第2話 初恋に溺れた夫は最悪の選択をし続ける
胸糞描写があります。ご注意ください。
次回、夫は生き返った?妻にぶん投げられます。
カルディア国ジャレッド・ラングハイム辺境伯は遅咲きの初恋をした。
ロベリア・リシャール子爵令嬢。ピンクブロンドの髪と明るい青い瞳の美しい社交界の華。
その美貌に惹かれるがまま彼女と話をした。
淑女の風上にも置けない、奔放な妹アネモネに心を痛める心優しい令嬢。
彼女が作ったという美しい刺繍のハンカチを贈られ、恋に落ちた。
ロベリア。彼女こそ生涯の伴侶にと、多額の持参金と共にリシャール子爵家に結婚の申し出をした。
初めての恋に浮かれ、ロベリアの到着を今か今かと待っていた。
しかし嫁いできたのはその妹アネモネ。
悪女と名高い女だった。
頭が沸騰した。
性悪で男に奔放な妹アネモネ。
この女はロベリアの幸せを妬み、その純朴な顔で己にすり寄るのか。
そうはさせるものか。
ジャレッドは激高するままに毒を吐きだした。
『誰だ貴様は!!俺が結婚を申し込んだのはロベリア・リシャールだ!!
姉の結婚を奪ったのか!!今俺の前に居るべきは貴様ではない!!』
妹の婚姻を奪った悪女と罵り、離縁の手続きが済むまで部屋から出るなと暴言を吐いた。
初恋に溺れた辺境伯は失念していた。
当主が口汚く罵る相手――辺境伯の悪妻に、使用人がどう対応するか。
主の初恋を応援する忠義ある者達が、アネモネをどう見るのか。
恋に盲目となったジャレッドは最悪の対応をした。
+++
数日後、ジャレッドは国境付近に出没した魔獣討伐に向かった。
ひと月後。魔獣討伐も収束し、戦線に屋敷から送られた書簡を目に通し、隣国の王家からの手紙が届いていることを知った。しかも、3週間も前に。
初恋が奪われた怒りで戦線に届く手紙をおろそかにしていたが、まさか隣国の王家からの書簡だとは。
(至急閲覧すべき事案?執事長は対応しなかったのか?)
一方。
最初の書簡が届いて、その更に数日後。
『至急、当主が閲覧すべき事案である。不在であるならば家令が閲覧し対処せよ』
使者は未だに書簡への返答すらない事に対し、執事長に念入りに釘を刺したという。
その使用人たちの対応に、使者は訝しんでいたが。
王家の通達とはいえ、他国の事情。
これ以上の干渉は難しいと、使者は隣国へ戻った。
執事長は長年の奉公で腰を曲げた老人だった。彼の老いは単なる体力の衰えではなく、判断力の鈍化でもあった。
実質的に邸内の運営を牛耳るのは、別の人物へと移行しつつあった。
「隣国からの……書簡とありまするが……」
執事長は震える指先で王家の紋章入りの封筒を掲げた。だがその声は蚊の鳴くように小さく、メイド長の眉間に深い皺を刻むだけだった。
「くだらない!そんな子爵風情の腹から生まれた王子の事情より、主が武勲を立て帰還の折の祝いこそが優先でしょう」
あまりにも不敬な発言に対し、執事長はなおも懇願するように言った。
「しかし……これは隣国の王子殿下からの……」
「王子ですって?」
メイド長の唇が歪んだ。
「確かに第二王子だが、母君は側妃じゃないの?……ああ、そうだ。確かエルフォード子爵家のだったはずね?
第二王子が不甲斐ないばかりに、人質になった情けない連中」
その瞬間、執事長の顔面が蒼白になった。
かつて、カルディア国エルフォード子爵家の令嬢は側妃だった。
しかし、つい最近。
その功績を称え正妃へと昇格したのである。
しかも、人質事件が発生したその戦争相手は、悪名高きベリオドール。
凶悪で手のつけようのない危険な集団。
あのベリオドールの長と交渉にこぎつけ、戦争を収束されることの如何に難しい事か。
そしてその新たな正妃の子である王子は――王位継承権を持つれっきとした皇族となっている。
第二王子は、前正妃の子である現王太子殿下とも関係は良好だという好漢な人格者。
この情報が邸内に伝わらなかったのは、偏にメイド長の偏見と傲慢さが原因だった。
「下郎の家系が何を偉そうに!他国に嫁いでおいて、よく当主様に命令した者ね!!」
メイド長の嘲笑は冷酷に響いた。
「所詮は成り上がり。そんな者の書簡など無視すればいいのですよ」
執事長は何度も訴えたが、最終的にはメイド長の一喝によって沈黙した。
彼に出来たのは、戦線に居るジャレッドに、隣国の王家の書簡が来ている旨を知らせる事だった。
それから3週間もの間、書簡は放置された。
急ぎ、帰還したジャレッドは衝撃の事実を知った。
ロベリアが婚姻を嫌がった上、家がアネモネを送ったとリシャール子爵から手紙が届いていた。
持参金の返還を渋ったリシャール子爵がそのような行動に出たと、隣国の王家からの書簡にも記されていた。
自身の初恋が実らなかった事への落胆と――それ以上に。
ロベリアの醜聞――お忍びでカルディア国に滞在した、その隣国の王子へ夜這いを敢行し取り押さえられた事件を知った。
更に。
ロベリアの話した、妹アネモネの醜聞は全て偽りだった。
隣国の王子の使者が届けた文書を握りしめたジャレッドの指は震えていた。封蝋にはグリンホルン共和国の王印だ。
それは紛うことなき真実を伝える証だった。
アネモネ・リシャールは無実である。
文書の冒頭にはそう記されていた。ジャレッドは乾いた喉を鳴らしながら読み進めた。
事実確認:ロベリア・リシャールの行動
夜這い事件の詳細。彼女が宿泊先の廊下を通る我が王子殿下の足元に下着同然の姿で倒れ込み、夜這いを掛けたことは事実である。
ロベリアは複数の男性との性交渉で堕胎した事実がある。
更に性病に感染しており、現在病院にて隔離している。
アネモネ・リシャールは両親や姉から使用人同然の扱いをされている。
アネモネを産んだ理由は、幼少期病弱だったロベリアの生涯面倒を見る道具として、血の繋がりの鎖を持ってアネモネを縛り付ける為。両親は病気の娘を盾にアネモネを縛り付けた。
ロベリアが社交界に出かけている間、アネモネは家政婦の代わりをしている。
ロベリアの我が儘な振る舞いをたしなめると、実母や姉に暴力をふるわれていた。
父からも仕事を押し付けられ暴力を受け、母からはロベリアに従えと人格否定され、罵倒し、洗脳されかけていた。
これらの事実はグリンホルン共和国によって慎重に調査され裏付けられたものである。
「……」
報告書は続いていた。
ロベリアの病は両親の過保護な言い掛かりであった。
アネモネ・リシャールの社交界での評判は、全て姉ロベリアによる陰謀である。
長女の不祥事を隠蔽するため、アネモネを贄にした。
ただし。
悪女アネモネの噂はカルディア国のほとんどの貴族は信じていない。
ロベリアが我が身の愛らしさを演出する、唯の遊び道具だと思うだけだった。彼女と火遊びに興じるカルディア国の貴族は、それを適当に受け流すだけ。
中には、ロベリア子爵令嬢は噓偽りを述べると警戒する貴族も居た。
当方はその偽りを真に受けていると聞き及んでいるため、急ぎ調査をした次第である。
アネモネ・リシャール子爵令嬢は我が祖母、アナベル・エルフォード先代子爵夫人の刺繍友達でありますので。
グリンホルン共和国 第二王子ヴィルヘルム・グリンホルン
「なんてことだ……」
この文章を読んだ瞬間、ジャレッドの胸が張り裂けんばかりになった。即座に頭に浮かんだのは、自分付きのメイド長の顔だ。
「メイド長!!」
怒号が屋敷全体に轟いた。使用人たちは震え上がり、ジャレッドの居室の扉が開く前に逃げ去った。
「メイド長を呼べ!今すぐだ!!」
十数分後、メイド長が現れた。いつも通りの高飛車な態度で、しかし今日はどこか落ち着かない様子だった。
「お呼びですか、旦那様?」
「これが何か分かるか?」
ジャレッドの声は氷のように冷たかった。
彼は報告書の中程を開き、メイド長の目の前に突きつけた。
「隣国の王子殿下の祖母上の手紙は、メイド長が破棄していた――とあるが?」
メイド長の表情が一瞬歪んだ。
「存じ上げませんが……」
「嘘をつくな!」ジャレッドの拳が机を叩く。
「執事長からの報告によれば、三週間前には既にグリンホルン王家からの書簡が届いていたという。なぜこれらが私の手元になかった?」
メイド長は口角を引きつらせながら言い訳を始めた。
「私はただ、旦那様のお心労を減らそうと……下級貴族の……。下賤なあの娘と繋がりがある家柄の方が書かれた手紙は不要かと……」
「下級貴族だと?」
「はい。エルフォード子爵家の方は当家とは家格が違いますので……」
「貴様……っ!!」
ジャレッドの声が低くなった。
「そのエルフォード子爵家のご出身のマルグリット様は、その素晴らしい語学力と武勲の功績を積み重ねられて隣国の側妃に見初められた」
マーサは目を見開いた。
「更に言えば、マルグリット様は近年、功績を認められ‥‥‥側妃から正妃になったのだよ!!」
その場にいた使用人たちも驚愕の表情を浮かべていた。彼らもまた、この残酷な事実に気づいたのだ。
「それに加えて……」
ジャレッドの声が低くなった。手が微かに震えている。
「私が今まで口汚く罵ってきた悪妻――いや、今は謝罪しかない。そのアネモネ・リシャール子爵令嬢が、隣国の正妃の祖母上の友人だという事を……知っての上の行為か?」
メイド長の顔から血の気が引いた。
「そ、それは……」
「そうだろうとも!!」
ジャレッドは立ち上がった。その体勢でメイド長を見下ろす。
「我々は、知らずのうちに友好国の賓客を侮辱し、蔑ろにしたのだ……!!!」
唇をかみしめる。
「しかも、使用人達を諌める事無く、私は自分の感情に振り回されるままだ。それで辺境伯の当主を自負していた!!」
ジャレッドは頭を抱えた。
「私の行いは、もう弁明の余地がない。国家の威信に泥を塗る愚かな振る舞いだった……!」
執事長が慌てて口を挟む。
彼は怒りと自己嫌悪に苛まれながら、ゆっくりとメイド長に向き直った。
「お前の処遇については後で考える」
メイド長の顔色が真っ青になる。
呼吸を整え、脳裏に浮かぶはロベリアとアネモネ嬢だった。
愛していたはずの女性の本性。
そして、自分が誤解して傷つけ続けた女性の苦しみ。
‥‥‥ロベリアの婚約者が決まっていないのは、貴族達からのそういう評価だったからであろう。
だがジャレッドはその嘘を信じてしまった。
何故なら彼にとってロベリアは天使だった。そう、この世で最も愛しい存在として。
それでも。アネモネを信じる余地があったはずだ。
先ずは、何故妹のアネモネが来たのか、貴族として振舞い、話をするべきだった。
その上で、先の約束と違う旨を婚姻を取り決めた当主、リシャール子爵に問うべきだった。
その間、アネモネを客人として――妻となる女性の妹として、丁重に扱うべきだった。
そんな簡単なことを、怠ってしまった。そして――今となってはどうにもならないことを思い出す。
「……確か、魔獣討伐の準備の折、屋敷の使用人たちが……」
記憶を辿る。
ジャレッドは自分の耳で聞いた会話を思い出した。
『……悪女のアネモネ・リシャール。彼女が本当に来たら旦那さまを傷つけることになる』
『あんな淫乱の女が来て、万が一にも旦那さまを誘惑したら……考えただけでも恐ろしい!』
「ッ……なんてことだ……!俺はっ、彼女の状況すら理解していなかった‥‥‥!!」
アネモネを粗末な部屋に閉じ込めた、あの日――
それが彼女にとってどんな意味を持つのか、分かっていたつもりだったのに。
彼女を守るべき立場でありながら、自分は何もしていない。
魔獣の群れに生娘を放り込む所業そのものだった。
ジャレッドの全身から血の気が引いた。指先が冷たく痺れる。
頭の中で最悪の映像が再生される。自分が吐き捨てた嘲笑、「悪女」への侮辱的な発言。離縁までの監禁命令。
それらすべてが覆いかぶさるように自分を締め付けた。
あの時の、使用人たちの視線を思い出す。
アネモネへの視線は、当主への敵を見る目だった。
(謝罪せねば‥‥‥)
急ぎ、使用人にアネモネの元へ案内させた。
使用人たちは動揺しながらもジャレッドを案内する。
そこは、物置部屋だった。
「どうして、令嬢をこのような場所に‥‥‥」
否。自身の行いを鑑みて、使用人達が彼女にどう接するかなど、分かり切っていた。
「アネモネ嬢、入っても良いか」
ノックをするも、返事がない。
それどころか、嗅ぎなれた臭いがした。
戦場で何度も嗅いだ臭い――死臭。
ジャレッドがドアを開け放つと、アネモネは首を吊って死んでいた。




