過去と生き方
瀬奈は、良い意味であたしの予想を裏切った。
恐ろしく早いスピードで仕事を覚え、メキメキと成長していった。任せられる仕事は次々に増え、彼女が来てから業務全体の幅が広がり、結果として、経営は目に見えて右肩上がりになっていった。
あたしが瀬奈の家庭について詳しく話を聞いたのは、一緒に暮らし始めて一か月ほどが経った頃だった。その頃には、彼女の働きぶりに全幅の信頼を置いていたし、翌月からの昇給を心に決めてもいた。
その日、アルトが昼に焼肉弁当の差し入れを持って訪ねてきた。彼は瀬奈の様子を見に来るついでに、あたしたちの仕事を手伝っていくことが多かった。それがいつの間にか当たり前の流れになり、すっかり「保護者」が板についてきたように見えた。
あたしはお茶を入れるため、キッチンに立っていた。対面構造になっているキッチンから、リビングで瀬奈がアルトに楽しそうに話しているのが見える。アルトは、ときどき相槌を打ちながら、瀬奈の話に耳を傾けていた。
二人の座るテーブルにお茶を運び、あたしも腰を下ろす。
リビング横にあるあたしの部屋の引き戸は、少しだけ開いたままだった。その奥には、ラックに掛けた服が見える。仕事用と私服は用途ごとに分けられ、色味も極端に散らないよう揃えてある。床や机の上に余計なものはなく、生活感は最小限に抑えられていた。あたしは、周りがきちんと片付いていないと落ち着かない性質なのだ。
それでも、PCデスクの脇にある小さな棚に置かれたカラフルなヘアゴムと、小物入れから溢れそうな量のピアスが、ここで瀬奈が過ごしてきた日々を、静かに示していた。
みんなでテーブルを囲み、アルトの買ってきた弁当を食べていた時、あたしは瀬奈に尋ねた。
「あんたの親、娘がこんなに長いこと帰って来なかったら、さすがに探しだす頃なんじゃない?」
そう聞いた瞬間、瀬奈の目は分かりやすく曇った。
「うち、そんな親じゃないから」
そう言って、彼女はしばらく黙り込む。それからゆっくりと口を開き、ぽつりぽつりと、言葉を拾うように生い立ちを語ってくれた。
家庭での扱われ方、両親のこと、妹のこと――そして、その立場が学校でも同じだったこと。家出をした日のこと、家出をしてからのこと。
すべてを聞き終えてから、あたしは静かに言った。
「そっか。探されてる心配は、しなくてよさそうだね。まあ、あんたも大変だったんだろうけど、あたしからしたら、ちょっと羨ましい」
「え?」
「あたしの親はさ、あたしのこと恥ずかしい存在として散々隠してきたくせに、今になって、あたしがどこにいるのか、何してるのか干渉してくるんだよね。十回に一回くらいは電話に出てやって、元気だからじゃーね、ってすぐに切る。心底面倒くさいけど、別に縁切るほど憎んでもいないっていう、一番中途半端で面倒な関係っつーか」
「恥ずかしいって……どうして?」
自分だって決して恵まれた環境ではなかったはずなのに、瀬奈はあたしの話を聞いて、とても悲しそうな顔をした。
「息子として育てきたはずのあたしが、こんなんなったからさ。母さんにとってあたしは、隠したいような恥ずかしい存在だったわけ。なるべく人目に触れないように、ひっそりと生活してくれって、いつも言われてた」
「ひどい。神羅、こんなに素敵なのに」
瀬奈は、言葉通りひどくショックを受けたような表情を浮かべた。
アルトは手を止めることなく淡々と食事を続けている。聞いているのかいないのか、その表情から彼の心情を読み取ることはできなかった。
「ありがと」
あたしは瀬奈に、ほんの少しだけ笑って言った。
「まあ母さんはさ、あたしがどんどん違う方向に行くから、そんな我が子をどうしても認めたくなかったんだと思う。だってもう、汚物を見るみたいな目であたしを見てたから」
瀬奈は俯いたまま、あたしの話を黙って聞いていた。
「運動会とか参観日みたいな学校行事は、人目につくからって理由で、必ず欠席させられてた。だからあたし、一度も学校のイベントに参加したことないんだ」
口に含んだ肉を飲み込み、あたしは続ける。
「あたしのこと、存在しないものにしたかったんだろうね」
黙って聞いていた瀬奈が、ぽつりと言った。
「……わかるな」
あたしは瀬奈に視線を向ける。
「これ、わかっちゃうか」
「今話したみたいに、私も存在しないものみたいに扱われてたから。今頃、いなくなってせいせいしてるんじゃないかな」
「血眼で探されて連れ戻されるより、気楽でいいよ。あんたの好きに生きりゃいい」
その言葉に、瀬奈は少し考え込むようにしてから言った。
「神羅は強いね。私は、そんな風には生きられないな。どうしてそんなふうに、いつも前向きでいられるの?」
そう問われて、あたしは少し考えた。
「うーん。前向き……か。考えたことなかったけど。ずっとグランマといたからかな」
「ぐらんま?」
「そう。赤い髪の、パワフルな、あたしのおばあちゃん」
瀬奈が自身の過去を話してくれたように、今度は自分の生い立ちも話そうと、あたしは記憶を辿った。




