第15話 霧喰実体
怒涛の展開が続いたあの濃い2日間から2週間が過ぎた。
あの2日間に比べれば、今の生活は驚くほど穏やかだ。
俺は学校から帰ると、カバンを放り出してギンと一緒にいつもの「散歩」へと繰り出す。それがここ数日、俺たちの新しいルーティンになっていた。
散歩の途中、黒いモヤを見つけたらギンが吸収する。やることはそれだけだ。
そのおかげなのかは分からないが、あの黒いモヤが凶悪な化け物へと変異することは、俺の周りでは今のところなくなっていた。
化け物の“芽”が小さいうちに未然に摘むという俺の仮説は、どうやら大正解だったみたいだ。
「ナイス、ギン。お前のおかげで今日もこの街の平和は守られたな」
このまま地道にモヤを掃除していけば、あの命がけのバトルなんて二度と経験せずに済むかもしれない――。
そう思いながら、俺はその日もいつも通りの散歩を終え、平和な気持ちのまま眠りについた。
翌朝。
「う、ん……?」
顔のあたりに、妙に温かくてモフモフした塊が乗っかっている感覚で目が覚めた。
俺は眼をこすりながら、視線を落とした瞬間、俺の思考は完全にフリーズした。
「……え?」
そこには、いつも通りのつぶらな瞳で俺を見つめるギンの姿があった。
いや、いつも通りじゃない。
俺の胸の上に乗っかっているギンの足が、俺のパジャマを確かに押し潰している。
恐る恐る手を伸ばし、その白い体に触れてみる。
「っ……! つ、触れる……!?」
指先から伝わってきたのは、柔らかくて、紛れもない生き物の確かな感触だった。これまでは触ろうとしてもすり抜けていたはずのギンが、今はしっかりと俺の手のひらの中に収まっている。
琥狛はあまりの驚きに、ベッドの上で言葉を失って固まってしまった。
そんな俺の混乱を置き去りにしたまま、階下からいつも通りの容赦ない声が響く。
「ちょっと、琥狛! また10時過ぎてるわよ! いい加減に起きなさい!」
ドタバタと階段を上がってくる足音。
突然の事態に頭が追いつかず、体がうまく動かない。
ガチャリと乱暴にドアが開け放たれる。
「もう、毎週毎週……って、あら?」
入ってきたお母さんが、説教の途中でピタリと口を止めた。
その視線は、俺の顔ではなく、俺の胸の上で首をかしげている白い生き物――ギンに完全に釘付けになっている。
「何よその子……。琥狛、あなた、お母さんに内緒で犬なんて拾ってきたの!?」
「……え? 母さん……見えるの?」
「何言ってるのよ、バッチリそこにいるじゃない。ちょっと、すっごく可愛いじゃないの!」
お母さんは怒るのも忘れて目を輝かせ、ズカズカとベッドに近づいてくると、ギンの頭を思いっきり撫で回し始めた。ギンも拒む様子はなく、気持ちよさそうに目を細めている。
目の前で繰り広げられる信じられない光景に、俺は冷や汗が止まらなかった。
「ちょっとあなた、ちゃんとエサはあげてるの? 骨格がしっかりしてるから、もっと食べさせなきゃダメよ」
「いや、エサっていうか……」
モヤを食ってるとは口が裂けても言えない。
「お父さんにも相談して、今日中にケージを買いに行きましょ。名前は何ていうの?」
怒涛の勢いでまくしたてるお母さんの横で、俺は頭痛が激しくなる一方だった。
俺にしか見えず、触れもしなかったはずのギンが、急に実体を持って誰の目にでも映る存在になっている。
この2週間、街の黒いモヤを大量に吸収し続けたせいで、ギンの中で何かが変わってしまったのだろうか……?




