表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
目が覚めたら埋葬寸前でした ~他国の辺境伯夫人?罵倒された記憶しかないので、自称夫をぶん投げて墓守に戻ります~  作者: 桃緑茶


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/14

第10話 アイビー、三度目の自称夫ぶん投げ

部屋の扉が、ノックもなく勢いよく開け放たれた。


「アネモネ!!」


ジャレッド・ラングハイム辺境伯の切迫した声。血の気の引いた顔で、彼は部屋に飛び込んできた。

アネモネに水を飲ませに来た侍女が毒見をした結果、血を吐いて倒れたという報せを聞き、考えるよりも先に身体が動いていた。


「無事か!?毒を盛られたと……!」


広い室内。豪華な調度品に囲まれたその中心に、痩せ細った妻の姿を見つけた瞬間、ジャレッドの胸は安堵と、それ以上の罪悪感で張り裂けそうになった。

生きている。彼女は生きている。


衝動のままに、彼はアネモネの細い肩を掴み、強く抱きしめようと腕を伸ばした。


「良かった……無事で……!」


だが、その指先が彼女の肩に触れるか触れないかの刹那。


「──ッ!!」


世界が反転した。ジャレッドの身体が宙を舞う。何が起こったのか理解する間もなく、背中と後頭部に強烈な衝撃が走った。サイドボードに身体を打ち付け、上に飾られていた高価な花瓶が耳元で砕け散る。ガシャン、という耳障りな破壊音と共に、彼は無様に床に転がった。


「ぐ……ぅ…!」


肺の中の空気が全て押し出され、呼吸ができない。

視界が明滅する中、見上げた先には、胡桃色の瞳を爛々と燃やし、自分を見下ろす妻の姿があった。


「……触るな、と忠告したはずだ。下郎」


地の底から響くような、凍てついた声。

そこには一片の情けもなかった。ただ、燃え盛るような嫌悪と侮蔑だけが、明確に形を持ってジャレッドに突き刺さる。


アイビーは、自分の手を見下ろしていた。投げた感触がまだ手に残っている。

これが『アネモネ・リシャール』の細腕だというのに、身体が完全に戦士の動きを覚えている。

(……面倒なことを)


彼女は舌打ちしたい気持ちを押し殺した。アネモネの死の真相。自死ではない、あの異様な死の瞬間の記憶。

その断片を、じっくりと摺り合わせようとしていたのだ。そこに、この無粋な闖入者である。


(毒を盛った者。アネモネを殺した黒い手の正体。それを考える時間を……!)


アイビーの苛立ちは募るばかりだった。

彼女の鋭い視線が、無意識のうちに部屋の隅へと泳ぐ。


そこには、先ほど『水を飲むな』と必死に警告してくれた、威厳ある風体の貴族の幽霊が、心配そうに事の成り行きを見守り、ジャレッドに向かって窘めるように何度も口を動かす。


(……ん?)


アイビーは幽霊の顔と、床に倒れているジャレッドの顔を、素早く見比べた。

髭は生えているものの顎のライン、鼻筋、瞳の色。幽霊は年齢を重ねているが、面影が、あまりにも似ている。

(この幽霊……もしや、こいつの血縁者か?)


「アネモネ……私は……お前を……」

ジャレッドが咳き込みながら、ようやく言葉を絞り出す。その声に、アイビーの思考は現実に引き戻された。



「お前らは敵だ」

(少なくとも、アネモネを守ろうとした幽霊以外は)

生者に干渉出来ないのに、必死に手を広げ阻もうとした彼らの方が信頼できる。

アイビーの拒絶は、幽霊の存在を悟られないためのもの。


そして自分たちの関係を明確に定義するための、強固な拒絶の壁だった。


「今更、何を言おうと無駄だ。アネモネを死に追いやった屋敷の者たち。

お前はその長だ。……私の平穏の邪魔をするな」


ジャレッドは、打ちのめされたように床にうずくまった。今のアイビーは、確かにアネモネの姿をしている。


だが、その内面は全くの別人だった。


豹変した妻を、それでも『アネモネ』として扱い、許しを請おうとする滑稽さが、アイビーの目には不快でしかなかった。

アネモネの所作すら覚えていないのに、熱のこもった視線を向けられても困る。


(まあ、碌に人となりを見極める事もせず、とことん罵倒した男の目など曇り切っているか)


アイビーは心の中で嗤った。自分は墓守の野猿女だ。泥にまみれ、戦いの中でしか生きられなかった。

墓守となった後は、死者の安らぎの為彼らを清め、土を掘り埋葬するのが務め。


そんな自分が、可憐で従順な「アネモネ」の代役を演じるなど、土台無理な話だ。


(アネモネを侮辱するな)

この男は、形だけの謝罪と、都合の良い「妻」という幻想を押し付けて、自分自身は何も変わっていない。


「……出て行け」


その声には、有無を言わせぬ威圧感があった。

凄まじい音に駆け付けた使用人に肩を抱かれ、ジャレッドは、傷ついた身体を引きずるようにして、ようやく立ち上がる。

彼は何も言えずに、退出していった。


静寂が戻った部屋で、アイビーは深く息を吐いた。


アイビーの眉間に深い皺が刻まれる。

アネモネの死の間際の記憶は、あまりに鮮明すぎた。


自らの首に縄を掛けさせられ、死の恐怖に泣き叫ぶ少女の悲鳴。それを嘲笑うかのような黒い影の嘲笑。

黒い人影が椅子を蹴り飛ばす感触すら、彼女の感覚を通して伝わってくるようだった。


「自死……ではない。殺された……」


ポツリと漏れた言葉は氷のように冷たかった。

それはもはや同情ではなく、墓守としての憤りであり、戦士としての仇討ちの意思だった。

助けを求める声すら奪われた無念を思うと、腸が煮えくり返る。


『助けて、誰か、助けて。死にたくない……!!』


泣きじゃくるアネモネの立つ椅子を、影のような黒い脚が情け容赦なく蹴り飛ばした映像がアイビーの脳裏に焼き付いている。

掛けられた縄が無慈悲に気道を圧迫し、抵抗する術もなく意識が薄れていく恐怖。


「ふざけるな……」

ギリリと奥歯を噛みしめる音がした。


どれだけ怖かっただろう。恐ろしかっただろう。


アイビーがこの身体に入っているから、延命しているのかどうかも分からない。


ただ。

アネモネという少女は、3年前から徐々に連絡が途絶えた友達に会いたがっていた。

月に多くて3度。

ほんの数刻、交流して来たアナベルという老婦人との再会を願っていた。


親でも、此処の自称夫でも無く、アナベル夫人との思い出が彼女の心の支えだった。

儚い願いすらも踏みにじった連中に怒りしか沸かない。



アネモネは心のどこかで覚悟をしていた。

アナベル夫人の年齢の事も在る。長旅と云う事もある。

もしかしたら、隣国に行って何らかの事故で亡くなったのかもしれない。

本当にそうならば、お墓参りに行きたい。


そう、願っていた。


3年前よりもっと素敵な作品を作れるようになったから、夫人に見せに隣国に行きたい。

でも、出来る事なら、あの教会でまた会いたい。



たった一人。大切な人に会いたい。


純粋な想いを、自分勝手な悪意で塗りつぶし、命まで奪った。

死の間際も死後でさえ苦しめたその所業を、許せるはずがなかった。

その事実がアイビーの心を激怒の炎で灼いた。


「アネモネを害した者達、全員が敵だ」

宣言にも似た呟きが誰もいない部屋に響く。


アイビーには譲歩という概念は希薄だ。


生か死か。皆殺しか溺愛か。逃走か戦闘か。どちらかを選ぶ。


逃走を潰された以上、戦闘の為に身体を回復させているだけ。


アイビーはふと気づいた。

アネモネは死んで数日放置されている。

もしかしたら、アネモネの肉体が死者として判定されたから、彼女と入れ替わったのかもしれない。


(だとしたら、私の遺体はどうなっているのだろう)

自身の死の間際……入れ替わる直前の記憶は――ない。

墓守の埋葬の作業で駆り出され、『帰るのが遅くなるな』と思って帰路を急いだ。

そこからパッタリと記憶が抜けている。

棺桶に横たわる自分を想像し、苦笑いを浮かべる。


しかし。

この屋敷は悪意で満ち溢れている。


戦士と墓守として培った知識と経験が、最大級の警鐘を鳴らす。

最低でも、この状況下で戦闘ができる程度には身体を治さないと。

回復し次第、攻撃に転ずる。


その為に、情報が欲しい。


死の精霊の加護と、墓守として死者を弔い続けた影響で、アイビーは死者の声を聞く事が出来る。

死に至るまでの恐怖の記憶を読み取る事が出来る。

ただし、その恐怖が凄惨過ぎる場合は、それを読み取るアイビーの心身も消耗する。

なので、死者の情報とは有益なのだ。


先程から詫びを入れている先代辺境伯や先代執事長達の存在は。


「あなた達がこの屋敷で視たものを教えて欲しい」



そして、部屋の隅で頭を下げる処か、土下座している貴族の幽霊たちへと、ちらりと視線を向ける。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ