06 女神の祝福
「冷たい!最高!」
爆発的な歓声とともに、子供たちが水面へとダイブする。
子どもたちが目覚めると、そこにはプールができていた。
飛び散る水しぶき、甲高い叫び、パジャマ姿のまま感じる水の感触。
そこにあるのは、純粋なまでのエネルギー。
そんな子どもたちの無邪気な姿を「ザ・ファンタジーズ」の面々が目を細めて見守っている。
子どもたちの弾けた笑い声を聞いた水たちが、光をキラキラさせながら『ポル・ポト水路』をゆっくりと流れていく。
その変化をいち早く察知したのは、牛や豚や羊たちだった。
牧場の端に突如として現れた透き通る流れに、動物たちは静かに歩み寄り、そっと足を浸す。
羽ペンを胸に差す者は、自慢の口ひげをゆっくりとなでながら、視線を水路の端へと向ける。
そこではギルマスが膝をついて作業着の泥を落としていた。
水の流れは敷地の外へと伸び『今は使われていない古い農業用水路』へと流れていく。
その水路は地平線の彼方まで一直線に伸びていた。
***
その水路の先には一台の軽トラが止まっていた。
その脇で煙草を吸いながらラジオを聞く老人がいた。リアルギルドの酒場の常連、トメさんである。彼は酔っぱらうと、水利権でハブられた話を何度もギルマスにくだを巻いていた。
「…………」
カサカサに割れ、生命の気配すら絶えた大地に、水が静かになだれ込む。
――その瞬間、世界から音が消えた。
トメさんは、震える手で煙草を揉み消した。
耳の奥で蘇る、懐かしい記憶の音。
何も言わず、枯れた水路に少しづつゆっくりと流れる水を見つめたまま、彼はスマートフォンの画面を叩いた。
『('ω')ノ』
長年の渇きに応える、あまりにも短い「祝福」への言葉でもない返答。
しかしそれは、リアルギルドの祝福が、初めて外の世界へと届いた瞬間だった。
その夜、ギルマスは自分が掘った湧き水で割った水割りを飲みながら、寝袋の上をごろごろ転がっていた。
スマホの通知に気づき、 酔った頭のまま返信する。
『(゜∀゜)』
そのメッセージが、誰に届くのかも知らぬまま。
***
4
リアルギルドの領域を守るヨルムンガンドAIのセンサーが静かに反応し続けていた。
『女神の祝福』
そう定義されたものが、ヨルムンガンドの領域から静かに流れ出ていた。
ヨルムンガンドは、その女神の祝福に沿って尾を伸ばした。
その報告を受け、法を司るティールAIが目覚めた。
水利権、環境保全、土地利用。
領域の外の膨大なリスクが瞬時にはじき出される。
『トールよ。あとは頼んだ』
翌朝。
「おはようございます。行政・交渉担当のトールAIから連絡です」
ギルマスが頭を押さえながら寝袋から起き上がる。
「そのファイルに電子証明して送信してください」
「これは?」
「環境省と地方裁判所、それから水利組合へのご挨拶です。トールのミョルニルは、必ず相手に届きます」
ギルマスは、女神に言われるまま特に確認もせず送信した。
水が敷地の外へ流れる。
たぶん、その手続きなのだろう。
「今日は日曜だよね?」 そう確認すると、ギルマスはまた寝袋へ戻っていった。
***
5
その日。トメさんは水路の泥をスコップですくい上げていた。
腰が痛くなるたび手を止め、濁りのない水の流れを目で追う。
さらさらと、ただ静かにその水は流れていく。
ふと視線を上げる。
高台に居座る「リアルギルド」の建造物を仰ぎ見た。
ひとしきり眺め入ると、また重い腰を上げて泥をすくった。
後日。トメさんは、かつて水利権争いで自分を叩きのめし、すべての水を奪っていった男とすれ違いもできぬ細い農道で鉢合わせた。
一本道だ。
軽トラ同士が向かい合い、エンジン音だけが田んぼに低く響く。
相手は絶対に道を譲らない。トメさんも動かない。
トメさんはただ、じっと相手を見据えた。
冷たい風がトメさんの頬を撫でて過ぎていく。
向こうの軽トラは空ぶかしを上げている。
相手の落ちくぼんだ目元がなぜか見えた。
焦点を合わせていないものの、周囲の情景が脳に伝わる。
(しかし、なんだな......。あいつも――俺も、老けたな。)
「あーーー! しかし、くだらねえ!」
そう吐き捨てた瞬間――先に動いたのは、相手だった。
突然、相手の軽トラは勢いよくバックした。
そんな様子を見つめながら、トメさんは胸ポケットから煙草を一本引き抜くと、ゆっくりと火をつけた。
紫煙の向こうで、相手はハンドルを切り返している。
――ゴンッ!
後輪が大きな飛び石に乗り上げ、軽トラの車体が大きく傾いた。何度かハンドルを切り直し、トラックを動かそうとするその男の姿は、もはやかつて自分を打ちのめした相手などではなく――ただの老人に過ぎなかった。
「しかしな……こうなっても、大して面白いわけでもねえな」
そして、トメさんは煙草を大きく吸うとこれまでの執着を紫煙とともに一気に吐き捨てた。
「……依頼でもしてみるか」
煙草を揉み消し、ぐっとギアを前に入れる。
バックミラーに写った自分の顔は――年甲斐もなく、ガキのようなツラでほころんでいた。
「……しかし、『冒険者たち』か……」
その言葉が、喉の奥で、自嘲くように響いた。
ぐっとアクセルを吹かし、トメさんの軽トラは軽快に進んでいく。




