第10話 満身創痍
「隠れたって無駄じゃ」
薄暗い廃ビルの静寂を切り裂き、男の歪んだ声が低く響き渡った。
反響するその声に背筋が凍りついた、次の瞬間――。
ーードドドドド、ドン、ドン、ドカンッ!!!
鼓膜を激しく震わせる連続的な衝撃音とともに、頑丈なコンクリートの天井が、まるで紙細工のように無残に爆ぜ飛んだ。
猛烈な衝撃波が吹き荒れ、滝のように瓦礫の雨が降り注ぐ。巻き上がる濃い土煙の向こうから、ぽっかりと穿たれた巨大な穴を通して、渋谷の空が顔をのぞかせた。
「だいぶ見晴らしが良くなったの」
立ち込める土煙を割って、ゆっくりと立ち上がったその影に、俺は息を呑んだ。
男の身体は、皮膚の奥から湧き上がるように禍々しい赤へと変色している。そしてその背中には、光を不気味に吸い込むカラスのように真っ黒な双翼が、骨肉を突き破るようにして悍ましく生え揃っていた。
「...化け物かよ。」
俺は男の体の変化に対して絶望したように呟く
「ガ、ルゥゥゥッ……!!」
俺の前に身を乗り出したギンの喉から、これまでにないほど激しい威嚇の唸りが漏れる。
その爪に宿る輝きは、まるですべてを切り裂く白熱の刃だ。
しかし、目の前の化け物から放たれるプレッシャーは、それを凌駕している。
化け物が背中の黒い翼を大きく広げた。その瞬間、周囲の空気が一変する。
「ギン、いけっ!」
「ワンッ!!」
俺の叫びと同時に、ギンが爆発的な速度で床を蹴った。
空中を駆けるような鋭い跳躍。光の軌跡を何本も描きながら、目にも留まらぬ連撃が化け物の懐へと迫る。
だが、化け物は避けるどころか、ギンの爪撃を正面から受け止めたのだ。強烈な衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
「小賢しい真似を」
「ワンッ!」
ギンは怯まず、即座に体勢を入れ替えてさらに加速した。右、左、そして死角からの鋭い一閃。闇を切り裂く十重二十重の光の刃が男を包み込む。
一瞬、押し込んでいるように見えた。
「ーー鬱陶しいわッ!!」
化け物が吠え、背中の黒い翼を力任せに一閃させた。
それは単なる羽ばたきではない。翼のひと振りが、周囲の空気を刃物のような烈風へと変え、全方位へと爆発的に解き放たれたのだ。
「グルアッ!?」
至近距離での不可避の一撃。
ギンの身体が容赦なく弾き飛ばされる。コンクリートの太い柱に背中から激突し、苦悶の悲鳴が上がった。
強すぎる。昨日の鬼とは次元が違う。パワー、スピード、そしてあの翼から放たれる変幻自在の烈風。ギンが、手も足も出ずに防戦一方に追い込まれていく。
「ハハハッ! 心地よいぞ、やはり肉体があるというのは!」
化け物は狂気的な笑い声を響かせながら、ゆっくりとギンへと歩を進める。
奥からは、ギンの酷く荒い呼吸が聞こえていた。まだ立ち上がろうと前足に力を入れているが、その身体は完全にふらついている。
(このままじゃ...負ける。何か策は...考えろ...)
必死に打開策を探し、血眼になって周囲を見回す。その時、オレの目の前を、一つの「白いモヤ」がふわりと横切った。
天井が吹き飛ばされたことで、どこからか流れ込んできたのだろうか。それは意志を持たないかのように、ゆらゆらと宙を浮遊している。
(っ! そうだ……!)
脳裏に、昨日の記憶が鮮烈にフラッシュバックした。
ギンが『鬼』と戦ったときだ。あのときギンは、鬼を吸収していた。
(もしかしたら……あのモヤがあれば、今の状態からでもギンは回復できるんじゃないか!?)
確証はない。だが、目の前では男が不気味な笑みを浮かべ、満身創痍のギンへと確実に歩を進めている。もう一刻の猶予もなかった。
「ギン……ッ!」
オレは喉の奥から声を出し、必死にその白いモヤの方を指差した。
その刹那、ギンは俺の意図を完全に察したかのように、残された力を振り絞って猛然と走り出した。




