はじまりのおもいで
「ミキちゃん!
いっしょにかえろ!?」
「ごめんね
ユウちゃん・・」
「ケーイコちゃん!
いっしょにかえろ!?」
「ごめんねユウちゃん・・
とちゅうまでならいいけど・・」
2ねんせいから、3ねんせいになって、クラスがちょっとおかしいです。
みんながきゅうに、大人になったみたいです。
じょうきゅうせいみたいなかんじです。
きゅうしょくのじかんも、休みじかんのときも、いつもは仲良しどうしであつまって、きのうのテレビのはなしを、みんなでするのに、さいきんあたしは上手にわの中にはいれません。
こまっています。
3ねんせいになったら、みんながあたしのしらないはなしでもりあがっているのです。
これはじけんです。
第13話
「はじまりのおもいで」
小学校3年生になってしばらくが過ぎた頃、私はそんな謎めいた事件に巻き込まれていました。
クラスの皆が、私の理解できない話しで休み時間の度に盛り上がっているのです。
これが噂に聞いた「村八分」とか「ぼっち」ってやつなのか?
とも思ったのですが、どうやらそれとは少し違うようです。
ヒントはありました。
2年生の終わりくらいから、急に皆が女子は赤くて、男子は青い細長い袋をランドセルに刺しているのです。
習字の時間もない日だというのに、習字のセットを持って登校している子達もめだちました。
そしてなにより、皆の口々から「じゅく」という単語が目立ち始めたのでした。
2年生の終わりくらいから目立ち始めたそれを、最初はあまり気にしていませんでした。
それが3年生に上がってしばらくすると、2年生の時とは比べ物にならないくらいの数のクラスメイトが、その袋をランドセルに刺していたのです。
それまでは
「温泉街の裏山に異世界への門がる」
だの
「宇宙人の基地がある」
だので騒いでいた男子も、今はその「じゅく」の話題で持ちきりです。
何だか皆が、私の知らないその「じゅく」という世界を知って、急に大人びて見えました。
そして私は生まれて初めて経験した疎外感を味わっていました。
途中まで一緒に帰ってくれると言っていた近所の恵子ちゃんと、その日は一緒に校門を出たのですが、学校を出てすぐにある駄菓子屋さんの軒先にある「女の子用ガチャガチャ」に私が気を取られてる間に
「ユウちゃんまたねー!」
と言って、駈け出して行ってしまいました。
恵子ちゃんが走っていった先には数人の集団がいて、皆の赤いランドセルには、やっぱり同じ赤くて長い袋が刺さっていました。
つい今まで私とお喋りしていた恵子ちゃんが、今はその輪の中で楽しそうに笑っています。
私は、その輪の少し後ろを一人で歩いていると、皆は小学校からほど近くにあるビルの中に入って行きました。
皆が「そろばんじゅく」と呼んでいる建物です。
私はとても寂しくなり、そのまま家まで一人で歩いて帰りました。
それから数日間、同じような毎日が繰り返されました。
そして、私の抱いた疎外感は日に日に大きくなって行きました。
ある日、私が家に帰ると、私の顔があまりにも暗いのに気付いたお母さんが
「あら?
優、どうしたの?」
と、聞いてくれました。
私は素直に
「みんなが『じゅく』にいってるのに、あたしだけ行ってなくてさみしい!」
と、泣きながら初めて心の中を語りました。
「あらまあ。
優ももうそんな年になったのね。
じゃあ、今晩お父さんが早く帰ってくる日だから相談しましょ?」
そう言って笑ってくれました。
私は急に見方が出来たような気がしてとても嬉しかったのを覚えています。
私は部屋に戻ると、その日に限って早速宿題を終わらせて、お父さんの帰りを待ちました。
でも、お父さんは早く帰ってくる日だとお母さんは言っていたのに、晩御飯の時間になってもお父さんは帰っては来ませんでした。
それでも私はそわそわしながら、お父さんの帰りを待ちました。
三人分の晩御飯を準備していたお母さんも、しばらくは待ってみたのですが、結局諦めて二人で晩御飯を食べました。
晩御飯が終わると、すでに宿題の終わっていた私はテレビを見ながらお父さんを待ちました。
夜の7時にならないと、テレビはどこのチャンネルもニュースばかりです。
だけど教育テレビだけは人形劇をやっています。
このクラスでも人気の人形劇を見ながら、私はいつお父さんが帰ってくるか、いつお父さんが帰ってくるか、気が気でありませんでした。
「優?
優?
起きなさい?
お父さんが帰ってきたわよ。」
私は、そういってお母さんに体を揺さぶられて目を覚ましました。
時計を見たら、時間はもう夜9時半になっていました。
どうやら、お父さんを待つうちに、私は居間でテレビを見ながら寝てしまっていたようです。
台所の食卓のあたりで、ほろ酔いかげんのお父さんは、お母さんにガミガミと怒られて申し訳無さそうに何度も謝っていました。 右手には小さなお寿司の折り詰めがぶら下がっていました。
「優?
お父さんに相談があるんでしょ?
早くこっち来て、自分で言いなさい。」
ひとしきり愚痴を言った後、お母さんは私を呼びました。
私は寝起きで少々ふらふらしましたが、お父さんの所まで歩いて行くと
「クラスのみんなが『じゅく』にいってるのに、あたしだけいってない!
あたしも『じゅく』にいきたい!」
そう言いました。
いつもなら
「クラスの皆って何人? 誰と誰?
ちゃんと名前を言ってみなさい?」
と言われるのですが、その日に限ってお父さんは少しだけ天井を見て、
「そうかぁ・・
優も塾に行きたいのかぁ・・
で、何の塾に通いたいんだい?」
と、なんとも素直に私の話しを聞いてくれました。
しかし、逆に聞かれると困ってしまいます。
なぜなら私は、漠然と『じゅく』という所に通いたかっただけで、それが「何の塾」かまでは、全然考えていなかったのです。
「んーと。
その・・
なんでもいい!」
困った挙句に私がそう答えると、二人とも笑っています。
「そうかぁ、何でもいいか。
優だったら、ピアノやエレクトーンも可愛いだろうなぁ。」
「あら。
実用的な英語や珠算もあるわよ?」
お父さんとお母さんは、そんな話しをしています。
そしてしばらく二人で話していると
「そういえば・・」
と、お父さんが何か思い出したようです。
「優?
おまえ習字には興味あるかい?」
こくん
こくん
私は大きく首を縦に二回振りました。
習字と言えば、そろばんと人気を二分する人気の塾です。
「そう言えばこの前、西山荘の女将さんが、子供相手に習字塾をやりたい。とか、始めたとか言ってたなぁ。
ちょっと聞いてみるか。」
こくん
こくん
私はまた頷きました。
「夜分遅くに申し訳ありません。
私、松庵の尾折と申しますが、女将さんはお見えになられますでしょうか・・。」
玄関先から、お父さんの電話する声が聞こえます。
しばらくして、電話が終わったお父さんは
「お!優!良かったな!
西山荘の女将さん、『明日学校が終わったらおいで。』って言ってくれたぞ。
西山荘まで連れて行ってあげるから、学校が終わったら松庵までおいで。」
私は「バンザイ」のポーズのまま、台所で何回も、何回も、何回も飛び跳ねました。
次の日、学校で私は、それまで感じていた疎外感を感じませんでした。
それどころか、むしろ少し誇らしげな気分すら感じていたくらいです。
なんたって、私も今日から塾通いをするからです。
皆の仲間です!
私は休み時間に、楽しそうに塾の話しをする友達の輪に飛び込んで行きました。
学校が終わると、私はお父さんが勤める「お宿 松庵」へ向かいました。
私の通う小学校は、街の中心を流れる川で二分された、温泉街と田園地帯の、田園地帯側にありましたが、小学校はその川のすぐ近くにあったので、大きな赤い鉄橋を渡れば、わりとすぐにお宿松庵はありました。
ただ、喜び勇んで真新しい習字セットを持って小学校を飛び出たのは良かったのですが、硯や新品の墨汁の入った習字セットは、小学校3年生の女の子には思いの他重く、 赤い鉄橋の中程まで行く頃になると、習字セットが指に食い込んで持っているのが辛くなってしまいました。
私は、右手に持っていた習字セットを、左手に持ち替えてしばらく歩いたのですが、今度は左手が痛くなってしまい、また右手に持ち替えました。
でも、持ち替えてもまたすぐ右手が痛くなるので、持ち替える周期はどんどん短くなって行きます。
結局、お父さんの勤める「松庵」に到着する頃には、両手で習字セットの持ち手を握っていました。
お父さんが番頭を勤める「お宿 松庵」は、和風旅館とは言っていますが、建物はコンクリート製で、外から見るとまるでホテルのようです。
街中にあるその建物は、一階部分が大きな門と、ちょっとした日本庭園になっていて、その奥にフロントとロビーが見えました。
建物を見上げると、5階建てのコンクリートの壁と、いくつもの窓が見えました。
お父さんは約束の時間には、松庵の門の前で私を待っていてくれました。
「お、優きたか。
じゃあ、行こう。」
そう言ってお父さんは私の手から、重い習字セットを持ってくれました。
そして、もう片方の空いた手で私の右手を引っ張って歩いてくれました。
松庵を過ぎてしばらく歩くと、繁華街が見えます。
私も何度か晩御飯に連れて来られた事があったので、繁華街に並ぶお店の中には、見覚えのあるお店もいくつかありました。
繁華街を抜けると、またお宿が並ぶ通りになっていて、おみやげ屋さんも増えて来ました。
また少し歩くと、左手に見覚えのある建物が見えました。
それは駅です。
遠足の時や、旅行の時にしか来たことがありませんでしたが、特徴的な駅のロータリーや、横に長い大きな建物には見覚えがありました。
なるほど、いつも来るときは車なので、駅がどこにあるのかはよく分かっていませんでしたが、こんな所にあったのだと私は感心しました。
そして駅を過ぎると、道は山の手に向かって緩やかな坂道になっていました。
私はお父さんに手を引かれながら、その坂道を登りました。
坂道を登り始めると、景色は緑が多くなってきました。
ちょっとづつですが、街の景色も見えてきます。
いくつか坂の途中に大きな門が見えましたが、どうやらこれも旅館のようです。
松庵や、街中の旅館とは違って、古い和風の建物が多かったように思います。
20分くらい歩いたでしょうか。
坂道の上に大きな松の木が生えている、一際大きな門が見えました。
門の看板には「西山荘」と書いてあったのですが、当時の私は「にし」と「やま」しか読めなかったので、そこがお父さんの目指していた「せいざんそう」だとは気が付きませんでした。
門の前には、薄い紫色の着物を着たおばあちゃんが、手に持った桶で、道路に水を撒いていました。
着物のおばあちゃんは私達に気がつくと、にこにこと優しい顔をしながら
「あら、松庵の?
じゃあ、そちらが娘さん?」
と言って笑っています。
「いつもお世話になっております。
はい、こっちが電話でお話ししました娘の優です。」
そう言って、お辞儀をしています。
「優。
お前もちゃんと挨拶しなさい。」
お父さんはそう言いましたが、私は初めてあう大人の人と話すのが苦手だったので、お父さんの足に隠れてしまいました。
「あらあら。
怖がらなくてもいいのよ?」
と、にこにこしながらおばあちゃんは近づいてきて
「まあ、ボーイッシュで可愛い娘さんだこと。
優ちゃんて言うの?
これからよろしくね?」
と言って、頭を撫でてくれました。
私はお父さんの足に隠れたまま、こくりと頷きました。
「おばあちゃん、小さな子は大好きなのよ。
うちにもね、今、赤ちゃんがいるのよ。
優ちゃんとおんなじ、女の子よ。
仲良くしてあげてね?」
とても色が白くて、優しくゆっくりと話す、上品なおばあちゃんでした。
門の中では、おばあちゃんが着ている着物の色に良く似た、紫陽花が揺れていました。
時折、玄関の方から
「こらっ!」
というおじさんの声と、何やら両手にいっぱいの荷物を持って走り回る、ひょろりと背の高いお兄さんの姿が見えました。
私はそれから、小学校を卒業するまでの4年間、おばあちゃん先生の習字塾に通いました。
そこには、当時まだ学校で「神童」と呼ばれていた頃の倉田隆二の姿もありましたが、会話を交わすようになったのは、もう少し先の話しです。
まだヨチヨチ歩きの吉乃ちゃんは、よく私の後を
「ゆーたん。
ゆーたん。」
と言ってついて歩いていました。
私は手に持った、水がたっぷり入った木製の桶を片手に、柄杓で門の回りに打ち水をしています。
ほわん
と、アスファルトが濡れる香りと湯気が立ち上ります。
そう、まるで初めて会った時に、おばあちゃん先生がそうやっていたようにです。
いつもなら、この仕事は女将である吉乃ちゃんの日課でもあるのですが、今日の吉乃ちゃんには大仕事があるために、私が代わって打ち水をしています。
門から続く、いちいの木の生け垣。
その中におばあちゃん先生が愛したお宿の広いお庭があります。
その中ほどにある当時、習字塾としても使われていた茶室では、何人もの着物を着た方々が、お茶を楽しんでおられます。
定期的におばあちゃん先生、いえ、大女将がやっていたお茶会。
去年の初冬に大女将が亡くなってからは、一度も行われていなかったこの会ですが、大女将を偲ぶ方々が、今回この会を復活させたのです。
吉乃ちゃんは大女将の代わりとして、今回このお茶会に参加しています。
今日もいい天気です。
いよいよ私達の街にも、暑い夏がやって来ました。




