白くない回答なんだ。つまんないな。
「つかぬことを聞くが。エマは王都内に残るつもりはないのか?」
「え、王都ですか?……特に、予定としてはありませんが、あえて残る理由もありませんからね」
再び自分に順番が戻って来て、エマは首を傾げつつ答える。
「そうか」
頷いた会長が、「それなら、1つ助言をしておこう」とエマを真っ直ぐに捉える。
「卒業後、王都に残る未来も考えていた方がよいぞ」
微笑みのかたちを作っているが、細められた目の奥が妙に真剣な色をしているのを見て、エマは言葉に詰まる。こくり、と喉を鳴らして意味を問おうと口を開く。
「それってどういう意味で――」
「さあ、生徒会室に戻ろうか」
「え、ちょっと会長っ」
けれどその前に背を翻されて、エマは咄嗟に駆け寄る。
隣を歩くエマにちらりと視線を向けて、「さて、ところでエマ、」と別の話を始めた会長に、エマは結局、問いを繰り返すことはできなかった。
第2回相談会の記録。
相談者:悪役令嬢になりたくない初恋お嬢様




