02 出会い
「ドワーフ?」
『はい、土和布さんです。身分書を提示されたとヨルムンガンドから報告がありました』
日曜の早朝、女神に男は起こされた。小走りで入口に向かい職員用のドアを開ける。そこには背の低い男と、すらりと背の高い女が立っていた。
二人はギルマスに気付くと丁寧な会釈をした。
ギルマスも会釈を返す。
(今日は休みなんだけどなー)
内心そう思いながら、ギルマスは二人を食堂に誘った。
「トースト食べます?」
「いただきます」
二人のそろった声は仲睦まじい夫婦のそれであった。ギルマスがトーストを準備していると、二人は無言のまま手伝い始めた。卵を焼き、小気味よい音を立てて野菜を刻む。ギルマスがコーヒーを入れているわずかな間に、2品、3品と彩り豊かな皿が増えていく。
ギルマスがコーヒーとトーストを席に運ぶ。テーブルには、大皿に綺麗に盛られた料理が並んでいた。ギルマスは夢中で食べた。どれもこれもうまい。いつか泊まったホテルの朝食を思い出した。そんなギルマスを見ながら、夫婦はゆっくりと食べ始めた。
朝食後、二人を教会に案内した。
二人が出てくるまでギルマスは待った。腹をさすりながらベンチに横になる。
初夏の風が教会の広場を吹き抜けていく。
「そういえば、ゴールデンウィークだな……」
気持ちよさにうとうとし始めたその時だった。教会の鐘が、まるで試合開始を告げるゴングのごとく、「カンカンカンカン!」 と激しく鳴り響いた。
ギルマスが驚いて跳ね起きると、教会の扉がゆっくりと開いた。
ステンドグラスからの逆光を背負い、のっそりと現れた二人。
その足取りは、岩のように揺るぎがない。一歩踏み出すごとに、小さな振動が石畳を伝ってギルマスの足裏を叩いた。その圧倒的な存在に、ギルマスは固唾を呑んで二人を迎えた。
その後、二人は観客を熱狂させる『レスラー』となった。
***
「これは緊急指令だ。再来週の金曜に宴をやる。翌日は早朝から依頼をしてもらう」
朝の朝食、ギルマスから下された初めての『指令』に一同が驚愕した。
それは新しく完成した宿を祝う宴の開催だった。
家族もできるだけ参加してほしいとのこと、その後はテスターとして宿に宿泊してほしいことがギルマスの口から告げられた。会費は無料。宿泊には三時間分の夜勤手当までつくという。
朝の食堂が一気にざわつく。
「もしもし、パパ? 再来週の金曜なんだけど――」
受付嬢がさっそく家族へ連絡を入れると、他の職員たちも堰を切ったように私用の連絡を始めた。
「あー、家族以外も、友人の参加もオーケーですので」
ギルマスはそう言い添えると、スマホをとり自身も連絡を始めた。
***
「それでは、みなさん乾杯!」
声が上がると同時に、中央広場に歓声が弾けた。
宴の場は、巨大で武骨な黒いテントに覆われている。内部は広く、天井は高い。鍛冶屋たちの総意と、女神から投げかけられた無数の質問に答えるように、この空間は形成されていた。
「ギルマス!これ、うちの旦那と子どもたち!」
酒をしこたま飲んだのだろう。顔を赤くした受付嬢が、誇らしげに家族を連れてくる。
職員の家族と友人たち。
建設の折に世話になった職人たち。
ギルマスは次々に新たな繋がりに杯を交わした。
誰もが心ゆくまで飲み、そして食べた。
『――――――』
不意に、ざわめきが途切れた。
天幕の内側が、ゆっくりと薄暗くなっていく。
それと呼応するように、足元の石畳に埋め込まれた小さな灯りが次々と静かに輝きだした。
人々が顔を上げる。
広場の中央、漆喰で固められた円形の台座から、水が――音もなく、噴き出し始めていた。
『皆さま』
澄んだ声が、空間全体に響く。
『今宵は、お集まりいただき、ありがとうございます』
噴水から霧が勢いよく吹きだす。
青白い光が灯り。そこだけが瑞々しくきらめいた。
光が重なり合い、一つの輪郭を結ぶ。
女神が、姿を現した。
***
皮の鎧を着た男が、ゆっくりと最後のピーマンを天辺に置いた。短く息を吐く。男の前には、崩れそうで崩れない――ピーマンのピラミッドが完成していた。
「おい、準備はいいか?」
毛皮の腰巻をまとった者。
動くたび、じゃらりと鎖を鳴らす者。
それぞれの前にも、トマトや玉ねぎなどの野菜のピラミッドがそびえている。
――リアルギルドのマルシェへようこそ。
そんなチラシを片手に、人々が公園の入口で足を止め、様子をうかがっていた。
最初に一歩を踏み出したのは、一人の老婆だった。
老婆は入口でチラシを差し出す。鎧の者がうなずき、銅色のコインを老婆の手のひらに置いた。
老婆はそれを確かめるように受け取り、静かに中へ入っていく。
それを合図にしたかのように、家族連れが動き、犬を連れた者が続いた。
老婆は、手にした銅貨を陽にかざした。
鈍い光が、確かな重みを主張する。
「……これ一枚で、どれでも一山なのかい?」
皮の鎧の大男が、太い腕を組み、豪快に笑う。
「そっちの『燃える赤玉』でも、俺の『翠の盾』でもな。好きなほうを選びな」
老婆は少し考え、やがて一番立派なトマトとピーマンの山を指差した。
「それを選ぶとは、さすがだな」
男は大きな手でトマトを包み込み、驚くほど丁寧な動きで老婆が持参した袋に収めていく。
その指先の繊細さに、老婆は思わず胸を高鳴らせた。
「パパ! あれすごい!」
子どもが指差した先では、チェインメイルを纏った男が、凄まじい速さで野菜を刻んでいる。じゃらじゃらと鎖が鳴るたび、寸分違わぬ厚みの切片が積み上がっていった。
そのすぐ横では、ドワーフ風のコスチュームをまとった男が鮮やかな手つきでフライパンを操り、炒めた食材を大鍋へと放り込んでいく。さらに隣では、すらりとした女剣士が、巨大な肉の塊を焼き上げる。
不意に、鎖の音がぴたりと消えた。手を止めたその男は持ち場から一歩離れ、集まった人々に目配せを送る。理由もわからぬまま、人々は自然と距離を空けた。
男はゆっくりと片手を掲げると、天を仰ぎ、腹の底から吠えた。
「ウォオオオオオオ――――ッ!」
音ではなかった。
空気が叩き潰され、胸郭が震え、足元の地面がわずかに脈打つ。
周囲の冒険者たちがその震えに応える。
幾重にも重なった雄叫びが、大波のように人々に押し寄せた。
鼓膜を震わせるのではない。
腹の奥、背骨、心臓の裏側に熱い鉄棒で直接触れられたような衝撃。
誰も、現実でこんな声を聞いた覚えはない。
それなのに――知っている。
勝鬨。
これは、勝利の震えだった。
生き延び、掴み取り、生を祝うための咆哮だ。
人々は息を忘れ、金縛りにあったように立ち尽くした。
やがて、その衝撃が心地よい痺れに変わる頃、子どもの笑い声が聞こえた。
誰かが大きく手を叩いた。
伝播する熱狂。
公園全体が、目に見えない巨大なひとつの熱に包まれていく。
この公園はただの公園ではない。
冒険者たちの誇りが、そして魂の響きが、 この空間を『リアルギルドのマルシェ』へと作り替えていた。
***
その女は、ぼんやりと窓から外を眺めていた。隣では男の子がピーマンを丸噛りしていた。
あれは、なんだったのだろうか?
女は一週間前の出来事を思い出していた。
たまたま子供と遊びに行った、いつもの公園。
だがそこには、皮の鎧を着た者が立っていた。
女はいつもより安い、驚くほど瑞々しい野菜を買い、息子は自分の背丈よりも大きく、そしてたくましい大人たちに釘付けになった。
そして、あの声。
ただ、身体の奥を直接掴まれたような感覚に、女は息を呑んだ。
気がつけば、息子の手を、必要以上に強く握りしめていた。
二人はマルシェの屋台で食事をした。旨みが凝縮された濃厚なスープ。色とりどりの香り高いサラダ。噛み締めるたび、生命そのものが溢れ出すような肉。
二人は夢中で食べた。
食べ終える頃、先ほどまで肉を焼いていた女剣士が、すっとレモネードを運んできた。
そして、不意にそれは始まった。
高らかと鳴る角笛。
いつの間にか広場の中央に設けられた、即席の特設リング。
そこで繰り広げられたのは、冒険者たちの真剣勝負だった。
女は気づけば、レモネードを運んできたあの女剣士を応援していた。理屈も、理由もなかった。
女剣士は、自分の倍はあろうかという大男を、しっかりと持ち上げると、リングを震わせて、投げ飛ばした。
歓声が上がった。
女は、その中に自分の声が混じっていることに、後になって気づいた。
――――
壁の時計が、朝の六時を告げる。
「お母さん」
息子が母の裾を引き、弾んだ声で言った。
「雨、降ってないよ! マルシェに行こう!」
女は、すぐには返事をしなかった。
ただ、息子の手を、少しだけ力を込めて握りしめた。




