第13話 幽霊使用人たちとラングハイム別棟へお引っ越し
食事を虫や馬の水桶で賄うことに幽霊たちは猛反発した。
『奥様に虫を食べさせるなんて、出来ません!!』
『確かに合理的ですが、お身体の回復を遅らせます!!』
狩りも視野に入れていたアイビーだったが、一般的な令嬢の体力では回復にならないと説得されてしまった。
だが、毒殺され掛かった挙句、現ラングハイムの当主は頼りないにも程がある。
『せめて、妻が健在なら……三男と長女が成人していれば……』
先代は頭を抱えるものの、現状の問題を優先する。
『当面は保存食で凌いでください。我々が奥様へ安全な食事と休息できる隠れ家を見つけ出します』
『うむ。私は隠れ家を幾つか確認してくる。暫し待って欲しい』
そして、幽霊たりは各々知恵を絞り、アイビーへの安全な食料調達と休息を提案した。
『先代の庭師が作っていた敷地の端の野菜畑ですが、放置されておりました。
ですが芋やにんじん、カブなどが実っています』
『先代様は奥様の加護で生き物に干渉出来ます。狩りは先代様と私たちが行い獲物を捌きます』
「成程ね、煮炊きすれば弱った身体の栄養になるな」
『奥様、煮炊きをするならば、使われていない先代辺境伯夫人の別棟はどうだろうかと、旦那様が』
『うむ。妻は簡単な料理も振る舞ってくれたから、塩もある筈だ。
アレは私と子供ら――ラングハイムの者しか出入りできぬように結界を張っておる。
メイド長や執事長ですら、ラングハイムの者が逐一許可せねば入れぬ』
「……婚姻の契約をしたのはアネモネだから、私は弾かれるかもしれないわ」
『私はラングハイムだ。供だって行けば入れるやもしれん。
この部屋から直接行き来できる隠し通路もある。少し遠いが逃走用の隠れ家もあるが……其方の体調もある。
先ずは一番近い別棟から確認しよう』
夜、先代辺境伯は代々伝わる隠し通路を教え、アイビーをこっそり外の別棟に案内した。
試した所アイビーだけでもすんなりと入れた。
アネモネの身体が弱っているし、食べ慣れない物を摂取させるのもどうかと思案していたので、煮炊きが出来るのはありがたい。
「先代の奥方は怒らない?勝手に使って」
『むしろ、ジャレッドがロベリア嬢と婚姻を進めた事に、猛反対しておるようだ』
先代辺境伯夫人は存命のようで、ロベリアの噂を知って結婚に反対だったそうだ。
元々長女を産んで以降は体調を崩していた事も在り、今は三男四男長女を連れて保養地で病気療養中らしい。
その際、先代辺境伯夫人の使用した別棟はジャレッド出禁の制限を掛けたと。
もちろん、ロベリアとの婚姻に賛成した使用人たちも使用禁止。
アイビー自身もその結界に特に拒まれることは無かったので、敵と認識はされていないようだ。
先代辺境伯夫人の慧眼に感謝せねば。
これで落ち着ける。
別棟は本邸と違い、空気が澄んでいた。
幽霊の使用人達が本邸の放置された畑から夜にこっそり収穫した、芋やカブ、レタス等を先代執事が隠し通路を使って別棟に運び込んだそうだ。
更に逃げ出した鶏を誘導し、別棟に連れて来たと。
夜の帳が下りた別棟は、本邸の喧騒が嘘のように静かだった。
月明かりに照らされ見えるのは自生したハーブだ。
(ラベンダーにカモミールまで。ふむ、身体を休める助けになるな)
石造りの壁に囲まれた小さな離れには、先代辺境伯夫人が好んだ木製の装飾が美しい家具が、手入れの行き届いた姿で残されている。
窓から差し込む月明かりが、磨き抜かれた床を青白く照らしていた。
「……ここまでされるとは思わなかったわ」
アイビーは腕を組み、部屋の中央で立ち尽くしていた。
目の前では、半透明の幽霊メイドたちが甲斐甲斐しく働いている。
一人は棚の埃を丁寧に払い、一人は寝台に新しい寝具を敷き直し、また一人は暖炉に火を入れようと薪を組んでいる。生前と変わらぬ手際の良さで、彼女たちはてきぱきと別棟を整えていた。
「……ねえ、もう十分よ。そこまでしなくていい」
アイビーが声を掛けるが、幽霊メイドたちは嬉しそうに微笑むばかりで、手を止める気配がない。
『奥様、遠慮なさらないでくださいませ』
『こうして誰かの為に働けるのが、私どもは嬉しいのです』
『そうですとも。あの本邸にいる間は、本当に胸が痛みました。ようやく、奥様のお役に立てるのですもの』
彼女たちの声は、剣の精霊を介して、柔らかくアイビーの耳に届く。
奥様呼びに若干抵抗の在ったアイビーだが、慣れないものの受け入れている。
主人に仕える本来の目的を奪うと、悪意で消耗した幽霊である彼らの負担になるので容認した。
彼ら声音には、偽りのない安堵と献身があった。
「……墓守として、死者に世話を焼かれる日が来るとは思わなかった」
簡易シャワーとはいえ、温かい湯で身体の疲れを洗い落としたアイビーは苦笑いを浮かべる。
墓守の仕事は、本来ならば死者を弔い、彼らの魂を安らかに送り出すことだ。それが今は逆転している。死者たちが、生者である自分の世話を焼いている。
アイビーは、その様子を黙って見つめていた。
アネモネがこの屋敷で受けた仕打ちは、決して許されるものではない。
それでも彼女に真に仕えたい者達は確かにいた。
「……ありがとう」
アイビーは小さく、けれどはっきりと言った。
幽霊メイドたちは一斉に手を止め、驚いたようにアイビーを見た。それから、頬をほころばせて微笑んだ。
『もったいないお言葉です』
『私たちこそ、旦那様に精霊の加護を授けて下さって感謝しております。若様の事もそうです。
救う術がある事を示して下さって、本当にありがとうございます』
『どうか、ゆっくりお休みくださいませ』
彼女たちは深々と頭を下げると、静かに部屋の隅へと下がった。
アイビーは、整えられた寝台へと歩み寄る。
寝具は日干しされたのか、陽だまりのような温かな匂いがした。アネモネが本邸では決して味わうことのできなかった、安らぎの気配がそこにはある。
「……本当に、皮肉なものだわ」
彼女は小さく息を吐き、寝台に腰を下ろした。
生きている者たちは、アネモネを殺そうとした。
死んでいる者たちが、アネモネを――アイビーを生かそうとしている。
「本当、生者の方が余程始末に負えない」
アイビーは静かに目を閉じた。
剣の精霊の加護が、この別棟を包み込んでいるのが分かる。死の精霊は死の危機をアイビーに伝えてくれる。
なので、ここは安全だ。
(今日は、ちゃんと眠れそうだ)
彼女は、ほんの少しだけ、肩の力を抜いた。
アネモネの身体は、まだ本調子ではない。それでも、こうして安心して休める場所を得られたのは大きい。
(アネモネ、もう少しだけ待っていて)
アイビーは心の中で、身体の持ち主に語りかけた。
(必ず、貴女の無念を晴らしてあげるから)
月明かりが、静かに別棟を照らしていた。
本邸では決して見ることのできない、穏やかな夜がそこにあった。
一方。
本邸ではアネモネが忽然と消えた事で騒然となっていた。
アネモネと既成事実を作ろうと、準備万全なジャレッド。
彼は呆然としながらも、沸き立つ熱で我に返りアネモネ捜索の命を出した。




