沼さんとカレー
私は今、北の大地に立ってまーす!
360度、見渡す限りのジャガイモ畑です!
いいですか?
私、叫んじゃいます!
叫んじゃいますよー
ビバ北海道!
ビバ北海道!!
私の声が澄み渡った青空に響きます!
赤いチェックの厚手のシャツに、デニムのオーバーオール。
長靴に、肘まであるゴム手袋、そして大きな麦わら帽子!
私は大地にしゃがみ込むと、青々と茂るツルをたどって土を掻き分けます!
ビバ北海道!
ビバ北海道!
無我夢中で土をかき分けると、指の先に何かが当たりました!
今度は優しく土をよけていきます!
ほら!
出た!
体を寄せ合うように、仲の良いジャガイモの兄弟が顔を出しました!
中にはちょっと小ぶりで可愛い子も混じってます!
私は優しく、優しく掘り起こします。
傷つけないように、
傷つけないようにです!
そしてまだ根で繋がっている幾つものジャガイモ達を、大きく抱き上げてお日様にかざします!
そう!
まるで生まれたばかりの赤ちゃんを抱き上げるようにです!
ほらみて!
こんなに可愛い子達が生まれました!
ビバ北海道!
ビバ北海道!!
生まれてくれてありがとう!
生まれてくれてありがとう!
・・あれ?
沼さんが私を見てくすくすと笑ってる・・
・・あれれ?
第三十三話
『沼さんとカレー』
見知らぬ大きな街の、見知らぬアーケード街。
駅前からずっと真っ直ぐ伸びています。
そこにはいくつものお店が並んでいます。
元気な生活の匂いがします。
一歩足を踏み入れると、そこはちょっとした不思議空間です。
歴史を感じさせる看板と門構え。
これは老舗の呉服屋さんでしょうか。
その先のお店もなかなかレトロです。
あれは、八百屋さん?
店先に籠に盛られたお野菜や果物が見えます。
昭和です!
ここは昭和です!
でも、これだけでは懐かしい雰囲気なだけで、不思議空間とは呼べません。
不思議なのは、そのお隣です。
老舗の呉服屋さんと、昭和の八百屋さんの間に挟まれているのは、最近人気のシアトルコーヒーのショップです! まるで外国の街角がそのまま移動してきたような、お洒落なカフェになってます!
それだけではありません。
アーケード街の先を見ると、白いスーツのお爺ちゃんの人形なんかも見えます。
大手ハンバーガーチェーンのノボリも見えます。
なんでしょう?
この、昭和と現代が融合してそうで、実は全然融合してなくて、違和感だらけのごった煮な空間は?
ちょっとしたカオスです。
カオス。
だけど、それがなんだか心をうきうきとさせるのです。
そんな不思議なアーケード街がずーっと視界の先まで続いています。
フワっと香ばしい油の匂いがしました。
匂いの先は、これまた懐かしいお肉屋さんです。
どうやら揚げたてのコロッケが店頭に並んだようですね。
私の三歩程前を歩く沼さんは、そのお肉屋さんの角できょろきょろと左右を見渡しました。
そして何かを見つけたようで、スっと右手の細い路地に曲がって行きました。
私達は今日、北陸に来ています。
「優ちゃん。
少し落ち着いた時期になりましたし、月に一度ほど私の営業にご一緒しませんか?」
そんな驚きの提案が沼さんから出て来たのは数日前の事です。
今まで何度かお願いしたのに、そのつど
「優ちゃんはお宿を守っていて下さい。」
としか言わなかった沼さんから、営業の同行のお誘いがあったのです。
これは驚きです。
そしてビックリです。
私は思わず吉乃ちゃんのようにバンザイしながら飛び跳ねていました!
もちろん営業なので、お仕事です。
お仕事なんですけど・・
不謹慎なのは分かるのですけど・・
やっぱりうきうきしてしまいます。
普段番頭のお仕事って、「留守を預かる」というのが多くて、なかなかお宿から出れません。
まあ、お昼休みがしっかり長いので、それでも休憩時間にオートバイなんか乗れて、十分気晴らしは出来ているのですが、やっぱりたまには違う景色も見てみたいです。
それに、前から気になっていた「長沼マジック」 それがこの目で見られるかも?
と、思うとなおさらです。
そしてあれです。
「名古屋の営業所の洞木さん」
はい。
あの面倒くさいお客様ばかり私に送りつけてくる憎き敵です。
一度顔を拝んでやろう!
って思っていたので、これまた有り難いです!
積年のこの恨み、いかにはらしてくれようか・・
なんてほくそ笑んでいたら、あら、残念。
今回は東海方面ではなくて、北陸方面への営業でした・・
そして夢にまで見た沼さんとの出張当日。
今日の私は青いお宿のハッピじゃないんですよ!
スラックスにカッターシャツでもないんです!
スーツです。
スーツ!
気合の入ったスーツ姿なのですよ!
もちろんスカートですよ!
まあ、普段着慣れていないので、多少リクルートっぽいのは否めませんが・・
北陸へ向かう車の中、沼さんは楽しそうに色んなお話を私に聞かせてくれます。
美味しい物の話し。
北陸の景色の話し。
通り過ぎる小さな集落や街にある名物や名所の話し。
なんだかほくほくと、幸せなドライブみたいです。
私は一人子なので、お兄ちゃんがいません。
でも、もし、ちょっと年の離れたお兄ちゃんがいたならば、こんな感じなのでしょうか?
それとも、ちょっと年の離れた、優しい旦那様?
なんて考えたらいきなり顔が赤くなってしまいました。
沼さんの持っている、この柔らかくて優しい大人の空気は、ほんとうにいつも私を優しく包んでくれます。
今日は、私も沼さんもお宿にいないので、その分の仕事を引き継いでくれた吉乃ちゃんには申し訳ありませんが、存分に沼さんに甘えたいと思います!
道中、沼さんは今から向かう北陸エリアの営業所についても説明してくれました。
距離的に言えば、私達の街からだと名古屋等の東海圏よりも、こっちの北陸圏の方が近いです。 でも、予約の入り具合を見ると、圧倒的に北陸圏より東海圏からのお客様の方が多いのです。 まだうちの宿は沼さんの筋から入る予約が結構あるのですが、他のお宿さんなんかは、北陸系のお客様はうちよりずっと少ないらしく、「北陸の営業は諦めた」というお宿がほとんどだとか・・
沼さん曰く、これにはいくつか要因があるそうです。
一つ目には、北陸から直通の高速道路が無いこと。
道中峠道ばかりで、時間がかかる上に、走るのが面倒くさい事、なんかがあるようです。
あと、北陸自体も有名な温泉は沢山あり、雄大な山と、日本海が楽しめるというロケーションの場所も数多くあります。
ですから、わざわざ私達の街まで来る必要がないからだ。
と、沼さんは教えてくれました。
でも、そんな
「わざわざ来る必要がない。」
地域からでも、きっちりお客様を取ってくる沼さんは凄いです。
私がその事を沼さんに伝えると
「何も全員がそう思っている訳ではありませんよ。
ちゃんとした筋に、ちゃんとした理解者がいれば、お客さまを送って下さいます。」
と、沼さんは笑っています。
私が尊敬の眼差しで沼さんを見ていると
「いやいや。
大番頭の教えを守ってるだけですよ。
それに、代理店の方々に
『安心してお客様にご案内出来る』
と思っていただけるのは、
大番頭や、大女将、それに優ちゃん達がお宿を守ってくれていた結果です。」
と、照れくさそうにしました。
私はなんだか沼さんに褒められて、幸せな気持ちになってしまいました。
ほんと、沼さんは憧れのお兄さんみたいな人です。
さて、私達が北陸に到着して最初に入った旅行代理店では、「支店長」と呼ぶには少し若い30代後半の男性が出迎えて下さいました。
でも、交換した名刺を見ると、はやりこの方が支店長さんのようです。
「長沼さん!よくおいで下さいました!!」
少し大袈裟とも取れる身振り手振りでその支店長さんは、私達を応接室に案内して下さいました。
「いやぁ!
その節は長沼さんに本当にお世話になっちゃって!
本当にありがとうございました!!」
あら。
ちょっと意外です。
若い支店長さんなので、よほどの「切れ者」かと思いきや、なんともペコペコした感じの人です。
こんな感じの人でも、こんなに若く代理店の支店長さんになれるんだ・・
なんて私は思ってしまったのですが、どうやらそれは間違いだったみたいです。
途中窓口のお姉さんが、お茶を持ってきてくださったのですが、その時のお姉さんに指示する口調は、完全に仕事の出来きるエリート上司そのものだったからです。
「ありがとう。
そこに置いておいてくれたまえ。」
そう言った支店長さんの目には力と鋭さがあって、一瞬背筋がドキリとしました。
どうやらこの支店長さん、ペコペコするのは沼さんの前だけのようです。
はて?
でも、それも可笑しなお話と言えばお話です。
だって、本来なら逆じゃありません?
お客様を送っていただいてるのは私達ですし、
「いつもお客さんを送ってあげてるぞ!」
って威張ってみえるのが普通はなずです。
なのにこの支店長さん、本当にペコペコしているのです。
これが、「長沼マジック」なのでしょうか?
ちなみに、じゃあ、沼さんがふんぞり返っているのか?
と言うと、そうではありません。
沼さんはあくまで沼さん。
まったくいつもと変わらないニコニコとして飄々(ひょうひょう)としたままなのです。
「いやあ、それは良かったです。」
「そうですか、それは何よりです。」
という感じで、沼さんは平常運行です。
代理店への営業と聞いて、もっとこうピリピリとした心理戦のような物を想像していたのですが、目の前で繰り広げられているのは、ペコペコとヒョウヒョウという、なんともシュールなやり取りです。
私は思わず呆気に取られてしまいました。
私そっちのけで、二人は何やら楽しげに話しています。
私は初めての営業で、その二人の間に割って入る事も出来ず、ただ二人の会話を聞きながら、うんうん、と頭を縦に振るばかりです。
どうやらこの二人の話しを要約すると、過去にこんな事があったみたいです。
その頃、この支店長さんはめちゃくちゃ困っていたそうなのです。
というのも、凄くVIPなお客様を直接担当されてみえたのです。
「嫁との金婚式の祝いに、どこか国内の温泉にでも行きたいのだが、
どこか良い温泉は無いのか?」
というご要望だったそうです。
もちろん、それに関しては旅行代理店のお仕事です。
超得意分野です。
支店長さんは早速幾つものプランを作って提案されたそうです。
ですが、そのVIPなお客様。
その提案には納得がいかなかったどころか、少々ご立腹だったようなのです。
「あんたの提案は、ありきたり過ぎて面白くない!
そんな物は今日日誰でもインターネットを見れば調べられる!
もっと穴場的なプランは組めんのか!!」
と、言われてしまったみたいです。
そんな頭を抱えてる時に営業に来たのが沼さんです。
沼さんは、その支店長さんの青い顔を見て、こう言ったそうです。
「お昼にトンカツでも食べに行きませんか?」
最初はトンカツみたいな油っこい物を食べる心境じゃなかった支店長さんでしたが、あまりにも清々しく、あまりにも小粋な沼さんの食べっぷりに、ついつい箸が伸びてしまったそうです。
数日間、悩みに悩んで食べ物も喉に通らなかったのに、そのトンカツはとても美味しくて、凄く元気が沸いてきたのだそうです。
そして恥を忍んで、沼さんに尋ねてみたのだそうです。
「◯◯温泉ってどう思われますか?」
って。
沼さんはまるで思いで話しでもするように、楽しそうに旅の話しを聞かせてくれたのだそうです。
「高速で一気に行くのではなく、あえて4つ前のインターで降りるのです。
そこから少し脇道を入ると県道が走っていて、これは地元の人しか知らない道なのです。
これがまた、広くて見晴らしの良いいい道で、これからの季節は一面の山野草のお花畑の中を車で走って行けるのです。『名もない名所』というやつです。
そうそう、この県道の道中には、お爺ちゃんお婆ちゃんでやっている小さなソフトクリーム屋さんがありましてね。 ここのソフトクリームが絶品なのです。」
というような雑談だったらしいのです。
それ以外にも沢山お話を聞いたこの支店長さん、その時の沼さんの雑談をプランにまとめて提案しなおしてみたところ、VIPなお客様は大喜びだったのだそうです。
その後、そのお客様の経営する会社の社員研修から社員旅行、新年会忘年会と、全てこの支店長さんが担当する事になったのだそうです。
そして聞いてみると、どうやらこの支店長さんと沼さんのこの関係、その1回ばかりではなかったみたいです・・
まさに出世の影に沼さんあり。
みたいで私は楽しく二人のお話を聞いていました。
さて、肝心の冬の営業については・・
なのですが。
ここは意外な程にあっけなく、沼さんはサラっと企画を提案した程度でした。
だけど、支店長さんは、うんうんと、楽しそうに頷いています。
「長沼さんの提案なら間違いありません。
全力で応援させていただきますよ!」
と、逆に嬉しそうにしてみえます。
あ、最後に私も褒められてしまいました。
「私達が安心してお客様に西山荘さんをご紹介できるのは、
長沼さんだけの力じゃありません。
先代の大女将や大番頭が立て続けに亡くなられた時は、
さすがに心配しましたが、現若女将と、尾折支配人。
あなたのがんばりの賜物ですよ。
ちゃんとお客様の声は私どもにも届いております。
これほど安心してご案内できるお宿は多くないです。
これからも頑張ってください。」
という、とっても有り難いお言葉でした。
普段お宿から出ないので、こういう言葉をいただけるのは照れくさいですけど、やっぱり嬉しいですね。
頑張った甲斐があります。
さてさて、次の営業所でも似たようなやり取りが繰り広げられました。
次の支店長さんは、随分若い時代に沼さんとお寿司を食べに行ったそうです。
はい。
北陸の美味しいお寿司のランチです。
どうやら若かりし頃の支店長さん。
上司に連れられて行く接待の席で、上司も相手も不機嫌になられる事が多くて悩んでみえたのだそうです。
そこで沼さんの登場です。
「お昼にお寿司でもいかがですか?」
はい、沼さんのお寿司の食べ方には定評があります。
私も大のファンですもの。
あれはね、反則です。
もちろん、この支配人さんも目から鱗が落ちたそうです。
そして沼さんと自分の席を見比べて気が付いたそうです。
自分の食べ方と言うよりも、手元がとても汚い事に。
沼さん、豪快に美味しそうに食べるのに、手元のおしぼりや、お皿が全く乱れません。
だから凄く清々しくて小粋なのです。
特に違ったのお醤油の小皿。
沼さんの小皿のお醤油には、薄っすらとお魚の脂が浮いているだけで、お皿も周りもとっても綺麗。
方や若かりし頃の支店長さんの小皿は、グチャグチャで、お醤油も周りに飛び散っていて、おしぼりやお皿もあっちむいてホイだったんですって。
そして恥を偲んで沼さんに聞いてみて、初めて
「和食を食べる時にお醤油を汚すのはマナー違反」
というルールを知ったのだそうです。
それまで「ワサビはお醤油に溶いて食べる派」だった支店長さん。
その行為自体が、実はちゃんとした席では大タブーだって知らなかったみたいです。
「ワサビは、溶く派? 乗せる派?
あれはご家庭での食べ方ですよ。
ちゃんとした席であれをやると、
相手にはこちらの会社の程度を見下されてしまいます。
無論上司も不機嫌になってしまうでしょうね・・。」
なのだそうです。
それ以来、お醤油の小皿と、自分の手元をいつも綺麗にしながら食べるようにした支店長さん。
それからは接待も上手く行くようになったんですって。
そして、やっぱりこの支店でも私は褒められてしまいました。
その後も沼さんは色んな支店で楽しそうにお話をしました。
綺麗な景色の話し。
美味しいお料理の話し。
綺麗な景色のお話では、見たこともないのに瞼の裏にその景色が広がって見えます。
花の香りすら漂ってきそうです。
料理の話しでは、聞いてるだけで思わずヨダレが出てしまいそうなくらい、プリっとした食感や、芳醇な香りが漂ってきます。
ツッコミ過ぎないし、引き過ぎない。
そんな距離感で、沼さんは色んなお話を聞かせてくれました。
どの支店の方も、楽しそうに聞いてみえます。
「年に何度か長沼さんが来てくれて、
話しを聞かせてくれるのが楽しみで、楽しみで・・」
そんな言葉を回る支店、回る支店で聞きました。
これは支店によっては支店長さんだったり、窓口のお局さんだったり、
中にはまだ仕事に慣れていない新人の子なんかもいたりしました。
そしてやっぱり皆が沼さんの話しを楽しそうに聞いています。
ああ、なんとなく分かった気がします。
こんな沼さんだから、皆が安心してお客様を送れるのだ。
そして、書類の間にメモ書きの礼状や、
あの・・
その・・
不本意ながらラブレターが混じっているのも納得が行きます。
雑談だけではありませんよ。
ちゃんとお仕事の企画も提案してます。
それがまた不自然じゃないんです。
これまた流れるようなんです。
スマートです。
そして相手側の質問には、キッチリにこにこと答えるんです沼さん。
ほんとに皆の憧れの沼さんのようです。
そんなこんなで、お昼を少し回ったところで
「お昼でも食べましょうか。」
という話しになったのです。
ヒョイヒョイという軽い足取りで、沼さんは駅前から伸びるアーケード街に進んで行ってしまいました。
私も慌ててそれに続きます。
あまりに沼さんの足取りが軽いので
「沼さん?
ここら辺も詳しいんですか?」
と、尋ねてみると、意外に返事は
「いや。
この辺りは初めてです。」
と言って、細い目をさらに細くさせて笑っていました。
コロッケが香るお肉屋さんの角を曲がると、そこはちょっとした路地裏っぽい通りでした。
色んな小さな飲食店や、まだ昼間で明かりがついていないスナックの看板なんかが並んでいます。
そこで沼さんは、小さく
「ほぅ。」
と呟くと、スススと進んで一軒のお蕎麦屋さんの暖簾をくぐりました。
「またお蕎麦?」
と、私は思ってしまったのですが、「ほほう。」という言葉を聞く限りでは、どうやら「沼さんセンサー」に反応したお店のようです。
私はついつい楽しみになってしまい、少しスキップが入った足取りで沼さんに続きます。
あれ?
だけどちょっと変です。
なんだかお世辞にも「老舗のお蕎麦屋さん」という雰囲気ではありません。
いや。
古いんですよ、なかなかレトロなお店なんですが、お蕎麦という看板にしてはまるで「昭和の食堂」といった感じのお店です。
店の前にはガラスのショーケースがあって、そこには色んなメニューのサンプルが置いてあるには置いてあるのですが、どれもこれも日に焼けて、色が白く変色していたり、熱で変形していたりで、それがどんなメニューなのかよく分かりません。
ただ、なんとなくなんですが、お蕎麦以外のメニューばかりなような気がします。
沼さんに続いて暖簾をくぐると、そこは本当に昭和の食堂でした。
床なんて土間ですよ。
土間。
向かって右手に三席程の座敷があります。
土間から靴を脱いで上がる畳敷きの座敷です。
置いてあるのはテーブルというか、ちゃぶ台です。
正面はテーブル席。
これも、いつの時代のテーブル?
というテーブルにスチールの椅子が並べてあります。
向かって左は厨房とカウンター。
湯気の向こうに、ご主人らしきお爺ちゃんが見え隠れしていました。
沼さんはキョロキョロっと短く店内を見渡すと、スススっと座敷の方に歩いて行きます。
私は沼さんが明けた引き戸を閉めると、沼さんに続きます。
引き戸の取っ手が少しニチャっとしました。
「これはなかなか面白そうなお店ですね。」
靴を脱ぎながら沼さんは楽しそうです。
私達が一番奥にあるちゃぶ台に腰を下ろすと、腰の曲がったおばあちゃんが、水を持ってきてくれました。
コップは昔ながらと言いますか、私達がたまに「お疲れ様の女子会」でビールを飲む時にも使う、ビールメーカーのロゴの入った一合コップです。
「カレーライスを2ついただけますか?」
・・え?
私は耳を疑いました。
だって、ここお蕎麦屋さんですよ。
お蕎麦屋さんなのにカレーって、なんですか、それ?
私がきょとんとした顔をしていると
「美味しいんですよ。
お蕎麦屋さんのカレー。」
と、沼さんは楽しそうにしています。
私は慌てて店内を見渡しました。
少しお昼のピークも過ぎていて、店内には五人程のお客様しかみえませんでしたが、確かにお蕎麦を食べているお客様もいますが、なんだか片手にスプーンを持った方の方が多いような気がします。
ひょっとしたら、これは隠れたカレーの名店なのかも知れません。
今まで一度だって、沼さんが連れて行ってくれるお店でハズレた事がありません。
私は気を問いなおして、わくわくしながらカレーの登場を心待ちにしました。
「え!
あんだって!?」
「カレーだよ、カレー!」
「え?
あんだって!?」
湯気の向こうで、腰の曲がったお爺ちゃんが、やはり腰の曲がったお婆ちゃんに何度もオーダーを聞き直している大声が聞こえます。
これまた昭和のコントみたいです。
沼さんはそのやり取りも、にこにこしながら眺めています。
しばらくすると、腰の曲がったおばあちゃんが、私達の席にお皿に入った
『・・え?
・・・え?
あんだこれ??』
を持って来てくれました。
「熱いよ。
気をつけてね。」
お婆ちゃんはそう言って、プルプルした手付きで二つのお皿を私達の前に置きます。
ええ。
そりゃあ熱いと思いますよ。
だって、お婆ちゃん。
指入ってますもん・・
私は目の前に置かれた
『あんだこれ?』
に目が奪われたまま固まってしまいました。
だって、私達が注文したのはカレーライスだったはずなのに、目の前に置いてあるのは、ただの茶色くてコンモリとした山なんですもの。
ご飯なんて見えませんよ。
ただの山です。
沼さんが「面白そう」って言ったから、期待もしましたし、色々想像もしましたよ。
ほら、例えば最近ではめっきり見なくなった、カレーだけ銀カップに入って出てくるやつとか・・
でも、さすがにこれは想像すらしませんでした。
だって、ご飯見えないんですもの。
おそらく真ん中の山の正体はご飯だと思うのですが、まるで中華飯のように、大量のカレーがその上から、ただかけてあるのです。
さすがにこんな乱暴な料理は想像していませんでした。
私は何度も何度もお皿の上の謎の物体と、沼さんの顔を行ったり来たりしながら見つめます。
沼さんは、そんな私の顔をほほえましく眺めています。
「折角のカレーが冷えてしまいますよ、優ちゃん。」
沼さんが微笑みます。
あ、やっぱりこれカレーなのね・・
カレーで間違いないのね・・
私は慌ててスプーンを手に取りました。
これがカレーだと言う事は、お皿の中で茶色の液体にまみれてゴロゴロしているのは、ジャガイモでしょうか?
私はおそるおそる、まずはそのジャガイモをスプーンに取り、口へ運びました。
私は北の大地に立っていました。
ほくほく、もっちりとした食感と、濃厚なジャガイモの味が口いっぱいに広がっています。
ビバ北海道・・
ビバ北海道・・
無意識に私はそう呟いていました・・
カレーのジャガイモというと、もっとドロっと煮蕩けてる感じかと思っていたのですが、違うのです。 かと言って、ほくほくの粉ふきいもみたいなのとも違うのです。
表面は軽くトロっとしていて、ほんの数ミリくらいが煮蕩けてカレーと一体になっていますが、噛むとムチっとした食感なのです。
そしてジャガイモの甘味がむっちり、ねっとりと、口いっぱいに広がります。
しかもこれ、ジャガイモのカットの大きさが絶妙です。
ジャガイモが大きすぎて、途中から塩気のないジャガイモの味だけがする。
ってのとは違うのです。
表面のカレーと一体化してる部分の味で、この一口大の大きさが楽しめてしまうのです。
「名人芸ですね。」
沼さんは微笑みながらカレーを頬張っています。
まったく、沼さんは私の心の中がよめるみたいです。
私は続いてご飯のお山を切り崩し、カレーと一緒に食べました。
これまた絶妙です。
最近のスパイシーなカレーとは違い、優しい味とコクのあるカレーです。
このぽってりした食感は小麦でしょうか?
私は思わず目を閉じて、カレーを味わってしまいました。
口の中ではカレーの旨味と、控えめなスパイスが踊っています。
あれ?
今、なんだかカレーのスパイスと、お肉の旨味の合間から、何かが顔を出しました。
ひょっこり頭だけ出して、こっちを覗いています。
これは、お醤油とみりん。
そしてカツオと昆布の旨味です。
「美味しいでしょ。
お蕎麦屋さんのカレー。」
また私の心の中を覗きこんだように、沼さんが笑っています。
そうか!
お蕎麦屋さんのカレー!
そういう事か!
このカレー、お蕎麦のお出しで伸ばしてあるんだ。
私がそれに気づいた顔をすると、沼さんもまた微笑みます。
まるで生徒を見る先生のようです。
「優ちゃん、気付きましたか?
ここのカレーはジャガイモが入っているんですね。」
沼さんは笑っています。
ええ、入ってましたよ!
入っていましたとも!
さっき私が食べて驚いてるの、沼さんも見てたじゃないですか!
私、思わず北海道まで飛んじゃいましたもん!
「普通はお店のカレーには、ジャガイモが入っていない物なんですよ。」
沼さん笑ってます。
・・え?
私は記憶を遡ります。
いろんなお店で食べたカレー。
はい。
確かに。
そう言えば私、お家で食べるカレー以外でジャガイモの入ってるカレーを食べた事が無いような気がします。
「手の込んだ専門店ではどうか知りませんが、普通のレストランなんかでは、カレーにはジャガイモが入らないのです。」
「え?
そうなんですか?」
「はい。
カレーという物は人気食で、
レストランみたいな所ではメニューから外せません。
無論よく出ます。
ですから普通は厨房の中で湯煎にかかって熱い状態で保温されているのです。」
・・ふむ。
「ですが、この湯煎。
常時温めるので、中にジャガイモが入っていると煮溶けてしまうのです。
そうなると、ジャガイモの澱粉で、カレーがどんどん固くなってしまうのです。」
・・ほう。
「ちょっと凝ったお店は、フライパンで具材を炒めて、
そこに熱いカレーをかけて和える。という事をしますが、
「ジャガイモが入ると家庭的になりすぎる。」
と言って嫌うお店も多いです。」
確かに、同じく煮溶けやすい夏野菜のカレーや、煮過ぎると小さく固くなってしまう魚介のカレーなんかは食べた事あります。 でも野菜はシャキシャキしてましたし、魚介もプリプリしてました。 あれは一緒に煮込んだのではなくて、具材を炒めた上にカレーを絡めたんですね。 納得です。
「ですが、ここのジャガイモは事前に炒めたり、
揚げたりした物ではありません。
表面がいい感じにカレーに溶けていました。
これは煮込んだ証拠です。
ですが、今はお昼のピーク過ぎ。
事前にカレーと一緒に煮込んでいたとしたら、
すでに溶けかけている時間帯です。
しかし溶けてもいません。
かと言って、私達が注文してから煮始めてはこんなに早く出てきません。
偶然たまたま、私達がカレーが完成してきたタイミングで来店した。
という事も考えられますが、他のお客様を見る限り、
かなりの確率でカレーを食べてみえます。
これは、このお店のカレーが美味しいと評判だからです。
という事は、おそらくいつ注文してもこのカレーが出てくるのでしょう。
これは面白いなぞなぞです。」
沼さんが笑っています。
なるほど、そう言えばそうです。
これは深まるミステリーです。
いったい犯人は誰?
誰なの?
という展開です。
私なりに答えを導き出そうと画策するのですが、どうにも謎は深まるばかりで、ちっとも答えに行き着きません。
「謎は、厨房にあり。
ですね。」
沼さんがまた笑っています。
たぶんこの名探偵にはすでに答えが出ているのでしょう。
そして私を試して面白がっているのです。
無論正解を沼さんに聞くのは簡単です。
でも、それをしたら無粋なような気がします。
これは小粋な沼さんが、私に出した小粋なクイズです。
私はこれに小粋に答えるのが筋というものでしょう。
あ。
運良くテーブル席からカレーとお蕎麦の注文が入りました。
お婆ちゃんがそのオーダーを厨房の中のお爺ちゃんに伝えると、お爺ちゃんは小鍋を持って大きな冷蔵庫を開けました。
そしてこそからオタマに一杯、何かをすくって小鍋に入れました。
そしてコンロの前に戻ると、今度は違うお鍋からオタマに一杯何かをすくって、先ほどの小鍋に足して火にかけました。
それと同時に、お蕎麦も茹でています。
あ。
さっきのお鍋からまたオタマで何かをすくいました。
今度はお蕎麦用に使っています。
お出し!
分かりました。
カレーにも使って、お蕎麦にも使う。
これは間違いなくお蕎麦のお出しです。
そうなると、先ほど冷蔵庫からオタマですくったのが、カレーという事になります。
なるほど!
なんとなく半分くらいは謎がとけたような気がします。
というか、全部解けたような気もするのですが、それが正解だという自信がちっともありません。
沼さん曰く、人気食のカレーは常時温めてある。 という常識からすると、私の思い付いた答えは全く真逆ですし、それどころかめちゃくちゃ面倒くさい方法です。
わざわざそんな事するお店なんてあるのでしょうか?
たかがカレーの具材のジャガイモ1つのためにですよ・・
私が思い付いた答えは簡単で、
「予め、丁度いい感じに具材の煮えたカレーが冷蔵庫で冷やしてある。」
という物でした。
完全に冷えているカレーの中に入っていれば、具材が煮蕩ける速度は遅くなります。
というか、さっきのお爺ちゃんの動きを見る限り、これしか無いのですが。
ただ、この
「丁度いいカレーが冷蔵庫で冷えている」
というのが、よくよく考えるととても面倒くさいのです。
と、言うのは、あれだけ大量のカレーですから、火を止めたって当分熱いままです。
それだと予熱でジャガイモは溶けてしまいます。
そうなると、程よく煮えたと同時に、一気に冷やす必要があるのです。
と、言っても、熱い大鍋を冷蔵庫に入れてしまったら、冷蔵庫ではなく「温蔵庫」になっちゃいます。 他の食材がダメになってしまいます。
という事は、氷か冷水。
たぶん氷でしょう。
出来たてのカレーを氷で一気に冷やすのです。
そして熱が取れてから、冷蔵庫で保存する。
そして、それでは恐らくまだ正解の2/3です。
いくら冷やしてあるとは言え、長時間水分の多いカレーに浸しておけば、ジャガイモみたいな柔い食材はこのもっちり食感を保てないはずです。
昨日の残りでは、ジャガイモはこの食感ではないはずです。
という事は、
「定期的に作っている」
ではなくて
「毎日仕込んでいる。」
という事になります。
それくらいしか、もう思いつきません。
それなら、このジャガイモがもっちりしてる件の全ての辻褄が合います。
でも、ここはお蕎麦屋さんですよ。
超こだわりのカレー専門店ならいざ知らず、本来お蕎麦を売る店で「おまけメニュー」のカレーライスにそんなに手間をかけるはずがありません・・
しかもあんなお爺ちゃんがです。
そう思った瞬間に、自分の出した答えの馬鹿らしさにため息が出ました。
沼さんはそんな落胆した私の顔を見て
「正解。」
と笑いました。
「良い物を残し続けて行くという事は、そういう事なんだと思いますよ。
名人芸ですね。
さあさ優ちゃん。
折角のカレーです。
温かいうちにいただきましょう。」
そう言って沼さんはまたカレーを一口頬張りました。
「カレーだよ!カレー!」
「え?
あんだって!?」
厨房ではまた、懐かしい匂いのするコントが繰り広げられていました。




