二章 繰り返しの中で、だからこそ
高校生の日常は、長い人生の中で特に変化に乏しいものだと思う。
いや、そんな事を言ったら、社会人の皆さんに怒られそうだ。でも、事実だとも思う。
学校と自宅を行ったり来たりする生活。多分、記憶を振り返ってみても、そんな振り子のような日々が想起されるだろう。偶に、友人と街に遊びに行ったりする記憶が混ざる程度だ。
だけど今の僕はちょっとだけ違って、そのルーチンに公園と言う彩りが生まれたのだった。
出会って丁度三週間の火曜日。その頃には公園の上部に桃色の彩りが加えられていた。
だけどまだ僕等は花見に誘えるほどの間柄ではないから、泣く泣く公園で上を眺めるだけ。
今日は『出会って三週間記念日』として彼女に缶ジュースを贈呈したら、気持ち悪がられた。ジュースはしっかりと奪われたけど。やっぱり甘い物とか好きなのだろうか。そんな甘酸っぱい砂糖汁を飲みながら、ちょっとしたお花見気分で僕等はベンチに座っていた。
「んー、恋は人を詩人にさせるねぇ」
「突然口を開くや否や、気持ち悪い事言わないでください……」
「いやぁ、事実だよ、事実。自分でも良くわからない事とか、口走っちゃうし。ポエムとか書きたくなるし。今までバカにしてたポップスの歌詞が急に胸に響くようになるし」
「……恥ずかしい人なんですね」
「椿姫ちゃんはそう言う事ないの?」
「あるように見えますか」
「なさそうだなぁ……」
「バッサリ切り捨てましたね」
うん、隠れてポエムとか書いてたりしてそうだけど、それを指摘して、図星だった時が怖いから黙っておこう。もう少し仲良くなったら、触れてみるのも良いかもしれない。
(……そう言うの、本当に止めてあげた方がいいと思う。考えるのも、ダメ、絶対)
「でも、恋愛小説とかの観方が変わったりしそうだね」
「あー、それはちょっとあるかも………………って、いや、よく考えたら私は恋なんてしてないから、価値観が変わる必要もないじゃないですか。何を言わせているんですか」
「いつも以上に厳しい言い訳だね」
こういった、コミュニケーション以下の何気ない話を繰り広げてみたり、読んだ小説の感想を言い合ってみたり。歳の差さえ考慮しなければ、普通に良い雰囲気なのではないかと思う。
缶の底に溜まり若干ぬるくなったジュースを飲み干し、僕は椿姫ちゃんに向き合う。
ヌルさの所為で喉越しが最悪で、若干喉がベタつくが気にしない。
「そう、僕はね椿姫ちゃん」
「……は、はい、何でしょうか」
急に畏まって話しかけた所為で、椿姫ちゃんの背中がスッと伸びる。付き合いたてのカップルのような初々しい空気が流れる。まだカップルではないんだけど、ね。
――うん、こういう一挙一動が本当に可愛らしい子だ。
「キミとデートがしたいんだ」
頭の中で『デート』という単語を反芻したらしい椿姫ちゃんの表情が、面白いくらいにころころと変わる。そして最終的に、いつも通りの無表情に戻る。流石に顔の赤さまでは戻らず、真っ赤な顔で平静を装おうとしている様が凄く可愛らしい。
「どストレートですね。私と、り、凜さんがデートしてたら、補導ものだと思うんですが……」
日本語も流暢に喋れていない。今の椿姫ちゃんは撫で回したくなる可愛らしさを纏っていた。
「僕がオッサンだったらまだしも、高校生と小学生だから、兄妹としか思われないと思うよ。反応を伺うに結構デート自体には乗り気?」
「ひ、暇だったら、行ってあげてもいいかなって思っただけ……行く場所にもよりますが……」
僕等も結構進展してきたって事でいいのかなぁ。出会って一ヶ月弱、とうとうデートを許される好感度にまで辿り着いたと。実に感慨深いものがあるなぁ。
年齢と名前以外、お互いの事は殆ど知らないんだけど。実はそう言う事ってあんまり必要ない。恋愛に必要なのは相手の情報ではなく、いかに自分を好いて貰うかなんだから。
「何処か、行きたいところとかあるかな? あれば椿姫ちゃんに合わせるけど」
「そう言うのって、男の人がエスコートしてくれるんじゃないですか?」
「……社会人同士の恋愛とかなら、その常識も通用すると思う。それに、流石に小学生が喜ぶようなデート先なんて簡単には思いつかないよ」
スッと出てきてしまったら、それはそれで問題だろうし。
「そう言うものですか……でも、いきなり言われると難しいですね。私は読書以外に趣味もないですし……人混みも苦手です……。うーん……うーん……」
「すると、無理に街の方とかに出かけるのは止めておいた方が良さそうかなぁ」
「……すいません」
「謝る事はないよ。僕としては、椿姫ちゃんと一緒にいれればそれだけで十分なんだし」
僕の言葉に安心したのか、悩んでいた椿姫ちゃんの表情が綻ぶ。
「だ、だったら……ちょっとだけ、行ってみたい場所があるんですが……」
何も恥ずかしがる必要なんてないのに、椿姫ちゃんはまた僕の耳元へと口を近付け、声量を抑え囁く。吐息の割合が多くなった声は、僕の耳を擽り、それが気持よくて僕は椿姫ちゃんの意見を聞き逃して――――
はい、また僕は椿姫ちゃんに怒られてしまいました。
◯
そこは広い空間だった。内部の、老若男女それぞれの声が何重にも反響している。
高いアーチ状の天井には、鉄柵が設けられた大きな照明が並んでいる。壁面上部にはこれまた大きな窓が並んでいるが、今はカーテンが締められている為、日光は入り込んでこない。
僕達がやって来たのは、市民体育館と呼ばれる空間だった。今日は一般開放の日で、それなりの料金を払う事で誰でも体育館を使用することが出来るらしかった。椿姫ちゃんが人混みが苦手だと言っていたから混み具合が心配だった。が、父子や小学生がチラホラと居るだけで、それ程混雑はしていない様子だったので、取り敢えず一安心。
運動はダメだって言っていたけど、苦手と言うだけで興味はあったみたい。
だからこそ、僕みたいな人間くらいにしかその『苦手』を露出できなかったのかもしれない。
本当に色気が皆無なデート先だった。だけど僕の目的は『椿姫ちゃんとお出かけ』だったから相手が椿姫ちゃんであるならデート先は正直どこでも良かった。僕にとっては、何処に行くのかではなく、誰と行くのかが大切なのだ。ウィンドウショッピングとかも楽しめる人間だし。
そして、肝心の椿姫ちゃんはと言うと――
「ほぉー……っ」なんて熱っぽい歓声を上げていた。
そんな僕の天使は黒に水色のラインが入った新品らしいジャージを着込んでおり、既に準備万端。その顔は緊張の為か準備運動の為か、桜色に火照っていた。
普段は無造作な髪の毛も、今日は後ろで纏められていて、可愛らしいショートポニーになっていた。彼女が歩いたり運動をしたりする度に、左右に揺れる黒い尻尾に、僕の視線は釘付けになった。流石、男性に大人気の髪型、ポニーテールである。プラス、髪の毛が邪魔で普段は中々覗けない椿姫ちゃんの顔がしっかりと見られるというのも素晴らしい。普段とは違う椿姫ちゃんを見られて、僕はもうそれだけで今日と言う日が素晴らしい一日だったと胸を張れるだろうと思う。そして、そんな椿姫ちゃんは今か今かと僕とのスポーツを待ちわびているようで、もの凄くそわそわしていた。
対する僕はというと、ティーシャツにジーパンという普段着でやって来てしまい、少しだけ場違い感。うん、デートというか、ホント、遊びに来た兄妹って感じ。
(恋愛の手練、みたいな事を言っている割にこう言う小さなミスは多い。
きっと、恋はしても、それを恋人、相手と共有した事なんて殆どなかった所為だろう)
「それで、椿姫ちゃん、何かやってみたい事があるって言ってたよね?」
「はい……ご迷惑じゃなければですが」
「ここまで来て迷惑も糞もないと思うけど……」
公園から外へと踏み出した椿姫ちゃんは、知らない人の家に上がり込んだ猫のような状態だった。歳相応の不安そうな顔を僕に晒してくれる。嬉しい。
「あぁっ、じゃあ、はい……これ、これをやってみたいです」
そう言って、予め準備をしていたのか、椿姫ちゃんはポケットからゴムボールを取り出す。
「……キャッチボール?」
「そうです。それです。私、きゃっちぼーるがやってみたいです」
横文字がぎこちないご老人みたいだった。必死さが滲み出てる。
そういえば、公園に居る時の椿姫ちゃんの視線の先には、キャッチボールをしている子供達がいたりしたなぁ。ああいうのを見て、やってみたいと思っていたのだろうか。
「うん、構わないよ。それじゃあ、ちょっと距離を置いて」
柔かいボールでのキャッチボールは禁止されてなかった筈だけど、一応体育館の壁際へと移動。余り慣れていなさそうだから、普通にキャッチボールをやる時よりも距離を詰めておく。
「それじゃあ、行きますよぉー!」
凄い、小学生の椿姫ちゃんも可愛いなぁ。
……いつも小学生だけど。普段は幼い一面とか余り見せてくれないし。
だから、時々見せるそう言った一面にときめいてしまう……いつも小学生だけど。
「いつでもいいよー」
「えいっ!」
可愛らしい掛け声と共に、振り下ろされる椿姫の右腕。腕が胸側に大きく食い込んだ独特のフォーム。加え、リリースポイントが大きく遅れた為、ボールが明後日の方向に飛んでってしまう。壁にベチンと激突したボールは、元の勢いが足らなかった所為もあってか、僕と椿姫ちゃんの丁度中間辺りで静止する。
「……………………」
「あー、椿姫ちゃん」
「…………何ですか」
思っていた以上に、自分の力量が不足している事を目の当たりにした椿姫ちゃんは、何とも言えない味わい深い表情で、僕とボールを交互に眺めてた。
「ちょ、ちょっと、練習しようか」
「そ、そうですね……」
今のを笑うと椿姫ちゃんが拗ねてしまいそうだったから、必死に笑いを堪える。それすらも椿姫ちゃんに悟られないようにするのは、ちょっと難しかった。
普段よりも近い距離で、ゴムボールを見つめる僕等。
「まずね、振りかぶるとか本格的なのは今のキャッチボールに必要ないから」
「そうなんですか?」
「うん。取り敢えず、真っ直ぐ飛ばす事をね、考えよう」
「はい……」
悔しそうな表情を浮かべ始める。負けず嫌いと言うか、形から入りたいタイプなのだろうか。
暫く、口頭と身振り手振りで説明しようと試みてみたが、運動を口で説明するのは難しいと断念する。どれだけ丁寧に教えても、椿姫ちゃんは両手をバタバタと動かすだけだったし……。多分、水泳とか絶対できないと思う。
(それが悪いとも思わないけど……)
「ちょっとジッとしててね」
背後から抱くような形で、椿姫ちゃんの両手を取る。そしてゆっくりとした動作で、ボールを放る動きを身体に教えていく。体が固まっている所為で小さな動作にも四苦八苦してしまう。
この年頃の少女の体つきについて熟知している訳ではないけれど、この子は少し痩せがちな気がする。運動で火照った身体が心地良い。髪先が鼻を擽り、体温が上がって強くなったシャンプーの香りが鼻孔に飛び込んでくる。公園ではときどき風に流れて香る程度のものだったが、やはり良い匂いだ。うーん、ずっと嗅いでいたい匂いだ。
「……自然なボディタッチですね」
はぁ……諸々を含めて楽園だった。天国だった。
「触るなら今しかないって思ったんだ。すーっ……はーっ……」
「…………最低ですね。あと、深呼吸しないで下さい、キレますよ」
「それは嫌だから止めとく」
「呼吸止めてください」
「……それは無理だよ」
と、何度か続けて動作を教えていくと、椿姫ちゃんも何とか形になるようになってきた。
「あっ、はい、分かったと思います」
腕をグルグルと回しながら「それじゃあ、早く向こうに行ってください」と言う椿姫ちゃんの命令を大人しく聞き入れ、初期位置に戻る。だけど念の為に二、三歩距離を縮めておく。
「いきますよー!」
先程と同じような掛け声をかけながら勢い良くボールを放る。今度は真っ直ぐ僕の方へ――とは行かなかったけど、大きく山なりを描いただけでボールは大人しく僕の手へと収まる。
「や、やりましたよ!」
「良かったね、うん、これからどんどん上手くなると思うよ」
(本当にそうだったら、世の中苦労なんて存在しないんだけど)
そう言いながら、緩やかな軌道を意識しながらボールを返す。
椿姫ちゃんが放ったボールと同じような軌道を描きながら、胸元へと飛び込んでいく。胸元へと飛び込んでいった筈なのに椿姫ちゃんは――
……予想斜め上の、顔面でボールをキャッチし始めたのだった。
べちーんっ、あうちっ、どてっ、きゃっ、と言う擬音語で、その後の状況を悟って欲しい。
慌てて駆け寄った僕を、椿姫ちゃんは涙目の上目遣いで睨みつけてくる。
「………………悪かったよ、椿姫ちゃん」
キミの運動音痴っぷりを見誤っていた僕が。という言葉は口には出せなかった。
「どうして凜さんが謝るんですか……。私が悪いんですよ」
「……今度はキャッチの練習しようか」
「……そうですね」
先ず、「キャッチの時は両手で挟み込むんじゃない」というのを教える事から始まった。
体育館から借りたバスケットボールで遊んでみたり、試しにバトミントンをやってみたり、椿姫ちゃんは終始あわあわ、どたどた、ばたばたとした動作を見せてくれた。
それぞれ物凄く独創的な動きを見せてくれたが、その全てに共通していたのが『小動物的で可愛らしい』という僕個人の感想だった。
「いやー、いい汗掻いたなぁ」
普段運動しない僕は、遊び半分の運動で滝の様に汗を流し、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。
対する椿姫ちゃんは無駄の多い動きであるにも関わらず、必要最低限しか走らないという暴挙に出た。その為、割と涼しい顔でスポーツドリンクをごくごくと飲み込んでいる。だからこそ僕は、椿姫ちゃんの分までボールを追い掛け回し、普通の運動の数倍は疲れてしまったという訳だった。
それでも椿姫ちゃんの頬は健康的に上気していて、普段とは違う、等身大の小学生らし可愛らしさを纏っていた。額に浮いた汗の玉も僕には宝石に見えてしまう程で――
「今日はとっても楽しかったです」
「そう思ってくれたなら、わざわざ来た甲斐があったよ」
体育館前に位置した広場、そこで休憩していた僕等。自動販売機や、ちょっとした売店なんかがあったりする。他のお店などより割高なのもちゃっかりしていると思う。柱の掛け時計を眺めると五時過ぎ。椿姫ちゃんの門限は六時らしいから、もう少しで帰さないとならない。
周囲の親子達も、僕等と似たような雰囲気を醸しだしていた。要は、僕等が出している雰囲気もカップルの物じゃないって事なんだろうけど。
「椿姫ちゃんって、体育の授業とかどうしてるの?」
「……それは私が、体育の授業を受けれない程酷い運動能力の持ち主って事ですか?」
(その通りです)
「い、いやそうじゃなくて……、なんか、余りにも運動音痴過ぎるなぁって思ってさ」
「それ、言ってる事変わらないですよ……」
「あ、あれ?」
言葉を選んだつもりが、返って罵倒度が高まってる気がする。大分疲れてるのかもしれない。
ふて腐れた様に視線を逸らすが、今日の彼女は機嫌が良いのか、直ぐにこちらへと向き直ってくれた。
「まぁ、いいんですけどね。はい、私は体育の授業をサボってますよ」
「………………クールなんだね」
(これは酷い。クールってなんだ)
「必死に言葉を選んだんでしょうけど、返って訳分からないことになってますよ。好きでサボってるんだから、べつに良いんですよ」
「でも、運動してるときの椿姫ちゃんは可愛――楽しそうだったけど」
「それはきっと……り、凜さんと遊んでるからですよ」
「それならしょうがないね」
「……納得しちゃうんですね」
椿姫ちゃんはボケをスルーされて肩透かしを食らったみたいな顔をしていた。まんまだった。
「だって僕も、べつに運動は好きじゃないけど、椿姫ちゃんと遊ぶのは楽しかったしね。つまり、そう言う事なんだろうな、って。だから、またこうしてデートしたいね」
「……デートって称するのに違和感があるイベントですけどね。でも、はい、またこういうのもいいかなって思います」
椿姫ちゃんが満足してくれたなら良かった。頑張って走り回った甲斐があったというものだ。
「屋内で、人混みが少ないって言うと……あ、水族館とかどうかな? デートっぽくない?」
「この際デートっぽさはどうでもいいんですけど、水族館ってのは、いいと思います、とても」
水族館とか好きそうだもんなぁ。それと、何だか雰囲気とか似合いそうな気がする。ホームグラウンド的な。あ、次はカメラとか持って行ってみようかな。主に僕が鑑賞する為にだけど。
椿姫ちゃんの方もドリンクを飲み干したようで、ホッと短い息を吐いていた。
「そろそろ私、帰らないと……ごめんなさい」
「謝ることなんてないよ。初めから分かってたことだし」
周囲を見回すと、椿姫ちゃんと同年代と思しき子供たちが出口へと向かっていくのが見えた。
夕方から夜までは、アマチュアのバスケットボールチームが貸し切りで練習を行うんだったか。僕にはまったく関係ないけれど、ご苦労様ですって感じ。
自動扉を潜って外に出ると、夕焼けに照らされた外気が僕等の首筋を撫でる。汗が冷える感覚が気持ち良いけど、余り放置していると風邪をひきそう。椿姫ちゃんの汗は引いてるみたいだから、取り敢えずは安心。
茜色の匂いを思い切り吸い込むと、哀愁の香りがした。僕も小学生の頃は、夕日とか眺めながら帰宅したものだ。懐かしい。椿姫ちゃんと一緒に帰宅できるというのも、凄くご褒美だし。
何より朱い陽光を浴びてきらきら光る椿姫ちゃんが、とても素敵だった。
「でも、大人のお付き合いってこれからが本番なんでしょう……?」
偶に、僕でも中々踏み出せない場所を踏み割ってくるのは何なんだろう。耳年増なのだろうか。でも、女子って男子よりそう言う知識を得るのが早いって聞くし。椿姫ちゃんは特別、本を読んでたりするから、そういうのも仕方がないのかもしれない。
「……まぁ、そうなのかもしれないけど。僕はあんまり、その辺りに重きを置かないからなぁ」
「男は狼で、性欲の塊だと思ってましたが……」
「もし僕の中の優先順位で性欲が高かったら、椿姫ちゃんを好きになってなさそうだなぁ」
「……欲情しないって事ですか?」
「しても困るじゃないか」
「それもそうですが」
「言うなれば、壊れ易い美術品を愛でる様な感覚、かなぁ。椿姫ちゃんは、本当に綺麗だし」
本当に、怖くなってしまうほどに椿姫ちゃんは美しいと思うんだ。
「余り、悪い気はしませんが……それは恋なんですか?」
「恋、だよ。好きなものは大事にして、そして、壊す時に最も愛が大きくなるんだと思う」
「……壊す、ですか?」
僕の言葉の響きに不穏な物を感じ取ったのか、椿姫ちゃんの顔色が曇る。
「ああ、御免、なんか、不適切な言い方だったかもしれない。べつに、殺そうだとか、精神的に追い詰めようだとかそういう訳じゃないんだ。ただの持論だから気にしないで、としか」
「……犯すって、事ですか?」
「僕が言いたいのは双方同意の場合だからね。その表現は周囲の誤解しか招くから使わない方がいいと思うな」
「やっぱり凜さんは変な人だし、危ない人です。小学生に聞かせるような話じゃありませんよ」
「僕は椿姫ちゃんの事を一人前の女性として扱おうと思ってるからね。普通に、僕より大人びてる面もあるし」
「はぁ……」
「何の溜息なのかな!?」
僕の疑問に椿姫ちゃんは答えず、ただクスリと笑って見せるだけだった。
「公園まで、送って行ってもらえますか?」
話を逸らされてしまったけど、さっきの話題に突っ込んでいく勇気はなかったので、その話題に乗っかる事にする。
「べつに自宅までで良いんだけど……椿姫ちゃんがそれでいいなら僕はそれで構わないよ」
「……凜さんに自宅を知られたくありませんから」
「それはちょっと傷付くなぁ」
「冗談ですよ」
「本当なのか冗談なのか凄い微妙なラインを攻めてくるのは止めて欲しいなぁ」
そんな軽口を叩きながら、夕日一歩手前の朱色が染める街中を僕達は歩いていったのでした。