第37話 脳内開界
「よしよし、今日は君の相棒も来ているね。それじゃあ始めようか。今からやることは楓が言っていた『ずる』に繋がってくる技術だから難しいと思うけどとりあえずやってみようか」
相変わらず緊張感のない、のんびりとした調子ではじめ先輩が言う。
楓先輩との死闘でこちらはボロボロだというのに、あまりの温度差に力が抜けそうになる。
だが、いつまでも大の字で寝転がっているわけにもいかない。
この締まらない空気のまま、俺――琥狛はとりあえずやってみることにした。
マットの上に胡坐をかき、ゆっくりと目を閉じる。
まずは自分の頭のなかで相棒が過ごしやすい環境を想像して脳内に居場所を作る。
俺なりに居心地の良さそうな空間を思い描き、そこへ意識を集中させていく。
だが、なかなかギンは入ってくれない。
イメージの網をどれだけ広げても、肝心のギンがそこに収まってくれる気配は微塵もなかった。
ただただ、自分の脳裏に虚しい空き地が広がっているだけのような感覚。焦れば焦るほど、せっかく作ったイメージの輪郭までボヤけていってしまう。
完全に手応えを見失い、眉間にシワを寄せている俺の姿をみて、はじめ先輩が苦笑交じりに助言をくれた。
「アハハ、難しいよね。僕もできるまで時間かかったもん。まぁ根気強く君の相棒が好きな環境を想像するしかないよね。ちなみに僕は、頭のなかに一面に広がる夕焼け空と、どこまでも続くひまわり畑を作ってるよ。大和はそこを飛び回るのがお気に入りみたいでさ」
はじめ先輩はそう言って、肩に乗った八咫烏の大和を器用に指先でつついた。大和は我が意を得たりとばかりに誇らしげに胸を張る。
なるほど、鳥だから空、ということか。だとしたら、ギンのような存在にはどんな場所が刺さるのだろうか。俺が再び唸り出そうとした時、はじめ先輩が訓練場の少し離れた場所にいる二人に声を張り上げた。
「お~い! 華蓮と楓も何かコツを教えてあげなよ」
休憩がてら水分を補給していた二人が、こちらを振り返る。
まず答えたのは、相変わらず元気よく手を挙げた華蓮先輩だった。
「うちの相棒は座敷わらしっす。だから私は、頭の中にお菓子やオモチャが山ほど散らかった、おばあちゃん家の古い和室を作ってるっす! そこでゲームをするのがあいつの至福の時間みたいっすね」
さすがは華蓮先輩の相棒と言うべきか、なんとも賑やかで子供が喜びそうな空間だ。
続いて、タオルで汗を拭い終えた楓先輩が、いつも通りの淡々とした涼しい声で言葉を繋いだ。
「私の相棒は布都御魂。神剣だから、私は頭のなかに冷たい静寂が満ちた、厳かな日本庭園の池の真ん中を作ってる。そこへ、あの刀を美しく引き立たせるために、一本の漆黒の台座を置いているの。そこに収まっている時が、一番あの子のノイズが消えるから」
三者三様、驚くほど具体的に自分の頭の中に『世界』を構築している。
大空、散らかった和室、あるいは静寂の日本庭園――。
先輩たちの言葉を聞きながら、俺は再び自分の胸に手を当てた。
ギンが求めているのは、きっと俺がさっき適当に思い描いたような、ありきたりで綺麗なだけの空き地なんかじゃない。あいつの本能が「そこに行きたい」と喉を鳴らすような、あいつだけの特等席がどこかにあるはずだ。
――その日からは、楓先輩に何度も投げ飛ばされ、脳裏でギンの居場所をイメージし続ける、厳しくも目まぐるしい平日が過ぎていった。




