第11話 幽霊たちの協力を得た結果、先代辺境伯が無双する
「……さて、と」
死の恐怖で封じられたアネモネの記憶と、自身の推理を組み合わせながら考える。
(まずは情報収集だ。敵を知らねば戦えない)
自らに言い聞かせるように小さく頷くと、アイビーはゆっくりと幽霊に向き合う。
彼女の足取りは驚くほど確固としており、自身の身体に残る痛みさえも意に介していないようだった。
死の記憶というものは、他殺であるならば被害者の恐怖が増幅されるもの。
アイビーが知りたいと思う、アネモネを殺した実行犯の詳細などが『死』の恐怖で上書きされ上手く読み取れない。
ただ、読み取れたのは。
優しい老婦人と刺繍を楽しむ情景。
それを糧に、老婦人の元へ行きたいと願う想い。
それと。
アネモネを助けようとした騎士の少年。
ひたすらに真っすぐな魂の色をした、幽霊。
この身は未だアネモネ・リシャールだが、内側には戦士であり、墓守であるアイビーの魂が宿っている。そして、その魂が訴えていた。
アネモネの死には明確な『敵』がいる。
ロベリアか。
ロベリアの両親か。
ジャレッドか。
それ以外の何者かか。
(何者かの悪意がある)
あの黒い手。
アネモネの恐怖から、犯人がそのように見えたと思ったが、違う。
水を飲むなと伝えた貴族と似た、彼よりも風貌の若い令息と騎士たち。
彼は必死に黒い影を引き剥がそうとしていた。
朧気だが、一瞬だけその存在はあった。
自重で縄が首を圧迫する身体を支え、必死に助けようとする者が居た。
かつて魔力を持っていた幽霊なのだろう。
そういった幽霊は生者にも干渉できるが……。
アネモネの死の恐怖が強く、幽霊が黒い人影に引き剥がされてしまった以降の動きは不明。
ただ。
その黒い悪意がアネモネを殺した。
彼女の悲鳴を押しつぶした。
(アネモネの負担になるから控えたかったけれど)
リンブル共通語を話せる壮年の貴族や執事の幽霊は兎も角、他の使用人はカルディア語だ。
読唇術をしようにも時間がかかる。
彼らの魂は清く、悪意の無い幽霊だと分かる。
剣の精霊の加護でこの部屋に結界を張った。
「毒の事を教えてくれた礼をしたい。これを持っている間は私と対話可能だ、卿が真に置く者らの声も」
剣の精霊から小振りの短剣を顕現してもらい、貴族の男に手渡した。
これで精霊を介して言葉を聞くことが出来る。
『これは……?其方は私の言葉が分かるのだね?』
「ああ。これで私もあなた達の言葉が聞こえる。
一時的にだが、私を加護する精霊の眷属になってもらう」
『そのような……精霊に仕える大役を……』
「この屋敷の異変に対処しようとして、消耗したのだろう。持っていなさい」
条件を限定して霊との対話を可能にしたとはいえ、頭が痛む。
(体力が戻っていない分、負担に成っているか)
アイビーは彼らの異変に気付いていた。
力がゴッソリ抜かれたような、そんな気配がある。
「で、アネモネの殺害を阻止しようとした者――貴方に似た貴族と騎士達は、何処?」
この場に、若い貴族と騎士たちが居ない。
威厳ある風体の貴族に問うと、酷く悲しそうな顔をした後重い口を開いた。
『その者は昔、戦死した私の息子。ジャレッドの……兄である』
自称夫よりも若いあの少年は、兄だったか。
『――黒い影に飲まれて、消えたのだ』
じっくりと話を聞けば、アネモネが嫁いで以降。
屋敷が澱んだ空気となっていく事に、埋葬され墓場に集う幽霊たちは不安な様相で居たという。
しかし、家というものは生者の領域で、彼らと領域を切り離された霊たちは入れなかったと。
あの日、アネモネが殺される瞬間。
彼女が『誰か』に救いを求めた時、幽霊たちは条件を満たし家に招かれた。
不気味なほどに、生者である騎士や使用人達が沈黙し眠っていたという。
静まり返った屋敷に入り、アネモネの居る物置部屋に向かった。
そこに、無理矢理アネモネを自死に見せかけ殺害を企てる黒い影が居た。
貴族――先代辺境伯とその息子は直ぐに影を引き剥がそうとした。
しかし、自身の魔力は吸われ息子は影に喰われてしまった。
挙句、別の強い力に弾かれてしまい、霧散した彼らは在るべき場所である墓地で幽霊の姿を取り戻した時。
アネモネの葬儀が粛々と進んでいたという。
王弟であり、国を護る者として不甲斐ないと先代辺境伯は涙した。
『……申し訳ない』
先代辺境伯、床に頭を擦りつけんばかりの勢いで詫びた。その幽霊の身体は、悔恨の念で青白く揺らめいている。
『私は、あの娘が受けた仕打ちの一切を……息子の愚行を止められなかった。あれほどの悪意が屋敷に渦巻いているのを知りながら……己が過ごした屋敷にも入れず‥‥‥無力だった。
申し訳ない。誠に申し訳ない事をした』
彼の後ろでは、先代執事長や先代メイド長たちも同様に深く頭を垂れている。
その姿は、生者のそれより遥かに悲痛で、真摯だった。
『だが』
先代辺境伯は顔を上げた。その透き通った瞳は、紛れもなくアイビー自身を見つめている。
『そなたは、アネモネ嬢ではないな。違う、者だ』
一瞬、アイビーの眉が動いた。しかし動揺は見せない。
「貴方は、見抜けるのね」
『戦場で多くの人々を見てきた。アネモネ嬢は、もっと儚くも凛とした所作だった。だが、其方は違う。鍛え抜かれた戦士の動きだ』
先代辺境伯は苦渋に満ちた声で続ける。
『だからこそ、私はアネモネ嬢に直接詫びることも出来ぬ。……あの純真な娘の魂は、もう何処にもないのだろうか――』
その声には、深い無力感が滲んでいた。
「貴方から吸い取られたとはいえ、魔力の残滓がある。
これ程に屈強な騎士でも太刀打ちできないなら、生きている者の悪意がアネモネを襲ったのだろう」
死者よりも生者の方が基本的に強い。
更に、あの黒い影は尋常ではない者の集合体。
恐らく、生きているであろう悪意ある何者かが、アネモネの死の引き金となった。
考えを巡らせながら、アイビーは自身の生命力を高める手段を講じる。
このまま水も取れなければ、あの時のアネモネのように心の隙を付かれ殺される。
何より。
戦士として、先代たちの行動は称賛に値する。
「生霊に取り込まれた先代の息子。アネモネを救おうと全霊を尽くした者達は、私が必ず在るべき場所に戻そう。
剣と死の精霊の加護を持つ、私が、この手で」
アイビーの手に負えないならば。
聖女に浄化を依頼する間、彼らを悪意ある者から切り離し、保護することは可能だ。
その位の伝手はある。
アイビーの言葉に、先代辺境伯は涙を流した。
『その言葉だけで、救われます……。倅が助かる可能性があるだけで……』
「誇り高き戦士を、悪漢の手で潰させたくないだけよ」
墓守を続けてきた理由。戦士としての矜持を忘れぬ理由。
過去を乗り越えようと足掻いた少女のために。
おぞましい黒い影から少女を救おうと足掻いた騎士の為に。
戦士として、この理不尽に憤るから。
このアネモネの身体を元の持ち主に返すためにも。
彼女の人生を、誰にも冒涜させない。
そして、自身自身を取り戻す為。
アイビーは冷静な眼差しで幽霊たちを見据えた。
「戦いの準備は整えておく。だから安心して見守ってくれ。私も、あなた達の無念は晴らすつもりだ」
そう言って、アイビーは毅然とした佇まいで幽霊たちを見据える。
「だから。協力を願う」
アイビーの言葉に、幽霊たちの気配が引き締まる。
「ただし、死者が生者の領域で堂々と動き回ることは、境界線を乱す。そんなことをすれば、悪意ある別の何者かを呼び寄せる可能性もある」
墓守としての経験が、アイビーに警告を発していた。
死者の過剰な干渉は、時として生と死の均衡を崩す。
それは、アネモネの死のように、取り返しのつかない歪みを生む。
先代辺境伯たちは信の置けるものではあるが、彼らの行動一つで生者たちが、取り返しのつかない状況に陥る可能性は否定できなかった。
『そうだな。……生者と死者の秩序を乱すことだけは避けねばならぬ。あれは……許されることではない』
先代辺境伯は苦渋の表情で同意した。
彼は理解した。アネモネのような犠牲者を、これ以上生んではならないのだと。
「情報を共有し、必要であれば助力を乞う。生者への接触は私を通すようにして欲しい」
『承知した』
先代辺境伯は深く頷いた。
『こちらの情報と合わせて、アネモネ嬢を殺害しようと画策した犯人を明らかにするのだな』
「えぇ。その為には」
アイビーは冷たく言い放った。
「まず、私自身の回復が不可欠。その後、反撃に講じる」
『ラングハイム邸で其方が回復できる場所を確認しよう』
「お願いね。それと、貴方たちには情報収集を主に行ってもらう。この屋敷で視たこと、聞いたこと。特にアネモネに直接関わった使用人たちの動き。黒い影の正体は深追いしない事。
大まかな居場所の把握だけで良い」
アイビーの胡桃色の瞳が、幽霊たちを順に見据える。
『承知した』
先代辺境伯は深く頷いた。
『我らラングハイムの墓標に誓って、全面的に協力しよう。情報は必ず集める。……それと』
彼は少し躊躇してから、言葉を継いだ。
「其方は……元の国に帰るつもりなのだな」
「当然だ。私は墓守だ。本来いるべき場所がある」
『墓守……?』
先代辺境伯は何かを噛み締めるように呟き、それから真っ直ぐにアイビーを見た。
『ならば尚更、この館の穢れを残してはならぬ。アネモネ嬢の無念を晴らし、其方が無事に帰国できるよう、我らも出来る限りのことをしよう』
その言葉に偽りはなかった。
「頼む」
アイビーは短く答え、窓の外を見た。夜明けはまだ遠い。だが、闇の中で蠢く悪意の正体を暴くための駒は揃った。
(まずは情報。それから反撃だ)
死者たちが静かに部屋を出ていく気配を感じながら、アイビーは静かに決意を固めていた。
さて。この先代辺境伯。王弟と言ったな。
少々、死者の流儀を通して貰おうか。
「貴方が視たものを、無念を。貴方と一等血の繋がる者に伝えて欲しい」
(肉親への訴えは、生者への過干渉とは成り得ない)
いい加減、アネモネの身体が限界だ。眠るとしよう。
念のため保存食を作っておいて良かった。
家畜用の麻袋とはいえ、私物を取り上げられなかったのは幸いだ。
+++
アイビーが知らないところで、ジャレッドは貴族社会から爪弾きにされるようになる。
彼は、国を護る者として、辺境伯として相応しくないと言われ始めていた。
何故なら。
アネモネを『正妻として迎え入れず虐待し、生きたまま埋葬しようとした』
『逃げる奥方を騎士団総出で捕らえ、屋敷では奥方へ暴行する激しい音が。
更に、奥方に虫を食わせ馬の水を飲用させている』
これらの噂が爆発的にカルディア国内に広まっているからだ。
……まあ、噂の半分は事実ではある。
ラングハイム辺境伯がグリンホルン共和国王家の書簡をガン無視した事で、共和国からの抗議がカルディア国王に出された事。
更に、カルディア国王の枕元で亡くなった弟――ラングハイム先代辺境伯が泣きながら夜通し呟くのだ。
『ジャレッドは嫁のアネモネを殺す気だ』
『止めようとした長男は恐ろしいものに飲み込まれた』
『アナベル・エルフォード先代子爵夫人が贈った嫁への装飾品を使用人が身に着けている』
『ジャレッドは辺境伯に相応しい器ではない』
『どうか厳正なる調査を兄上に願いたい』
と、延々と言い含めているから。
そして。
正室として迎え入れず虐待し、生きたまま埋葬しようとしたこと。
逃げる奥方を騎士団総出で捕らえたこと。
病み上がりの奥方を毒殺しようとしたこと。
奥方が虫を食べ馬の水を飲用させていること。
これらが事実と確定した。
ラングハイム辺境伯の調査と並行して、王家は粛々と領地没収の手続きに出ていた。




