吉乃ちゃんとおばあちゃん先生(Ⅲ) 優しい時間
麗らかな春の陽気の中、満開の桜の木の下で吉乃ちゃんが楽しそうにくるくると回っています。
まるで羽衣を纏った天女のように、風に舞う桜の花びらを纏って踊る吉乃ちゃんの姿を、私と大女将は二人で眺めていました。
「ソメイヨシノの吉乃ちゃん。
本当に桜の妖精みたいだこと。」
大女将が本当に幸せそうに微笑んでいます。
こんなに優しい大女将の笑顔は久しぶりに見ました。
長年お宿を一緒に守ってきた、言わば弟のような存在だった大番頭が亡くなってからのこの半年余り、めっきり大女将の顔から笑顔が減ってしまっていましたから。
やっぱり吉乃ちゃんパワーは絶大です。
「おばあちゃん!
優姉!
こっちこっちー。」
いつの間にかくるくると回るのをやめていた吉乃ちゃんが、桜の木の下で私達を手招きしています。
私と大女将は思わず顔を見つめ合って
「あら?
どうしたんでしょ?」
「ね?
何でしょうね??」
と、吉乃ちゃんの所まで二人で歩いてくと
「おばあちゃん、優姉、皆で手を繋ぎましょ!」
なんて吉乃ちゃんは言い出しました。
そして三人で手をつなぐと、また吉乃ちゃんはくるくると今度は三人で回り始めました。
うららかな春の陽気の中、風に舞った桜の花びらが宙に舞います。
そして私達の笑い声もくるくると踊ったのでした。
吉乃ちゃんとおばあちゃん先生(Ⅲ)
優しい時間
その春、吉乃ちゃんは私達の街に春休みを利用して戻ってくると、冬休みに通い始めた自動車学校を卒業しました。
本当は吉乃ちゃん的には、冬休み中に免許を取って、大番頭がいなくなって落ち込んでいた大女将をドライブに連れて行ってあげたかったらしいのですが、残念ながら免許取得はこの春まで持ち越しになってしましました。
この頃になると、お宿の空気も随分元に戻って来ていて、私もなんとか番頭業を一人で回せるようになっていました。
ですからこの時の春休みは、昼休みに3人でよくドライブに行ったものです。
吉乃ちゃんの運転で?
いえ。
最初のうちは吉乃ちゃんが運転してたんですけどね、次第に私の運転になっちゃいました。
だって、運転してると細かい景色が見れないでしょ?
特に吉乃ちゃんは免許取りたてで、運転に余裕も無かったですし。
それに何より、後部座席の二人がとっても幸せそうなんです。
お花好きのこの二人には、お花の名所に行くまでの道中の、何て事ない街の風景だって、まるでお花屋さんの店頭か、植物園のように見えてるんですもの。
コブシに木蓮、芝桜、すみれやタンポポにまで二人で歓声を上げて喜んでいます。
そんな大女将と吉乃ちゃんの笑い声を聞いていると
「ああ。
ハンドル握っててよかったな。
私まで幸せだな。」
って気持ちになるんですよ。
だって、車の後部座席に流れる、ほんわかと温かい空気は、私も子供の頃に大好きだった西山荘の茶室の空気と同じだったんですもの。
二人はまるで、楽しそうに茶室でお花のお話をするおばあちゃん先生と、ちっちゃな吉乃ちゃんのようでした。
あ、そうそう。
例の吉乃ちゃんに告白した相手の男の子。
今ではいい感じのお友達なんですって。
吉乃ちゃん嬉しそうにしてました。
吉乃ちゃんは、夏休みも戻ってきてくれました。
やっぱり夏場の忙しい時期に吉乃ちゃんがいてくれると助かります。
一見のんびりしてそうに見えて、やっぱり吉乃ちゃんは頭がいいです。
フロントの仕事だって、ゆっくりやってるように見えて、無駄がないからどんどん終わってしまいます。
おかげでその夏も、随分3人でドライブに行けました。
まあ、いくら標高が高いからと言っても、やっぱり夏は暑いですからね。
大女将もなんだかんだでもうご高齢でしたし、炎天下に公園に花を見に行くというより、涼を求めてのドライブでしたね。
二人が大好きだった、峠の茶屋の利休屋さんでの和菓子でしょ。
滝を見に行ったり、流しそうめんなんてのもありました。
そんな楽しい毎日が続いたものですから、大番頭が入院されていた去年のあの辛い夏休み時期が嘘のように、この年の夏は忙しいながらも、笑顔に包まれて過ぎて行きました。
そうそう!
この時、吉乃ちゃんと大女将と3人で隆二の店にも行ったんですよ!
確か、大番頭の最初の命日が終わってすぐの頃だったと思います。
大女将も、吉乃ちゃんも初めて入る隆二の店に驚いてました。
あと、改めて間近で見る隆二の「ばっちさ」にもね。
その頃には私は美咲と月に1度か2度飲みに来てましたし、もうすでに隆二の「ばっちい顔」なんて見慣れていたんですけどね、二人には衝撃的だったみたいですよ。
だって、二人が長い間見て来た隆二は、優等生で利発そうな好少年でしたからね。
特に吉乃ちゃんなんて、ずっと憧れてた爽やかお兄さんがこんなになっちゃって。
きっと緊張したんでしょうね。
なかなか昔みたいに、隆二の目が見れないでいましたよ。
もじもじしてました。
そりゃあね、今はばっちくて怖い顔ですもの。
その気持分かります。
「こんなモダンなお店で、私が食べれるような物があるのかしら・・」
なんて大女将は心配していたんですが、隆二はそんな大女将のために、
レモンの入ったお湯でゆでた骨切りした特大の穴子と水菜で、梅肉仕立ての和物を作ってくれました。
特大穴子を鱧に見立てたお料理でしたが、鱧と違って穴子だと、まるで玉子焼きみたいな優しい食感で、これが美味しいのなんのって。
あ、あと、あれです!
地物のトウモロコシのかき揚げ!
うちの街で採れるお野菜はトウモロコシにかぎらず、桃やほうれん草やネギといった四季折々のお野菜や果物は、昼と夜との寒暖差や、冬の寒さで凄く糖度が高いんです。
お野菜って凄く頭がいいんですよ!
寒くなると自分が凍ってしまわないように、糖分を貯めこむんです!
そんな、生でかじっても、まるでシロップに漬け込んだように甘いトウモロコシを、隆二は私達の前で葉っぱを剥いて、そぎ切りにしました。
そして軽く小麦粉で和えると、そこに天ぷらの溶き粉を加えて、一口大にして油に落とすんです。
最初は天ぷらを揚げるにしては、随分と低い温度の油にトウモロコシを落とすみたいです。
それがしばらくすると浮いてきます。
それを岩塩でいただくのです。
これが、外はサクっとして、噛むごとに中から弾けるような甘いトウモロコシの汁が溢れだして来る絶品料理なのです。
ちなみにこのお料理、隆二の話しだと地味に面倒くさいんだそうです。
ただ、切って、和えて揚げてあるだけなのに・・
と思って聞いてみると、
「トウモロコシのかき揚げは、粒同士が点でしか接していないから散りやすい。」
んだそうです。
かと言って、衣を多くすると、揚げドーナツみたいな食感になってしまうので、衣は限界まで薄衣なんだそうです。
だからサックリしてるんですね。
ただ、薄衣だとさらに散りやすいので、低い温度の油に落としておいて、揚げながらどんどん油の温度を上げて行くんですって。
そして最終的には高い温度でサックリ仕上げるんだそうです。
常時2種類の温度の油が温まっていれば、楽なのだそうですが、隆二の店は元スナックですしね。 一つの油鍋でまかなってるから
「連続しては揚げれん。
一度揚げると、油の温度が下がらないと無理。」
という、本当に地味にめんどくさい料理なのだそうです。
ちなみに、この絶品料理。
地物のトウモロコシが採れる夏場の1ヶ月半くらいの間、しかも市場で甘いトウモロコシが出た時だけしか食べれません。
え?
どうやって市場に並んだトウモロコシが甘いかどうか判断するのか?
って?
隆二、こっそり一粒食べるみたいですよ。
それで納得行く甘さじゃないと、いくら地物のトウモロコシでも買わないんだそうです。
隆二のお料理に、大女将も吉乃ちゃんも大喜びです。
「あらあら。
隆二君はドイツに行って、洋風の物ばかりかと思ったら、
こんなものまで作れるのね・・」
「そりゃあ大女将。
和食は小学生の時から松さんに叩きこまれましたからね・・」
なんてほのぼのした会話が流れています。
隆二のお料理で吉乃ちゃんの緊張もほぐれてきたみたいで、それからは4人で懐かしい思い出話に花を咲かせつつ、吉乃ちゃんの大学の話しになりました。
「吉乃ちゃん。
大学は楽しいかい?」
「うん!
隆二兄!
凄く楽しいです!」
吉乃ちゃんの目がキラキラしています。
「で、卒業したらどうするんだい?
やっぱりお宿に入るのかい?
吉乃ちゃんは頭いいから、色んな職業に就けるだろうに。
先生とか似合うと思うぞ。」
「隆二、あんた。
吉乃ちゃんに先生が似合うって、どっちの意味よ?
職業的に?
それともスーツ姿的に?」
隆二が一瞬ドキリとした顔をします。
ああ。
やっぱりだ。
こいつ吉乃ちゃんのスーツ姿想像してやがったです。
そりゃあ、吉乃ちゃんのスーツ姿は反則です。
毎日フロントで見ている私が言うのだから間違いないです。
もう、あそこまで行くと、可愛いばかりで嫉妬すら起きません。
「うん。
確かに大学行くとね、色んな事が見えてくるの。
周りの友達とかが、『あんな職業に就きたい』『ぜったい◯◯に成るんだ!』
って頑張ってるし。
子供の頃からお宿を継ぐ事しか考えた事のない私には、それが凄く新鮮で。
確かに先生もそうだし、隆二兄みたいに外国とかにも
興味がないって言うと嘘になっちゃうけど・・」
吉乃ちゃんがそう言って、少し口を噤むと
「いいのよ?
吉乃ちゃんは吉乃ちゃんがなりたい職業についても。」
大女将がそう優しく言いました。
だけど吉乃ちゃんは目一杯首を何度も横に振りました。
「ううん!
興味があるってだけで、やっぱり私の最大の夢は
おばあちゃんと一緒にダブル女将なんだから!」
なんて元気に言うんですよ。
皆がね、なんだか感動しちゃって。
なのに隆二のバカが
「すごいなそれは!
夢の共演じゃないか!」
なんて言うんです。
え?
何も可笑しい話しじゃないって?
いいえ、問題はこの後です。
隆二のバカ、そうやって言った後に私の顔を見て。
「ああ。
優、お前はライダーマンの立ち位置な。」
なんて言うんですよ!
知らないと思ったんでしょ、バカ隆二。
ちゃんと子供の頃に再放送でみてました!
仮面ライダー!
昭和の方!
だってほら。
赤くてガラガラ言うバイクのお兄さん。
憧れだったんですもの。
あの時のオートバイの形が似てたんです!
サイクロン号!
はい、迷子になってるの助けてくれた人です。
そして夏の終わりに、吉乃ちゃんはまた、東京まで戻って行く事になりました。
門までお見送りに出てみえた大女将の顔は、にこにこと微笑んではいましたが、やっぱりあの高校の卒業式の時みたいに、どこか淋しげでもありました。
私がハンドルを握る軽自動車の後部座席に乗り込んだ吉乃ちゃんは、そこにいつもの大女将の姿が無かったのが寂しかったようで
「やっぱり、おばあちゃんも駅まで来て!」
と言い出しました。
そんな吉乃ちゃんのわがままを、にこにこしながら聞いていた大女将も、やっぱり寂しかったんでしょうね。
「あらあら。
吉乃ちゃんはいつまでたっても、小さな吉乃ちゃんだこと。」
なんて笑いながら、後部座席に乗り込んでみえました。
「おばあちゃん!
あそこに金水引が咲いてる!
あれ?
その隣に咲いてるピンクの花、あれは何??」
「あら、珍しいわ。
最近ではここらでは見なくなったのに。
あれはね、カワラナデシコって言うのよ。」
相変わらずこの二人にかかっては、田んぼや道路端に生えている野草ですら、まるでお花屋さんのショウウィンドウです。
この日も、車の中から見える晩夏や秋の花々に、二人の笑い声が絶えません。
少し開けた窓からは、優しい夏の終わりの風が吹き込んで、笑い合う二人の髪をふわふわと撫でていました。
「次は冬休みだからね!
成人式は一緒に写真だからね!」
駅に着いた吉乃ちゃんは、改札口をくぐるととても名残惜しそうに、何度も何度もそう行っては、両手をぶんぶんと振っていました。
大女将も
「楽しみに待ってるから、吉乃ちゃんも東京でお勉強を頑張ってきてね。」
と、笑って手を降って見送っていました。
本当に優しい、本当に優しい夏の終わりの昼下がりでした。
これが二人のお別れになってしまいました。




