釜ノ瀬リターンズ(Ⅰ)
本格的に秋がやって来ました。
優です。
皆さんもお元気ですか?
紅葉にはまだ早いですが、それでも走り慣れた林道には、チラホラと落ち葉が目立つようになって来ました。
運転には要注意です。
さすがにカーブの途中で落ち葉を踏んでしまうと、ツルリと行ってしまいます。
そんな、ちょっと運転には注意。
な、秋ではあるのですが、やっぱり道の美しさは格別ですね。
新緑や、鮮やかな緑のアーチも大好きですが、やっぱり色とりどりに色づいた木々のアーチを走るのは、なんというか、別世界の美しさです。
特にこの時期の
「リス里の奥」
の美しさときたらもう・・
はい。
そんな感じで、今日のお昼休みもプラリと走りに来ちゃいました。
でも、今日は一人ではないのです。
ちょっとだけおじゃま虫な気もするのですが、道洞君、麻子ちゃんカップルにくっついて来てしまいました。
言い訳っぽいんですけど、この道の噂は聞いていたものの、走ったことの無い麻子ちゃんに、
「連れてってください!」
と、せがまれてしまったのです。
道洞君の怪我は完治しました。
ファイヤーブレードの修理も先日無事終了しました。
ファイヤーブレードは、今回の修理で色が変わりました。
前までの白ではなくて、シャンパンゴールドって言うんですかね?
淡い銀色っぽい金色になりました。
それにオレンジと紫のラインが入って、前よりもぐっと「大人のバイク」っていう雰囲気です。
バイクの場合、壊れた外装は修理するより中古を探した方が早くて安いのだそうです。
特に道洞君のファイヤーブレードの場合、どれもこれもバリバリに割れて、使える部品が殆ど無かったから、ひと思いに違う色のパーツで揃えたんですって。
宅配便で、落札した外装パーツが届く度に、楽しそうに二人で取り付けとかしてました。
ほんと、うらやましい限りです。
これからは、休みを合わせて二人で並んでツーリング。
なんて事も増えるんでしょうね。
秋には紅葉を。
春にはさくらを。
夏には海を見に行こう。
そんな相談をしている二人の姿や、楽しそうに綺麗な景色の中を並んで走る背中が目に浮かびます。
「テレビの中に、私が経験出来なかったキラキラした青春があった。」
そんな麻子ちゃんの言葉。
今では私が、キラキラした麻子ちゃんを眺めて羨ましがっています。
そんな私達は、少しだけ紅葉が始まりかけたリス里の奥を、気持よく流れて行きます。
小川のせせらぎも相変わらず気持ちいいです。
麻子ちゃんも気持ちよく走っています。
やっぱり麻子ちゃんには250の4気筒よりも2気筒の方が相性がいいみたいです。
スイスイとまるで金魚みたいに、楽しそうに秋の林道を泳いでいます。
私達がまるでワルツでも踊るように落ち葉舞う林道をサラサラ流れていると、後ろから物凄い勢いで一台のオートバイが追い抜いていきました。
あまりにも早くて、最初は何が起きたか分かりませんでした。
物凄いスピードで下りの峠道をすっ飛んでいったものですから、車種なんかは分かりませんでしたが、とにかくまあ、とんでもなく気合の入った格好のライダーだったような気がします。
全身革製で、プロテクター入りの高級ライダースーツ。
ヘルメットも派手な色使いの高級品。
オートバイはなんだがヒョロリと細身で重心が高く、一見頼りなさ気な雰囲気の真新しい物だったのですが、驚いたのはカーブの曲がり方です。
私達を追い抜いたまま、物凄いスピードを維持してカーブに突っ込んで行くと、体は真っ直ぐ立てたままで、バイクだけ「ひょい」と斜めにすると、大した減速もしないままカーブを曲がって行ってしまいました。
連続した次のカーブも、体はまっすぐなまま、バイクだけ反対側に「ひょい」と倒すと、そのまま私達の視界から消えてしまいました。
なんだか悪い夢でも見ているような気分です。
あたし、あんな風にバイクがカーブ曲がるトコなんて見たことありません。
だいたいカーブを曲がる時は、クラッチと、アクセルワークでシフトダウン。
そして前輪のブレーキで荷重を前方向に戻して、カーブの内側に体を倒してアクセルを開ける。
そうやって、頑張って曲がる物だと思っていたのですが、私達の前を走り去ったそのバイクは、そんな面倒くさい作業なんて鼻で笑い飛ばすみたいにして、ヒョイヒョイとバイクだけ、左、右って手で倒して、何事も無かったかのように駆け抜けていってしまいました。
それも信じられないような速度で・・
ああ。
そう言えば。
なんとなく聞いた事あるような気がします。
ひょっとしたらあれが
「モタード」
という種類のバイクかも知れません。
たぶん、間違いないと思います。
オフロードバイクに、ギザギザとしたスパイクのようなタイヤではなくて、私達と同じようなオンロードのタイヤを履かせたオートバイ。
それがモタードです。
小排気量なのに、高い重心と、軽い車重、高いタイヤのグリップ力で、スポーツバイクすら峠道でブチ抜いてしまう、反則のような「モタード」ってバイクがある。
って、隆二が前に言ってました。
たぶんそれです。
初めて見ました。
すっかり私達を追い抜いて、とっとと先に行ってしまったかと思われたそのバイクは、カーブを3つくらい曲がった先の退避所で、停まって私達を待っているようでした。
しきりに、手でなにやらカッコいいサインっぽいのを私達に送っています。
麻子ちゃんが、何があったのか理解できずにビクビクしているのが背中から伝わります。
私も、「厄介事に巻き込まれるのは嫌だなあ。」と感じました。
そんな私達の気持ちを察してくれたのは、普段は空気の読めない道洞君です。
やっぱり彼女が出来ると男は変わるんですね。
最後尾からゆっくりと減速して私達を追い抜くと、そのまま待避所のモタードの前に止まりました。
道洞君の背中からも緊張が伝わります。
どうか、揉め事になりませんように・・
恐る恐る道洞君がファイヤーブレードを降りて、そのバイクに近づくと、バリバリに気合の入った本皮スーツのライダーは、急にヘルメットを脱いで、親指を立てました。
「皆さん!
ナイスラン!」
立てた親指と、奥歯が光ってます・・
それは、山麓亭の支配人。
はい。
釜ノ瀬さんでした・・
第二十九話
釜ノ瀬リターンズ(Ⅰ)
「うぅぅうう・・」
キャンドルが灯されてジャズが流れる一枚板のカウンターの上で、私はうなだれて伸びています。
そんな私の背中を、焼酎のロックを片手に美咲が笑いながらバンバンと叩いています。
カウンターの中では、隆二が何やら無口に厚手のお肉のブロックを焼いています。
高笑いする美咲の気持ちも分からなくもないのですが、当の本人である私にしてみれば、これほど気の重い事はありません。
実は、夏場の忙しい最中はすっかり身を潜めていた山麓亭の支配人の釜ノ瀬さんが、秋の到来とともに活動を開始してしまったのです。
お宿もすぐ近所ですし、何かと顔を合わす機会もあるのですが、その度にいちいち手を振ってきたり、駆け寄ってきて話しかけたり。
社交辞令の範囲をちょっと飛び出るくらいなら良いんですけどね。
あまりにも頻繁過ぎて少々疲れてしまいました。
さらに。
さらにです。
どうやらご自慢のドラッグスター400を売って、今度は峠に強い「モタード」を購入しちゃったそうなのです。
「これなら尾折さんに置いて行かれませんよ!」
釜ノ瀬さんは妙に自信満々なのです。
まあ、実際早いんですけどね・・
それからと言うもの、ほぼ連日お昼のツーリングに誘われます。
さすがに毎回断るのも申し訳ないので、3回に1回くらいはご一緒するのです。
でも、普通だったら3回中2回断られたら気付きますよね!?
それがね。
気付いてくれないんです、釜ノ瀬さん。
私があんまり乗り気じゃない事・・
それに、変に峠に自信つけちゃった釜ノ瀬さん。
めちゃくちゃ面倒くさいです。
毎回毎回峠道を走りたがります。
毎度毎度、エンジン音と一緒に釜ノ瀬さんの高笑いが後ろを走ってる私にまで聞こえます。 そして高笑いしたまま、猛スピードでカーブを走って行くのです。
もうね。
夢に出てしまいそうです。
あの高笑い。
それに私、確かにカーブ曲がるの好きな方ですけど、毎回毎回そのテンションでは走りたくないです。
折角のお昼休みですもん、のんびり走りたいですよ。
悪意のある方ならば、スパっと断れて気は楽なのですが、まったくもって釜ノ瀬さんは、真っ直ぐといいますか、無邪気と言いますか、とにかく悪意だけは無い人なんですよ。
だから厄介なんです。
「めんどくせぇヤツだな・・
一度俺がブチ抜いて鼻っ柱折ってやろうか?」
隆二はそう言いながら、美咲が注文した、隆二おすすめの
『値ごろなちょっと良い肉が入ったから、焼くか?』
という名前の料理を、私達の前に差し出しました。
どうやらさっきフライパンで焼いていた、厚手のブロック肉のようです。
「いや・・
あんたが出てくともっと大事になるから・・」
私はさらに項垂れます。
「そうか。
それじゃあ、仕方ないな。
とりあえず、まず熱いうちに食え。」
そう言って差し出されたお肉は、丁寧にカットされてローストビーフになっていました。
中心にサラダが盛られたお皿の上で、サラダにもたれ掛かるようにグルリとローストビーフが並べられています。
ソースは別付けのようです。
「最初はそのまま食え。」
だそうです。
お肉は綺麗な赤ピンクで
「中まで焼けてはいるけど、生ではない」
というローストビーフのお手本のような感じでした。
ふわふわと立ち上る湯気で、それが焼きたてである事が分かります。
美咲はそれを、隆二に言われた通りにお箸で一切れ取ると、パクリとお口に放り込みました。
「んまい!
んまいよ!隆二くん!」
と、喜びの声を上げています。
まあ、美咲の場合は隆二が作った物はなんだって旨いと言うのですが・・
でも、確かに隆二の料理は美味しいです。
なんというか、魂が入ってる味がします。
味に重みがあるんです。
あまりにお肉がいい香りなので、ヘコんでうなだれていた私も、つられて一切れお口に入れました。
やられた。
まただ。
お肉を口に入れた瞬間に、フワンとお肉の甘い香りと、程よい塩気が口の中に広がります。
そして軽く噛んでみると、今度は肉汁が洪水のようにジュバジュバっとお肉から溢れだしてくるのです。
滲み出る。
ではないのです
溢れ出すんです。
どこから出てくるのでしょう、この肉汁は。
見た目のお肉の大きさより明らかに沢山の肉汁が溢れてくるような気がします。
もう私の口の中は、水でも含んだように水々しく潤っています。
あ・・
駄目だ。
顔がほころぶ。
とまんない・・
気を引き締めてないと、この口中を潤して止まらない肉汁は、口の端から溢れてみっともない事態になりそうです。
もうどこまでが肉汁で、どこからが堪られずに溢れた自分の唾液なのか分かりません。
脂っこさは一切ありません。
本当に透き通ったスープのような肉汁が、私の口の中で洪水を引き起こしています。
ああ・・
牧場が見えます。
このまま両手を大きく広げて「ドレミの歌」が歌いたくなっちゃいます。
私は随分となごり惜しいですが、溢れだした大量のスープをお肉と一緒にゴクリと飲み込みました。
余韻に浸って、まだトロンとしている私の横で
「んまい!
隆二くん!これ何?
どこのブランド牛なの?」
と、美咲が隆二に尋ねていました。
うん。
うん。
私もそれ知りたいです!
「US。」
隆二は料理をしたまま、ぼそりと答えました。
さすがにその「US」という言葉には私も美咲も驚いてしまいました。
でも確かに、和牛を食べた時のような脂っこさは微塵も感じないお肉でした。
「隆二君!
でもこのお肉、全然臭くなかったよ!」
そうです。
私達が驚いたポイントはそこです。
このお肉がちっとも臭わなかったから、「US」と聞いて驚いたのです。
輸入牛は臭うと思っていたのに、全然違います。
下を向いて何やら作業をしていた隆二が、急に顔を上げました。
「本来、US牛はあまり臭わないもんなんだ。
理由はエサだ。
あとは焼き方だな。」
「エサ?」
「焼き方!?」
「ああ、エサだ。
現在日本の食卓で食べられている牛肉は、大きく分けられて
国産。
オーストラリア産
US産
この3つがメジャーだ。
実はこいつら、同じ牛なのに、食べている物が違う。
国産和牛は穀物。
オーストラリア牛は牧草。
USは穀物と牧草の両方だ。
このエサが持つ「風味」ってヤツはバカにならなくて、
実は体にどんどん香りとして蓄積されていく。
これは魚なんかにも言えて、
普段は気にしないかも知れないが、養殖のカンパチなんかを食べると
あからさまに身からエサであるオキアミの臭い香りがする。
もちろん身にオキアミが混じっているわけじゃない。
『匂いが蓄積される』んだ。」
「え?」
「まじで!?」
「ああ、本当だ。
それと同じ事が牛肉にも起きる。
牧草を食べているオーストラリア産牛は、焼くと牧草のヤニの香りがする。
穀物も食べているUS牛にはそれが少ない。
ちなみにこの「風味」というヤツは、生だとそこまで気にならないが、
焼けば焼くほど目立つもんで、だから丁寧にピンクに焼き上げたUS牛
はヤニの香りもせずに、純粋で芳醇な肉汁の味が楽しめる。
肉好きの男の中には、脂っぽい和牛よりもUSの赤身が好き。
という人が実は多い。
それが理由さ。」
そう言った隆二は、2種類の焼いたお肉のお皿を私達の前に出しました。
盛り付けは最初のお皿と一緒です。
「まずは、こっちを食べてみろ。」
そう言って、差し出した2皿のうち、右側のお皿を指さしました。
見た感じ、最初に食べたUS牛のローストビーフと違いはありません。
本当にいい感じで焼けていて美味しそうです。
私と美咲は、同時にそれを箸でつまむと、やはり同じようにお口に放り込みました。
やっぱりさっきと同じように、芳醇な肉の香りがして、噛むと洪水のように濃厚なスープが溢れだしてきます
でも。
あれ?
さっきほどうっとりしません。
それどころか、よく味わってみると、さっきとは違って、何だかヤニ臭いとでもいうのでしょうか、牧草の焦げたようなツンとした風味が鼻から抜けて行きます。
「それがオーストラリア産牛だ。
今お前たちが感じてる、鼻から抜けるツンとした牧草の香りが
俗に言う「臭い」って風味だ。「羊は匂う」と同じ匂いさ。」
「実はこれは、豆知識でも、裏情報でも何でもない。
肉を扱ってるヤツだったら当たり前の常識だ。
前に狂牛病騒動ってのがあっただろ?
あの時Aという牛丼屋は、
『アメリカから牛が入らないなら牛丼を止める。』
といって、キッパリと牛丼をやめてしまった。
ある意味牛丼しか売るものがない牛丼屋がだぞ?
あれは、オーストラリア牛がヤニ臭いのを知っていたからだ。
ちなみにB社という牛丼屋は、元々がオースト牛を使っていたので
事件の時も牛丼を出し続けた。
このAとBという2つの牛丼屋。
プレーンの牛丼を食べ比べると、違いは一目瞭然だ。
A社のタレは淡い。
牛肉はふわりと柔らかい。
B社のタレは甘辛い。
牛肉には歯ごたえがある。
しかもB社は、どちらかと言えば、牛丼の上に
カレーやキムチを乗せて食べさす食べ方が主流だ。
それはB社自身が知ってるからだ。
なんせ肉業界の当然の常識だ。
オースト牛は臭いからさ。
濃い味で隠さないと旨くないんだ。
実際、B社の牛丼をプレーンで食べると、A社より強い味で
甘辛く煮込んであるにもかかわらず、鼻からヤニの香りが抜ける。
よくA社とB社、どっちの牛丼が好き?
という議論を耳にするが、あれはそもそも議論が成立しない。
Aという本屋と、Bというおもちゃ屋とどっちが好きか?
そういうレベルの話だからさ。
単純な牛丼としては、圧倒的にA社の方が格上だ。
これは事実でどうにもならん。
プロ野球と、草野球くらいの差があるからな、そもそもの牛肉に。
ただ、「食べ物」という意味ではおそらくB社の方に軍配が上がる。
なんせ、色んな物が乗って、複雑な味だからな。
A社の牛丼は素材に拘る和食。
B社の牛丼は素材よりも食べ方を工夫する洋食。
そんな感じだろうな。
まあ、それくらい食べている物によって肉の味は変わるって事だ。」
なるほど。
同じ牛肉でも食べる物の違いで、これ程の差が出るのには驚きました。
「次はこっちの皿だ。」
そう言って差し出された最後のお皿の肉は、すでに見た目からして今までの2皿のお肉とは違っていました。
前の二皿も綺麗なピンクでしたが、今度のお皿はそのピンクの色度合いがあからさまに違います。
お箸でつまむと、感触までもが違います。
とっても柔らかいお肉でした。
私達は、お箸に取った最後のお肉を口に運ぶと、じわりと脂と肉汁が滲み出て、お肉は数回噛んだだけで、溶けてなくなってしまいました。
完全にさっきまでのお肉とは役者が違う。
そんな感じのお肉です。
「肉には赤ワイン。
と言うが、あれは、「お肉用の濃いソースには赤ワイン」という意味だ。
今回は肉汁を楽しんでもらえるように、あえてソースは淡くしてある。
一般的なカベルネなんかでは、肉の味が負けてしまうから、こいつを飲んでみろ。」
そいう言って、隆二は私と美咲の前にワイングラスを2つ出すと、色が薄くて少しだけ透明がかった赤ワインを注いでくれました。
「これこそ和牛だよね?」
美咲がそう言うと、隆二は「そうだ。」と頷きました。
隆二が出してくれた、淡い色の赤ワインと肉汁の相性も最高です。
ソースのない淡い味付けのお肉と、やはり淡いけど芳醇なワインはお口の中で幸せそうなダンスを踊っています。
相思相愛ってこういう事なんだな。
って思わず思ってしまいました。
そして二口目の和牛を頬張って飲み込むと、一口目の時よりも、少し脂がキツく感じました。
「サシ(霜降り)の入った和牛は旨いが、
まあ、最初の二口までだな。」
そい言って隆二は笑っています。
なんとなく隆二の言う事は分かるような気がします。
脂の乗った和牛はとても美味しいのですが、三口目に行くには少し時間がかかりそうなくらい、お口の中には濃い旨味が広がっています。
私はその味を、淡いワインと一緒に躍らせるようにして飲み込みました。
「どうだい?
そのウザい奴の事は、楽になったか?」
隆二が聞きます。
そう言えば、山麓亭の釜ノ瀬さんの事で悩んでいたのをすっかり忘れていました。
忘れてはいましたが、根本的には何も解決していません。
「うーん・・
今回ばかりは隆二の料理でもダメだなぁ・・」
隆二は短く
「そうか。
それは残念だ。」
と言いながら、何やら伝票に「正」の字を書き込んでいました。
ピノ・ノワール 2
和牛ステーキ 1
オージーステーキ 1
USステーキ 1
おい。
またかよ。
「でもさあ、優?
独身なんでしょ、その人?」
赤ワインのグラスをユラユラさせながら、少し遠くを見つめる美咲が言います。
「うん。
まあ、独身だと思うけど・・」
私がそう答えると
「じゃあ、いいじゃない。
付き合っちゃえば。
優の事が好きで追っかけてきてくれるんでしょ?
独身で、エリートで、背が高くって、今は老舗旅館の支配人さん?
めちゃくちゃ好条件なんじゃない。
そのカマセさん。」
と、遠くを見ていた美咲は、ちょっとだけ普段とは違う口調でそう言うと、チラっと私の方を見たのでした。
なんだか、チラっと見たというよりは、軽く睨まれてしまったような気がします・・
でもまあ、確かに言われてみればその通りです。
そう思いながら、釜ノ瀬さんの顔を思い浮かべました。
だめ。
こりゃだめです。
初対面の時の、あの爽やかでお日様みたいな笑顔は思い出せません・・
何度試みても、頭に浮かぶのは、あの光る奥歯と高笑いばかりです・・。
「あ、あはははは・・
あれだよ、あたし追っかけられるのとか慣れてないし・・
苦手なんだよ、たぶん追われるの。」
「じゃあ、追うのは得意なんだ。」
「いや・・
ごめんなさい・・
追うのも苦手です・・」
まったく今日の美咲はなんだかトゲがありすぎます。
何か私、気に障ることでもしたのでしょうか・・
「あんたはいったい、どんな恋愛がしたいって言うのよ・・?
ね?
隆二くんもそう思うでしょ!?」
そう言って美咲は、グラスの中の赤ワインを一気に飲み干してしまいました。
「いや・・
別に俺はこいつが誰と付きあおうが、結婚しようが、
何か言えるような立場でも間柄でもねえよ。」
隆二はそう言いながらグラスを洗っています。
「面白くない!
ちっとも面白くない!
もっと強いのちょうだい!」
美咲は一段と不機嫌になってしまいました。
隆二は黙って、背中側にあるお酒が沢山並んだ棚の中から、四角くて綺麗な水色の瓶を取り出すと、ライムを絞ったロックグラスに注ぎました。
「美咲ぃ。
美咲ぃ。
ダメだよ深酒は・・」
という私の言葉も聞かないで、
「優も、隆二君も
ちっとも面白くない!」
美咲はそう言って、ジンを飲み始めてしまいました。
今まで美咲が私を飲みに誘う時は、かならず隆二の店でした。
私はてっきり、美咲が昔の彼氏である隆二に会いたいからこの店を選んでいたのだとばかり思っていましたが、本当は少し思い違いをしていたのではないか?
思わずそう感じてしまったのです。




