第30話 威逼利誘
促されるまま、琥狛はぽつり、ぽつりと語り始めた。
初めて実体化因子が視界に映り込んだ、あの日のこと。
容赦なく襲いかかってきた「鬼」の凶刃、未来を呪うように啼いた「件」の不気味な声、そして、暴風を纏った「天狗」との死闘――。
そして、ギンの身体に起こったことについて話し終えたときには、琥狛の額にうっすらと汗がにじんでいた。
すべてを吐き出し、会議室に再び沈黙が降りる。
琥狛は、じっと神代の反応を待った。
そして、神代は組んでいた手をゆっくりと解くと、その端正な唇の端をふっと、どこか満足げに吊り上げた。
「――合格だ」
「……え?」
予想だにしない一言に、琥狛は何のことだか分からず思わず眉をひそめた。
毒気を抜かれたような、間の抜けた声が漏れる。
「合格って……一体何のことですか?」
問い返す琥狛に対し、神代は椅子の背にもたれかかり、大人の余裕を感じさせる仕草で肩をすくめてみせた。
その琥珀色の瞳には、先ほどまでの鋭さに加え、確かな親愛の情が灯っている。
「言葉通りの意味さ。琥狛くん、今日君をここへ招いた本当の理由はね――君を我が組織にスカウトするためなんだ」
「スカウト……僕を、GVMCに?」
「ああ」
神代はデスクの上の端末を軽く操作し、空中へいくつかのホログラムウィンドウを浮かび上がらせた。そこには世界各地で発生している実体化現象や、処理に追われる隊員たちの活動記録が淡い光を放っている。
「見ての通り、我々GVMCは年中深刻な人手不足でね。実体化現象の発生件数に対して、現場を収める人員が圧倒的に足りていない。特に、君のように視える側であり、かつ実戦を生き延びてきた人間は、喉から手が出るほど欲しい人材なんだよ」
神代はそう言うと、先ほどまでの端正な笑みを消し、形が良い眉の間に深い皺を寄せた。
その表情は、一人の有能な中間管理職が抱えるリアルな疲弊を物語っている。
「実体化現象の発生件数は右肩上がりなのに、動ける人員は削られていく一方だ。私の睡眠時間も、ここ数か月で目に見えて減っている。だから、君のような即戦力は、喉から手が出るほど……いや、今すぐにでも引きずり込みたいほど欲しい人材なんだよ」
神代は机に身を乗り出し、切実さと、ある種の執念すら感じさせる瞳で琥狛を見つめた。
「どうだろう。君のその力を、どうか私たちに貸してはくれないか?」
神代の切実な、だが逃れがたい圧力を含んだ視線に、琥狛はごくりと息を呑んだ。
「……断ると言ったら、どうしますか」
恐る恐る口にされた拒絶の言葉に、神代は驚く様子もなく、むしろ「待っていました」と言わんばかりに薄く笑った。
「残念だが、君に拒否権は最初から用意されていないんだ」
神代の声から先ほどの焦燥が消え、冷徹な響きが戻る。
「君は公にされていない――実体化現象や実体化因子、GVMCの存在を知ってしまった。これを私たちが黙認すれば、組織の存在意義に関わる。もし誘いを断るというのなら、君と、そこの相棒を世界の平穏を脅かす危険因子として、一生監視せざるを得ないが……どうかな?」
有無を言わせぬ脅迫だった。世界の機密事項という巨大な盾を前に、一般人に過ぎない琥狛に抗う術などあるはずもない。
琥狛は拳を固く握りしめ、諦念の混じった溜息とともに、ついに肩の力を抜いた。
「……分かりました。入ればいいんでしょ。入れば」
「賢明な判断だ、歓迎するよ」
神代が満足げに頷き、契約の書類を差し出そうとしたその時。
バタン、と会議室のドアが勢いよく開いた。
「神代さん!どうっすか。新人の子入ってくれたっすか?」
張り詰めた部屋の空気をぶち破るように入ってきたのは、若い3人の男女だった。突然の来訪者に、琥狛は驚いて目を丸くするのだった。




