09 収穫フェス 前編
「15万くらいか?」
白装束を着た男が、ヴェルンドと名乗るその声に応えた。
その記憶はたしかにある。
しかし、手元にある資料にはこう印字されていた。
【リアルギルドの収穫祭:2泊3日 刀鍛冶体験教室】
受講料:45万円/定員:8名 『いまこそ君の手にエクスカリバーを!』
男は包丁づくりの総額を伝えたつもりだったが、AIには「1日あたりの値段」として伝わっていたらしい。さらにその下には、参加者リストが添えられていた。
名簿に並ぶのは、すべてカタカナの姓名。
「……全員、外国人なのか?」
刀鍛冶の白装束を着た男は、深く困惑した。
「私はフランスでシェフをしています」
「俺は船乗りだ。ちょうど日本に一週間停泊することになってな!」
「とある偉大な皇質が、こちらの刀を強く所望されておられるのです」
「その刀……熊退治の動画で使われていた『クマゴロシ』ですか?」
体験教室のオリエンテーション。
冒険者である眼帯をした女が通訳として、身振り手振りを交えて受講生を盛り上がらせる。
白装束の男は、鍛練場の隅に置かれた『クマゴロシ』を見つめた。
そして——久しぶりに、その太刀を抜く。
鯉口が切れ、鈍く光る刃が露わになる。
スッと空間が引き締まり、先ほどまで騒がしかった全員がその一動作に目を奪われた。
男は昔、包丁職人として働いていた。
毎日、毎日包丁と対話をした。
いつか、本物の刀が作りたい。男はそう思っていた。
だがインバウンドの波が押し寄せる。
いつしか観光客からの注文ばかりが増えた。
工房のオーナーは男の肩を叩き、吐き捨てるように言った。
『そんなのいいから、とにかく早く作れ』
男はその日、工房を辞めた。
そうして彷徨う中で見つけたのが、あの求人だった。
『鍛冶職人を求む。リアルギルドで刀を打ちませんか?』
白装束の男は、この場に刺さる視線に激しい困惑を感じていた。
(……えーと、ここはハローとか言う場面か?)
だんだん面倒になってきた。
脳裏に、あの工房のオーナーのへらへらした顔が浮かぶ。
雑念。
男はそれを振り払うように、近くに立てかけてあった巻藁へ向け、一気に刃を振り下ろした。
——スパリ。
手応えすらなく、巻藁がすべり落ちる。
カチリと鞘を納め、男がそっと顔を上げる。
鞘を戻すと、目を輝かせる受講生たちがいた。
工房を覗き込んでいたあの観光客たちの眼差しを思い出す。
「……私はあなたたちが、刀を打てるとは思っていません」
予期せぬ言葉に、眼帯の女があわてて言葉を並べ直して訳す。
「遠いところから来たんでしょう。その熱意だけは認めます。……けど、甘くないんです」
男は本気で、この教室を中止しようと思った。
通訳が最後の訳を終えると、鞘を納めように一同は静まり返った。
重苦しい沈黙の中、受講生の一人がこの鯉口を切る。
「……あなたが認めてくれたこの我々の熱。私たちはこの熱をどうすればよいのですか?」
通訳がその言葉をそのまま伝える。
男は少しだけ目をつぶり、考える。
あの工房を辞めた日に降った冷たい雨の音が聞こえた。
「……刀は打てません。それでもかまわないなら」
男はゆっくりと受講生たちを見据えた。
「明朝の5時に、ここに集合してください」
翌朝。まだ朝日が昇る前。
白装束の男は、冷たい井戸水を頭から浴びていた。
ザバァンと水が跳ねる音だけが、静寂に響く。
拝殿奥の炉には、すでに赤々と火が入っていた。
やがて、東の空から深い炎が差し込み、男の濡れた肌を照らしす。
その熱に促されるように、男がゆっくりと振り返った。
——そこには、昨夜の受講生たちが立っていた。
全員が、男と同じ真っ白な装束を身に纏っている。
そして、迷いなく井戸水を頭からかぶり始めた。
冷たさに息を呑みながらも、誰一人として目を逸らそうとはしない。
(……いや、それはやらなくていいのに)
そう言ってやりたかった。あいにく眼帯の女はまだ来ていない。
英語も話せない。しょうがない、と男は心の中で苦笑した。
男は改めて朝日に向き直り、上昇しているそれに向かって静かに手を合わせた。
びしょ濡れになりながら真剣な眼差しで立つ彼らの姿が、初めて鉄の熱に魅せられたあの頃の自分を思い出させた。男はこの奇妙な巡り合わせに、深く感謝した。
前夜祭を含めれば実質3泊4日という、連休のタイミングを狙い撃ちにした2泊3日のリアルギルドのフェス。オールインクルーシブという絶妙な価格設定も手伝って、初日から会場には人々が集まっていた。
初日の昼、百人を収容する大型テントの中は、すでに混雑を見せている。中央には豪快にぐるぐると丸焼きされている肉、焼き立てのパン、特大ピラフ、大釜のスープなど様々な食材が並べられ、それを囲むように重厚なテーブルが配置されていた。
なかでも一番人気なのは、エールの樽だ。弾むような泡をたてながらジョッキになみなみと注がれ、あちこちで乾杯の声が上がっている。
家族連れ、カップル、老夫婦——訪れた人々の年齢層も様々だ。『特製フェス衣装』を家族で着込み、すっかり物語の住人になりきっている姿も多い。あちこちのテーブルには新たに誕生した勇者や魔王たちが鎮座していた。
そこへ、異質な一団が現れた。全員が白装束。
先頭を歩く男には、神秘的な静けさと威厳がある。
彼らは周囲の視線など気にも留めず、エール樽の列に並んだ。
「マスター! 酒を飲んで大丈夫なのですか?」
身振りで手振りで大柄の白装束の男は英語で言った。
なんとなく理解できた。マスターと呼ばれた男はそれに対して日本語でゆっくりと答える。
「午後は休憩にします。鉄も休ませることで粘度が生まれますので」
「酒が飲めない者は、あそこのミルクを飲んでください。羊肉もあります。こちらはハラール対応の業者に依頼しています」
透き通るような男の声とそのゆったりとした動きの指先に、白装束の集団は、頷いた。
「ここのフォークやナイフ。実に使いやすい。しかし、この刻印は見たことがありません」
「それは私が打ちました」
男はトントンと叩く動作を交えて日本語で答えた。
「全部ですか!?」
「はい、私がここの鍛冶屋です」
「それと日が沈んでから鉄を打ちます。夜は鉄の色がよく見えるので」
『はーい! ニョルズでーす!』
突然、明るい声が響いた。
『フレイでーす!』
大型テントの中央、空中を浮遊する立体ホログラムに、鮮やかな祝祭衣装を纏った二人が映し出された。
『我々は今回の収穫祭を統括しているAIプロデューサーコンビでーす!』
『皆さん、フェスは楽しんでいますかー? 美味しく、残さず食べて経済を回しましょー!』
『さあ、ここでスペシャルコンテンツ! スクリーンに注目!』
会場の奥にある巨大スクリーンには、かつてネットを騒然とさせたあの『熊退治』の秘蔵映像だった。
『えー、時代を逆行するように刀で泥くさく熊を追い払ったこの男性!そうです、あちらの奥のテーブルで異彩を放っている、あの怪しげな白装束の一団のマスターでーす!』
会場の視線が一斉に集中する。
『おーい! マスター、立って挨拶してくださーい!』
『ちょっとフレイ、無理言わないの。あの人、基本は鉄としか話さないんだから』
『あ、失礼しましたー! でも皆さん! 今まさに皆さんが使っている使いやすさ抜群のフォークやナイフ、実はすべて彼の手作りなんです!』
会場から「おおーっ」という歓声と大きな拍手が湧き起こる。
『熊すら追い払う巧の技! 食卓のお守りとしてどうですか? フェスのお土産ショップで大絶賛発売中でーす!』
『そして続いては、皆さんの『美』を管理する、美の女神フレイヤからのお知らせでーす!』
AIたちの総意と最新グラフィックスによって計算し尽くされた、神々しいまでに美しく妖艶な『フレイヤ』の巨大ホログラムが空間に躍り出た。
『ごきげんよう、愛しい人たち。美の女神フレイヤです』
フレイヤの甘い声が音響システムを通して全体に響き渡る。
『美味しいお肉とエールで満たされたあとは、お肌と心の栄養補給はいかが? ただいま『土壌エステエリア』では、この土地の豊かなミネラルを凝縮した特製『泥パック体験』、『土壌風呂』をご用意しております』
フレイヤはウインクを弾けさせると、艶やかに微笑んだ。
『全身スキャンで、あなたに最適化された至高の美をお届けします。もちろん、オールインクルーシブですから追加料金はゼロ。この三日間昼夜問わずに開かれています。何度でも私にその身を委ねてください。このフェスの間に極上の美しさを手に入れてみては?』
フレイヤに導かれるように女性陣が次々と立ち上がる。
収穫祭初日の昼。
宴会場ではエールが注がれ、カトラリーが売れ、フレイヤの泥エステに行列ができ始めていた。リアルギルドの収穫祭は、まだ始まったばかりである。




