吉乃ちゃんとおばあちゃん先生 (Ⅰ)
私達の街の旧市街には「寺町」と呼ばれる、古いお寺や神社が集まった地域があります。
私はその寺町の中を真っ直ぐ登る長い石段を、一歩、また一歩と踏みしめながら登っています。
吐く息はさすがにまだ白くはありませんが、紅葉も終わり、今私が登っているこの古い石段の上にも、無数の赤や茶色の落ち葉が降り積もるこの時期になると、日中でもまるで冷蔵庫の中に入っているような身の締まる寒さです。
こんな秋も深まって、落ち葉の舞う季節。
私だって女の子の端くれですから、可愛いマフラーとか、モノトーンのお洒落な格好でお出かけ・・
とも思ったのですが、次のお休みにはもう初雪が降ってバイクには乗れないかもしれない・・
そう思うと、やっぱりいつもの格好でSEEDに股がってしまいました。
さすがにこれだけ気温が下がると、風通しの良いメッシュのバイクジャケットでは寒くてバイクに乗れません。
なので、今日は一度クローゼットにしまい込んだお父さん譲りのB-3をまた引っ張りだしてしまいました。
右の手首にぶら下がっているコンビニの袋には、途中で買った地酒のワンカップが入っています。
革ジャンに両手を突っ込んで、ワンカップの入ったコンビニ袋をブラ下げた、ショートカットな私。
きっと後ろから見たら、本当に男の子みたいに見えるんでしょうね。
「ありがとうね。
お兄ちゃん。」
ついつい昔の事を思い出してしまいました。
あれは、高校に入って西山荘でバイトを始めたばかりの頃です。
離れに向かう石段の手前で、登れなくて困っているお婆ちゃんのお客様がみえました。
私は思わずそのお婆ちゃんに声をかけて、一番上まで「おんぶ」して上ったのです。
その時のお婆ちゃんからのお礼の言葉が
「ありがとうね。
お兄ちゃん。」
でした。
確かに当時は今より胸がありませんでしたけど、思春期の私には大ショックで、その後厨房に戻って落ち込んでしまいました。
その話しを聞いた大女将は
「あらあら。
優ちゃんかわいそうに。
こんなに可愛いのにねぇ。」
と、優しく笑ってくれたのを覚えています。
あの時の笑顔は、大女将と言うよりも、小学校の頃から大好きだった、習字のおばあちゃん先生の笑顔でした。
踏みしめる古い石段は、気を付けないと所々グラグラと揺れています。
そこら中にコケも生えていて、石と石の隙間からは雑草も顔を覗かせています。
この、山へと登る石段の脇には、チラホラと山野草の姿も見えます。
あの白くて小さい花は、藤袴でしょうか。
まだ咲いていない小さな蕾は、淡いピンク色がかった紫色です。
秋の七草の一つでもあります。
隣に見える、まるで玉が落ちる寸前の線香花火の
「思い出したように ジジっ、ジジジっと飛ぶ火花」
に似ているのは大文字草ですね。
こちらは少しピンクの強い紫色です。
これらは小学校の頃、習字塾になっていた西山荘の茶室から見えるお庭に咲いていたのを見つけて、おばあちゃん先生に教えてもらった花達です。
淡い紫色の着物が良く似合う人でした。
こうやって所々で咲く淡い紫色の花達に出迎えられると、まるで
「あら優ちゃん。
遊びに来てくれたの?
嬉しいわ。」
と、大女将が私に笑いかけてくれているみたいです。
振り向くと、目の前には私達の街と広がる山々。
高い山はすでに頂に真っ白な雪を抱いていました。
私の大好きだったあの笑顔が見れなくなって、もうすぐ1年が過ぎようとしています。
私は、大女将に会いにやって来ました。
第三十四話
『吉乃ちゃんとおばあちゃん先生』
(Ⅰ)
吉乃ちゃんがお花に詳しいのも、おばあちゃん先生の影響です。
吉乃ちゃんのお父さんである社長は、吉乃ちゃんが小さい頃から会合だ何だで飛び回ってみえました。
お母さんである奥様は、元々接客や対人がお嫌いでお宿に出てくる事はほとんど無く、一度事務所に篭ってしまうと中々近寄りがたい雰囲気があるのです。
それは娘の吉乃ちゃんも幼心に感じたようで、よちよち歩きの頃からいつも茶室の習字塾に遊びに来ていました。
私達が小学校の高学年になる頃には、いつも私や隆二の後をぴょこたんぴょこたんと付いてきて、たまに転んで泣き出すと、必ず大好きだったおばあちゃん先生のところに抱っこされに行くのでした。
おばあちゃん先生は、そのたびに膝の上で泣きじゃくる吉乃ちゃんの頭を撫でながら
「ほらほら吉乃ちゃん。
あれ見てごらんなさい?
あの小さなお花が「レンゲ」よ。
この街のお花なの。
元気に咲いて笑っているみたいでしょ?」
と、その季節季節の花を指さして、微笑んでいたのを今でも覚えています。
吉乃ちゃんも、そんなおばあちゃん先生がしてくれるお花の話しが大好きで、事あるごとに茶室にやって来ては、おばあちゃん先生に抱っこされて、お庭に咲く色んな花の話しを聞きながらニコニコしていました。
私達が中学校に上がって部活が忙しくなると、週に2回のこの習字塾には通えなくなってしまいました。
それでも私はおばあちゃん先生に会いたくて、部活が無かったり、早く終わった日には習字塾の茶室を訪れて、おばあちゃん先生に教わる小学生達の姿を眺めていました。
私達が中学2年に上がるのと年に、吉乃ちゃんは小学生になりました。
ちっちゃな身体に真新しくておっきなランドセルが、なんとも可愛かったです。
吉乃ちゃんもそのランドセルが大層ご自慢で、何度も何度も私達に自慢してくれました。
ただ、おばあちゃん先生に
「あらあら。
可愛らしいランドセルだこと。
吉乃ちゃんも小学生になってお姉ちゃんだから、
もうおばあちゃんは抱っこしてあげられないわねぇ。」
と、少し残念そうに言われると、大泣きに泣いた吉乃ちゃんは、またおばあちゃん先生にしがみついて行きました。
その頃になると吉乃ちゃんは、私や隆二の事を本当の姉や兄のように思うようになっていて、事ある毎に私のセーラー服の肘の辺りを引っ張って、後ろをにこにことついてきました。
そしてまだ物珍しい「小学校のお話」をいっぱい私に聞かせてくれたのです。
高校に上がると、私は西山荘でアルバイトする事を決意しました。
中学校の3年間、部活や勉強であまり西山荘に通えなかったのが残念だったので、これに関しては迷いませんでした。
だって、その頃にはもう、吉乃ちゃんもおばあちゃん先生も、私の本当の家族のような存在でしたから。
ただ、予想外の事もありました。
それはバイトに出てみると、隆二の奴も働いていた事です。
中学の卒業式の時に告白されて、そのままウヤムヤにしていたものですから、最初は顔を合わすのもとても気まずかったです。
それでも助かったのは、高校に入って隣の席になって知り合った美咲の存在でした。
おかげで、少々気まずいバイトでしたが、なんとか楽しくスタートする事ができました。
そして数ヶ月もすると、3人で暇を見つけて笑い話をするくらいに仲良くなっていました。
隆二とは違う高校になってしまいましたが、たまに学校帰りの駅前で偶然会ったりしました。
駅前の自動販売機でジュースを買って、お互いの自転車を押しながら一緒に帰ったものです。
たまにお喋りに花が咲きすぎて「またね」が言えなくなってしまい、駅の裏にあった「機関車広場」という名の公園で、日が暮れるまでお喋りしてた。
なんてことも多々ありました。
その頃になると、私は「おばあちゃん先生」から「大女将」と呼び方を変えていました。
本来なら、若女将がいての大女将という存在なのですが、奥様が嫁いで来たばかりの頃は若女将としてお宿に出ていた事もあったらしく、その頃の名残で、女将がおばあちゃん先生一人になってしまってからも、皆が「大女将」と呼ぶのが定着してしまったのだそうです。
アルバイトのある日は、いつもお父さんが迎えに来てくれました。
そして軽のバンに私の自転車を積んで帰るのです。
これは大番頭の
「女の子が一人で夜道を帰るのは危ないから、尾折の奴に迎えに来てもらいなさい。」
という言葉があったからです。
お父さんも同じように温泉宿で働いているので、仕事が終る時間はいつも同じくらいでした。 ですからあの当時の私は上村のおばちゃん達に混じって「夜のお疲れ様の女子会」の常連メンバーになっていました。
いつもそこでお茶とお煎餅をいただいていると、勝手口から頼りないお父さんの
「いつもお世話になっております・・」
という声がするのです。
そしてその声に合わせて大番頭が怖い声で
「おう!」
と返事をするのがお決まりになっていました。
いつもお父さんは気まずそうにしてたなぁ・・
一度不思議に思って、大女将に聞いてみたら、どうやら二人は同級生で、その昔好きな女の子を巡って殴り合いの大喧嘩をしたこともあるんですって。
「それって私のお母さんですか?」
と、尋ねると
「それはどうでしょうねぇ?」
と、大女将に笑ってごまかされてしまいました。
大女将はこの、仕事が終わっての「お疲れ様の女子会」で、コップに半分だけ日本酒を飲むのが好きな人でした。
初めてその姿を見た時は、私の知ってるおばあちゃん先生と日本酒。という組み合わせが想像も付かなくてビックリしてしまいましたが、
「寝酒にコップ半分いただくのが美味しいの。」
と、まるで女の子みたいに微笑む大女将の姿が、いつの間にか大好きになっていました。
そして、大女将のコップに半分の日本酒を注ぐのは吉乃ちゃんの日課でした。
いつもその時間帯になると、こっそりベッドを抜けだして来ては自分の身体の半分くらいありそうな大きな一升瓶を抱えて
「おばあちゃんにお酒をあげるのは、吉乃のしごとなの!」
と、真面目な顔で言うのです。
そして大女将がお酒を飲み終えて、女子会が終了すると、大女将に手を引かれて吉乃ちゃんは離れへと戻って行くのでした。
そんな学生時代を送っていたものですから、名古屋の短大を卒業すると同時に、私は「社員」として正式に西山荘の一員になりました。
これまた迷いはありませんでした。
どうせ卒業したらこの街に帰ってくる約束でしたし、働くとなるともうここ以外考えられませんでしたから。
中居ではなく、私を「番頭見習い」としたのは大番頭でした。
「尾折の運動量は、中居として数部屋走らすのには勿体無い。
番頭として、あっちもこっちも走らせた方がいい。」
という事でした。
それを横で聞いていた、まだ若い沼さんは、クスクスと楽しそうに笑っていました。
大女将は
「あらあら。
優ちゃんならお着物も似合うでしょうに・・」
と、随分と残念がってくれました。
ただまあ、私としても着物を着てお上品にしているよりも、ハッピを着て走り回る方が性に合っていたので、あの時の大番頭の決断には今でも感謝しています。
適材適所ってものがありまして、私には大女将や吉乃ちゃんみたいにお上品な立ち振舞いは難しそうです。
その頃になると、吉乃ちゃんもランドセルは卒業していて、背も伸びて可憐なセーラー服の美少女になっていました。
久しぶりに見る私が「版画の宿 西山荘」と書かれた青いハッピを着ているのを、吉乃ちゃんはとても喜んでくれました。
「優姉が本当の家族になったみたい!」
と、私の腕に抱きついて大喜びしていました。
その時お宿の門の前で皆で並んで写した集合写真は、今でも私の部屋の写真立てに飾ってあります。
大女将も、大番頭も笑っていて、松さんや上村のおばちゃん、佐藤さん、そして皆も笑っています。
写真の中心で、セーラー服の美少女に抱きつかれて苦笑いしている私が、少しみっともない春の一枚です。
市会議員をしてみえたお祖父様の影響でしょうか、吉乃ちゃんは中学、高校を通じて生徒会に参加する事が多くなりました。
勉強も随分出来たので、私の時のように「学生バイト」としてはあまりお宿に姿を表しませんでした。
そんな、「アルバイト」としてはお宿に顔は出さない吉乃ちゃんでしたが、それでも毎晩「お疲れ様の女子会」には参加しました。
もちろん小さい頃からの日課である
「大好きなおばあちゃんにお疲れ様の一杯」
を注ぐためです。
こればっかりは、熱を出して寝込んでいる時ですら降りてきてお酒を注いだのですから、とんだ使命感です。
そう言えば、道洞君から聞いた事があります。
吉乃ちゃんが中学で生徒会長をしていた頃には、道洞君はすでに地元の工業高校の生徒でしたが、そんな男子高校生の間でも、「美少女生徒会長」の噂は轟渡っていたそうです。
本来なら、男子高校生が中学生女子の噂をする。
なんて事自体ありえない事なのですが、やはり吉乃ちゃんは別格だったのでしょう。
地元では、まるで「国民的美少女」のよう扱いだったみたいです。
では、そんな吉乃様は、よほど学生時代はおモテになったのでしょう・・
と、言うと、実は意外とそうでもなかったようです。
あまりに高嶺の花過ぎて、皆が憧れはするものの、誰一人として告白に至る男の子はいなかったのだそうです。
それどころか、中には「長谷川吉乃を守る会」なんていう妙ちくりんな秘密結社まで立ち上げるファンもいたそうで、「告白という名の抜け駆け」は、かなりのヤッカミを買いそうで、誰も怖くて実行できなかったみたいです。
道洞君のその話しを聞いて、
「ちょっと大袈裟な。」
なんて思ったりもしたのですが、前にうちのお爺ちゃんから聞いた、
「西山荘の清音さんは、ワシらのマドンナだった。」
「奪った大旦那は、街中の若い衆からヤッカミを買った。」
という話しを思い出すと、
「これが血ってヤツなのね・・」
と、妙に納得してしまいました。
あ。
ちなみに裏で
「長谷川吉乃には腹違いの超怖い姉ちゃんがいて見張ってる!」
という噂が流れていたらしいですが、ここでは伏せておこうと思います。
そんな吉乃ちゃんは、もちろん私の自慢でもありました。
そして、吉乃ちゃんが私にとって自慢の妹だったように、吉乃ちゃんにも自慢のお兄ちゃんがいました。
それは吉乃ちゃんが高校生の頃、ドイツから戻ってきた隆二でした。
ドイツの有名レストランでコックとして働いていた頃に、大手食品会社の社長に気に入られた隆二は、そのままその会社が経営するレストランの料理長として帰国したのでした。
まあ、当時は清潔感もあってイケメンでしたし、若くて料理の腕も確かだった隆二は、その会社の広告塔として使われたのです。
その頃の「夜のお疲れ様の女子会」には、吉乃ちゃんはよく雑誌を片手にお酒を注ぎに来たものです。
そして隆二の載っている記事を大女将に自慢気に見せては
「また隆二兄が出てるんだよ!」
と、本当に嬉しそうでした。
大女将も、吉乃ちゃんが自慢するそれを見て
「あらあら。
隆二君も立派になったわねぇ。」
と、喜んでいました。
横でそれを聞いている大番頭は、何故か面白く無さそうにしていました。
実の息子がテレビや雑誌に出ているのに、どうしてなのだろう?
と、不思議に思ったりもしたのですが、どうやら
「あんなチャラチャラした仕事をさせるために、ドイツにやった覚えはない。」
という事なのだそうです。
私はその話しも不思議な思いで聞いていたのですが、どうやらこれは大番頭と隆二の間で大きな考えの行き違いにまで発展してしまったようです。
吉乃ちゃんの高校の卒業式の日。
社長の運転するクラウンから着物姿の奥様と一緒に降りてきた吉乃ちゃんを見た時の大女将の顔は、本当に幸せそうで。
でも、どこか淋し気で・・
そして、胸に「祝卒業」と書かれたリボンを着けた吉乃ちゃんは、本当に本当に綺麗でした。
吉乃ちゃんは車から降りると、真っ先に大女将のところまで駆け寄ってきて、上手に卒業生代表の挨拶が出来た事を報告していました。
大女将は
「そうなの?
そうなの?
よかったわね、吉乃ちゃん。」
と、微笑んでいました。
私達の街ではまだ桜には随分早い時期でしたが、二人を包む空気はキラキラとして、本当にそこだけが春になってしまったような感じがしました。
でも、私は知っていました。
少し寂しそうな顔をしていた大女将の気持ちを。
大好きな吉乃ちゃんが、4月から東京の四年制大学に進学してしまうために、この高校の卒業式がとても嬉しい反面、大女将にはとても寂しい事だったのです。
なので、私は事務所から一眼レフのカメラを持ち出してきて、西山荘の玄関先で大きな家紋が入った暖簾をバックに、二人のツーショット写真を撮りました。
いつの間にか、少しだけ大女将より背が高くなってしまった吉乃ちゃんと大女将の、本当に幸せそうな二人の写真です。
「優姉!
次は私の成人式の時に、またおばあちゃんと一緒に撮ってね!
その時は二人で着物だよ!
おばあちゃん!」
「あらあら。
それはそれは楽しみだこと。」
本当に、本当に幸せそうな笑顔でした。
でも、その約束は果たされる事はありませんでした。
今でもお宿の事務所に飾ってある私が撮ったこの写真が、大女将と吉乃ちゃんが並んで写っている最後の写真となってしまったのです。




