思いはこだまする
花火大会が終わり、お盆も過ぎると、山間の私達の街を吹く風は、まだ8月が終わっていないというのに、秋の香りを運んできます。
短大時代、私は名古屋で2年間過ごしたのですが、やはりうちの街の夏場の過ごしやすさは格別です。 夏場の湿気はありませんし、真夏の夜だって、窓を開けていれば涼しいです。 あと、「残暑きびしい」という感覚もわりとありません。
だって、お盆が過ぎたら秋なんですから。
最近では朝夕もすっかり涼しくなり、
「明け方に寒くて目が覚める。」
という日も増えました。
この頃になると、お宿にもちらほらと「残暑見舞い」という名の「お客様からの御礼状」が届き始めます。
その大半は「版画の宿」という名の通り、お宿の常連さん達が主催する
「西山荘 木版画同好会」の方々の手刷りの木版画の残暑見舞いなのですが、それに紛れて一般のお客様からも葉書が届きます。
嬉しい事です。
営業も兼ねて「お宿側が御礼状という名のダイレクトメールを送る」という話はよく聞きますが、お客様からこれだけのお礼のお葉書きをいただけるお宿。
というのも、そんなに多くないように思えます。
やっぱり、大女将、大番頭が残してくださった教えのおかげでしょうね。
今日も私はチェックアウトがひと通り終了すると、コーヒーを4杯分落としました。
そして一杯目はカップに注ぎます。
誕生日に吉乃ちゃんからもらった、ピンクにゴールドの縁取りのコーヒーカップです。
もちろん短大時代から愛用している、でっかいマグカップも今だに健在なのですが、最近ではこっちのカップを使う事も増えました。
少しばかり私には女の子、女の子しすぎてやしないか心配ですが、私がこのカップでコーヒーを飲んでいると、吉乃ちゃんが喜ぶのです。
沼さんは、これくらいの時期になると番頭さんから営業マンへと徐々に変身を始めます。
今日も、チェックアウトが終わると同時に、荷物をまとめて何処かへ行ってしまいました。
ほんと。
謎の多い風のような人です。
たぶん、今くらいから紅葉の時期、そして冬にかけての営業の準備をしておかないとダメなんでしょうね。
私はついさっき郵便配達さんが運んで来た郵便物の束を整理しながら、コーヒーの香りを楽しみます。
今日もお仕事の郵便物に混じって、沢山の御礼状が届きました。
私はそれらを手に取ると、表にしたり裏にしたりしながら、忙しかったこの夏の思い出を思い起こしてみるのです。
タイヤがパンクして、到着が深夜になってしまったお客様。
ああ、みえました。
みえました。
街までもう少し。 という山の中でパンクしちゃって、道洞君に走ってもらったんでした。
あの頃は松葉杖じゃなかったなぁ・・
「ヘトヘトになって到着されるお客様に冷えた物は食わせられない!」
って松さんが息巻いて、私と一緒に深夜まで居残ってくれました。
あ。
例の「お宿なんて現地で探せばいい。」のご家族からも葉書が来てます。
結局うちでは泊まれずに、お父さんの松庵を紹介して、あちらで泊まったはずなのにうちの宿にも御礼状が届きました。
あ。
紅葉の時期には早めに予約を入れて、今度はうちに泊まってくださるそうです。
ほんと。
ありがたいですねぇ。
ご縁って。
お子さんがお風呂で溺れかけた。
というご家族からも礼状が。
あの時は大騒ぎでしたが、今となってはいい思い出です。
ああ。
あと、今日も吉乃ちゃんへのファンレターは多いですね。
個人宛の葉書だとダントツです。
変な内容のは殆ど無いです。
割と年配の方からが多いです。
若いのに健気に女将をやる姿が、お子さんやお孫さんと重なるんでしょうね。
「頑張れ!若女将!」
という内容が多いです。
ああ・・
たまに沼さん宛もありますね・・
さすがにこれは破るわけにも、こっそりゴミ箱に捨てるわけにもいかないので、渋々沼さんに渡します。
たまに私宛もありますよ!
吉乃ちゃん同様
「頑張れ!女番頭!」
というのがほとんどですが、何故か吉乃ちゃんへの葉書にはない
「今度孫を紹介するからね!」
のような余計な一言が「頑張れ!女番頭!」の後に一筆添えられているものが多いです。
複雑です。
私ってそんなにモテなさそうなんでしょうか?
まあ、あまりモテた記憶もありませんが・・
蝉の声に混じって聞こえていた、元気に走り回る子供達の声も、ここ数日は少し静かです。そろそろ溜まった夏休みの宿題で、遊んでばかりは居られなくなったんでしょうね。
確かに事務所の窓から見える景色も、眩しいくらいに鮮明な夏のものではなく、何処か少し丸味のある優しい風景に見えます。
予約台帳には相変わらず不細工な継ぎ足しの予約が目立ちますが、来週くらいからは少しづつ空室も見え隠れし始めました。
ひと通り、事務的な郵便物と葉書を分けたつもりだったのですが、旅行代理店の封筒と封筒に挟まって、葉書の角がぴょこりと顔を出していました。
まだ1枚残っていたようです。
私がそれを手に取ると、見慣れた優しくて綺麗なボールペンの文字が見えました。
毎年、お正月と夏の始めに暑中見舞いが届くのですが、今年の夏は届かなかったので、少し心配していました。
でも、その理由はこの残暑見舞いを見れば一目瞭然です。
第二十八話
思いはこだまする
2ストの甲高いエンジン音が、森の木立の中に伸びる細い林道に響き渡ります。
小さな小さな小川のほとりを私とSEEDは流れて行きます。
頬と、夏物のメッシュジャケットを通り抜けていく風も、少し前のような夏の風ではなくて、さらりと涼しい高原の風でした。
ここは、私達の間で
「リス里の奥」
と呼ばれる景色のいい林道です。
私の大好きな道の一つでもあります。
ここは道幅が細く、車同士ですれ違うのは少し怖いのですが、バイクにとっては快適な道です。 入り口に鋭いヘアピンカーブが2つありますが、それを抜けたらあとは緩やかなカーブがあるくらいで、道は小川に沿って木立のアーチの中を抜けて行きます。
この道を走ると、いつもオートバイの視野の広さを改めて実感します。
車を運転しているときは気づかない、天井やドアのハリで隠れた部分にこんなにも素敵な世界が沢山あったのだと思うからです。
頭の上でゆれる木々。
足元で舞う木の葉。
小さな小川で泳ぐ魚達の姿も見えます。
あ。
今頭の上の木が揺れました。
この道の名前の由来にもなっているリスでしょうか。
「タノシイネ!
ハシルノタノシイネ!」
今日もうちの悪戯っ子は上機嫌のようです。
最初は戸惑った、この悪戯っ子のSEEDと名づけたNSRにも、だんだん慣れてきました。
出だしからパワーのあるVTZと違い、回転が低いとグズるこの子ですが、
常時タコメーターの「5」の数字の辺りをキープして走れば、本当に素直に走ってくれます。
ここは流したいところ。
ここは加速したいところ。
ここはギアを落として踏ん張りたいところ。
タコメーターの「5」以上をキープしていれば、私とSEEDは一心同体です。
少しの気持ちのズレもなく、SEEDは私の気持ち通りに走ってくれるのです。
これは道洞君のアクセル調整の賜物のおかげもあるのだそうです。
「アクセルの遊びは、少なければ少ない程
テンション上がるっすよね!」
なんだそうです。
でもやっぱり、道洞君には少し悪い気もしますが、これは私とSEEDが同じ気持で走れている結果のような気がします。
あと、走ってみて気が付いたのですが、タコメーターの5~6のあたり。
普通に走る分にはそれで事足りますが、実は7を過ぎたあたりで、SEEDはまた一つ上の段階での爆発的な加速を隠し持っているのです。
道洞君曰く、そこからが本来のSEEDのパワーバンドと呼ばれる領域なのだそうですが、何度か挑戦しましたが、ちょっと怖くてすぐにアクセルを戻してしまいます。
だって、時速80キロから突然瞬間移動のようにまた加速するんですよ。
たった数秒メーターから目を離してただけなのに、150キロ以上スピードが出てた時は驚きました。
さすがにそれは、とんでもないスピード過ぎて怖いです。
なにより道交法違反です。
ダメです!
知らずに出したその1回っきりです。
なので、私は5~6の回転数で走るの専門です。
本来の力が出せなくてSEEDは不本意なのでは?
と、思ったのですが、いつもこの子は笑っています。
どうやら走れればそれで十分楽しいようです。
VTZが真面目な頑張り屋さんだとすると、このこは陽気な悪戯っ子です。
麻子ちゃんを誘わず一人でヘルメットを抱えてお宿を出た時は、吉乃ちゃんに
「あら。
めずらし?
お一人で?」
なんて言われちゃいました。
実は巴ちゃんからもお誘いのメールはあったんですけどね。
今日は一人で走りたい気分だったんです。
それに、一人で走って見に行きたい景色もあったのです。
今の私のこの感情を、一言で言い表すのはとても難しいです。
自分でもよく理解できません。
寂しいでもない。
嬉しいでもない。
どこか清々しくて、でもちょっとだけ胸が苦しい。
そんな、少し深くて軽やかな気持ちがします。
複雑なんですよ。
乙女心は。
景色は木立の木漏れ日を抜けて、少しだけ開けた高台になりました。
木々の合間から私達の街が見えます。
もう少し走ると、私の目指す場所です。
私とSEEDは、まだ白い穂がついていない、ススキ野原の真ん中を真っ直ぐ伸びる道を風になって進みます。
遠くには少し霞んだ3000mの山々が見え始めました。
この先です。
この先に私達の街と、アルプスを一望する展望台があるのです。
そこが私の目指した場所です。
私は車数台分しかない小さな砂利の駐車スペースにSEEDを止めると、エンジンを切って大きく息を吸い込みました。
私の肺いっぱいに、高原の空気が染み渡ります。
展望台の回りはちょっとした公園になっていて、ブランコや鉄棒なんかの遊具も見えますが、今は誰の姿もそこにはありません。
一歩、また一歩と展望台に向かって進むと、眼下には私達の街が大きく広がります。
遠くに西山荘の屋根が見えます。
いつものコンビニの看板も小さく見えます。
街の中心を流れる川も、赤い鉄橋も、そして私達が通った小学校のグラウンドも見えます。
広い河原には、源泉を現す木でできた櫓も見えます。
私は失恋をしました。
あれからもう何年も、何年も過ぎて、今更「失恋」だなんて言葉を使うのはおかしな話だとは自分でも思うのですが、 今のこの気持は、確かに「失恋」なのだと思います。
今日届いた最後の残暑見舞いには、長崎の消印が押してありました。
表には写真が印刷されていて、私がよく知っている男性がタキシード姿で写っていました。隣には私の知らない綺麗なドレス姿の女性が立っていました。
それを見て、私は不思議と、悲しみも悔しさも覚えませんでした。
でも、どこか少し寂しくて、でもどこか優しい温かい気持ちになれました。
そして、私の中で何かが終わった。
という明確なものを感じて清々しくなったのです。
失恋したと今更ながらに感じて、自分でもようやく気付きました。
もうとっくの昔に終わった。
終わったと思っていたこの恋が、実は自分の中でまだ終わらないまま、心のどこかにずっと引っかかっていた事に。
いつかまた、私を迎えに来てくれるんじゃないか?
って、期待してた自分がいた事に。
可笑しいですよね。
だってお断りをしたのは私の方なのに。
だから私はもう一度お別れに来ました。
彼が私にプロポーズしてくれた公園まで。
一歩、また一歩と私は展望台の先まで進みます。
涙は出ません。
悲しくもありません。
どちらかと言えば、やっぱり清々しいですね。
「もう二度と会うことはない。」
なんて言いません。
またどっかで会うかも知れません。
人と人の繋がりって、そういう物だと思います。
というか、理屈は分かりませんが、今そうやって感じています。
もし、次会う事があれば、私は気持よく笑えそうです。
今までそれを想像すると、少し切ない気持ちになったりもしましたが、もうなりません。
そう思えるように、さっき急になっちゃいました。
大好きだった事。
その記憶と気持に蓋をして、目を背けるんじゃなくて、大好きだった自分も、いっぱい泣いた自分も、どこかでずっと引きずっていた自分だって、全部今の「私」の一部なんだ。
って思えたからこの場所に来ました。
いつもは慌てて返事を書くのですが、さすがに今年の夏はやめときます。
折角の新婚さんですもの、女の私から残暑見舞いが届いて変な揉め事になるのも申し訳ないです。
なので私は、胸いっぱいに空気を吸い込んで、ここでお返事を言おうと思います。
「みずかみさーん!
あなたも、お元気でー!」
私の声は、澄み渡った晩夏の青空にこだました。




