第7話 怪異調査記録『件』
眩い――。
融合の極みに達した白い塊は、突如として周囲の薄暗い木々を真昼のように照らし出す、強烈な光を放った。
俺は思わず腕で顔を覆い、きつく目を瞑る。網膜に焼き付いた残像がチカチカと弾け、視界が白一色に染まった。
やがて、肌を刺すような光が収まり、恐る恐る目を開ける。
視界が焦点を結んだその中心。空間の歪みがあったはずの場所に、それはぽつんと佇んでいた。
「……牛、か?」
そこにいたのは、一頭の子牛だった。
こちらに背を向け、立っている。
これだけのモヤが集まったのだから、昨日見たような、あの禍々しい怪物が出てくるものとばかり身構えていた俺は、完全に肩を透かしを食らった。
昨日の『鬼』のような凶暴な気配は一切感じられない。これなら害はないだろう。
そう判断し、胸を撫で下ろしながら一歩、足を踏み出した時だった。
ガサリ、と落ち葉を踏む音に反応したのか、子牛がゆっくりとこちらを振り返った。
「っぅわあ!?」
その顔が視界に入った瞬間、俺は情けない声を上げて、後ろへとしりもちをついていた。
身体は間違いなく斑模様の牛のそれだった。
だが、首から上に据え付けられているのは――紛れもない、無表情な「人間の男の顔」だった。
脳裏に、かつてオカルト系のネット掲示板か何かで見聞きした、有名な日本の妖怪の名前が弾け飛ぶ。
『件』――。
半人半牛の姿をして生まれ、重大な予言を残して数日で死ぬという。
腰が抜けたように動けない俺を、件は人間そのものの双眸でじっと見据え、蹄の音を響かせながら、ゆっくりと近づいてくる。
俺の目の前、手を伸ばせば届くような距離で、件は動きを止めた。
そして、感情の読み取れない人間の唇を歪め、重々しく、どこか哀切を孕んだ声で、こう告げたのだ。
『これより先、汝に大いなる決断の時が訪れん。
惑い、躊躇うことなかれ。
汝が歩みを止めるとき、世界は永き闇に閉ざされ、光の差すことはない。
……されば問う。汝、何を望む?』
「え……?」
言い終わるや否や、件の身体が再びあの強烈な白光を放ち、爆発するように弾けた。
慌てて顔を伏せ、次に顔を上げた時には――そこにはもう、人面牛の姿も、漂っていた白いモヤの欠片すらも、影も形もなくなっていた。
静まり返った遊歩道に、俺の荒い呼吸だけが響く。
「なんだったんだ、今のは……」
地面に座り込んだまま、しばし頭の整理が追いつかなかった。
じわじわと身体の震えが収まるのを待って、俺は立ち上がり、リュックからノートとボールペンを取り出した。まだ少し震える手で、忘れないうちに今起こった一連の出来事、そして件の予言を書き殴っていく。
ペンを握ったまま、ふと足元に目をやった。
そこには、いつの間にか俺の傍に戻り、退屈そうに首を傾げているギンの姿があった。
「そういえば……」
ノートに書き留めた事実を眺めながら、ある一つの違和感に気がつく。
「『件』が俺に近づいたとき、お前、全然襲いかかる素振りを見せなかったな」
ギンは「ワン?」と小首を傾げるだけだ。
昨日の黒いモヤ(鬼)の時は、あれほど激しい敵意を剥き出しにして、俺を護るように戦ってくれた。
なのに、今日の白いモヤが融合して件になった時は、ただ静観していた。
ギンのその態度が、何よりの証拠だ。
「やっぱり……白いモヤは、人間に対して害はない、のか?」
だとしたら、あの黒い奴らとは根本的に性質が違う。
黒が人間の悪意から生まれる『害をなすモノ』だとするなら、白はその逆――善意や祈りのような、無害で秩序立った存在なのかもしれない。
「だけど、これっぽっちの遭遇率じゃ、まだ何も断定はできないな……」
この住宅街近くののどかな公園周辺では、モヤのサンプルがあまりにも少なすぎる。
「よし。ギン、次は人がたくさんいそうな都会へ行ってみよう」
俺の言葉に応じるように、ギンは立ち上がって尾をひと振りした。
リュックを背負い直し、遊歩道を抜けて駅の方へと歩き出す。




