三つ編みのお姫様と若き騎士の恋唄(Ⅱ) ~迷い~
開け放たれたガラス張りのロビーの窓からは、もう真夏だと言うのに昼下がりの気持ちいい風が吹き込んでいます。
チェックインの時間まではまだ随分と早い西山荘のロビーには、楽しそうな男の人達の笑い声が響いています。
爽やかな風がカーテンを揺らす度、男の人達の笑い声も風に揺れています。
私は一人、ロビーに備え付けられている喫茶カウンターの中にいました。
笑い声は私の立つカウンターのすぐ目の前のテーブルから聞こえてくるのに、私だけ随分と離れた所に一人ぽっちな気がします。
気を抜くと涙が出そうです。
私が大好きな、こぽこぽとコーヒーが落ちる音や、白い湯気と一緒に立ち上る香ばしい香りも、なんだか今日はうるさいばかりで、すこしも気持ちよく感じません。
疎外感。
子供の頃に感じた、あの感情とは似ているけど、ちょっと違う気がします。
仲間から外されているのではなくて、仲間になりたくても自分では付いて行けない、そんな情けなさばかりが心に湧いてきます。
第十七話
三つ編みのお姫様と若き騎士の恋唄(Ⅱ)
~ 迷い ~
私と、吉乃ちゃんと麻子ちゃん。
楽しかったお昼休みのランチツーリングも終わり、私達三人はお喋りも絶えないままに駐車場から勝手口へと続く石段を降りていました。
あともう少しで勝手口。
という所まで降りてくると、なんだかお宿の玄関辺りから男の人達の賑やかな笑い声が聞こえます。
はて。
チェックインにはまだまだ時間がありますし、こんな時間にお客さん。
というのも、少しおかしな話しです。
石段を降りきった角で、気になってチラリと玄関先に目をやると、どうやらあちらも賑やかな私達女の子の笑い声に気が付いたのでしょう。 思わず玄関先の集団と目が合ってしまいました。
「おお!
吉乃!優ちゃん!
今帰りかい?
丁度いい、二人ともこっちにきて挨拶しなさい。」
そう言って、手を振っていたのは社長でした。
それとあと二人、男性の方が立ってみえます。
お一人は、西山荘のすぐ下にあるお宿の「山麓亭」のご主人のようですが、
あと一人は逆光で良く見えません。
呼ばれていない麻子ちゃんは
「じゃ、じゃあ、私はここで・・」
と言うと、私達と、玄関先の社長達にぺこりと挨拶をして、ぱたぱたと勝手口に入っていきました。
そして、呼ばれた私と吉乃ちゃんは、そのまま夏の日差しで明るい玄関先へと足を進めました。
一歩。
また一歩足を進めて、私の足は完全に止まってしまいました。
「あれ?
優姉、どうしたの?」
という顔をして、急に足を止めてしまった私の顔を吉乃ちゃんが覗き込みます。
たぶん。
あたし、凄く驚いた顔をしていたかも知れません。
いえ。
たぶん凄い顔してました。
ひだまりの中、まるでお日様みたいに微笑む笑顔。
短く整えられた髪。
着こなされた紺色のスーツ。
逆光の中、姿を現したもう一人の男性は、六年前、私にプロポーズをするためにこの街までやってきた水上さんそっくりだったからです。
思わず唖然として、手からこぼれたヘルメットが大きな音を立てて石畳の上を転がりました。
「ほらほら、優ちゃん。
ヘルメット落ちちゃたよ。
拾って早くおいでなさい。」
社長のその声で我に戻った私は、大慌てで転がるヘルメットを拾って、玄関先の男性達向かって歩いてきました。
また少し。
また少しと近づくと、その三人目の男性が水上さんでは無い事が分かりました。
水上さんは、こんなに背も高くないです。
こんなに筋肉質でもありません。
顔だって、こんなに四角くはないのです。
でもやっぱり、ひだまりの中で微笑むこの男性の笑顔は、忘れてしまったはずの水上さんの事を否が応でも私に思い出させました。
「キョウモバイクニノッテキタノカイ?」
「オヤ、ヨシノチャンモバイクニノルノカイ?」
「イイテンキダカラ、キモチガヨカッタダロ?」
皆が雑談に花を咲かせているのに、動揺して上の空でいる私には、その声が聞こえているような、いないような。
皆近くにいるのに、なんだか薄い壁の向こうで話しているみたいです。
きゅっ
突然私の右手が握られました。
吉乃ちゃんです。
吉乃ちゃんの手の感触で、自分が上の空だった事に気付きます。
吉乃ちゃんは私の手を軽く握った後、私の方は見ないまま
「女将の長谷川吉乃と申します。
文字通りの「若輩者」ですが、よろしくお願いいたしますね。」
と、さっきまでの天真爛漫な吉乃ちゃんとは打って変わった、女将モードで深々と頭を下げながら挨拶をしていました。
私も慌てて吉乃ちゃんに続くのですが、あまりに慌ててしまって上手く言葉になりません。
「あっ、あの。
番頭の尾折優っす!」
・・す?
すって何よ・・
「よ、よろしくお願いします!」
・・いつもはこんなんじゃないんです。
いつもはこんなんじゃなくて、ちゃんと出来るんです。
でも、まるで足がもつれてしまったみたいに、気持ちがもつれて上手く思った通りに行かないんです。
いまだって、「っす」って、なんですか、「っす」って・・
道洞君じゃないんですから・・
皆がそんな私の姿を見て笑っています。
本当に、自分でも情けないです。
「初めまして。
私、この度山麓亭の支配人になりました
「釜ノ瀬健吾」と申します。
この街にはまだ来たばかりですし、お宿の支配人としても未熟者ですが、
何卒よろしくお願いします。」
そう自己紹介した釜ノ瀬せさんという男性は、手慣れた手付きで革製の名刺入れを取り出すと、私と吉乃ちゃんに名刺を差し出しました。
吉乃ちゃんも、女将用の可愛らしい藤色の名刺を取り出しています。
私は・・
ツーリングのつもりでいたので、名刺を持ちあわせていませんでした。
ほんと。
番頭としてどころか、社会人としてダメダメです。
「釜ノ瀬君は、ワシが惚れ込んで東京のエージェント(旅行代理店)から
引き抜いたエリートでな。
経済学部を出てるクセして、英語もドイツ語もフランス語も堪能なんじゃよ。
口説き落とすのに三年かかったぞ。
いよいよリゾート(ホテル)の建築も始まったしの。
これでうちの布陣は盤石だて。」
山麓亭のご主人は、とても自慢気に高笑いしています。
とても凄い方なんですね。
釜ノ瀬さん。
確かに漂うオーラは、仕事の出来る方のそれです。
それに引き換え私はどうでしょう。
同じ番頭なのに、おっちょこちょいで、社会人としてもだめ。
雲泥の差過ぎてますます惨めになっちゃいます。
「尾折番頭はオートバイに乗られるのですか?」
ふと、釜ノ瀬さんが尋ねて来ました。
「は・・はい・・。」
「いやぁ。
実は私も趣味で乗るものですから。
今度、ご一緒して下さいませんか?」
釜ノ瀬さんが、お日様みたいな笑顔で笑っています。
私は情けない顔で、力なく頷くのが精一杯でした。
そんな私に助け舟を出してくれたのは吉乃ちゃんでした。
「あらあら。
皆様こんなお暑い中、立ち話も何ですし、
どうぞお上がり下さいまし。
お話の続きは中でいたしませんこと?
尾折さん?
皆様にアイスコーヒーを淹れていただけますか?」
「さあさ、皆様こちらへ。」
と言って、お話しが盛り上がる皆さんをロビーに案内し始めました。
吉乃ちゃんは立派です。
ちゃんと女将出来ています。
なのに私ったら・・
またちょっと自分が惨めに感じてしまいました。
ロビーに入り、私がコーヒーを落としている間中、テーブルからは賑やかな笑い声が聞こえて来ます。
私では理解できなような、難しい経済の単語なんかも飛び交っています。
私を心配したのでしょう、
「着物に着替えてまいりますね。」
と、微笑んでテーブルを離れた吉乃ちゃんは、私のいる喫茶室に寄ってくれました。
「大丈夫、優姉?
なんかあったの・・?」
心配そうに私の顔を覗き込みます。
「ううん・・
なんでもない。
ちょっと調子がおかしいだけ。
ごめんね、吉乃ちゃん。
変に気をつかわしちゃって・・。」
私がそんな力のない返事をすると、吉乃ちゃんは少し黙った後に、いきなり男の人みたいに腕を組んで、芝居がかった口調でこう言ったのです。
「ふふふふ。
この貸しはいつか、優姉の驚きと恐怖をもって返してもらうぞっ!」
思わず苦笑いが出てしまいます。
「それは何処の悪の魔王なの?」
私が苦笑いしながらそう言うと、吉乃ちゃんはぺろっと舌を出して
「じゃあ、着替えてくるね!」
と言って、厨房へと続く暖簾の先に消えて行きました。
ほんと、情けないお姉ちゃんです、私。
いつも助けてもらってばっかり。
そして何より情けないのが、年下の吉乃ちゃんにこうやって気使わせちゃった情けない自分が、ますます情けなくなってしまう事です。
旦那さん衆は、まだ経済のお話で盛り上がっています。
山麓亭さんも、釜ノ瀬さんの導入で、対リゾートホテル対策を打って来ました。
おそらく戦々恐々としていたこの街の色んなお宿が、ホテルの建築が始まった事で、本腰を入れて対策を打つのでしょうね。
なのに私は、頭だって別に良いわけではないし、経済の話しなんて分からないし、社会人としての立ち振舞ですら怪しいものです。
今日の私は本当に駄目です
気がついたら、
「こんな私が番頭なんてやっていて、本当に西山荘はやっていけるのか。」
「本当に、私なんかが番頭をやっていていいのか。」
そんな事ばかり考え出していました。
そして考え出すとどんどん悲しくなってきて、気がついたら目に涙が浮かんできます。
今日の私、ほんとに駄目です。
「優ちゃん。
コーヒーは私がお席に運びますね。」
突然、聞き覚えのある、柔らかい低い声が耳元で聞こえました。
その声に驚いて顔を上げると、そこには見慣れた優しい細い目がありました。
暗い湖のように沈んでいた私の心に、ポッと温かい花が咲きました。
沼さんが帰ってきてくれた。
なんだかそれだけで、私の心は救われたような気がしました。
「おお!
長沼くん!
今戻ったのかね!?」
突如現れた沼さんの姿に気が付いたテーブル席から、そんな声が湧き上がりました。
「長くお宿を空けてしまい、申し訳ありませんでした。
只今戻りました。」
「ひょっとして、長沼さんでいらっしゃいますか!?
お噂は東京でもかねがね!!。」
釜ノ瀬さんが驚いて立ち上がっています。
「なんじゃ?
このワルガキは東京でもそんなに有名なのか!?」
「ワルガキは勘弁してくださいよ、社長・・」
アイスコーヒーをお盆に乗せた沼さんが、山麓亭のご主人の言葉に戸惑っています。
「長沼マジックは、東京の代理店でも有名な話しですよ!?
『あの山には魔物が住む』
とか言う人もいるくらいですから!
お会い出来て光栄です!」
「本当に勘弁してください・・」
せっかく沼さんが颯爽と現れてくれて、少し心が救われた気がしたのに。
なんだ・・
やっぱり凄くないの、私だけじゃない・・。
その日の夜のお仕事はぼろぼろでした。
お客様に案内する客室は間違う、鍵も間違う、お料理も違う部屋に持っていく。
どうせ私の事だから、一晩寝たら元に戻るさ・・
そう思ってもいたのですが、どうやらこの問題といいますか、コンプレックスといいますかは、私にとって随分と根の深い問題だったようです。
次の日のお仕事も、私はぼろぼろだったのです。
もちろん、自分ではちゃんとやってるつもりなんですよ。
やってるつもりなんですけど・・
だめなんです。
朝のチェックアウトが終わり、電気が消えたフロントのカウンターに私の涙の雫がぽとぽとと落ちていきます。
情けなくて、情けなくて、涙が止まりません。
そして、仕事中に泣いている甘ったれた自分に腹が立って、また涙が溢れます。
もう悪循環極まりないです。
「優ちゃん。」
そんな私を見下ろすように、沼さんの低い声がします。
『何やってるんですか、尾折番頭!
今はお仕事中ですよ!』
私はそう叱って欲しかったです。
こんな駄目な私は、叱り飛ばして欲しかったです。
お願いです、沼さん。
私を叱ってください。
私はそんな思いで、泣きながら沼さんを見上げました。
目が合って、ほんの少しの沈黙の後、沼さんは口を開きました。
私の気持ちなんていつだってお見通しの沼さんです。
きっと私を叱ってくれます。
私は泣きながら、沼さんの口からこれから出るだろう叱りの言葉を待ちました。
「優ちゃん。
お蕎麦を食べに行きましょう。」
沼さんの細い目が、にこやかに笑っていました。




