ヒロイン(仮)が登場した件について
それから数日後。
エマは、空き教室の真ん中に座っていた。
向かい合わせに机と椅子を設置し、一年に一回の教師との面談時を思い起こさせる構図である。
エマの隣の席には可愛らしく無駄に高価そうなぬいぐるみが鎮座しており、胸元にはご丁寧に『会長』と書かれていた。
エマの記憶が正しければ、記念すべき1回目の相談会には、会長も聞き役として参加すると言っていたはずだ。それが、蓋を開けてみれば会長クマの登場である。
俺の代わりだと言ってこのクマのぬいぐるみを渡された瞬間、会長の大丈夫は二度と信用しないとエマは心に決めた。
とはいえ、所詮、学生主催の相談会だ。大して人は来ないだろうし、来てもどうせ「テストが悪くてどうしよう」くらいのものだろう。常識の範囲内で答えれば何も問題はないはず。
それに、いざとなれば、昨日買った『これさえ守れば大丈夫!あなたも相談マスター』という本がある。文言どおり、これさえあればなんとかなるはずだ。
そう思ってエマが肩の力を抜いたその時――教室の扉がガラリと開かれた。
現れたのは、盛り上がる全身の筋肉が特徴的な男子生徒。あまりに筋肉が分厚いせいで、制服が自らの限界に挑戦しているようだった。
エマはうわ来ちゃったよと内心思いつつ、男子生徒に席を勧め、とりあえず世間話から始めようかと思ったところで――
「実は自分、ヒロインなんです」
おっと?
エマは、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「ヒロインですか?」
「はい、ヒロインです」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
でも、ヒロイン。ヒロインか。ヒロインってあれだよね。いわゆる物語の主人公。なるほど確かに、目の前の彼には主要人物並みの存在感がある。
だが、一つだけ気になるところがあった。エマの記憶が正しければ、その名を冠する者には、とある共通した特徴があったはずである。
ヒロインは、女だ。
目の前の相談者に視線を向ける。
男だ。
右から見ても、左から見ても、男だ。
女では到底得られない大変立派な体格は、男の特徴を割増で主張している。
だが、ヒロイン。彼はヒロインだと言う。それならまあ……ヒロインなのだろう。
エマは自身の疑問を一旦置いておくことにした。この結論に至るまでの時間、わずか3秒。国内随一の名門校、その学年2位という肩書きに恥じない優秀な頭脳をもって、エマは全力で思考を回していた。
「なるほど。それで?」
昨日買った本には書いていた。『まずは話を聞きましょう』と。
そうだ、話を聞こう。先人の言うことは信じるべきである。あくまで基本的には。
「自分には、前世の記憶があるんです」
やっばい奴が来たな。
「前世で読んでいた小説の舞台が、この世界でした。その小説の中で、ヒロインは3人の男子生徒と出会い、仲を深め、時に彼らの悩みを解決しながら、様々な試練を乗り越える王道の純愛ストーリーです」
……なんだろう。色々と突っ込みどころがあるけれど、まずは一つ一つ潰していこう。
「様々な試練とは、たとえば?」
「1番大きいものとしては、3人の男子生徒が婚約者と婚約破棄することですかね」
まごうことなき邪道じゃないか。
え、待って。どこに王道要素があるの?
婚約者と結婚して末永く幸せに過ごす。それがエマの知る王道であった。もちろん、その王道を辿ることが簡単だとは思っていない。
何しろ、婚約というのは当人だけの意思で結ばれるものではない。例えば貴族であれば、何代にも続く己が家と、治める地と、そこに住まう領民と、その全てを考慮した上で結ばれる契約なのだ。
よって、それを破棄するなど、貴族としての責任を放棄するにも等しい愚行である。仮に許されるとすれば、既にある婚約よりも好条件を提示された場合であろうが、それも、元婚約者の家との繋がりを考慮すれば、歓迎すべきものではない。
なぜならそこには、婚約を結ぶだけの利点があったはずだからだ。
しかも、男子生徒の話を聞く限り、3人の男子生徒はヒロインのために婚約を破棄したという。
なんという傍迷惑な話だろうか。彼らのやっていることは、家のための契約の私物化である。
たとえヒロインが物凄い好条件を持っていていたとしても、結ばれるのは3人のうちの1人。残りの2人は、貴族としての能力欠如と見做され、領政における閑職に追いやられること間違いなしの事案である。
だいたい、そのヒロインもヒロインだ。3人もの男性と同時に浮き名を流すなど、社交界でどんな噂を流されるか。社交界の爪弾きになどあってみろ。貴族女性としての終わりである。
つまるところ、婚約破棄は基本的に誰も幸せにならない。
「ええと……その。あなたがそのヒロインなことに、どんな問題があるのでしょう?」
エマの質問に、男子生徒はえっと驚いた顔をする。
「だって、それは……自分がヒロインなことで、物語が始まらないですよね?」
「そうかもしれませんが、そもそも、その物語って始める必要がありますか?」
「へ?」
男子生徒が呆けた顔をするが、エマにはなぜそんな顔を向けられるのかが分からなかった。
ごめんなさい先人。まずは話を聞きましたが、私には理解できませんでした。
「まず、そのヒロインさんの身分を伺っても?」
「元平民の男爵令嬢です。名前はジーン」
ちなみに自分も同じです、と男子生徒ことジーンは語った。確かに、ジーンは男女兼用の名前である。
「では、そのジーンは何を持っているのでしょう?言い換えると、3人の男子生徒が惹かれた部分はどういったところでしょうか」
「えっと、それは、優しさとか」
「優しさは人間としての美点ですが、貴族の美点としては弱いですね」
その他には?と促すエマに、ジーンは戸惑いながらも続けた。
「あとは、素直さとか」
「素直さは時に重要ですが、貴族としては腹芸の1つや2つできて及第点です。他には?」
「他には……ええと、ジーンは他人の幸せを真摯に望む少女で、」
「婚約破棄などという重大な契約違反を犯した男子生徒らに明るい未来は望めません。仮に本気で幸せを願ってのことだとしたら、そのヒロインには著しい想像力の欠如が認められるでしょう」
「あのでも、ヒロインは3人の恋情に途中まで気づかなくて」
「自らに向けられる感情を正しく認識し、コントロールする能力が足りていなかったのでしょう」
エマはどんどん遠慮なく返していく。
決してジーンを追い詰めたいわけではないが、エマがこれまでの人生で教えられてきた、貴族視点の客観的な意見は伝えた方がよいと判断してのことだ。
もちろん、重ねての反論があれば受け入れる所存である。
「ですが、3人には悩みがあって」
「悩みですか。それはたとえば?」
「とある一人は、弟が自分よりも優秀なことに悩んでいました」
「優秀とは、具体的にどの分野においてでしょうか。全体的に?部分的に?もし分野が限られているならそこは弟に任せればよいでしょうし、全体的にであれば、最低限の能力を身につけた上で、弟の持たない部分を重点的に身につけるとよいかもしれませんね」
「全体的に、です。それに弟は自分よりも精神的にも優れていて、次期領主としての座を奪われるかもしれないと不安に思っているんです」
「そうですか。ではあとは、『それでも領主は自分だ』という強い意思ですね。稀に逆転することもありますが、基本的に跡取りは嫡男です。気合を入れて跡取りの顔をしましょう」
ある意味、嫡男以外にとっては理不尽なほどに、跡取りは嫡男とされることが多い。中には実力主義の家もあるだろうが、話を聞く限り、件の男子生徒の家は前者なのだろうと推察できる。
そうであれば、よほどのことをしでかさないなければ大丈夫だろう。……たとえば、婚約破棄とか。
「ええと、他の人は……何でも手に入る能力の高さが、人生をつまらないものにしていて、」
「あら、ちょうど良かったですね。生涯の伴侶に望む相手が見つからない苦しみという挫折を味わせましょう。謙虚さと無力さを学ぶ絶好の機会です」
にこりとエマは笑かける。
なぜだろう。悪魔でも見るような目を向けられ始めたぞ?
「……他にも、皆、身分を見て自分のことを見てくれないとか」
「そうですか。厳しいようですが、それは、持てる者の悩みですね。身分という強力なアドバンテージを越えるくらいの能力を得ればよいのでは?」
エマ自身も、貴族の生まれということで、一般的に見て恵まれている側の人間だ。
だが、仮にエマが侯爵家の娘であれば、2年連続庶務などという事態にはならなかったはずだ。きっと今頃、副会長にでもなっていたはず。
別に会長の補佐をしたいわけではなく、むしろそれは嫌だけれど、庶務だって結局会長から雑用を押し付けられるのだから、それならせめて響きの良い方がよい。
そうだ。何が身分を見られるだ。いくら必死に努力したところで、その身分を得られない者が一体何人いると思っているんだ。私だって、会長が遠慮するくらいの身分が欲しかった。
聞いた端から切り捨てていくエマに、ジーンは愕然としている。
まあ、いささか遠慮なく言っていたことは認める。そう、端的に言ってエマはやさぐれていた。
だがもちろん、相談の回答に私情を持ち込むなどという愚かな真似はしていない。
たとえ会長に腹を立てていても、話の登場人物たちの責任感のなさに知ったことかと相談を突き放したくとも、エマは自らの役目を投げ出すことなどしないのだ。
それ故に、切り捨てて終わらせるなんて無責任なこともまた、しない。
一転して親しみやすい笑みを作ると、警戒する相手に柔らかい声で語りかける。
「ですが、そうですよね。苦しんでいる人がいると分かっていながら、何もできないのはもどかしいですよね」
「……そう、なんです。本来なら自分が彼らを救っているはずなのに……っ」
「ええ。ですが、ジーンさん。あなたも、ご自分がヒロインと同じことはできないと分かっているのでしょう?」
エマの問いかけに、ジーンは重く頷く。
「で、あれば。視点を変えてみましょう」
「視点を?」
「はい。あなたは今、ヒロインという視点から彼らを見ています。けれど、その視点だけでは彼らを救うことはできません。理由は、お分かりですよね?」
「……はい。自分は、ヒロインだけど、男である彼らと恋愛はできません」
確認の意を含めた問いへの回答をもとに、頭に浮かぶ選択肢から最適なものを導き出す。
よし。ではプランAで行こう。
エマは内心で舵を切った。
「ジーンさん。何も、ヒロインでなければ彼らを救えないわけではないはずですよ」
「え?」
「それに、ジーンさんがヒロインそのままに生まれなかったことに、意味はないのでしょうか。たとえば、そうですね。ジーンさんから見て、彼らは救いを求めているように見えますか?」
具体的な名前は聞かない。なぜなら、知ってしまったら面倒だから。
しばらくジーンは思い返すように沈黙していたが、やがて顔を上げるとそっと首を横に振った。
「分かりません。マルクスもカインもニールも、少なくとも表面上はそんな素振りを見せていません」
なんか今、学園内でも有名な高位貴族子息の名前が聞こえた気がするけれど、気のせいということにしておこう。
エマは、記憶する情報の取捨選択が早かった。
「そうですか。もしかしたら、この世界はあなたの知っている世界と異なるのかもしれませんね。少なくとも、あなたの性別という違いがあるのです。必ずしも、彼らが同じ悩みを抱えているとも限りません」
「でも、」
「ええ、そうです。それでも、もしも彼らに悩みがあるというのであれば、あなたが友人として力を貸せばよいのです」
「だけど、」
「確かに、ヒロインでないあなたに、彼らが助けを求めるのかは分かりません。けれど、ジーンさん。それならば、彼らが助けを求めるような人にあなたがなればよいのです。少しずつでいい。彼らと仲を深めてはいかがでしょうか。いつか彼らが手を伸ばした時に、その手を握ってあげられるように」
「それは、」
「道はきっと険しい。それでもあなたならば、できると私は思いますよ」
だって、と。
エマはまっすぐにジーンを見つめた。
「あなたはこんなにも、彼らを大切に思っているのですから」
そんなエマに、ジーンは何度か目を瞬かせていたが、やがて安堵したように笑った。その目には、薄く涙が滲んでいる。
「自分が女に生まれなかったのにも、きっと意味がありますよね」
「ええ」
「彼らの婚約を破棄させないためかも」
「ええ」
エマが優しく肯定する。そのとおりだと、あなたの言っていることは間違っていないと認めているようなその表情に、ジーンの心は軽くなっていく。
「ありがとうございます、ファーレンさん。あなたに相談して、本当に良かった」
「そう言っていただけると光栄です」
下げられた頭に、エマはにこりと返した。
すっきりとした顔でジーンが席を立ち、エマが見送る中、何度も頭を下げながら教室を去っていく。
ガチャリと扉が閉まったのをしっかりと確認して、――エマの表情はストンと無に落ちた。
「つっかれたぁ」
背もたれに全体重を預けるようにもたれかかった後、今度は前に体を倒して机の上にべたりと張り付く。
最後の全肯定型激励風意見の押し付けが上手くいって本当に良かった。ジーンが反論しようとする度に、エマはわざとそれを封じる勢いで言葉を紡いだ。
正直、エマはそこまで口が回るタイプではない。けれど、腐っても……いや別に腐ってないけれど、この名門校で学年2位の成績を納める程度には頭の回転が早い。つまり、なんかそれっぽいことをつらつらと述べるくらい、そう難しいことではないのだ。
それに、今回は、なんというか、相手が素直だった。飾らずに言うと単純だった。あそこまであっさり丸め込めるとはエマも思っていなかったくらいに単純だった。
机に体を預けたまま、顔を横に向ける。
すると目に入ってくるのは、会長クマ。見た目だけは可愛らしいぬいぐるみを撫でつつ、エマは独りごちた。
「それにしても、この会長クマは何の役にも立たなかったなあ」
「――随分な言い草じゃないか」
エマは即座に身を起こした。
ぴしりと背筋を伸ばし、ぎこちない笑みを浮かべる。
音を立てずに扉を開けるなどという、そんな無駄な能力を発揮するなと文句を言いたいその相手は、実に優雅な足取りでこちらに近づいて来た。
ぬいぐるみに手を伸ばして持ち上げると、
「これを作ったのは王都内でも指折りの仕立て屋でね。その価値はなんと王都の一等地に家を構えられるほどに高い」
「え!嘘……」
「ああ、嘘だ」
エマはこいつ殴っていいかなと思った。多分許されると思う。というか、世界が許さずとも私が許す。
「まあでも、俺の服飾を任せている者に作らせたのは本当だ。だから、そうだな。騎士団長の一月分の俸給程度の価値はあるはずだぞ」
はい、と胸の前にぬいぐるみを差し出され、反射的に受け取ってしまった。だって、騎士団長の俸給分だと言われたら、ねえ?
「……これに、そんな価値が?」
「俺にも分からんがな。それに、――まあ、分かっていないならそれでいいが、これからも相談を受ける時はこれを横に置いておくといい」
「どういう意味ですか?」
真意を探るように視線を向けるが、会長の鉄壁の微笑みからは、何の情報も得られなかった。
意味深な発言をしておきながら答えは教えてくれないなんて、性格が悪いにもほどがなかろうか。
「というより、まだ続けるんですか」
「そうだな。少なくとも、あと何名かの相談を受けるまでは。内容はどうであれ、相談数という目に見える実績がないと上の連中は満足しないだろうからな」
「また私が聞くんですか」
「そうなるな」
「……また一人で?」
「次は、副会長あたりにも声をかけるから」
お前じゃないんかい、とエマはジトリとした目を向ける。もちろん、エマがそんな目を向けたところで、会長の表情はどこ吹く風だ。
「……今日は疲れたので帰ります」
時間の無駄だと諦めて、エマはさっさと帰ることに決めた。荷物を生徒会室に置いているため、会長と一緒に戻ることになるのが何とも嫌だが仕方ない。
教室から出て、扉の鍵を閉めたところで、
「……――ああ、そうだ」
エマ、と会長が名前を呼んだ。
振り返ると、珍しく含みのない賞賛がそこにあった。
「良い回答だったぞ」
聞いてもいないくせに、とエマは思う。
だが、何となく憎まれ口を叩く気にもなれなくて、「そうですか」と小さく呟くに留めておいた。
そうして、1回目の相談会は終了した。
第1回相談会の記録。
相談者:ヒロイン(仮)の男子生徒




