少年の旅(Ⅷ) リュウジくんと夕子さん
妖精を見た事ありますか?
僕はあります。
今、目の前を飛んでいるんです。
僕の目の前を楽しそうに小走りに走る度に揺れる淡いピンクの夏物のカーディガンや、軽くウエーブがかった長い栗色の髪がフワリフワリと風に踊るたびに、小さな光の粒子がそこから溢れ出してキラキラと楽しそうに舞っていた。
その輝く粒達はきっと妖精なんだと僕は思った。
きっと見る人が見たらちゃんと妖精の姿に見えるはずだと。
街も輝いている
目の前にそびえ立つ背の高い教会の塔も
並ぶ煉瓦の町並みも
青々と葉を茂らせた並木道や、道を行くボコボコにへこんだ古い車達だって
夏の日差しを受けて眩しく輝いている。
そして街中が楽しそうな音楽に溢れてる
夏の涼風に乗って聞こえてくる車や路面電車の音
建設現場の重機の騒音
手を繋いで駆け抜ける僕達の横を通り過ぎて行く色とりどりの店や、日々の生活の中から聞こえてくるようなそんな音達が楽しげに風に舞うように踊っていた。
まるで街中がコンサートホールのようだと僕は思った。
心が踊って止まらない
風に乗って淡い香水の香りがした。
僕の手を引きながら振り返った笑顔も、夏の日差しを受けて輝いていた。
「リュウジくん!
次はあそこ行こうよ!
あそこ!」
指さした先にはモスグリーンのパラソルのジェラート屋が見える。
腕を上げた途端に、白いノースリーブの夏物のワンピースから覗く細くて白い腕からすべすべと柔らかそうなわきの下へと続くラインが目に飛び込んで来て、僕は思わず顔を赤らめてしまった。
甘い大人の香りと、小さな光の妖精達が夏の日差しを反射して輝いていた。
僕は今、カールスルーエに来ている。
『少年の旅(Ⅷ)』
リュウジくんと夕子さん
「カールスルーエの駅で待ってるね!」
昨日の晩、そう言って電話を切った夕子さんだったけれど、僕はそんな行った事もない街の大きな駅の中で二ヶ月前に一度会っただけの夕子さんを見つけ出す事が出来るかどうか心配だった。
でも、そんな心配は無用だった事はカールスルーエの駅に到着してすぐに分かった。
何故なら探す必要もなく、夕子さんは立っていたのだから。
慌ただしく行き交う無数の人混みと少し淀んだ駅の空気の中、その場所だけが輝いていて空気だって透き通っていた。
少し薄暗い駅のホールの中で夕子さんだけが、まるでスポットライトが当たってるように明るかったのだ、そんなの探すまでもない。
夕子さんは列車から降りる人波の中に僕を見つけると、微笑みながら手を振ってくれた。
袖のない白い夏色のワンピースの上から羽織られた淡いピンクのカーディガンの袖は、胸元でゆるく結ばれていた。
腰には茶色く編み込まれた太い革製のお洒落なベルトがしてあって、スカートの裾からは少しだけ膝が覗いていた。
僕に手を振る度に可愛らしい腕時計の革製のバンドと、大きな白い帽子が揺れていた。
その姿は紛れも無く夕子さんだった。
確かにあの時のような茶系の出で立ちでは無かったけれど、僕の知っている清楚で明るくて綺麗で可愛い夕子さんだった。
駅の中を通り過ぎて行くドイツ人達がそんな夕子さんを見て振り返っていた。
そりゃあそうだろう。
どう考えたって夕子さんの周りだけ空気が違うのだから。
僕は少し鼻が高かった。
これから一泊二日のカールスルーエ、そんな人目を引く夕子さんを僕は独り占め出来るのだから。
反面、ちょっと申し訳なくて情けない気持ちもあった。
なにせ夕子さんのお相手である僕は、ジーパンにTシャツ。
お世辞にもお洒落だなんて言えない格好なのだから。
夕子さんと並ぶには不釣り合いにも程がある。
これでは姉と弟ですら程遠いと僕は思った。
恐らく隣に並んだら、やっぱり「お嬢様とお付の者」にしかならなんじゃないかな・・
そう思うとやっぱり夕子さんに対して申し訳なかった。
「リュウジくーん!
こっちこっちー!」
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、夕子さんは相変わらず周りからの注目を集めながら僕に向かって手を振っている。
僕は慌てて夕子さんの元へと走った。
「久しぶり!
リュウジくん!
あれ?
ひょっとして背が伸びた!?」
僕が挨拶をしようとした途端、キョトンとした顔で夕子さんにそう尋ねられてしまった。
本当は僕から「お久しぶりです!」 と元気に挨拶をしたかったのに、困った事に先手を取られてかける言葉を見失った僕の久しぶりに会う夕子さんへの第一声は
「いや・・
変わってないと思いますよ・・」
という、なんとも情けない物になってしまった・・
久しぶりに会う夕子さんは、何というかやっぱり夕子さんで
栗色で軽くウエーブのかかった長い髪も
おっきなどんぐりまなこも
自然な色の上品な口紅も
どこを取っても2ヶ月前のあの優しくて綺麗で可愛いお姉さんのままだった。
「今日はリュウジくんを色々連れ回しちゃんうんだからね!
覚悟しといてよ!。」
そう言った夕子さんはイタズラっぽく小さく舌を出して僕にウインクした。
僕は少しだけ照れながら大きく
「はい!」
と返事をした。
なんだか懐かしかった。
シュタウフェンでの生活が始まってからというもの、もちろん色んな人から助けられる日々ではあるのだけれども、やはり基本は
「自分で何とかする」
というのが原則で、それが上手く行かない時に見かねた誰かが助言してくれる。
という助けられ方ばかりだった。
でも、この夕子さんとの時間は違う。
一方的に僕が夕子さんに任せっきりにして頼りきっている。
それでいいんだし、それが姉弟みたいな居心地のいい関係だと僕は素直にそう思った。
僕の隣に立つ夕子さんは、楽しそうに一生懸命カールスルーエの話しをしてくれている。
ニコニコと話す言葉はまるで機関銃のようだ。
2ヶ月前にコペンハーゲンで拾われて、飛行機の中も、地下鉄の中も、一緒に乗った特急列車の中でもいつも夕子さんはこうやって楽しそうにいっぱい僕に語りかけてくれた。
あの時はたった1日だったけれど、今回はたっぷり2日間、僕はこの楽しい時間を満喫出来るのだ。
そう思ったら緊張していた僕もいつの間にか夕子さんにつられてニコニコと微笑んでいた。
「リュウジくん?
次降りるからね!」
再会した僕達はその後しばらく駅で立ち話をした後に
「まずはお城ね!
どうしても真っ先にそれをリュウジくんに見てもらわないと!」
という夕子さんの提案でSバーンという路面電車に僕達は飛び乗った。
そして夕子さんが「降りる」と言った場所は駅からしばらく街中を進んだ「マルクトプラッツ」、マーケット広場だった。
マーケット広場はだいたいどの街にもある。
シュタウフェンのあの石畳で噴水のある広場だってマーケット広場だ。
僕はそんな事を思いながら夕子さんに続いてSバーンを降りると、目に飛び込んできた広場の大きさはシュタウフェンとは比べ物にもならない物だった。
普通にサッカーが出来そうな大きさの石畳の広場に、色とりどりの服装の観光客やドイツ人達がひしめき合っている。
「色とりどりの野菜が屋台で売られる市場」
という感じではないけれど、それでも広場の端の方にはチラホラと屋台のパラソルや、お洒落なお店が見える。 そこはとても賑やかで、まるでお祭りの歩行者天国のような雰囲気で僕は思わす呆気に取られてしまった。
急に僕の手が握られた。
凄く小さくて柔らかい手の感触だった。
「ほら、リュウジくん!
こっちこっち!
そこ立ってたら次の人が降りれないよ。」
微笑んだ夕子さんはそう言って僕の手を引いて小走りに走った。
とても軽やかでとても楽しそうで、まるでダンスでも踊っているような足取りだった。
僕は思わず握られた手を強く握りしめてしまった。
「カールスルーエのお城はね
このマルクトプラッツを抜けた先にあるんだよ。」
振り返りながら微笑む夕子さんの栗色の髪が風に舞った。
ハラリと踊る髪の隙間からこぼれ落ちた光の妖精達も楽しげに揺れていた。
僕の手を引きながらマーケット広場のあの店この店、色んな店を指さしながら夕子さんは楽しそうに説明してくれる。
そのほとんどの店が僕みたいな子供には縁もないような高級なお店ばかりで、夕子さんの説明してくれるブランドの名前だってチンプンカンプンだったけれど、僕はそれでも構わなかったし楽しかった。
だって夕子さんがこんなに笑っているのだから。
おかしなものだ。
並ぶと僕の方が20cmは身長が高いはずなのに、細身で華奢なはずの夕子さんは全然小さく見えない。
それどころか、ひょっとしたら僕より大きいのではないか?
という錯覚にさえおちいる。
それはまるで大きなお姉ちゃんに手を引かれる小さな弟みたいな感覚だったけれど、不思議と嫌とは思わなかった。
それどころか、なんとも言えない安心感が握られた小さな手から伝わってきた。
うん。
これが僕と夕子さんの関係。
とっても心地よくて安心できる関係だ。
僕はついつい嬉しくて顔が緩んでしまった。
「リュウジくん!
次はあそこ行こうよ!
あそこ!」
マーケット広場のほぼ中央。
なぜか大きなピラミッドのオブジェが置いてある辺りで夕子さんが指さした先にあったのはモスグリーンのパラソルだった。
どうやらジェラートの路面販売のようで、恰幅のいいコック服姿のおじさんの姿が見える。
確かに今日は7月も終わりの晴天でマーケット広場には僕達の濃い影が落ちていた。
駅からこっち、随分と楽しそうに夕子さんもしゃべり続けていたし冷たい物が欲しくなったんだろう。 と、僕は思って大きく頷いた。
「暑いからヨーグルトみたいなサッパリしたのもいいし・・
ラズベリーの甘酸っぱいのもいいわよね・・
あ、でもピスタチオの黄緑も綺麗だなー・・
あ、どうしようラムレーズンも見つけちゃった・・」
手を繋いで駆け寄ったジェラート屋さんの屋台の前で、かれこれ5分程夕子さんは迷っている。
どうやら2個に絞り込みたいのだそうだけど、なかなか目移りばかりして上手くいかないようだった。
僕がそんな大人なのに少女みたいに迷う夕子さんの姿をニコニコとしながら眺めていると
「これだから日本人観光客は困ったもんだ。
とっとと決めてくれ・・」
というドイツ語でとても早口の小言が聞こえた。
夕子さんにもそれが聞こえたようで、ジェラート選びに迷っていた夕子さんもキョトンとした顔をしていた。
僕が小言がした方を向くと、それは屋台のご主人だった。
ご主人は僕と目が合うと、また取っておきの営業用の笑顔を見せたのだけれども誤魔化されないよ。
僕の耳にはちゃんと聞こえたからね。
僕は息を一つ飲み込むと
「じゃあ、ピスタチオとラムレーズンはコーンに入れて下さい。
ラズベリーとヨーグルトはカップでお願いします。
あ、スプーンは2つ添えて下さい!」
と、やっぱりちょっと早口のドイツ語で注文して微笑んでやった。
案の定僕達が観光客でドイツ語が分からないと思っていたジェラート屋のご主人は、僕のそのドイツ語を聞いて目をまん丸にして驚いていた。
まさに「してやったり」だ。
普段外国人とばかり話していたから、自分の知っている文法の中だったら僕は喋りに自信があった。
普通ならアジア人、特に日本人は文法や筆記は満点なのに喋りが残念。
というのが語学学校でも皆の共通観念だったのだけれども、僕の場合はまったく逆で、どうやら人に言わせると
「リュウジは耳が良い。」
のだそうだ。
シュタウフェンに来て1ヶ月半も過ぎる頃になると、「えらく喋る日本人がいる」と巷ではちょっとした有名人になっていた。
その分文法が今ひとつで筆記でちょこちょことケアレスミスをしていたものだから、ガビからは
「あなた本当に日本人?」
なんて疑われたくらいだった。
もちろんこれは10ヶ月でドイツ人の高校卒業と同等の語学力を身につけるためだったし、何より2ヶ月前に完全におんぶに抱っこをしてしまった夕子さんを驚かせたい一心で身につけたドイツ語だった。
「に、兄ちゃん・・
ドイツ語上手いな・・
学生さんかい?」
と、少し慌てたご主人がそう聞いてくるので
「うん。
僕は語学学校生だけど、彼女はカールスルーエの音大に通ってるんだよ。」
と、やはりドイツ語で僕は答えて笑った。
「こりゃたまげたな・・」
そう言ったご主人は少々バツが悪そうにもう1個ジェラートをおまけしてくれた。
料金は1つ2マルクの4玉で8マルクだったので、僕は10マルク札を渡してお釣りはチップとして貰ってもらった。
ジェラート屋のご主人からカップとコーンに入ったジェラートを受け取ると、僕は振り返って
「夕子さんどっちがいいですか?」
と微笑むと・・
夕子さんもビックリしてどんぐりまなこをさらにまん丸にして驚いていた。
「ちょ、ちょっとリュウジくん!?
さっきのドイツ語どうしたの!?
2ヶ月前まで全然喋れなかったんだよね!?
ひょっとしてさっきのおじさんの早口のドイツ語も聞き取れてたの!?」
マーケット広場を抜けてカールスルーエのお城へと向かう道中、僕はそんな夕子さんからの質問攻めに合っていた。
確かにこの2ヶ月で上達したドイツ語を夕子さんに披露したかったのだけれども、僕の想像していた反応は
「お!リュウジくんドイツ語頑張ったじゃない!
凄いよ!リュウジくん!」
という風だったのに、そんな僕の想像を越えて夕子さんは驚いてしまったようで、少しションボリして見えなくもなかった。
これにはさすがの僕も困ってしまった。
僕からしてみたら夕子さんはドイツ語の大先輩で、見上げても見えないくらい上にいる人なはずなのに、そんな風に落ち込まれてしまうとかける言葉も見当たらない。
「凄いなぁ・・
2ヶ月でそれだけ喋れるんだ・・
私も語学学校行こうかな・・」
ジェラートを頬張りながら夕子さんはそんな言葉を呟きだしてしまった。
その言葉には、なんだか自分のドイツ語に対する自信の無さのような物が溢れだしていた。
2ヶ月前、フランクフルトの駅で切符を交換してくれた時も、持っていた米ドルをドイツマルクに換金してくれた時だって夕子さんは流れるような流暢なドイツ語で会話していた。
だからドイツでの生活も上手く行っていると僕は思っていたのだけれども、ひょっとしたら違うのかも知れない。
ふとそんな考えが頭をよぎってしまった。
僕も夕子さんにつられてそんな事を考えていたらついつい暗い顔になってしまったのだけど、しばらく街中を歩いた先に飛び込んできた景色に僕は思わず
「おおっ。」
と、声を上げてしまった。
「ね!
ね!
凄いでしょ!
これをリュウジくんに見せたかったのよ!」
一拍置いて夕子さんからもそんな明るい声が溢れた。
僕の目に飛び込んできたのはとてもとても広い宮殿の庭だった。
夕子さんは「お城」と言っていたから、もっとこう三角のお城を想像したのだけれども、目の前にあったのは横に広い豪邸で、お城はお城でも宮殿の方だった。
その広い庭はとても綺麗に整理されていて、生け垣が迷路のようになっていたり、様々な木々や様々な花々が咲き乱れていた。
「ね!
凄いでしょ!?」
僕の横でジェラートのスプーンを咥えながら、さっきまでの暗く沈んだ顔が嘘のように夕子さんがものすごく自慢気な顔をして微笑んでいる。
「ここはね、この街のシンボルの宮殿とお庭なのよ!
絶対リュウジくんを連れて来ようって、前々から楽しみにしてたのよ!」
「シュタウフェンにもシンボルのお城はあるけど、
さすがにこれは桁違いです・・
うちの街のは崩れてますし・・」
僕がそう驚いていると
「あ、前に電話でリュウジくんが言ってた
ワイン畑の山の上にある崩れたお城でしょ?
メフィストとファウストの?
ねえね、今度は私がシュタウフェンに遊びに行くから
その時はそのお城に登らない!?」
夕子さんはそう言ってニコニコしている。
電話で前に夕子さんに話した事があるので夕子さんは知っていたが、あの崩れた城は登る事が出来る。
ワイン畑の斜面にある細い道が城まで伸びていて、それを登ると城まで行くことが出来た。
日本ならそんなに有名なお城は入場料を取るのだろうけど、うちの街の城は誰でも自由に公園感覚で登れたし、お城だってほとんど手付かずのままそこに放置されていた。
崩れたお城にはかろうじて細い階段が一つ残っていて、城の上に登る事ができた。
よく語学学校の学生達とビールを持って城に登り、シュヴァルツヴァルトや、見渡す限りの平野を眺めて僕達は酒盛りをしたりする。
あの景色は絶景で、夕子さんも見たら絶対に喜ぶと思った。
僕は大きく頷くと
「うん!
是非!」
と、夕子さんに向かって微笑んだ。
このカールスルーエへの旅ですら今始まったばかりで、これから先明日まで楽しみが満載なのに、さらにその先の約束が出来て僕は嬉しかった。
僕達は二人で宮殿の庭を並んで歩いた。
そして対面売りのキヨスクのスタンドでサンドイッチを買うと、それをお昼ごはんにした。
夏の日差しは眩しくて、夕子さんの笑顔も眩しかった。
さっきは少し暗い空気も流れてしまったけれど、そんなの忘れて僕達は笑った。
その後僕達は「カウフハウス」というドイツのデパートに立ち寄った。
化粧品に香水、洋服に雑貨にバッグ。
夕子さんは楽しそうに色んな店を覗いてはウキウキとしている。
「リュウジくんを色んな所に連れ回すんだから!」
と言っていた夕子さんだったけれど、どちらかと言えば
「自分の行きたい店巡り。」
のようであったけど、それでも僕には十分楽しかった。
僕達は二人で色んなフロアを見て周りながら、気になる物を見つけるとドイツ語で店員さんに話しかけて色々説明をしてもらった。
二人でドイツ語を話しながら買い物をして回る。
というのはとても新鮮で楽しかった。
というか、そもそも僕はこうやって女の子と二人で一緒にデパートで買い物すらしたことが無かった。 それが初めてが夕子さんのような美人なお姉さんと二人でドイツのデパートなのだ。 これが楽しく無い訳がない。
正直な所は、どうしてそんな服やバッグが楽しいのかは理解出来なかったのだけれども、楽しそうに笑う夕子さんの顔は本当に素敵で、それを見ているだけで僕の心は踊った。
なんだが二人で海外旅行にでも来ているような、そんな夢心地な時間だった。
なんというか、大人の世界だった。
僕の知っている同年代の女の子達はもちろん高校生で、そりゃあいい香りをさせている子達も中にはいたけれど、それはどっちかと言うと「柑橘系」のコンビニでも売ってそうなコロンの香りで、今夕子さんが手首に吹きかけて色々試しているようなちゃんとした香水ではなかったし、洋服やバックだって夕子さんが目を輝かせて眺めてるようなブランド品はテレビや雑誌の中だけの存在だと思っていた。
8歳の歳の差。
しかも僕は田舎の温泉街育ち。
方や都会のお嬢様。
この差は大きいと僕は思った。
思ったけれど、やっぱり新鮮だった。
「前々から気になってたお店なんだけどね
普段は大学とアパートの往復の毎日だし、
女の子一人でわざわざこんな所までって来づらいじゃない?
リュウジくんがいてくれてよかったよ!」
なんて夕子さんは照れ笑いしている。
どうやらこんな僕でも夕子さんの役に立てていると思ったら嬉しかった。
ドイツ初日だって、終始夕子さんにおんぶに抱っこで世話になるばかりで、僕は何も夕子さんの役にも立たない、お返しすらままならい。 と、いう負い目があった。
それどころか
『どうして夕子さんは、こんな右も左も分からない僕に
こんなに優しくしてくれるのだろう。』
『頼りない僕は夕子さんのお荷物になっているだけなのに
どうしてこんなに夕子さんは笑ってくれるのだろう。』
という疑問すらあった。
もちろんその疑問は疑問のままだけれど、目の前で笑いながらウィンドウショッピングを楽しむ夕子さんの笑顔を見ているとそんな疑問や心配事も吹き飛んだ。
少くとも「お供」としてこうやって夕子さんの近くにいるだけで、夕子さんは一人では行きづらかったお店を楽しめている。
僕はたったそれだけがとても嬉しくて誇らしかった。
「ごめんね、リュウジくん。
なんだかんだ言って、私の行きたい店にばかり行ってる・・
退屈してない!?」
少し心配したのか、急に夕子さんが僕の顔を覗きこんでそんな事を言ってきた。
もちろん僕は
「ううん、楽しいですよ!
それに、こんな僕でもちゃんと夕子さんの役に立ててて嬉しいです。」
そう素直に答えた。
それを聞いた夕子さんは、最初ちょっと驚いた顔をしていたけれど、その後少しだけ困ったような顔をして
「そんな事ないんだよ。
リュウジくんがいてくれるだけで私だって随分救われてるんだよ。」
と、静かに言った。
そして何かを思い付いたみたいに急に明るい顔に戻って
「それにほら、リュウジくん!
2ヶ月前まで一言もドイツ語話せなかったのにあんなに上手になったんだよ!
急に背も高くなるし、たくましくなるし!
そのうち私なんてすぐに追い越されちゃうんだから。
その時は私がリュウジくんに面倒見てもらうね!
そしたらほら、それでお相子じゃない!」
なんて早口に言って笑っていた。
僕は少し驚いて
「えーっ!?」
と言うと、夕子さんは少し照れた顔で
「えへへ」
と笑った。
さすがに僕が夕子さんを「救っている」 とか「僕が夕子さんの面倒を見る」 なんて事は想像も付かなかったし、それは夕子さんの冗談なんだろうとは思ったのだけれども、少なくとも今回の次にはシュタウフェンがあり、その先も約束は無いけれどずっと夕子さんと会う約束をしたみたいで僕は嬉しかった。
僕達はさんざんウィンドウショッピングを楽しんだのだけれども、結局夕子さんが買ったのは香水が一つだけだった。
夕子さんは自分が気に入った何種類かをそのまま僕にも嗅がせてくれて
「リュウジくんはどれがいいと思う?」
と、聞いてきた。
今まで僕が香水だと思っていた香りは少しドギツい香りだったのだけど、夕子さんが嗅がせてくれた香りはどれも優しくて甘かった。
僕はその中から少しお菓子のような甘い香りのする物を選んだ。
僕のチョイスは少し子供っぽかったなか?
と思ったのだけれども、なんとなくそのお菓子のような優しくて甘い香りは夕子さんによく似合うような気がしたのだ。
「じゃあ、これにするね!」
夕子さんは楽しそうにそう言うと、僕の選んだ香水をレジまで持って行って買ってしまった。
僕は本当にそれで良かったのか少し心配になってしまった。
そこまでも十分に楽しい買い物だったのだけれども、一番僕達が盛り上がったのは地下の食品売り場だった。
うちの街では想像も付かない物が沢山並べてあって僕は驚いてしまった。
ドイツには売ってないかと思った鮮魚や、アジアンコーナーなんかもあった。
夕子さんもそれには大喜びで、スーパーの中を縦横無尽に動きまわっては物色していた。
僕は大きなカートを押しながらそれに続いて、今晩のおかずについて二人で沢山笑いながら話した。
特にアジアンコーナーに置いてあった日本酒に夕子さんは目を奪われていて
形のいい顎に指を当てながら
「うーん・・
うーん・・」
と唸っていた。
「約束のワインとソーセージで乾杯は譲れないんだけど、
折角リュウジくんと二人なんだし、ここは日本人らしく
日本酒で乾杯も捨てがたいわよね・・
あ・・
私そんなにお酒は飲めないからね・・
飲めないけど、ほら、気分ってあるじゃない?」
と、顔を赤くして照れる姿がとても可愛らしかった。
「じゃあ、日本酒も買いましょう。」
と、僕が提案すると
「私のアパート遠いわよ・・
重いわよ・・?」
と、心配そうな顔をしたので、僕は力こぶを作るポーズを作って笑った。
それを見て夕子さんもまた笑ってくれた。
食品コーナーで時間も忘れて大はしゃぎしながら買い物をしていた僕達がふと時計を見ると、時刻はすでに夕方になっていたので大慌てでレジに進んで支払いを済ますと、大きな買い物袋を抱えてやっぱり大慌てでカウフハウスの外に出た。
すると外はまだ真昼のような明るさだったので、僕達は顔を見合わせて
「慌て損したね。」
という顔をして笑いあった。
さすがサマータイムのある国だ。
ドイツではこの時期夜の9時くらいまで外は明るい。
いよいよこれから夕子さんの部屋だと思うと、さすがに僕は少し緊張した。
「夕子さんに対して恋愛感情は無い。」
と思っていた僕だけれども、何と言うか今日一日とても楽しかったし、無邪気に笑う夕子さんはとても可愛らしくて正直何度もドキドキとした。
ただ、やっぱり高嶺の花過ぎて僕からどうのこうのというのは考えられないけれど、一つ屋根の下で泊まった時、ひょっとしてひょっとする展開になってしまったらどうしよう・・と、少し胸が高鳴っていたのは事実だった。
そんな僕の心配はよそに、夕子さんは何やら青空を眺めて考えこんでいる。
「ゴメン!リュウジくん!
もう一軒だけ!
もう一軒だけ寄ってもいいかな!?」
考えこんでいた夕子さんが急にそんな事を言い出して僕に手を合わせて来るから
「大丈夫ですよ!」
と僕は笑った。
本当は重い買い物袋が指に食い込んでとても痛かったのだけれども、僕はもう少しはしゃぐ夕子さんを見ていたくなっていた。
こうして僕達が夕子さんのアパートに到着したのは、夜9時近くになっての事だった。
古い木造のアパートで、日本で言うところの4階だと夕子さんは僕に教えてくれた。
二人できしむ木製の階段を上へ上へと登ると
「お疲れ様、リュウジくん!
ここが私の部屋よ。」
と、言って夕子さんは一枚のドアの前で立ち止まって微笑んだ。
「今から夕子さんの部屋に入る。」
「今晩はここに泊まる。」
そう思うと僕の胸は高鳴るばかりだった。




