第30話 疾風怒濤
「――華蓮…。ノックくらいしろと何度も言っているだろう」
神代がこめかみを押さえ、この日一番の、底深い溜息を吐き出した。
しかし、先頭を切って入ってきたショートカットの女性は、そんな上司の頭痛などどこ吹く風で「ちわっす!」と快活に手を挙げる。
「紹介しよう。彼らは隊員の茂中華蓮、金平はじめ、三田楓だ!」
神代の言葉に被せるように、3人はそれぞれ自己紹介を始め出した。
「第三部隊所属。茂中華蓮っす。仲良くできたらうれしいっす」
屈屈のない笑顔で右手を差し出してきた華蓮は、琥狛と同じ高校生くらいの年齢に見えた。緊迫した会議室の空気を一瞬で塗り替えるような、圧倒的な陽のオーラを放っている。
「同じく、金平はじめだ。よろしくな!」
華蓮の隣からひょっこりと顔を出したのは、少し癖のある髪をいじりながら、気さくな笑みを浮かべる青年。どこか飄々としていて掴みどころがないが、その瞳の奥には確かな理知が覗いている。
「三田楓……」
最後に、少しハスキーな声で短く名前を名乗ったのは、ストレートな黒い髪の女性。彼女はそれ以上言葉を続けず、ただじっと、品定めをするような鋭い視線で琥狛を見つめている。言葉数の少なさとその佇まいからは、一筋縄ではいかない実力者の雰囲気がひしひしと伝わってきた。
突然乱入してきた3人の強烈な個性に圧倒され、琥狛は差し出された華蓮の手を前にして完全に固まってしまう。
神代は肩をすくめると、手元の端末へ視線を戻した。
「君の教育係およびお目付け役は彼らに一任する。まずは組織のルール、仕事内容について学んでもらう。……何より、君には最低限の戦闘能力を身につけてもらう必要がある」
「戦闘能力、ですか……?」
「ああ。現場では何が起こるか分からない。だからこそ、自衛のためにも相応の力をつけてもらう。安心しろ、我が組織が誇る武術のスペシャリストたちが、君を徹底的に鍛え上げる」
神代の、どこか楽しげな笑顔に押され、琥狛は諦めたように電子ペンを握った。画面に「諏訪 琥狛」とサインした瞬間、華蓮が「よっしゃあ!」と歓声をあげて琥狛の肩をバシバシと叩く。
「決まりっすね! じゃあ、琥狛くん早速、施設を案内するっすよ!」
「うわ、ちょっと、引っ張らないでください……っ!」
琥狛は華蓮に腕を引かれ、嵐のように会議室から連れ出された。はじめが苦笑しながらそれに続き、楓は最後に一度だけ神代に一礼して、静かにドアを閉めた。
静寂を取り戻した会議室で神代はふっと唇の端を上げた。
「……さて。これで私の睡眠時間が、少しは増えればいいのだがね」
―――。
「ちょっと華蓮、引っ張るの早すぎだって! 新入りの腕がもげちゃうぞ」
会議室から続く無機質な銀色の廊下を、はじめが苦笑いを浮かべながら追いかけてくる。
「大丈夫っすよ! 琥狛くん、結構いい体格してるし、これくらいじゃへこたれないっす!」
「いや、体格の問題じゃなくて……!」
ぐいぐいと小気味いい力で腕を引かれながら、琥狛は必死に足を動かした。
つい先ほどまで世界の裏側に引きずり込まれた不安で心臓がバクバクといっていたはずなのに、今は全く別の意味で息が上がりそうだ。あまりの急展開に、感情の整理が追いつかない。
少し後ろを歩く楓に目を向けると、彼女は長いストレートの黒髪を微かに揺らしながら、足音ひとつ立てずに追随してきている。
それからの一時間は、怒涛の勢いで基地内を巡るツアーとなった。
実体化因子の探知を行う中央管制室、怪異のデータを蓄積したデータベース閲覧室、万が一の怪我に対応する最新鋭の医療棟、そして地下に広がる広大な屋内訓練場――。どこを見ても一般人の高校生である琥狛には場違いな、最先端の秘密基地そのものだった。
「よし、一通り回ったっすね! 琥狛くんはまだ高校生だし、基本は学業優先っす。というわけで――」
華蓮はニカッと太陽のような笑みを浮かべ、琥狛の肩をバシッと叩いた。
「本格的な指導は、明日からの放課後にスタートっす!」
「明日から、ですか……」
「そう。僕たちも君にできるだけ早く現場で活躍できるようになってもらいたいからね。」
そして、それまで静かだった楓が、すっと琥狛の目の前に立ちはだかった。長い黒髪の間から覗く切れ長の瞳が、琥狛を射抜く。
「……明日、学校が終わったらすぐにここへ来て。まずは基礎体力から。私と華蓮でみっちり絞るから……覚悟しておいて」
楓の冷徹な、しかしどこか面倒見の良さを感じさせる宣言に、琥狛は背筋をピシッと伸ばすことしかできなかった。




