吉乃ちゃんとおばあちゃん先生(V) 私達の決心
ふらふらと石段を上った先には社長と奥様、そして何度か見たことのあるご親戚の方々が集まっていました
皆さん普段着でしたが、中にすでに喪服のような物を着ている男性の姿がありました。
その人と社長、そして奥様がなにか打ち合わせのような事を話してみえます。
私はその人混みの中に立つ打ち合わせをしている社長に近寄って
「大女将は!?
大女将は!?」
と、夢中で何度も尋ねていました。
社長の目は相変わらず赤いままでしたが、さっきのように力なく笑う事も大粒の涙を流される事もありませんでした。
ただ静かに私に、大女将はすでにこの西山荘でも一番上にある「鷹の間」という広いお部屋に戻られて、今は安らかに眠られている事を教えてくれたのです。
「安らかに眠られている。」
その言葉と同時に、私の膝からまた力が抜けて、涙が止まらなくなってしまいました。
ぽんぽんと、誰かに肩を叩かれて振り返ると、それは上村のおばちゃんでした。
「優ちゃん。
悲しいけど、私達はまずお宿の仕事を終わらせましょう。
皆も優ちゃんを心配しているから。
それが終わったら私達も大女将に会いに行くから
もうちょとだけ我慢してね・・」
私を見下ろして微笑んだ上村のおばちゃんの目もすでに真っ赤でした。
私は上村のおばちゃんに手を引かれて勝手口を上がり板場に入ると、皆が泣きながら仕事をしていました。
悔しさからか松さんは
「ちくしょう!
ちくしょう!」
と涙を流して叫びながら板場を片付けています。
佐藤さんも、二郎君も
「どうして・・
どうしてなの・・」
と、呟きながら洗浄機から出た食器を拭いていました。
駆けつけてくれたバイト君達も無口に下を向きながら洗い場にたまった食器を洗っていました。
中には何人か泣いてる子もいます。
やっぱり皆の瞳にはいっぱいの涙が溢れていて、それぞれがそれぞれの仕事をしているのにその動きはすぐに止まってしまいます。 そして涙を拭いてまた動き出すのです。
その姿を見て私もようやく正気に戻れたような気がしました。
もちろん、私の目からも涙は止めどなく流れています。
流れていましたが、それでも皆は仕事を続けているのです。
「さよなら」さえ言えない大好きだった人との別れ。
皆が苦しいんです。
皆が悲しいんです。
皆が納得いかなくて悔しいんです。
番頭である私が泣いている訳にはいかないと思いました。
私はまた自分のホッペタを二回叩くと、皆に「ごめんなさい。」と頭を下げてフロントへ続く暖簾をくぐりました。
フロントから見える売店やロビーには幾人ものお客様の姿が見えました。
お土産を探して売店を見ている奥様達が見えます。
ロビーで食後のコーヒーを飲みながら、初雪を楽しむ男性の方々が見えます。
小さなお子さんを連れた浴衣姿のご家族は、渡り廊下の入り口に向かって歩いています。
たぶんこれから温泉を楽しまれるのでしょう。
そこにはいつもと同じ西山荘の夜がありました。
皆が笑い、皆が楽しみにしていた旅行を満喫する姿でした。
「私達はお客様のためにいるのだ。
たとえ自分に嫌な事があったって、それはお客様が不完全なサービスを
受けていい理由にはならない。
どんな時でも別け隔てなくお客様は最高のもてなしを受けなくてはならん。」
大番頭の言葉が思い出されます。
そうなんです。
この笑顔を守るために大女将は何十年もこのお宿の女将として頑張ってきたんです。
そんなの大女将が喜びません。
自分が居なくなってしまった事が原因で、お客様方が嫌な旅行の思い出を作られるなんて。
私はもう一度大番頭のハッピの襟を強く握りしめました。
「すいませーん。
ちょっとおお土産物が欲しいんですけどー?」
売店からお客様の声が聞こえました。
私はハッピの袖でごしごしと涙を拭くと
「はいは~い。
ただいま~」
と、満面の笑みを無理やり作ってフロントを飛び出しました。
ええ。
笑いましたよ。
いっぱい笑いました。
土産物の説明をしている時も
土産物を包む時も
お会計をする時だって
ずっと笑ってました。
でも
「ありがとうございました~。」
ってフロントから遠ざかるお客様の背中を見た途端、また顔がぐしゃっとなって涙が出てしまうんです。
その度、サッと暖簾の影に隠れて慌てて涙を拭いて笑顔を作ると、また暖簾をくぐってフロントに立ちました。
そんな事を何度か繰り返しているうちに私を心配してくれた佐藤のおばちゃんが
「優ちゃん、大丈夫かい?
無理そうならフロント立たなくてもいいんだよ?」
と、言ってくれたのですが、私はゴシゴシと涙をふきながら
「大丈夫!」
って笑いました。
その時です。
物凄い勢いで玄関の引き戸が開いたのです。
雪の混じった冷たい冬の風がフロントと厨房を仕切る暖簾を揺らしました。
私は何事が起きた?
と、慌てて振り返ると、そこに立っていたのは頭や肩に雪を乗せた東京にいるはずの吉乃ちゃんでした。
『吉乃ちゃんとおばあちゃん先生(Ⅴ)』
私達の決心
「私達はもう明日の準備が終わったから
先に大女将のところに行かせてもらうね・・」
「優ちゃん、大丈夫かい?
後から一人で来れるかい?」
私がおぼつかない手でなんとかお宿の終了業務をしていると、先に一日の仕事が終わった上村のおばちゃんと松さんがフロントを覗いてくれました。
控室からはガチャガチャとタイムカードを押す音が響いています。
「うん、ありがとう。
ここ終わったら私も向かうから。」
私はそう答えて微笑みました。
そして二人が姿を消すと、パチパチという電気を消す音がして厨房が真っ暗になりました。
冷蔵庫のウンウンと唸る音だけが妙に響いていました。
頭や肩に雪を乗せて現れた吉乃ちゃんは、もうすでに大女将が鷹の間に戻ってみえた事や、親戚の方々が集まれれてる事を私が説明すると、肩や頭の雪も払わないまま一目散に走って行きました。
沼さんからは電話がありました。
予期せぬ大雪となったのこ初雪で高速は止まってしまい、迂回した国道や県道も雪の坂を登り切れないトラックや他県ナンバーの車で閉鎖されてしまって、今晩中に戻れるかどうかも怪しいのだそうです。
電話の最後の
「ごめんなさい優ちゃん。
こんな時に僕が傍にいてあげれなくて。」
と悔しそうに言ってくれた沼さんの言葉がとても温かくて、私は少し心強くなれた気がしたのでした。
何度かレジ操作を間違いながらも私はフロントの終了業務を終わらすと、レジにあった現金をお金のトレイごと裏の事務所の金庫に片付けました。
そして玄関の施錠をすると大きく深呼吸をして、重い足取りのままタイムカードを押すと勝手口から鷹の間のある離れへと続く石段を登り始めました。
不思議なものです。
さっきまであれほど心配で顔が見たかった大女将なのに、今は大女将に合うのが怖くて足が震えてしまうんです。
だって、もみじの着物が可愛らしくて、何度も何度も心配で照れてらしたんですよ?
その笑顔と着物が可愛くて、あたし凄く幸せな気分だったんですよ?
大女将元気で、吉乃ちゃんの着物が届くの楽しみにしてたんですよ?
全部今朝の事なのに、鷹の間で皆に見守られながら静かに眠る大女将なんて見てしまったら、私全部認めなくちゃダメじゃないですか。
もう大女将はいなくなっちゃったんだ。
もう二度と会えないんだ。
もう思い出の中ででしかあの優しい声が聞けないんだ。
って・・
降る雪は少しづつその強さを増して、街灯に照らされた空間だけがキラキラと輝いていました。
石段を登る時も
離れの玄関を開ける時も
鷹の間へ続く階段を登る時だって、自分ではちゃんと進んでるつもりなのに全然前に進んで行かないんですよ。
階段を登り切ると、廊下の一番奥にある鷹の間から皆の泣き声が聞こえてきました。
一番大きくて叫ぶように泣いている声は吉乃ちゃんでした。
「馬鹿野郎!」
と悔し泣きする松さんの声も聞こえます。
私は一歩、また一歩とその長い廊下を進んで大女将の眠る鷹の間の麩の前に立ちました。
そこでもう一度ハッピの襟を強く握り締めると、袖で涙を拭いました。
鷹の間の麩をゆっくりと開けると、忙しい時期には第二宴会場として使われるこの「客室」と呼ぶには大きな和室の中心で、沢山の人達に囲まれながら大女将は静かに眠っているようでした。
大女将が眠るお布団の上には大好きだった藤色の着物が掛けてあって、さらにその上から私が着ているのと同じ青いお宿のハッピが掛けてありました。
声を殺して泣く人
うなだれる人
呆然とする人
色んな人が大女将を囲んでいました。
私は不思議な事にさっきまであんなに涙が止まらなかったのに、何故だか凄く落ち着いた気持ちでその皆の姿を眺めていました。
眠る大女将にすがりつくように吉乃ちゃんが泣き崩れていて、何度も何度も
「おばあちゃん!」
「おばあちゃん!」
と、叫んでいました。
恐らく事故の一報を受けていてもたってもいられずに、東京から飛んで戻ってきたのでしょう。 コートを脱ぐ事だって忘れたままの姿で大女将にすがるようにして叫んでいました。
あんなに二人で幸せそうにしていて
あんなに楽しみにしていた吉乃ちゃんの成人式だってあともうちょっとで
あんなに二人で着物を着てお宿に立つ日を楽しみにしていたのに・・
「優姉!
おばあちゃんが・・
おばあちゃんが・・」
部屋に入った私に気が付いた吉乃ちゃんが私に抱きついてきました。
私は力強く私を抱きしめて叫び続ける吉乃ちゃんの頭を撫でながら
「ごめんね・・
吉乃ちゃん、ごめんね・・」
と、呟く事しか出来ませんでした。
そんな立った私達をまじまじと見る人は誰もいませんでした。
皆が俯いて、悔しそうに涙を流していました。
「吉乃?
少しお部屋で休みましょう?
尾折さんだって、ちゃんとおばあちゃんにお別れが言いたいでしょうから・・」
そう言って立ち上がった奥様は、優しく吉乃ちゃんの肩を抱くと、ゆっくり私から吉乃ちゃんを引き離して鷹の間から去って行きました。
最後まで吉乃ちゃんは
「おばあちゃん・・」
「おばあちゃん・・」
と泣きながら呟いていました。
吉乃ちゃんが顔をうずめていた私のハッピの胸の辺りはすでに大きく涙で濡れて冷たくなっていました。
私は吉乃ちゃんが去った後も立ったまま見下ろすように、静かに眠る大女将を眺めていました。
本当に、本当に静かで安らかで。
どう見たってただ眠ってるだけじゃないですか。
「優ちゃん、優ちゃん。」
そんな立ち尽くす私の手を引いてくれたのは佐藤のおばちゃんでした。
私はやっと我に戻って、なんとか大女将を囲む輪の中に腰を下ろす事ができました。
「痛かったでしょう・・
寒かったでしょう・・」
そう言って上村のおばちゃんが大女将の頬を撫でています。
「ドクターヘリで病院に運ばれてCTスキャンを撮ったりしてる時はまだ息があったんだ。
これが即死だったら、たぶん司法解剖に回されてこんなに早く綺麗なままでは戻って来れなかったかもしれない。懐に入れていた使い捨てカイロが無かったら即死だったかも知れなかった・・」
と、社長は皆に説明していました。
私はそれを聞いて、忘れていた涙がまた止まらなくなってしまいました。
私があの時手渡した使い捨てカイロが大女将を綺麗な身体のまま返してくれた。
でもその半面、楽になれずに何時間も大女将に辛い思いをさせてしまった。
そう思うと申し訳なくてまた涙が出てしまいました。
私も上村のおばちゃんと同じように大女将のすぐ近くにまで行ってお別れを言いたかったのですが、そんなに近くで大女将の顔を見てしまったら、きっと私も吉乃ちゃんみたいに泣き崩れてしまうに違いありません。
私は少し遠巻きの場所に座ったまま、皆と同じように俯いて涙を流しながら色んな事を思い出していました。
初めて会ったあの西山荘の門の前。
私はまだまだ小さくて、お父さんの足の影に隠れれていました。
学校の習字で賞をもらった時も、私より喜んでくれたのは大女将・おばあちゃん先生でした。
柔らかいひだまりの匂いのする西山荘の茶室で、小さな小さな吉乃ちゃんを抱っこして沢山お花の話しを聞かせてくれました。
寝酒にコップ半分の日本酒を飲まれて、ちょっとだけ頬を赤くして
「おいし。」
と、微笑む顔が大好きでした。
お宿が忙しい時も、私が失敗した時も、怒らずに微笑んでくれた大女将が大好きでした。
「大番頭の倉田さんに続いて清音さんもか・・
気の毒だけど、西山荘もこれで終わりだな・・」
「そうだな・・
ここらが潮時かもしれんな・・
清音さん、倉田さんあっての宿だったしな・・」
ふとそんな声が何処からか聞こえてきました。
その声は決して大きな声ではありませんでしたが、その場にいる誰もが耳にして顔に黒い影を落としたのです。
私は思わず耳を疑ってしまいました。
私は、「誰か反論しないの!?」と思って周りを見渡すのですが、松さんや上村さん、佐藤さん達も皆うなだれて「それが事実ならば受け止めるしかあるまい・・」という顔をしていたのです。
ダメ。
そんなのダメ。
そんな事許されない。
思わずその場で立ち上がって
「全体にお宿は終わらせません!」
そう叫びたい衝動に私は駆られたのですが、私は足も、手も、喉さえも動かす事が出来ませんでした。
気がついたらやっぱり私も下を向いてその言葉を受け入れていました。
だって、無理ですもん。
頼れる大番頭も大女将もいなくなったら、もう無理ですもん。
たぶん、松さんも、上村さんも、佐藤さんも、皆同じ気持ちだったんだと思います。
悔しいけどどうにもならない。
ここにいる西山荘の皆が一番辛くて、そして一番その事を理解していたのです。
これでこのお宿は終わりだと。
そんな時、ゆるりと社長が立ち上がりました。
一斉にその場にいる皆が社長に注目をしました。
私は少しほっとしました。
「皆さん、そんな寂しい事は言わないでくださいよ。」
きっと社長はそう言って親戚の方々から出た言葉を否定してくれるはずだ。
私はそう期待して立ち上がった社長を見つめました。
「皆さん、今日はお袋のためにご多忙な中集まっていただきまして
ありがとうございます。
本来ならこんな話しをお袋が眠る横でするのは何だと思うのですが・・」
その言葉に私は目の前が真っ暗になる感覚を覚えました。
「西山荘の株主である親戚の皆様も揃っておりますし、従業員も一同に集まっております・・」
だめ。
社長、その先は言わないで下さい。
お願いです、それ以上言葉を続けないで下さい
私の、、ううん、たぶん私達のそんな望みも虚しく社長はゆっくりと言葉を続けました。
「ほら。
やっぱりそういう話しになったか。
ここの奥さん、お宿嫌いだったからな。」
親戚一同の中からそんな言葉が聞こえてきて、周りがざわめき始めました。
「実は、大番頭の倉田さんが亡くなってからずっと考えていた事があるのです。
東京に「この西山荘が欲しい」と言ってくださる企業がありまして、今まではお袋の手前お断りしておったのですが、実際問題、倉田さん、そしてうちのお袋を失った今、私にはもうこのお宿を・・・」
私は目を閉じてその言葉の続きを、まるで死刑宣告を待つような心境で聞いていました。
周りではやはり小声でガヤガヤと
「そらみろ」
「やっぱりそうなるか」
という声が聞こえていました。
私は悔しくて、でも反論も出来なくて、ただただ膝の上で固めた両方の手をぎゅっと強く握って泣くことしか出来ませんでした。
私に大番頭程の力があったなら。
いいえ、沼さん程の力があったのならば、今すぐにでも立ち上がってそんな事絶対にさせないのに・・
私は目を閉じて続く社長の死刑宣告を待っていたのですが、社長の言葉は止まったままで、一向に続きが始まりませんでした。
気が付くと、ざわめいていた鷹の間がしんと水を打ったように静まり返っています。
私は恐る恐る顔を上げると、ゆっくりと目を開けました。
その時です。
初雪が舞うこんな寒い夜なのに、一陣の爽やかで優しい春の風が吹き抜けたのです。
一枚の桜の花びらが風に舞って、ひらりと眠る大女将の胸元に落ちました。
私は思わずその花びらに目を奪われてしまいました。
でも、ふと我に戻ると、社長も、西山荘の皆も、親戚の方々も私とは違う方を見て唖然とされていたのです。
私は慌てて皆が見つめる春風が吹いてきた方を向きました。
そこには華やかな春の桜の着物を纏った吉乃ちゃんが立っていました。
皆が唖然としたのは当たり前です。
だってその着物姿の吉乃ちゃんは、本当に本当に大女将にそっくりだったんですもの。
現に私だって大女将が生き返ったのかと思ってしまったくらいですから。
言葉を失った一同の間を、ゆっくりと静かに吉乃ちゃんは進んで眠る大女将の横に立ちました。
そして静かに膝を折ると、三指を着いて深々と頭を下げたのでした。
「本日四代目女将を襲名させていただきました
長谷川吉乃でございます。」
それは静かで、でも一点の曇りも迷いもない覚悟のこもった声でした。
顔を上げた吉乃ちゃんの皆を見据える真っ直ぐな目に
一同が息を飲んで圧倒されました。
「まだ成人の儀も迎えぬ若輩者ではありますが、先代女将が守りぬいたこのお宿を私も命を掛けて守っていく所存でございます。
ご親戚の皆様を始め、従業員の皆々様には何かとご迷惑をお掛けするかと存じますが、なにとぞよろしくお願いいたします。」
そして吉乃ちゃんはまた深々と頭を下げたのです。
寺町の小高い山の霊園の中を延々と続くと思われた古い石段を登り切ると、そこには古い神社があります。
さすがにあれですね。
昔は走って登れたのに、一番上まで登るとちょっとしんどいですね。
私は石段を登り切ってグッと背伸びをすると、落ち葉を踏みしめながらお堂まで歩いていってお賽銭を投げて柏手を二つ打ちました。
え?
二礼二拍手一礼?
まあまあ。
普段はこれでゆるしてくださいよ。
「あら、優ちゃん?
随分と早いお参りなのね?」
私が手をあわせて拝んでいると、そんな私の名を呼ぶ声がしました。
振り向くと、それは神社の境内にホウキをかけていた秋絵でした。
「あら。
今日も優ちゃんの周りの風は優しく笑っているのね。」
秋絵はそんな事を言って笑っています。
あ。
別にへんな病気じゃないですよ。
昔からこんな子なんです。
この神社の宮司さんの娘で高校は隆二と同じ丸高に行っちゃいましたが、中学時代は一緒に大冒険した「青空探偵団」の一員なんです。
わりとおっとりとした性格なんですが、昔からたまに不思議な事を言うんです。
あまり気にしないでくださいね。
「うん。
今日は大女将の最初の命日だからねぇ。
親族の方々はちゃんと法事に出られるけど、私はね。
なんで、チェックアウトが忙しくなる九時まで限定で直接お参りに来ちゃったよ。」
と、言って私は笑いました。
二言三言秋絵と立ち話しした私は、そのままお堂の脇から伸びる小道を行くと私達の街を見下ろすように幾つものお墓が並んで見えます。
ここを真っ直ぐ行くと大女将の眠る長谷川家のお墓があります。
一年前の今日。
あの吉乃ちゃんの覚悟のこもった襲名披露を聞いて
「ちょ、ちょ、ちょ、吉乃なにを急に?
お前大学は・・」
と、言いかけた社長ですが、そこで言葉は完全にとまってしまいました。
社長、すんごく驚いた顔で吉乃ちゃんを見てましたよ。
たぶん社長にも見えたんでしょうね。
私や上村さん達に見えたのと同じ姿が。
あれには私達も驚きましたもん。
深々と桜の着物を纏って頭を下げる吉乃ちゃんの隣に、吉乃ちゃんとまったく同じように深々と頭を下げる藤色の着物の大女将が見えたんです。
全員が見えたわけじゃないらしいですけどね。
私達西山荘の面々にはちゃんと見えましたよ。
吉乃ちゃんが夢見て実現される事がなくなってしまったダブル女将の姿です。
深々と私達に下げた頭をゆっくりと上げると、大女将は本当に優しい顔で微笑みながら消えて行きました。
そして
「吉乃ちゃんを守ってあげてくださいね。」
って声が聞こえたような気がするんです。
並ぶ幾つものお墓を横目に進み長谷川家のお墓の前まで来ると、不思議な事にすでに違う誰かがお参りしたのかまだ真新しいお花と、封の開けられた地酒のワンカップが供えてありました。
まあ、この街では有名なマドンナだったそうですし、命日にワンカップやお花をお供えするファンだって多いんでしょうね。
「あら、うれし。
優ちゃんも遊びに来てくれたのね?」
秋風に乗ってそんな声が聞こえたような気がしました。
「あら、大女将?
もうお酒もらってるじゃないですか?
じゃあ、私からはいりませんね?
飲み過ぎになっちゃいますものね?」
なんて冗談を言って私は微笑んでみました。
「もう。
優ちゃんの意地悪さん。」
そんなふうに言われたような気がします。
「えへへ。
冗談ですよ。
ちゃんと私からもありますからね。
あ、でも半分だけですよ?
半分は明日の晩にでも楽しんでくださいね。」
私はそう笑ってワンカップを開けました。
おばあちゃん先生?
聞こえてますか?
あの夜、私は泣きながら
「これからの人生、吉乃ちゃんをずっと支えていこう。」
と、心に誓ったんですよ。
はたしてこの一年、それがちゃんと出来ていたかどうかはあまり自信がないです。
だって、いつもホンワリしている吉乃ちゃんですがしっかりしている所は私よりしっかりしてるんですもん。
私の方が支えられてるんじゃないかな?
なんて思う事もしばしばですが、私がおばあちゃんになっても番頭として、ずっと吉乃ちゃんの傍でお宿を守って行きたいと思います。
実はね、おばあちゃん先生?
数年前まで私ちょっとだけ悩んでたんですよ。
今だから言いますね。
ほら、若いうちって自分には色んな可能性があるんだ!
って思うじゃないですか?
今はお宿で番頭やってるけれど、ひょっとしたら政治家や、
歌手や女優さんにだってなれるんじゃないか?
って。
いや・・
もちろん例え話ですよ・・
さすがにそんなのには成れないとは思いますが、それでも何と言うか
「一生番頭さんやるのか?」
って言われたら、ちょっと違うような。
もっと向いてる仕事があるような、そんな気がするって意味です。
もちろんお宿も、皆も大好きだから何の不満もないのですけどね。
やっぱり何処かこの年で一生の仕事を決めてしまうのって、
自分の他の可能性を全部あきらめちゃうような気がして、胸を張って言えなかったんですよ。
でもね、おばあちゃん先生?
ううん、大女将!
今の私、胸張って言えそうです。
あたしはね!
死ぬまでずーっと、西山荘の番頭さんですよ!
って。
お墓の脇に咲く小さな藤袴や大文字草の可愛い紫の花を秋風が揺らしていました。




