第5話 アネモネ(inアイビー)の捜索命令
ジャレッドはアネモネに投げ飛ばされた状態で呆然としていた。
妻の‥‥‥死んだはずの妻が蘇ったと思えば、盛大に投げ飛ばされた。
武人である自分を、あんな瘦せ細った身体で。二度も。
『わいらは敵じゃ』
妻の怒声がグサリと突き刺さった。
空気が鉛のように重くなる。雨雲が急速に低く垂れ込め、森の緑を鈍色に染めていた。
ジャレッド・ラングハイムは泥に沈んだような意識を辛うじて奮い立たせ、咳き込んだ。肺に湿った土の匂いが染みる。
「奥方様……アンデット化したアネモネ様を……捕まえましょう。」
か細い声が降りかかる。地面に投げられた護衛騎士が剣を杖代わりに起き上がり、傷だらけの顔を歪めた。
アネモネは確かに死んでいた。
医師も、ジャレッド自身もそれを確認した。
何らかの要因でアンデッドと化したと判断するべきだろう。
だが。
アンデッドに覚醒したならば、生が欠落した奴らは生きとし生ける者を見境なく襲う。
アネモネはそうせず、古武術の動きでジャレッドや使用人を投げただけ。
何より。アネモネに投げ技を掛けられた時。
彼女の体温を確かに感じた。
「辺境伯様‥‥‥奥方は‥‥‥アンデットではありません‥‥‥」
ゼェゼェと息を弾ませながら神官がやって来た。
棺桶を蹴り飛ばして起き上がったアネモネ(アイビー)には、強い精霊の加護と、アネモネ自身から発する生命力を感じたのだという。
「あのようなお身体で、あそこまで動けるのは……精霊の加護かと」
事実アネモネの身体に入ったアイビーは死の精霊と剣の精霊の加護持ちだが、それを知らないジャレッド達は狼狽する。
「精霊の加護……?」
ジャレッドは茫然と呟いた。アネモネが生き返った奇跡に感動する暇もない。アイビーが投げた衝撃で背中が痺れる。神官の声が遠くに響く。
「左様です。あの精霊は非常に強い。ただ……」
神官の顔色が曇る。彼の目は不安げに過去の惨劇に想いを馳せていた。
思い出すは、かの邪視の魔女。
118年前、旧体制の教会の教えで神の意志を曲解した結果。
ファインブルク王国王都セレイムで一人の魔女の公開処刑の場に居た多くの人間を殺害し、当時神の選定した聖女すら殺した魔女。
教皇に死の呪いを掛け、その座を空位にした死の魔女。
魔女がそれを為したのは、快楽的な殺人でも何でもなく。
――ただ、謂れなき罪で魔女とされ、友人を殺された憎悪でそのような所業に出た。
邪視を持って、友の死を望む者達にその殺意を跳ね返した結果、多くの被害を及ぼした。
奥方の肉体は痛ましい程やつれ、背中には鞭を打たれた跡。
恨みを持って一度死に、死の精霊の加護を得た辺境伯夫人が魔女に成り得ないかどうか、微妙な所だ。
「――しかし辺境伯様、あの精霊は祝福ではなさそうです。
非常に、怒っておいででした」
ジャレッドの胸に鋭い痛みが走った。神官は言葉を選びながら続ける。
「通常の精霊であれば光が溢れますが……奥様が纏っておられるのは闇の気配でございます。負の感情、怨念、あるいは復讐の……」
「やめろ!」
ジャレッドは叫んだ。怒りと自己嫌悪で歯ぎしりする。
「私は彼女に酷い仕打ちをした。当然だ……」
その時、轟音と共に雷鳴が響いた。木々が揺れ、空が黒く染まる。
「辺境伯様……雨が迫っております。あのままでは奥方様が……」
執事が震える声で進言した。
ジャレッドの拳が震えた。あの細腕で馬に乗る等、正気ではない。
ましてや痩せ細り、傷だらけの身体では……
『敵だ』
誰が好んで、死へと追い込むほどの危害を向ける者に、身を委ねる?
だが――
「彼女を探せ!雨が降る前に連れ戻すのだ!!」
辺境伯は決断した。自分自身の罪深さがアネモネの運命を歪めたのなら――
最後くらいは正しい選択をすべきだ。
「奥様を見つけたら、十分な休養を与えるのだ!……罰せよなんて誰が言うものか!!」
護衛騎士たちが駆け出していく。神官だけが残り、深く息を吐いた。
「辺境伯様……精霊のことは気になさいますな」
「……どういう意味だ?」
「負の精霊でも、使い方次第です。奥様の深い恨みが糧になっているとはいえ……
彼女が生き延びたいと願えば、その力は必ず味方します」
アイビーは誰彼構わず命を刈り取るつもりは更々ない。墓守として静かに暮らしたいだけだ
ただ、神官は初めて見る死の精霊の加護に気圧され、邪視の魔女への恐怖も合わさり慎重に成っていた。
ジャレッドは、ただ墓守に戻ってキッシュが食べたいアイビーの気持ちを知らぬまま苦笑した。
「恨みの精霊か……」
まさにその通りだと思った。自分に対する復讐心がなければ、アネモネがあれほど強く振る舞えるはずがない。
「だが……」
辺境伯は空を見上げた。漆黒の雲が怒涛のように押し寄せる。
「だからといって見過ごせない。彼女は私の妻だ」
神官は静かに頷いた。
「奥様の心の傷は計り知れません……どうかご配慮を」
その言葉にジャレッドは深く息を吸った。
もう二度とアネモネを傷つけたくない。
けれど、言葉が通じない彼女の怒りを鎮める術が、わからないでいた。




