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夜になると女神は問いかける──リアルギルドガイドブック  作者: Manpuku


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9/10

09 収穫フェス 前編

「15万くらいか?」


白装束を着た男が、ヴェルンドと名乗るその声に応えた。

その記憶はたしかにある。


しかし、手元にある資料にはこう印字されていた。

【リアルギルドの収穫祭:2泊3日 刀鍛冶体験教室】

受講料:45万円/定員:8名 『いまこそ君の手にエクスカリバーを!』


男は包丁づくりの総額を伝えたつもりだったが、AIには「1日あたりの値段」として伝わっていたらしい。さらにその下には、参加者リストが添えられていた。

名簿に並ぶのは、すべてカタカナの姓名。


「……全員、外国人なのか?」

刀鍛冶の白装束を着た男は、深く困惑した。


「私はフランスでシェフをしています」


「俺は船乗りだ。ちょうど日本に一週間停泊することになってな!」


「とある偉大な皇質が、こちらの刀を強く所望されておられるのです」


「その刀……熊退治の動画で使われていた『クマゴロシ』ですか?」


体験教室のオリエンテーション。

冒険者である眼帯をした女が通訳として、身振り手振りを交えて受講生を盛り上がらせる。


白装束の男は、鍛練場の隅に置かれた『クマゴロシ』を見つめた。


そして——久しぶりに、その太刀を抜く。


鯉口が切れ、鈍く光る刃が露わになる。

スッと空間が引き締まり、先ほどまで騒がしかった全員がその一動作に目を奪われた。


男は昔、包丁職人として働いていた。

毎日、毎日包丁と対話をした。

いつか、本物の刀が作りたい。男はそう思っていた。


だがインバウンドの波が押し寄せる。

いつしか観光客からの注文ばかりが増えた。

工房のオーナーは男の肩を叩き、吐き捨てるように言った。


『そんなのいいから、とにかく早く作れ』


男はその日、工房を辞めた。


そうして彷徨う中で見つけたのが、あの求人だった。


『鍛冶職人を求む。リアルギルドで刀を打ちませんか?』


白装束の男は、この場に刺さる視線に激しい困惑を感じていた。


(……えーと、ここはハローとか言う場面か?)


だんだん面倒になってきた。

脳裏に、あの工房のオーナーのへらへらした顔が浮かぶ。


雑念。


男はそれを振り払うように、近くに立てかけてあった巻藁へ向け、一気に刃を振り下ろした。


——スパリ。


手応えすらなく、巻藁がすべり落ちる。

カチリと鞘を納め、男がそっと顔を上げる。


鞘を戻すと、目を輝かせる受講生たちがいた。

工房を覗き込んでいたあの観光客たちの眼差しを思い出す。


「……私はあなたたちが、刀を打てるとは思っていません」


予期せぬ言葉に、眼帯の女があわてて言葉を並べ直して訳す。


「遠いところから来たんでしょう。その熱意だけは認めます。……けど、甘くないんです」


男は本気で、この教室を中止しようと思った。


通訳が最後の訳を終えると、鞘を納めように一同は静まり返った。

重苦しい沈黙の中、受講生の一人がこの鯉口を切る。


「……あなたが認めてくれたこの我々の熱。私たちはこの熱をどうすればよいのですか?」


通訳がその言葉をそのまま伝える。

男は少しだけ目をつぶり、考える。

あの工房を辞めた日に降った冷たい雨の音が聞こえた。


「……刀は打てません。それでもかまわないなら」


男はゆっくりと受講生たちを見据えた。


「明朝の5時に、ここに集合してください」


翌朝。まだ朝日が昇る前。


白装束の男は、冷たい井戸水を頭から浴びていた。

ザバァンと水が跳ねる音だけが、静寂に響く。

拝殿奥の炉には、すでに赤々と火が入っていた。


やがて、東の空から深い炎が差し込み、男の濡れた肌を照らしす。

その熱に促されるように、男がゆっくりと振り返った。


——そこには、昨夜の受講生たちが立っていた。


全員が、男と同じ真っ白な装束を身に纏っている。

そして、迷いなく井戸水を頭からかぶり始めた。

冷たさに息を呑みながらも、誰一人として目を逸らそうとはしない。


(……いや、それはやらなくていいのに)


そう言ってやりたかった。あいにく眼帯の女はまだ来ていない。

英語も話せない。しょうがない、と男は心の中で苦笑した。


男は改めて朝日に向き直り、上昇しているそれに向かって静かに手を合わせた。


びしょ濡れになりながら真剣な眼差しで立つ彼らの姿が、初めて鉄の熱に魅せられたあの頃の自分を思い出させた。男はこの奇妙な巡り合わせに、深く感謝した。



前夜祭を含めれば実質3泊4日という、連休のタイミングを狙い撃ちにした2泊3日のリアルギルドのフェス。オールインクルーシブという絶妙な価格設定も手伝って、初日から会場には人々が集まっていた。


初日の昼、百人を収容する大型テントの中は、すでに混雑を見せている。中央には豪快にぐるぐると丸焼きされている肉、焼き立てのパン、特大ピラフ、大釜のスープなど様々な食材が並べられ、それを囲むように重厚なテーブルが配置されていた。


なかでも一番人気なのは、エールの樽だ。弾むような泡をたてながらジョッキになみなみと注がれ、あちこちで乾杯の声が上がっている。


家族連れ、カップル、老夫婦——訪れた人々の年齢層も様々だ。『特製フェス衣装』を家族で着込み、すっかり物語の住人になりきっている姿も多い。あちこちのテーブルには新たに誕生した勇者や魔王たちが鎮座していた。


そこへ、異質な一団が現れた。全員が白装束。

先頭を歩く男には、神秘的な静けさと威厳がある。

彼らは周囲の視線など気にも留めず、エール樽の列に並んだ。


「マスター! 酒を飲んで大丈夫なのですか?」


身振りで手振りで大柄の白装束の男は英語で言った。

なんとなく理解できた。マスターと呼ばれた男はそれに対して日本語でゆっくりと答える。


「午後は休憩にします。鉄も休ませることで粘度が生まれますので」


「酒が飲めない者は、あそこのミルクを飲んでください。羊肉もあります。こちらはハラール対応の業者に依頼しています」


透き通るような男の声とそのゆったりとした動きの指先に、白装束の集団は、頷いた。


「ここのフォークやナイフ。実に使いやすい。しかし、この刻印は見たことがありません」


「それは私が打ちました」


男はトントンと叩く動作を交えて日本語で答えた。


「全部ですか!?」


「はい、私がここの鍛冶屋です」


「それと日が沈んでから鉄を打ちます。夜は鉄の色がよく見えるので」


『はーい! ニョルズでーす!』


突然、明るい声が響いた。


『フレイでーす!』


大型テントの中央、空中を浮遊する立体ホログラムに、鮮やかな祝祭衣装を纏った二人が映し出された。


『我々は今回の収穫祭を統括しているAIプロデューサーコンビでーす!』

『皆さん、フェスは楽しんでいますかー? 美味しく、残さず食べて経済を回しましょー!』

『さあ、ここでスペシャルコンテンツ! スクリーンに注目!』


会場の奥にある巨大スクリーンには、かつてネットを騒然とさせたあの『熊退治』の秘蔵映像だった。


『えー、時代を逆行するように刀で泥くさく熊を追い払ったこの男性!そうです、あちらの奥のテーブルで異彩を放っている、あの怪しげな白装束の一団のマスターでーす!』


会場の視線が一斉に集中する。


『おーい! マスター、立って挨拶してくださーい!』


『ちょっとフレイ、無理言わないの。あの人、基本は鉄としか話さないんだから』


『あ、失礼しましたー! でも皆さん! 今まさに皆さんが使っている使いやすさ抜群のフォークやナイフ、実はすべて彼の手作りなんです!』


会場から「おおーっ」という歓声と大きな拍手が湧き起こる。


『熊すら追い払う巧の技! 食卓のお守りとしてどうですか? フェスのお土産ショップで大絶賛発売中でーす!』


『そして続いては、皆さんの『美』を管理する、美の女神フレイヤからのお知らせでーす!』


AIたちの総意と最新グラフィックスによって計算し尽くされた、神々しいまでに美しく妖艶な『フレイヤ』の巨大ホログラムが空間に躍り出た。


『ごきげんよう、愛しい人たち。美の女神フレイヤです』


フレイヤの甘い声が音響システムを通して全体に響き渡る。


『美味しいお肉とエールで満たされたあとは、お肌と心の栄養補給はいかが? ただいま『土壌エステエリア』では、この土地の豊かなミネラルを凝縮した特製『泥パック体験』、『土壌風呂』をご用意しております』


フレイヤはウインクを弾けさせると、艶やかに微笑んだ。


『全身スキャンで、あなたに最適化された至高の美をお届けします。もちろん、オールインクルーシブですから追加料金はゼロ。この三日間昼夜問わずに開かれています。何度でも私にその身を委ねてください。このフェスの間に極上の美しさを手に入れてみては?』


フレイヤに導かれるように女性陣が次々と立ち上がる。


収穫祭初日の昼。

宴会場ではエールが注がれ、カトラリーが売れ、フレイヤの泥エステに行列ができ始めていた。リアルギルドの収穫祭は、まだ始まったばかりである。

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