少年の旅(Ⅲ) ~出会い~
降り立ったコペンハーゲンの空港は、僕にとって更なる地獄のような場所だった。
空港自体は、とても綺麗な所だった。
空港の中にバーカウンターがあったり、彫刻が飾ってあったり。
建物の中だと言うのに、生け垣で囲まれて、パラソルが立てられたカフェテリアなんかも目についた。
その光景はもう、空港というよりも、まるでどこかのテーマパークのようだった。
そんな雰囲気の空港だったからか、行き交う人々も賑やかに、楽しそうに話しながら僕の目の前を通り過ぎていった。
だけど、その聞こえる様々の言葉の中には聞きなれた日本語が一つも無かった。
僕の手には巨大なトランクケースがあった。
そして背中には膨れたリュックサック。
「長い外国生活になるのだから」
そう言って婆ちゃんが、うちの街のカバン屋にある一番大きなトランクケースを買ってくれた。 それに積載規定より2キロ程多く衣類や荷物を詰め込んだ。
オヤジの恩師曰く、2キロオーバーくらいは問題がないのだそうだった。
その時はいいアイデアだと思ったのだが、これが見事に裏目に出た。
重すぎて気楽に動かす事すらままならないのだ。
重すぎて長い距離は押して歩けない。
置き引きが怖いから、トランクケースを残して出歩く事も出来なくなってしまった。
このコペンハーゲンの空港でも、事前に予定していたのとは違う誤算があった。
一つ目はこのトランクだった。
今回、日本からコペンハーゲンまで行き、そこで飛行機を乗り換えてフランクフルトに入る。 という予定なのだが、本当なら日本で一回荷物を預ければ、そのままコペンハーゲンで、フランクフルト行きの飛行機に荷物を勝手に乗せ換えてくれるのだが、ここでもオヤジの恩師という方のアドバイスが仇になった。
それは
「外国の荷物の扱いは雑だから、載せ替えで荷物だけ違う国に行ってしまった。
なんてことがザラにある。」
というアドバイスだった。
だから僕は、あえて自動で乗せ換えてくれる荷物を、一度この空港で引き取る事にしたのだ。
おかげでトイレに行くだけでも、この巨大なトランクケースを押すハメになってしまったのだ。
もう一つの誤算は、
ああ。
やっぱりこの恩師さんだ。
「初めての外国で一人ぽっちの飛行機の乗り換えだから、手違いがあって乗り過ごさないように、コペンハーゲンでの乗り換え時間は6時間ほど見ておいた。」
という有り難い物だった。
ところが、ここまで来た飛行機を降りると、次の搭乗口はあっけなく見つかってしまったのだ。
こうして僕は、生まれて初めての異国の地で一人、6時間もの時間を
「どこにも行けない」
「動けない」
という状態で過ごさなくてはならなくなってしまったのだった。
じっとしてればいいだけの話しと言えばそうなのだが、
しかし、これがなかなか大変な事だった。
さっきまで乗っていた飛行機には、明確な「僕の席」という居場所があったのだけれども、このだだっ広い飛行場にの中にはそんな場所は無かったのだ。
広い場所にぽつんと一人、身を寄せる場所がない。
というのはとにかくキツかった。
僕の身長は180cm近くあり、クラスではいつも後ろから3人目くらいにはいたので、小さい方では無いと思っていたのだけれど、この空港ですれ違うヤツラはとにかく大きかった。
まるで自分の身長が10cmか20cm程小さくなってしまったのではないか?
という錯覚を覚えた。
得体のしれない外国語を話すデカイやつらに囲まれて、僕は完全に怯えてしまっていた。
次に僕が乗る飛行機の待合場は見つかったのだけれども、そこで時間を潰そうにも、それまでに時間がありすぎて、前の便に乗る外国人でそこはごった返していた。
その便が出ると、待合室は空いたのだけど、またすぐ違う便の乗客で埋まりだし、その便に乗るわけでもない僕は、怖いのと申し訳ないのとで、そこから逃げてしまった。
結局僕がその待合室の椅子に腰掛ける事が出来たのは、正当に僕にその権利が当たる5時間後だった。
それまで僕は、その待合室からちょっと離れた通路の床で、膝を抱えてトランクの脇に腰掛けている事しか出来なかった。
5時間ずっとだった。
随分時間が経ったのではないか?
そう思って腕時計を見ると、何て事はない、前に時計を見てから10分も時間は過ぎていなかった。
そんな事を何十回も繰り返した。
途中何度もお腹が減って苦しくなった。
喉も乾いた。
恥ずかしい話しだが、日本を発った便の中で「ノーサンキュー」を連呼したために、僕は機内食にありつくこ事ができなかったのだ。
サイフの中には日本を出る時に両替した米ドルの紙幣が数万円分あった。
これは目的地に着くまでの軍資金だった。
何度かこのお金で、少し先にある露店販売のサンドイッチでも買おうかと悩んだのだが、コペンハーゲンのあるデンマークの通過がドルじゃないのは分かっていたので、それで買えるのかが怪しかった。 もし、米ドルが直接使えたとしても、そのややこしそうな支払い方法でサンドイッチを買うだけの行為を英語でしなくてはいけない。
そう思うと、僕は結局何も食べれないまま膝を抱えるしか無かったのだ。
ここには日本では見慣れたジュースの自動販売機すら無かった。
日本を出て10数時間。
日で言えば半日以上、僕は何も食べれない、何も飲めないという状況に陥っていた。
黙っていても3食が食べれた日本がすでに懐かしくなっていた。
悲しいかな、事前に想定していた事で見事に的中した事もある。
それはお金だった。
軍資金は米ドルの数万円だけ。
皆が心配してもっと持っていけと言ったが、僕は断った。
沢山持ち歩いて強盗にでもあったら大事だし、たぶん沢山持っていたら、この時点で日本行きの切符を死に物狂いで手に入れて、尻尾を撒いて逃げ帰っていたのではないかと僕は思った。
そういう点では、この所持金が少なかった事が、なんとか僕のメンツを守ってくれたのだと思う。
空港の床で膝を抱えてまるまる事5時間が過ぎて、ようやく僕の便の搭乗手続きが始まったようだった。
僕は巨大で重いトランクケースを手続きと同時に窓口に預けると、一目散にトイレへと駆け込んだ。
まったく、日本を逃げ出せばいい世界が待っている。
なんて思った自分がバカバカしい。
逃げ出した先は、さらなる地獄だっただけだ。
搭乗を開始した飛行機には真っ先に乗った。
久しぶりに味わう
「自分の席がある」
という状況が懐かしかった。
ただ、乗り込んだ飛行機はとても小さくて驚いた。
日本からの飛行機はテレビでも見たことのあるサイズだったのに、今回の飛行機はまるでバスのような印象だった。
僕はこの「自分の席」を手に入れて、真っ先にやったことがある。
それは「自分の鞄を開く」という行為だった。
もちろん膝を抱えていた5時間の間、何度かこの鞄を開くという行為はした。
だけど、落ち着いて開けた事は一度もなかった。
あんなに人通りの多い場所で、あけっぴろげに鞄を広げるという行為は、とてもじゃないけど怖くて出来なかったからだ。
僕は改めて鞄の中から、目的地までの数々の切符と、日程表を取り出すと、これからの行動をチェックした。
(飛行機)コペンハーゲン - フランクフルト
(鉄道)フランクフルト空港 ― フランクフルト駅
(鉄道)フランクフルト - フライブルグ
(鉄道)フライブルグ ― バートクロイッツィンゲン
(バス)バートクロイッツィンゲン - シュタウフェン
日本を発つ前は、「乗り換え? なんとななるんじゃね?」 なんて気軽に考えていた自分がバカみたいだ。
こんなの普通に考えたら、どう考えても無理だろ?
僕は今更ながらに後悔していた。
無理だ。
これは絶対に無理だ。
素直にそう思った。
なにせ、今しがた一つ目の乗り換えをしたのだけど、そのたった1回の乗り換えで精も根も尽き果ててしまったのに、僕は今日、あと何回乗り換えをしなくてはならないのだろう。
それもまったく言葉の通じない、異国の地で、たった一人ででだ。
僕は死ぬんだと思った。
恐らく次の、フランクフルトの空港から駅に向かう乗り換えも怪しい。
そこで道に迷って、持ち金の数万円で数日くらいは過ごせるかも知れないが、そこで終わりだ。
僕はチケットと日程表をバッグに片付けると、もう考えるのをやめた。
少なくともこの飛行機がフランクフルトに到着するまではのんびりできるのだ。
僕は飛行機の窓から見える空港の景色をただボーっと眺めていた。
泣きながら僕を送り出してくれた婆ちゃんの顔が目に浮かんだ。
故郷に錦を飾るどころか、初日で脱落して死んでしまうかも知れない。
そう思ったら婆ちゃんに申し訳なくて涙が出た。
窓から外をみて涙を流してる僕の後ろで、ガサゴソと荷物を置く音がした。
この飛行機には一番乗りで乗り込んだから、当然の事、先客はいなかった。
それからしばらくしても、僕の座席の隣に人が座る気配はなかったので、正直とてもほっとしていた。
願わくば、このままずっと一人にしておいて欲しかったのだけれども、不運な事に、やっぱり僕の隣には誰か座るようだった。
僕はこの残さた最後の飛行機での時間も、隣に座る外国人に怯えながら過ごさないとダメなのかと思ったら、またとんでもなく落ち込んだ。
僕は何があっても無視し続ける決意で、黙って外の景色を見続けていた。
「エクスキューズミー」
という声がした。
やはり外人のようだ。
僕は無視しつづける事にした。
「ひょっとして日本人の方ですか?
お隣失礼しますね!」
僕は耳を疑った。
そして慌てて振り返ると、軽いウエーブがかった長い栗色の髪がハラリと茶色のカーディガンの上に落ちて、少し驚いたような顔をしたその女性は、もう一度僕に向かって微笑んでくれた。
僕は
夕子さんと出会った。




