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ちょっと大人な私達の日常  作者: にしやま そう
少年の旅
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少年の旅(Ⅰ)






「ねえねえ、リュウジ君!

 さっきの駅のホームで、「ぽてち」とコーラ買ってきたんだけど、

 一緒にどう!?」





列車の通路を小走りに僕の席まで駆けて来た夕子さんは、

ちょこんと僕の向かいに座って、まるでお日様みたいな笑顔でそう言った。


軽く小首を傾げるように微笑むものだから、ゆるくウエーブのかかった長い栗色の髪が、片方だけハラリと肩から茶色いカーディガンの胸元に落ちた。


ついつい反射的にその髪を目で追ってしまったから、視線の先にあったのが夕子さんの緩やかな胸のふくらみだと気付いて、僕は慌てて視線を逸らしてしまった。


車窓から差し込む春の日差しは柔らかく、淡い光に包まれた夕子さんの笑顔と、彼女を取り巻く空気が一層優しく感じられた。



とても大人で、

とても綺麗だと、僕は素直にそう思った。





「ねえねえ、リュウジ君。

 ちょっと先に乗っててね!」



この列車に乗り込む寸前。

そう言って夕子さんが駈け出して行ったのは、これを買うためだったようだ。



どこか自慢気にニコニコと笑う夕子さんは、右手には缶コーラ。

左手には円筒状のポテトチップスの箱を持っていた。


スライスしたジャガイモを揚げてあるタイプのポテトチップスではなくて、練ったジャガイモを丸くU字型に成形してあるタイプのポテトチップスなのは、箱の形ですぐに分かった。


もう一度、にこりと微笑んだ夕子さんは、それらを僕に差し出してくれた。



夕子さんはさっきから楽しそうだ。


「ねえねえ、リュウジ君!

 こっちにもこういう形の「ぽてち」あるんだね!」


「でもね、でもね、聞いて、聞いてリュウジ君!

 この「ぽてち」パプリカ味しか売ってなかったんだよ!

 ヘンだよね!?」


そんな感じで、さっきから一人で喋っている。

僕は上手に相槌すら打てなかったけれど、夕子さんの口にする「ぽてち」という言葉が妙に愛らしく思えた。


見慣れた円筒状の、でもどこか見慣れないデザインの箱をピリリと開けると、僕よりも8歳も年上のその女性は、まるで少女のような笑顔で中身を数枚、僕に差し出してくれた。


一見とてもお淑やかで、綺麗な女性なんだけど、そんな雰囲気とは裏腹に、とにかく楽しそうにクスクスと笑い、よく喋る人だった。


事ある毎に

「リュウジ君!」

「リュウジ君!」

と、僕の名前を呼んでいた。



ほんの数ヶ月前まで高校に通っていた僕は、女性から「隆二くん」と呼ばれた経験があまりない。 同じ学校の女子からは、だいたい苗字の「倉田くん」と呼ばれていた。


それでもまあ、バイトしていた温泉旅館の中居のオバチャン達は「隆二くん」と、僕を名前で呼んではいたけれど、そのオバチャン達の口から出る「隆二くん」とは違い、僕の目の前に座ってニコニコと「ぽてち」を食べている夕子さんの口から出る「リュウジ君」は、まったく違う言葉のように僕をドキドキとさせた。


そう言えば高校時代、一人だけ僕の事を「隆二くん」と呼ぶ女の子がいた。

でも、いつもその娘の事が頭に浮かぶと、必ず続いてアイツの泣き顔も浮かんで来るもんだから、今でも胸が苦しくなる思い出だ。




一枚、二枚とポテトチップスを口に頬張った夕子さんは、突然もの凄い大発見をしたかのように、丸い目をさらに丸くした。 そして、何かを確認するかのように三枚目のポテトチップスを、裏返してみたり、表にしてみたりしながら眺めた後、納得した様子で可愛らしい口に放り込んだ。



「ねえねえ、リュウジ君!

 凄い、凄いよ、この「ぽてち」!

 なんと、片側だけにしか味がついてないんだよ!

 ヘンじゃない!?」



最初は、どうせ大した発見じゃあないだろう。

と、思って聞いてみたのだけど、実は意外と大した発見だったので驚いた。



「ねえねえ、リュウジ君!

 まさに合理的、まさに質実剛健!

 まさにドイツに来た!

 って感じがするよね!」



僕も手に取ったポテトチップスを、裏返してみたり、表にしてみたりしながら確かめる。


Uの字に曲がっている丸いポテトチップスの谷の部分に、何やらスプレーで吹き付けたようなオレンジ色の筋が見えた。

ペロリと舐めてみると、そこからは塩とパプリカの風味がした。


今度は裏返して、山になってる部分を舐めてみたが、そこはボンヤリと微かに塩味を感じるだけで、パプリカの風味はしなかった。


普通に口の中に入れたら味があるのに、裏返して食べるとほとんど味がしない。

合理的と言えば、合理的だけれども、僕のようなひねくれ者は、気分転換に色んな食べ方をしてしまいたくなるので、そんな落ち着きのない子供は美味しく食べられない、大人なポテトチップスなのだと、僕は思ってしまった。


そんな夕子さんが自慢気に教えてくれた世紀の大発見なのだけれども、それに対して僕は、何か気の利いた言葉でも返してみようと思いつくには思い付いたものの、具体的になんて言っていいのかは分からなくて困った。

「何か言わなきゃ。」

そう思えば思う程ドギマギするばかりで、言葉は一向に出てこなかった。


それもそのはずだ。

僕は今までの人生、こんなに綺麗な大人の女性と、こんなに身近でお喋りをした事がないのだから。


言葉は一向に出てこないままだったけれど、僕はとりあえず微笑む事にした。

というより、微笑むくらいしか僕には出来なかったのだが。



この日、夕子さんと食べた、少し地味な味付けのポテトチップスは、

それまで僕が口にしたどれよりも美味しく感じた。




カタンコトンと列車は揺れる。



車窓から見える、見渡す限りの草原と畑。

そして青空の広さが、列車の窓枠を一枚の絵画に変えていた。


見入ってしまえば、あたかも時間の流れが止まっているかのように思わせるその風景画も、時折通り過ぎていく石造りの建物や小川で、僕達が今、異国の空の下、列車の旅の途中だという事を思い出させた。











第二十三話


少年の旅(Ⅰ)











そうなのだ。

ほんの数時間前。

僕は死にそうな所を、この「夕子ゆうこさん」という名の日本人の女性に助けられたのだ。

というか、本当は拾われたのだ。


その話しをするに当って、時間はもう少しだけ遡る。


一昨日おとといの朝、僕は18年という歳月を過ごした、住み慣れた山間の温泉街を後にした。


最初は「駅まで見送る」 と、言っていた婆ちゃんや、お袋、そして妹にも

「家の玄関先まででいい。」

と言って別れを告げた。

親父は相変わらず気難しい顔をして「いってこい。」とだけ言っていた。


ローカル列車と新幹線を乗り継いで、初めて一人で「東京」 という街に着いた時、僕はその街の大きさよりも、まず駅の巨大さに圧倒された。


正直テレビで、東京にはどんな地名があるのか?

その代表的な名前をいくつか聞き知っていた程度の僕は、それをちょっとした「町名」くらいに思っていた事を後悔した。


駅には色んな路線が山ほどあり、山ほどの地下鉄があって、飛び込んでくる見知らぬ駅名の数々に、僕の頭の処理能力は完全に機能を停止した。


そんな頭がパンクしそうな状態になって初めて僕は、

「これから僕が進もうとしている道が、実は一人で歩くにはとんでもなく険しい道なのだ。」

という事に気が付いたのだった。



そんな頼りない僕でも、なんとか飛行場まで辿り着く事が出来たのは、何かと手回しをしてくれたアイツの親父さんのおかげだった。


アイツの親父さんとは、高校二年の途中からバイトを始めた温泉宿で知り合った。

そこで支配人をしていた親父さんは、僕がアイツと小学校、中学校、そしてつい先日までバイトで一緒だったのを知ると、まるで親戚の子のように優しくしてくれた。


高校を出て、現場の叩き上げで番頭になったうちのオヤジとは違い。

アイツの親父さんは東京のホテル学校を出たらしい。

その当時のツテが今でも沢山東京にはあるらしく、僕が到着した巨大な迷路のような駅から飛行場まで送ってくれたのも、そんな親父さんの友人という、有名ホテルのマネージャーさんだった。



飛行場へ向かう車の中、なにかとアイツと、アイツの親父さんの事について尋ねられはしたものの、正直僕にはあまりその質問に答える程の材料は無かった。

それどころか、僕はアイツに嫌われているので、そんな僕がアイツの事を語るのは悪い気もしたし、正直胸が痛んであまり話したくは無かったのだ。


そんな事もあり、飛行場までの道のり、僕は黙って助手席の窓から外を見ていたのだった。


思えば僕は、この18年間の人生の中で、こんなに遠くまで一人で来た事がない。

そして、これからもっと遠くまで一人て行こうとしているのだ。

そう思うと、自分が考えていた以上に、本当に大変な事を始めてしまったのだと、今更ながらに後悔をした。



実は、海外留学の話しは随分と前からあった。


うちのオヤジの恩師。

という人が、それを打診してきたのだそうだ。

高校を出てすぐに宿に入り、そのまま叩き上げで苦労しながら番頭になったオヤジは、どうしても俺を海外のホテル学校にやりたかったようだった。


ただ、当時は高校に入ったばかりだったし、僕はこのまま高校を卒業して、そのまま大学に進む物だと思っていた。

だからそんな「海外の学校に行く」という、次元を飛び抜けたような話しは現実味がなく、ずっと保留にしてもらっていたのだ。


決心したのは高校2年の時だった。

子供の頃から好きだった娘にコテンパンにフラれたのが切っ掛けだった。

まあ、アイツの事だ。

そして、誰が悪かったか? と言えば、僕の自業自得が産んだ当然の結果ではあったのだけれども、 僕は10年以上続けた片思いに完全な終止符が打たれて、ヤケになって飲めないダルマのような形をしたウイスキーをラッパ飲みした。


そして、そのままの酔った勢いでこの留学を決めた。


「あいつと結ばれる事が無くなったのであれば、この国にいる必要なんて無い。」


正直そう思った。

と、言うか、多分逃げ出したかったのだと思う。



それから1度だけ、アイツに会った事がある。


たまたまだった。


高校の卒業式の帰り道。

偶然バッタリと駅前で喋っているアイツと、その友達の集団に出くわした。

僕は一瞬だけ目が合ったけれど、気まずくなって目を逸らしてしまった。


だけどアイツは僕を見つけて駆け寄ってくると、バツが悪そうに


「外国・・

 行くんだって・・?

 頑張ってね。」


とだけ言って、また友達の輪の中に戻って行った。


相変わらずのショートカットが、走る度に春風に踊っていた。





飛行場に到着すると、僕は搭乗手続きを手伝ってくれると言ったアイツの親父さんの友人の申し出を断った。


やっぱりこれ以上アイツの関係の人に助けてもらうのは申し訳が無かったからだ。



僕の手の中には、夜9時発、スカンジナビア航空、コペンハーゲン経由フランクフルト行きの片道切符があった。




5月29日



こうして僕は生まれ育った日本から逃げ出した。











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